Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

BOSS & 角

2009-09-30 23:33:14 | Weblog
昨夜は MBF で,サントリー全社の広告宣伝を統括する久保田部長のお話を伺う。サントリーの持つ,いくつもの「定番ブランド」から,17年の歴史を持つ缶コーヒーの「BOSS」と71年の歴史を持つウイスキー「角」について,これまでの主要な CM を見ながら,広告戦略をレビューしていただく。試行錯誤しながらも強固な地位を築いていった BOSS と,黄金時代と低迷時代を経験し,いま再生を目指す角。マーケターとして面白くないはずがない。

BOSS のコンセプトは「働く男の相棒コーヒー」。これは初期の矢沢永吉を起用したCMから,最近の「宇宙人ジョーンズ」まで,さまざまにテーマやトーンを変えながらも,基本的に変わっていない。また,ユーモアを用いて強い表現上のインパクトを生み出すという点も一貫している。したがって,GRP に比した広告認知度は,つねに業界平均を上回ってきた。日本の広告クリエティブをリードしてきたサントリーの強さを示す,典型的な事例といえる。

一方,栄光の時代からどん底に落ち,苦難の道を歩んできたのがウイスキー,その代表格である「角」である。開高健や山口瞳が登場する,いわばサントリーウイスキー黄金時代の CM は,フォーラムに参加していた中高年をおおいに懐かしがらせた。個人的には,三宅一生や井上陽水が登場する80年代前半の CM が思い出深い。当時,角に限らずサントリーウイスキーの CMが紡ぎ出すイメージが,何がしか人生のロールモデルになっていた気がする。

しかし,1984年をピークに,国産ウイスキー市場は坂道を転がるように縮小してしまう。酒税改正があった 1989 年,角は一時的に売上を伸ばすが,その後売上は低下する。こうした劇的で非連続な変化は,それに直面したマーケターの方々には申し訳ないが,マーケティングの研究対象として,非常に面白いのである。この市場は衰退期へと向かう,と切り捨てることなく,サントリーは30代をターゲットにした「ハイボール」キャンペーンを開始する。

SAYURI(石川さゆり)の「ウイスキーは,お好きでしょ」という懐かしい CM ソングと,年上とおぼしき男性に小雪が甘えてる映像に,中年男たちは秒殺される(・・・私のことです)。しかし,ターゲットはあくまで30代だということから,同じ歌をゴスペラーズに歌わせ,30代の男性たちがバーテンダー小雪を囲むという設定に進化する。他のさまざまな施策も練られているが,コアにエモーショナルなイメージがどんとあるのがさすがである。

では,ハイボールは売れるのだろうか(少なくともぼくたちは,この日二次会に「響」に行ってハイボールを飲みまくった)。角は復活するだろうか。ウイスキー市場は再び上向くのか。そんなことは,誰にもわからない。しかし,ウイスキーを愛する人々がいて,顧客のインサイトを探りながら,懸命に自分たちの愛するものを顧客にも愛してもらおうと努力している。そこに立脚して,マーケティングの「科学」の可能性について考える必要がある。

最後に,ハイボールを飲みながら,久保田さんの「さらに深い」話を聞いて感じたことを少し。ぼく(ら)はつい,「黄金時代」のサントリーの CM を懐かしみ,あの夢をもう一度,と思いがちだ。だが,ウイスキー市場がその後,劇的に縮小したことを考えると,もはや市場の生態系がすっかり変わったと認識したほうがよい。そこには,消費者とメディアとの関わりも含まれる。それ次第で,クリエイティブ戦略のあり方も大きく変わる。

さらに個人的なことをいえば,「クリエイティブ・マーケティング」におけるマスメディアの位置づけを,より「クリエイティブ」に考えなくてはならない,ということ。
  

日本の「砂糖の風景」

2009-09-28 21:07:14 | Weblog
エージェント・シミュレーションの有名なモデルに Epstein and Axtell による sugarscape と呼ばれるものがある。その基本は,蟻のような多数のエージェントが,平面上で砂糖を求めて移動する世界である。非常に単純な知能しか持たないエージェントのふるまいから,経済の「本質」を描き出そうという試みである。これは,寓話的な状況設定で,物事の本質をえぐり出そうという研究であり,これまでエージェントモデルが最も力を発揮してきた領域でもある。

人工社会―複雑系とマルチエージェント・シミュレーション
Joshua M. Epstein,Robert Axtell
構造計画研究所

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いうまでもなく,現実の経済はこうした抽象モデルから見るとあまりに複雑である。実際のエージェントたちは蟻よりは少し「賢い」ので,自分が確保した砂糖のまわりに囲いをつくって,他の蟻にはわからないようにしたりする。誰かが「調査」に来ても,ことばの弾幕を張って砂糖を見えなくしてしまう。ことばが飛び交うことで,現実は何重もの層で覆われることになり,また,その間も溶けあうことで区別不能になる。複雑系という以上に,魑魅魍魎系になる。

