非国民通信

ノーモア・コイズミ

船を山に登らせようとするのはイノベーションなのだろうか

2014-05-21 22:51:17 | 雇用・経済

 船頭多くして船山に登る、ということわざがあります。ことわざとしての知名度は低くない方だと思うのですけれど、実際にそれを教訓として意識している人はどれだけいるのでしょうか。日本の会社の求人と言いますと、とかく「コミュニケーション能力」一辺倒になりがちですが、ちょっと上の――第二新卒とか馬鹿げた名称では呼ばれなくなるような――年代を対象にした求人ともなりますと、今度はやたらと「リーダーシップ」を連呼する類が目立つようにもなったりします。リーダーシップを発揮できる人材を待ち望むと、そう描かれた求人を目にすることが極めて多いのですね。

 よくよく考えてものを言えよ、と思います。まぁコミュニケーション能力よろしくリーダーシップも一種の決まり文句と言いますか、それを掲げておけば格好が付くという代物なのかも知れません。しかし毒にも薬にもならぬと言うよりも、それは有害でさえあるのではないかという気が私にはするのです。年を取れば当たり前のように会社から追い出され若い人に入れ替えられるブラック企業ならばいざ知らず、真っ当な会社の労働年齢世代からすれば、自分より若い人の方が頭数が少ないのが普通です。40歳代よりも30歳代の方が少ない、30歳代よりも20歳代の方が少ない、この傾向は将来的にも続くであろうことが確実でもあります。

 そんな少子化が進む時代にありながら、30歳以上の中堅向けの求人で挙って「リーダーシップ」が求められるというのも奇妙な話ではないでしょうか。自分から見て年少者の方が数が少ない、年上の方が頭数が多い、それが避けられない時代に突入して久しいのに、当たり前のようにリーダーシップが求められる、これを真に受けて年長者がリーダーシップを発揮しようものなら、言うまでもなくリーダーの数が部下の数を大きく凌駕してしまうことになります。船頭ばかりを集めてどうするの?

 もしかすると日本の企業経営者にとって、船頭多くして船山に登るとは一種のイノベーションに見えているのかも知れません。リーダーシップを持った人間を集めることで、船を山に登らせるような新しい展開を期待しているとも言えます。あるいは船頭を集めつつもトウが立った人は片っ端からリストラして少子化時代の中でも社員の世代構成をピラミッド型に維持しようとか、そんな風に規制緩和系の論者は考えているのでしょうか。私はもう少し、船を漕ぐ人を集めた方が良い、水を運ぶ選手を集めた方が合理的と思うのですけれど。

 「もっと静かに演奏しろ」と、オーストリアの名指揮者であった故カラヤンは楽団員に指示したそうです。特定のセクションが大音量で演奏すると別の楽器の音が聞こえなくなってしまう、後ろに引っ込められてしまうこともあるわけで、全体の調和を考えれば「もっと静かに演奏しろ」と要求することもまた合理的であったのでしょう。例によってこの辺は、オーケストラに限った話ではないと思います。

 日本の働き方の非効率な部分としてはよく「会議が長い」ことが挙げられます。そうですね、実に長い、ああでもない、こうでもないとグダグダ駄目出しを続けながら深夜にまで及ぶことも珍しくないでしょうか。必要な事だけ告げて、意見のある人だけ手を挙げるだけなら話は早そうなもの、しかるに何を言ってもあれではダメ、これではダメだとケチが付き、永遠に結論が出ないまま議題がこねくり回され続けるわけです。

 議論に積極的に参加することが、たとえ下っ端であろうとも日本では当たり前のように求められている、社員である以上は船頭として進路について意見を持てと、それが当たり前のように思われているフシがあります。本当は意見などなくとも、何かしら発言をしなければならない、そういう雰囲気が作られてはいないでしょうか。なにせ日本の社員と言えばリーダーシップを要求されて育った人ばかり、会議の場でどんどん意見を述べていかないと不熱心と受け止められかねないところもあるはずです。その結果として「ああでもない、こうでもない」と誰が意見を出しても横槍が入って決断が下されるには至らない、会議はいつまでも続いて終わる様子がありません。必要もないのに意見を言わなくて良い、船頭の指示に沿って動く漕ぎ手であっても良い(役割を果たしている)、そういう理解も求められるところです。

 

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コメント (2)
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