ただ,ふとした拍子に雲の切れ目のような隙間ができて,なーんだ,みんな砂糖に群がっているだけじゃないか,ということがわかる瞬間がある。最近,新聞やテレビというより,それを取り巻くネットの世界の情報を拾うにつれ,そんな感覚にとらわれることがある。新聞やテレビから流れてくる,自分たちは弱者であると叫ぶ人の名前を検索エンジンにかけると,砂糖を隠し持つ人であるという「意外な」(あるいは「なるほど!」という)背景がわかったりする。

だが,最下層の「砂糖の風景」に真実があって,それを覆うことばの層は虚偽である,という考え方はあまりにナイーブすぎるかもしれない。真実に見えたものもまた,ことばによって生成されたイメージかもしれない。それはそうかもしれないが,とりあえずは砂糖の風景のうえに,ことばによって生み出された新たな層が加わった世界をシミュレーションで構成できないかと思う。そうすれば,いま,ぼくが見ている世界を,もう少しそれらしく理解できるようになるだろう。

アップル「最大の」謎

2009-09-25 23:22:43 | Weblog
「ビジネスアスキー」11月号は「アップルの謎」という特集を組んでいる。副題は「『業界ひとり勝ち』その理由」で,それを集約した7つのポイントを示している:

1. 破壊: iTunes Store による価格破壊,App Store によるソフトの開発・配信・課金の中抜き一元化(さらには開発の草の根化),Intel Mac による Windows との壁の破壊,が例に挙る。

2. 再構築: iPhone の「軽」装備(カメラの画素数の低さ,日本でしか通用しないワンセグやおサイフケータイへの非対応),製品ラインの絞り込み(再構築),UNIX をベースにした Mac OS X。

3. 新機軸: 初代 iMac のデザイン,iTunes Store のビジネスモデル,Mac Book Air/Pro に採用されたアルミ切削ユニボディが例に挙がる。あえてリスクをとることで,果実を得たとする。

4. 切り捨て: Macworld Expo からの撤退,Mac OS 互換機戦略の放棄,Mac OS 9 から OS X への非連続的進化,販売店の限定,iMac からの FD 追放、インターフェースの USB への統一。

5. プレゼン: スティーブ・ジョブズによる巧みな新製品発表,熱意,じらし,驚き,シンプルさ。アップル復活を印象づけた Think Different キャンペーン。

6. 先見:iBook の無線 LAN 対応,iBook のデザイン変更(大成功した半透明ボディからホワイトボディへの速やかな移行),iPhone からのキーボード追放,OS X における透明性のある GUI など。

7. こだわり:iPod におけるクリックホイールの進化,マウスやトラックパッドのシンプル化,片手で開けられる iBook のラッチレス方式の液晶カバーなど。

・・・こう見てくると、やはりデザインの力がどうしても目立つ。「新機軸」「先見」「こだわり」など,それ自体が合目的化してしまうと,独りよがりの製品になってしまう。その点で「再構築」に関して語られた「iPhone は、ありふれた技術を徹底して再考・再構築していった結果として辿り着いた非凡な製品」であるという指摘が重要である。なぜそういう化学変化が起きるのか,そこがアップル最大の「謎」である。シナジーとか非線形とか呼ぶだけでは,そのメカニズムを理解できない。

月刊 ビジネスアスキー 2009年 11月号 [雑誌]

アスキー・メディアワークス

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なお,この特集には他にも興味深い記事がまだまだある。「加速するアップルのプラットフォームビジネス」という記事では、アップル社の財務データが分析されていて興味深い。執筆者は,会計士でもあり,アルファブロガーでもある磯崎哲也氏である。

志願したい大学 No.1

2009-09-24 23:31:07 | Weblog
今日の「明大スポーツ」の一面は「ついに早稲田超え! No.1 明治」と大きく書かれている。といっても,野球のことでもラグビーのことでもない。関東エリアの高校3年生を対象にした調査で「志願したい大学ランキング」の1位に輝いた,という話だ。これは,リクルート社が行なった「進学ブランド力調査」の結果である。7月に発表されたもので,そういえばどこかで耳にした気がしないでもない。

高校生に聞いた大学ブランドランキング2009

ただし,昨年1位で今年は2位になった早稲田大学とは僅差でしかない。これは,実際の受験者数で起きていることと併行している。ちなみに3位は青山学院大学。昨年から順位を上げたのは,来年から文系は青山キャンパスで4年間過ごせることが織り込まれたのかもしれない。慶應義塾大学が7位なのは,募集人員が少ない難関校だからだろう。東京大学が18位なのも同じ理由だと思う。

項目別の評価もある。「教育方針・カリキュラムが魅力的である」は関東エリア7位。順位はともかく,トップグループの早大,東大,慶応の半分近い比率であることが残念だ。「就職に有利である」や「自慢できそう」でもほぼ同じような傾向にある。「国際的なセンスが身につく」と「まじめ」では10位以内に入ることができなかった。意外だったのが「おしゃれな」で,6位に入ったことだ。これはいい兆候だ。

「明大スポーツ」では「内部視点」から,志願者数1位の理由を探っている。最初にくるのが,中央図書館のゾーニング。第2に「質実剛健」「男くささ」が草食系男子の時代に逆に受けているという説。第3に,女性向けトイレの数が多く,かつ清潔なこと。第4に,リバティータワーの眺望。このなかで座布団をあげたいのが,トイレの質と量である。これは,かなり満足度に影響しているかもしれない。

それはともかく,本日から後期が開始。早速,授業とゼミを1コマずつ行なう。

連休だ! 遊園地だ!

2009-09-23 12:32:14 | Weblog
横浜ドリームランドに行ってみたかった。少年雑誌のグラビアで紹介されていた,あのジャングルクルーズ風の船や,「潜水艦」もどきに乗ってみたかったのだ。大阪に住むぼくには,それは叶わぬ夢だった。その気持ちは,大阪万博に行けなかった『20世紀少年』のケンヂあるいは浦沢少年と,共通点があるかもしれない。

横浜ドリームランドの兄弟分に,奈良ドリームランドというものがあった。そこなら行こうと思えば行けたはずだが,実際に行ったかどうか記憶が定かではない。写真を眺めていると行ったような気がするが,それは少年雑誌を読んで形成された「ニセの」記憶かもしれない。実際はどうだったか,天国の父に聞いてみたい。

いずれもいまはない遊園地だが,TDL 以前は,そこが「日本のディズニーランド」だっといってよい。だが,それをいい出すと宝塚ファミリーランドもそうだったんだなと,当時の写真を眺めてつくづく思う。シンデレラ城に似た建物がど真ん中に建っている。かつて日本の遊園地の多くが,ディズニーランドを模倣していた。

宝塚ファミリーランドにはよく行った。阪急宝塚線の沿線に住む子どもたちは,みんなそうだったはずだ。家族とも,親戚とも,友だちとも行った。カブスカウトのデンマザーが辞めるとき,チームの子ども全員を連れて行ってくれたことがある。乗り放題で,費用は全額彼女が負担した。きちんとお礼したかどうか,心許ない。

ここは阪急グループが経営する遊園地だが,ライバルの阪神は甲子園に阪神パークを持っていた。やや小ぶりの遊園地だったと記憶する。ヒョウとライオンの混血,レオポンが売り物だった。甲子園はぼくの生活圏内からは外れており,おそらく阪神パークには一度しか行っていないはずだ。これは,間違いないと思う。

ファミリーランドも阪神パークも2003年に閉鎖された。阪急と阪神は企業としても合併してしまった。あのあたりの子供たちは,いまはどこに遊びに行くのだろうか?エキスポランドか? USJ まで足を延ばすのか?それとも,そもそも遊園地(いまはテーマパークといったほうがいいのかな・・・)には行かなくなったのか。

以下の本を読みながら,いろいろなことを思い出した。この手の本は,つい買ってしまう・・・。

僕たちの大好きな遊園地 (洋泉社MOOK シリーズStartLine 15)

洋泉社

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「多機能化」の落とし穴

2009-09-22 23:21:18 | Weblog
最近のスティーブ・ジョブズの発言がちょっと気になった。ジョブズいわく「1つの機能しかないという点にも幾つかのメリットがあるかもしれない。だがわたしは、汎用デバイスが勝利すると思っている。人々はおそらく、専用デバイスに進んでお金を払いたがらないだろうから」。この発言は以下の記事から引用したものだ:

iPodの進化に見る「単機能デバイスの終わり」の可能性

iPod nano の最新版には,ビデオ撮影機能がついた。 iPod の発展形といってもよい iPhone は電話機であるだけでなく,PDA であり,ゲーム機であり,その他諸々でもある。それだけとると,iPod は多機能化によって成功したという話になる。ところがその iPod は最近,日本市場でウォークマンに追撃されている。

新製品でさらに混迷、iPodとウォークマンのトップシェア争奪戦

この記事は,ウォークマンが健闘しているのは,歌詞カードを表示させる機能など,日本人のニーズにきめ細かく対応した新機能を追加したことによると示唆している。多機能化の中身で iPod はウォークマンに追撃されている?となると,いろいろな機能を追加するのが得意な日本企業にとって希望が生まれてくるが・・・。

そういう解釈でいいのだろうか? いうまでもなく,多機能化の行き過ぎが製品の魅力を低下させることがある。Thompson, Hamilton and Rust 2005Rust, Thompson and Hamilton 2005 が論じてきた feature fatigue といわれる現象である。多機能化の適正水準をどう見出すかは,難しいが避けて通れない問題だ。

iPod は多機能化の一方で「ムダを排除」し,操作における統一性とシンプルさを追求してきた。それは,単純に機能が多いか少ないかの問題ではない。その判断基準は優れたデザイナーや経営者の頭のなかにあるが,それをできれば形式知化したい,さらには数量化したい,というのがぼくの「野心」の一つである。

自民党総裁選の文脈効果

2009-09-21 15:14:45 | Weblog
谷垣禎一,河野太郎,西村康稔の3氏で争われている自民党の総裁選。このなかで,比較的知名度が低く,意外な出馬といえるのが西村氏だ。一説には,党の重鎮が河野氏をつぶすために,同じ派の若手である西村氏の出馬を促した,といわれる。その真偽はともかく,そうした作戦が成功し得るかどうか思考実験してみよう。

いま,候補者がA,Bと2人いたところに,Cという新たな候補者が加わって3人になったとする。選挙にはいくつか争点があり,それらに対する態度で,各候補の位置づけが決まる。選挙人たちは,どの争点をどれだけ重視するかに基づいて候補者を選択する。なお,各争点への重視度には,個人差はないものとする。

いずれかの候補者が,すべての争点ないし基準で他の候補を上回っているということはない,つまり,どの候補も一長一短だとしよう。これは,両方の争点を同時に解決する選択肢がない,というようにも解釈できる。先の例でいえば,「党の団結」を優先すれば「世代交代」が遅れるし,逆もまた真なり,というわけである。

[1] 最も標準的な選択モデルで仮定される,IIA (independence of Irrelevant Alternatives) という性質が成り立つ場合どうなるか。これは,各候補の得票率が,誰が立候補するかによらず,それぞれの「固有の魅力」に「比例する」ことを意味する。このとき,Cの立候補は,残りの2人にどのように影響するだろうか。

このとき,候補者Cがわずかでも支持を集めるならば,候補者A,Bとも「比例的に」得票率を低下させる。したがって,A,Bだけが立候補した場合の両者の優劣関係は維持される。だから,Cを刺客として送り込んでAを勝たせようという思惑は実現しない(繰り返すが,あくまで仮定に基づく思考実験である)。

ただし,自民党総裁選では,地方票も入れた本選で誰も過半数を得られなかったら,国会議員だけで上位2者の間の決選投票をするというルールになっている。A,Bの一騎打ちとなった場合,議員票だけであればAが過半数を得るが,地方票を入れるとBが過半数を制する可能性があるとなれば話は変わってくる。

このとき,Aとしては自分の票が減ってもいいから,第三の候補Cを立ててBの過半数を阻止しなくてはならない。そして,議員だけによる決選投票になれば,自分が勝つことができる(ただし,地方の意見を含めるとBが比較1位であるという結果を見て,決選投票で態度を変える議員が出てくる可能性もある)。

[2] IIA が成り立っていない場合どうなるか。候補者CがBと類似した属性をもち(たとえばお互いに「若手」であるとか),その属性が優先的に考慮されるものであったら,Cの出馬によって最も票を奪われるのは,AではなくBになる。つまり,Cが加わることで,AとBへの支持のバランスが崩れてしまうことになる。

なお,候補者Cの出馬で候補者A,Bのいずれかの得票率が,一騎打ちの場合に得られる得票率よりも増えることはない場合,「正則性」が成り立っているといわれる。非標準的なものを含む,多くの選択モデルで仮定されている性質である。では,そこまで崩れてしまうとどうなるか。それが3番目のケースである。

[3] 正則性が破れることを「文脈効果」ともいう。有名なのが「魅力効果」だ。CはBとある属性(たとえば「若手」)で類似しているが,別の属性(たとえば「知名度がある」では劣っているとしよう)。このとき,CはBに「非対称に優越されている」といい,CはBの「おとり」ないし「引き立て役」になる。

この場合,Cの参入はBの得票率を一騎打ちの場合より押し上げるので,Aには不利になる。しかし,選挙人が重視するのが別の属性(たとえば「小泉改革の軌道修正」)ならば,CはAのおとりとなって,Aの得票率を押し上げる。そのどちらであるかは,Cの加わった討論会の流れを見れば,わかるかもしれない。

文脈効果には他にも「妥協効果」がある。極端な選択肢を回避する傾向といってもよい。たとえばBの主張に,リベラル色が強いとしよう。このときCが極端に保守的な主張を行った場合,Aが中庸的な選択肢として選択されやすくなる。現実にはAからCへの流出が多少あるだろうが,大勢がBからAに流れればよい。

常識的には,刺客論は [2] の説明をとっていると思うが,実は他にもいろいろな可能性がある。もちろん,そのどれが正しいかを,1回しか観察されない選挙から推測することは難しい。

*魅力効果,妥協効果についてのきちんとした説明は下記参照。

意思決定心理学への招待 (新心理学ライブラリ)
奥田 秀宇
サイエンス社

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連休だ! 観光旅行だ!

2009-09-20 08:55:47 | Weblog
秋の大型連休「シルバーウィーク」・・・天気はいいし,涼しいし,あちこち遊びに行かれている方が多いと思う。風光明媚な場所,どこまでも広がる美しい海岸や,奥底の見えない深い渓谷,遠く平野を見渡す眺望,宝石をぶちまけたような夜景・・・。そこに欠かせないのが,きれいに舗装された道路,雄大な橋梁,ロープウェイ,ケーブルカー・・・。

そんな風景を「絵はがき」で見ながら,かつてそんな光景を眺めたり,想像したりしながら胸躍らせていた頃の記憶が甦る。その絵はがきは,どぎつく彩色されながらも,アナログで,やや霞んで見える。それは,昭和30年代を知るものには,あまりに懐かしい風景である。青と緑を基調に,さまざまな原色が入り乱れる世界・・・。

昭和30年代の観光絵はがきのコレクションをまとめた本。連休はこれでトリップする。

昭和30年代モダン観光旅行
長澤 均
講談社

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twitter politics

2009-09-18 22:13:06 | Weblog
twitter には前から登録しているものの,自分ではほとんど投稿せずに,何人かの方の「つぶやき」を「フォローしている」だけである。「おすすめ」から選んだ何人かの著名人のつぶやきは,一日数十件にも及ぶこともあり,とても追いつかない。とはいうものの,iPhone にインストールした EchoFon を眺める頻度が増えているのも事実。まるで相手の了解を得てストーキングをしているような,不思議な感覚がする。

いまどこにいて,何をして,どう感じているかを逐一 twitter に書いていくことに没頭するようになると(一歩足を踏み入れると,没頭してしまいそうな気がする),ただえさえネットに気をとられがちな日常が,ますます「あちら側」に捕らわれてしまうおそれがある。それによって,どんないいことが起き得るのか,いまのところ,よくわかっていない(それをいい出すと,ブログも同じことになるが・・・)。ただ,へーと思わせられた一件もある:

ガ島通信 新聞労連の抗議声明、次官会見廃止「新たなメディア規制」こそ歴史に名を汚すことを自覚すべき

そのなかで,鳩山新首相の会見での「記者クラブ問題」(後述)に関して,ある民主党議員が twitter 上で「もう既に『公約破り』とか非難の声があるが、ちょっと気が早すぎるかも」と発言した一件が紹介されている。それが批判され,彼は数時間後に「選挙前に鳩山現総理が発言しているのですから、しっかりと実行すべきです」と発言を訂正した。別の民主党議員は,この件での自らの対応を twitter で報告している。

従来だと,政治家にはいろいろブレーンや取り巻きがいて,そのなかには新聞記者もいて,彼らが伝える「世論」が政治家にいくばくかの影響を与えてきたと思われる。それ以外にも,地元選挙区で支援者たちと話すことで,世論を感じることができる。しかし今後,そうした役割の一端を twitter などのネットメディアが担うようになるかもしれない。情報を得て何らかの返答を返すまでの圧倒的な速さ,リアルタイム性がそのメリットだ。

twitter で交流する人間関係がどういう性質のコミュニティになるのか,ぼくにはまだよくわからない。限られた人々の集まりであり,それなりのバイアスもあるだろうから,いわゆる「世論」を代表しているとはいえない。しかし,これまでの取り巻きや後援者とは異なる範囲をカバーするメリットを期待できる(それとも,実際はかなり重複している?)。そもそも一つの均質な「世論」など存在しないならば,チャネルをより多く持っているほうが強い。

リアルタイムの情報交換が価値を生むような関係ほど,twitter は有用なツールになると考えられる。急速に変化する環境ですばやく行動しなくてはならない政治家や運動家にとっては,使い方次第で強力な武器になる可能性を持つ。もっとも要職に就くと,誰と会ったとかどこにいるとか,ほとんど書けなくなるだろうけど・・・。ビジネスやマーケティングでも大きなメリットがあると見込まれ,すでに多くのセミナーが開かれている。研究や教育ではどうか・・・は後日また。
なお,鳩山首相会見の「記者クラブ問題」については以下の記事が詳しい。

山口一臣 新聞が書かない民主党の「公約破り」
上杉 隆 非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆
神保哲生 記者会見クローズの主犯と鳩山さんとリバイアサンの関係

山口氏(週刊朝日編集長)は,新政権が記者会見をオープンにすると,マスコミを敵に回すことになるぞと大手メディアが脅したと伝えている。上杉氏は,それを恐れてネットジャーナリズムを敵に回すほうが,民主党にとって損失が大きいと指摘する。神保氏は直近の取材を踏まえて,単純に大手メディア(=記者クラブ)側の圧力とはいえない,もっと根深い問題について述べている。

現実にはさまざまな抵抗があるにせよ,インターネットが誘発する変化は,静かだが,かなり深いものだと感じる。

鳩山政権発足・雑感

2009-09-17 22:43:37 | Weblog
昨夜,鳩山新内閣の閣僚たちの記者会見。従来のように役所のレクを受けない方針なので,各閣僚の力量が試される。なるべくメモを見ないでしゃべったほうがインパクトがあるが,その点で残念だったのが菅直人氏だ。民主党の実力者であり,副総理・国家戦略担当大臣である菅氏には,本来,迫力あるスピーチが期待されているはずなのだが・・・。

新内閣の特徴について,マーケティング・コンサルタントの大西宏氏が,ブログで興味深い指摘をしておられる。

大西宏のマーケティング・エッセンス 鳩山新政権キーワード

それによれば,閣僚のプロファイルをキーワードにすると,「団塊世代」「国立大学卒」「理科系」「組合」「論客」の5つにまとめられるという。新閣僚に「理科系」出身者が多いことはさんざんいわれていることだが,「団塊世代」というのは気づかなかった(正確には,団塊の世代の2年ぐらい上まで含めて,8人いる,ということだが)。

さて,野党になってしまった自民党は,明日,総裁選挙の立候補者を受付ける。二大政党制が機能するためにも,自民党が復活しないと困るという意見はメディア等でよく耳にする。その最初の一歩が,誰がどんな主張を掲げて(誰に支持されて)総裁になるかだろうが,それに加えて重要なのが,誰が幹事長になるかだという気がする。

テレビで見た自民党落選議員の集会では,小沢一郎氏のような強力な幹事長がいないと選挙には勝てない,という趣旨の発言がなされていた。誰か小沢一郎氏に対抗できるような幹事長が自民党に現れるだろうか・・・。だが,そんな心配は無用かもしれない。なぜなら,当の小沢一郎氏が次のように語っているからだ:
・・・自民党は・・・まったくなくなっては困る。もし自民党の次の世代がだめなら、ぼくが新しい自民党を育てるようにするさ。
それはともかく(笑),これは大下英治氏が今年の2月,当時民主党の党首であった小沢氏にインタビューしたときの発言である。なお,そのとき大久保秘書はまだ逮捕されていない。その後結局,小沢氏は党首を辞任することになる。その頃衆院が解散されていたら,どういう結果になったかわからない。

民主党政権
大下 英治
ベストセラーズ

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この本は総選挙の終了直後に出版されたものの,実際にはそれ以前に脱稿されており,選挙の結果は反映されていない。つまり,それが書かれていた頃,政権交代の可能性は高まっていたにしろ,さほど確実ではなかったのである。だから,その頃の,一種緊迫した空気が伝わってくる感じがする。

小沢氏の秘書逮捕が「国策捜査」であったかどうかはともかく(ちなみに本書はそれを示唆している),小沢氏が代表を辞して選挙対策に専念したことが,かえって民主党に有利に働いた可能性もある。これまた,どうなるかわからない,予測不能なことであった。だからもちろん,今後のこともよくわからない。

政治家たちの心がどう動いてきたかは,大下氏の本のみならず,多くの物語が語られるだろうが,もう一方でぼくが知りたいのは,有権者一人ひとりの心のなかで,どんな確信と揺らぎがあったかである。そこにも,さまざままドラマがあったに違いない。それをつぶさに研究すれば,選好形成のモデル化にもつながるだろう。 
 

クチコミ@総選挙の予測力

2009-09-16 16:21:09 | Weblog
本日,鳩山新内閣が発足する。総選挙の結果は,各種の予測によってだいたいわかっていたとはいえ,戦後初の本格的な政権交代になった。その総選挙が終わって2週間経つ。以前このブログでも取り上げた「クチコミ@総選挙」に関して,開発にあたった東京大学工学部の末並晃氏によるコメントが DIAMOND Online に掲載されていた:

的中率は8割!選挙結果予測に挑んだ 「クチコミ総選挙」の可能性と課題

それによると,小選挙区議席の予測の的中率は 80.33%。新聞社の予測の的中率は 約 90% なのでそれより劣るが,公示日直後から予測が可能であること,またコストを考えると,かなり高いパフォーマンスといえるのではないだろうか。今後こうした手法が発展していくと,調査なしに,リアルタイムに人々の意識をモニターできるようになるかもしれない。ミームの天気図,というイメージを昔思い描いたことがあったが,まさにそれが現実になりつつある。

もちろん,現在の方法にはまだまだ問題が残っている。末並氏によると,民主党,自民党以外の候補者が当選したケースの予測精度がよくないそうだ。また,幸福実現党のように過去のデータがない政党の登場や,国旗問題のように選挙結果にあまり影響しないクチコミが盛り上がることなども,予測を難しくしたという。なお,この予測がどのような考え方に基づくのか,その一端が紹介されている。それを引用すると・・・
 予測は、インターネット上でのクチコミ数を集計し、それをもとにした予測モデルに基づいている。上述したように、得票率に影響を与える要因は「政党の強さ」と「候補者個人の知名度」の2つであると想定し、それぞれを変数として定量化するため、政党名や候補者名を含む口コミ数を利用している。

 また、投票行動の地域特性を反映するため、政党の強さが主な投票決定要因になる地域では政党の強さを重視し、有名議員の地盤がある地域など候補者個人の影響を受けやすい地域では候補者個人の知名度を重視するようにそれぞれの変数に重み付け変数を付加する。

 これには2005年に行われた総選挙の結果を用いており、政党変数と候補者個人変数が得票率にどの程度影響を与えるか分析するため、各小選挙区ごとに重回帰分析を行い、そこで得られた重み付け変数を用いることにした。
政党要因と候補者要因の重みをどう地域ごとに与えるかが予測精度を左右する,ということだろうか。また,この記事では言及されていないが,「クチコミの集計」を具体的にどう行うか,どういうクリーニングをするのか,といったことも影響するかもしれない。もっと詳しく知りたければ,このシステムを運営したホットリンクさんのセミナーに行くという手がある。開発者の1人,松尾豊さんの講演もある。だが,残念なことに,ぼくには「職場の会議」がある・・・。

ネットワーク分析の今後

2009-09-15 18:20:38 | Weblog
『一橋ビジネスレビュー』秋号は「ネットワーク最前線」を特集する。巻頭論文「松本あすかという作品」で,一橋大学の西口敏宏氏は,あるピアニストの半生をいくつかのエゴセントリック・ネットワークで表現している。そこから何をくみ取るのかはそう簡単ではないが,具体的なネットワーク図の訴求力は高い。他にも西口氏が共著者になった論文(辻田素子氏との共著)があるが,要はネットワーク論のエッセンスを,非数理的な事例研究に適用するという点が特徴だ。この姿勢は,現在進行中の事例研究(クリエイター研究)にとって参考になる。

関西大学の安田雪氏による「ネットワーク分析の本質」は,ネットワーク分析の安易な普及に警鐘を鳴らす。特に複雑ネットワークの研究が個人間の紐帯を均質なものとして扱うことは,パワフルである反面,社会を単純化しすぎる場合もある。安田氏自身は,社会関係に伴う「認知」や「感情」に目を配る。というか,それらが重要になる対象として,組織やコミュニティにおけるネットワークをていねいに調査・分析することを選ぶ。ただし,そこでの分析結果はデリケートな部分が多く,結果を公表できないことがしばしばあるという悩みも吐露される。

今後の課題として,安田氏は同時決定性とサンプリングの問題をあげる。同時決定性とは,ネットワークの諸指標はそれぞれ内的に関連しており,お互いの識別が難しいことだと理解した(個人の行動と社会構造の同時決定性のことかと思ったら,そうではなかったようだ・・・)。サンプリングの問題とは,ネットワークの全体を観察できないという制約のなかで,どうやって全体のネットワークの性質を推測するかという問題だ。ぼく自身,前から気になっていて,何かできないかと考えることがある(といっても,そのきっかけとなったは安田先生の講演である)。

一橋ビジネスレビュー 2009年秋号(57巻2号)

東洋経済新報社

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マーケティングへの応用例という点で,京都産業大学・金光淳氏の「ネットワーク分析をビジネスに活かす実践的入門」も興味深い。そこでは,ブランド-消費者,ブランド-雑誌,消費者-雑誌の対応関係を統合した三部グラフが分析される。強いブランドを好む消費者が好むブランドが強い,あるいはそうした消費者が読む雑誌に広告を掲載しているブランドが強いという再帰的な定義のもとで,ブランドパワーが評価されるという。実際のアルゴリズムは引用されている元論文を参照しないとわからないが,ページランクのような発想なのだろうか。

社会ネットワーク分析と複雑ネットワークという,出自の異なる勢力が出会ったが,いまその関係は冷めつつあるかもしれない。今後,どういう関係になっていくわからないが,やはり重要なのは,どういう分野への応用を図るかである。それによって,ネットワークの意味や価値が変わってくる。マーケティングや消費者行動研究にしても,数理社会学あるいは物理学の手法の単なる応用ではすまない。分野の要請に忠実であるならば,ネットワークについて深く考えるほど,ネットワークという枠組みから離れていくこともあるかもしれない。

福祉は「道徳」で決まる

2009-09-14 20:58:48 | Weblog
今朝のワイドショーで,民主党が公約した「子ども手当」があなたの家庭にとって得か損かを特集していた。給付の対象外となる家庭には不公平だとか,給付金はパチンコに使うといっている友人がいる,といった「視聴者の声」が紹介される。番組に出ていた民主党議員によると,子育てに使うことが給付の条件になるというが,それを監視することはできるだろうか。

この議員の方,子ども手当の狙いは少子化対策なのだから,「子どもを持つのは得」と感じてもらえればよく,何に使おうが関係ない,と答えるわけにはいかなかったのか。もちろん,すべてパチンコに使うような親が増えるとしたら,教育格差や少年非行の増大など,望ましくない副作用が生じる。だが,そのような親が全体に少数であるならば,問題はないはずだ。

そこで思い出したのが,9/7付の日経新聞朝刊に掲載された,阪大の大竹文雄教授による「価値観、経済の差を生む」という論文だ。そこで紹介されている研究の1つは,「政府から給付を受けることについて道徳観が低く、ウソをついて不正受給しても罪悪感を感じない人の比率が高い国ほど、失業給付の水準が低く、解雇規制が強い」ことを実証的に示したという。

失業保険の不正受給が増えると政府としては給付水準を下げざるを得ない。そうなると,失業リスクに備える政策として,解雇規制を強めることになる,というのが,そのロジックだ。子ども手当も,すべて遊びに使うような家庭が多ければ給付水準は削減され,少子化に歯止めはかからない。結局,移民を拡大することになり,低所得者はより窮乏化するかもしれない。

福祉政策が「期待通り」機能するかどうかは,その国の人々の道徳観や価値観にかかっている,ということだ。ついそれは「民度」だといいたくなる。民度というのは,差別的で嫌みなことばだが,「可能であっても不正受給はしない」ことが道徳だとしたら,そうした道徳を持つ人が少ない国を「民度が低い」と呼んでもよい気がする。で,日本はどうなんだろう?

ゼミOB会@新宿

2009-09-13 09:43:50 | Weblog
昨夜,筑波大時代のゼミOB会。参加したのは,上田,星野,池田,水野,飯塚,石川の各氏。仕事の話,プライベートの話等々を聞く。内2人は結婚して子どもまでいる。みんな,人生で一番元気な時期を生きている。

二次会に区役所通りの smile に行こうと電話したら店を閉じていた。長い間行ってなかったが,そんなことになっているとは・・・。一つの「拠点」がなくなってしまった。

筑波大時代は,ゼミ活動の主要部分は卒論や修論のための研究で,いくつか学会発表にまでつながったものもある。いま,ぼくのおかれた状況では,研究と教育は分離独立しており,残念である。昔を懐かしんでもしかたないが・・・。

宣伝部長が語る新聞広告の価値

2009-09-12 14:40:08 | Weblog
朝日新聞社から出ている『Journalism』9号は「広告はどこに行った」という特集を組んでいる。日本アドバタイザーズ協会(広告主協会が改名!)の専務理事(元・東芝広告部長)小林昭氏やトヨタの現・宣伝部長薮敷大浩氏がインタビューに答え,新聞広告の価値について厳しい意見を述べている。ウェブ広告に比べ,新聞広告は効果が不明瞭で,値段が高く,柔軟性がない点で劣っているという。もしかしたら,これでもまだ,新聞社に遠慮した発言かもしれない。

Journalism 9号

朝日新聞出版

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新聞広告に何か優位性はないのか?小林氏は,新聞広告が「ネットへの入口」「起点メディア」になっている点を挙げる。ただ,テレビもまた起点メディア化しているはずで,それと差別化できるだろうか?薮敷氏は,広告スペースを三角形にするぐらいの大胆な提案を新聞社に求める。現在のモデルを維持したままのカイゼンで,新聞広告の価値を持続的に向上させることは難しい。新聞社はかつてないイノベーションを実行しないと,広告主に見放されるかもしれない。

日経から大学へ移った遠藤彰郎氏は,広告費のネットへのシフトは避けられないと見ている。新聞はネット化していくしかないが,そこで単独でビジネスを行うことは難しく,テレビ局との融合が進むと予測する。ただし,テレビの将来もまた安泰ではないことを,元テレビ朝日の記者で,いまはメディア総合研究所の事務局長を務める岩崎貞明氏が指摘する。番組の質の低下と広告費の減少の負のスパイラルから脱却すべきだという主張は正しいが,実現するかどうか。

日経BPでインターネット担当役員を務めた田中善一郎氏は,米国の新聞業界事情を紹介する。ネットへの転換を図ってきたニューヨークタイムズは,金融危機以降,オンライン広告収入も減少させている。広告に依存したビジネスモデルは脆弱で,収入源の多様化が必要だ。しかし,それだけで従来の大規模新聞社は存続できるだろうか。田中氏は最後に,低コストで良質のニュースを提供しているニュースサイトの例を挙げる。ただその規模は,いまの新聞社よりはるかに小さい。

これらの論考を読むにつれ,新聞広告のみならず,新聞社の将来は非常に厳しいと感じさせられる。しかし,このような特集を組むほど朝日新聞社に強い危機意識があるのだとしたら,まだ希望はある。ほとんどの人がまだ知らないが,実は画期的なイノベーションが近々登場するとしたら,話は変わってくる。率直にいって,「新聞」というメディアが世のなかから消えてしまうとしたら,ぼくの人生にとって大きな衝撃となる。若い世代がそういうかどうか,わからないが。