Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

2013年を私的に振り返る

2013-12-31 18:39:01 | Weblog
昨年の回顧や今年の抱負を振り返ると、ほとんど研究が「進捗」していない・・・とはいえ、わずかに進んだ部分を、ここに記録しておこう。

昨年参加した WCSS2012 で発表した"How Consumer-Generated Advertising Works" が post-proceedings に選ばれ、査読を受けて論文を書き直した。最後の難関が Springer 仕様の LaTex への変換だ。専門家や編集者の手を煩わせて何とかなったが、今後に残された課題である。

エージェントベース・モデリングの研究はそれ以降、進んでいない。しかし、さる先生の推薦を得て、その Springer で、エージェントベースの消費者モデルについて単著を書くことになった。Word か Tex を選べるようだが・・・現時点では、Tex に再挑戦する気概でいる(先のことだから?)。

今年、JIMS や INFORMS で発表したのは、阿部誠、新保直樹両氏と行っている Detecting Influential Consumers in the Twitter Network の研究である。阿部先生の力でモデル推定に進展があったので、自分としては、シミュレーション研究へと発展させたいと思っているが、はてさて。

冬の JIMS では、JST-RISTEX のプロジェクトの一部として、金融サービスにおける顧客生涯価値と顧客満足の関係分析について報告した。そこで受けたコメントや忠告を、心に刻みたい。それにしても、今後発表する場で、然るべき研究者から評価されるには、どう研究を進めるべきか?

出版という点では、以前に構造計画研究所の方々と行った研究をまとめた「Twitterを用いた顧客とのコミュニケーション:対話と拡散」という論文が『オペレーションズ・リサーチ』8月号に掲載された。査読付ではないが、論文として発表する機会を得たのはありがたきこと。

何年か前、高田博和、Ling Bith-Hong 両先生と寄稿した Handbook of Research on International Advertising が、実は昨年出版されていることを今年になって知った。献本されたのは第一著者だけのようで、つい最近まで気づかなかった。この本の値段が高いとはいえ残念・・・。

Handbook of Research on International Advertising
Shintaro Okazaki ed.
Edward Elgar Pub

われわれの担当章 "Analysis of the Relationship between Advertisers and Advertising Agencies in the Global Market" は、以前、吉田秀雄記念事業財団の助成で行った研究がベースになっている。当時を思い出しつつ、自分もいろんな研究をしてきたなぁ・・・と思う。

今年脱稿、出版の予定だったマーケティング入門書の執筆は、結局年を越してしまった。最近、出版社の方からの督促がなくなった・・・ことを思うと、一抹の不安が頭をよぎる。ともかく、この正月には「できる限り」仕上げたい。他にも一つ大きな宿題があるが、それは秘密ということでw

他に何か成果を収めていないか、何か忘れていないかと思いを巡らすが、何も思い浮かばない。こんなペースではダメだと、毎年思うことを今年も思う。個人的には、カープの16年ぶりのAクラス、前田智徳選手の引退が一大重要事であった。来年の抱負は、やはり年初に書くことにする。

RコマンダーによるMRの教科書

2013-12-30 11:39:17 | Weblog
今年恵贈いただいた本には、照井伸彦、佐藤忠彦両先生による『現代マーケティング・リサーチ』もある。これは、表題の通りマーケティング・リサーチ(MR)の教科書である。このお二人の名前から、教科書といってもバリバリのベイズ統計の本かと想像してしまったが、そうではない。

現代マーケティング・リサーチ
―市場を読み解くデータ分析
照井伸彦、佐藤忠彦
有斐閣

本書は、Rコマンダーという、GUI に優れたフリーソフトで実行することを前提に、マーケティング・リサーチで使われる基本的な手法の「使い方」を教えている。カバーされている統計手法は回帰分析、因子分析、クラスタ分析、コレスポンデンス分析、ロジスティック回帰など。

これだけの手法を使いこなせれば、マーケティング・リサーチャーとして申し分ないだろう。ところが本書は、コンジョイント分析、バスモデル、RFM分析、離散選択モデル、アソシエーション分析といった、マーケティング分野に固有かそれに近い手法まで紹介する。

一部の手法は、Rそのものを使う必要があるが、基本はRコマンダーでできる範囲にある。ぼくとしては、原理を理解しやすく、使いでもある決定木がここに含まれていれば、さらにうれしかったが・・・。Rコマンダーで対応していないので、除外されたのかもしれない。

自分も恥ずかしながら学部生や MBA の学生に R を教えているので、Rコマンダーを教えるという選択肢について大いに考えさせられた。懸念されるのが、Rコマンダーを使ってしまうと、R自体はなるべく使いたくない、という姿勢になりはしないかということだ。

もっとも、そうでなくてもRを使うことは一般の文系学生(および社会人)には億劫だから、そんなことを最初から心配をするのは意味がないかもしれない。ともかく、もしRコマンダーで教えることになれば、この本は間違いなく、教科書の筆頭候補になるだろう。

とまれ、精力的に研究を進めながら、このような優れた教科書をも世に送り出す著者たちのパワーには感嘆せざるを得ない。

「考え」させるマーケティングの教科書

2013-12-29 14:25:46 | Weblog
今年出版されたマーケティングの教科書に、久保田 進彦、澁谷 覚、 須永 努『はじめてのマーケティング』がある。新たに有斐閣から出る教科書シリーズの一冊で、「考える力を養う」ことが狙いという。確かに、基本的知識をもれなく供給するタイプの教科書とは違った趣きになっている。

はじめてのマーケティング
(有斐閣ストゥディア)
久保田 進彦、澁谷 覚、 須永 努
有斐閣

1つの特徴は、コンパクトでありながら、ケースが豊富に盛り込まれていること。それでいて、理論的考察を重視していること。たとえば冒頭で、顧客志向、市場志向、創造的適応といった概念を、最新の研究を引きつつ論じているあたりに、本書の個性が表れていると思う。

これを教科書として用いる場合、教員にとって一見コンパクトで便利そうに見えるが、その基盤にある議論をきちんとカバーするには、かなりの勉強が必要とされる。そのための参考文献がきちんと書かれており、教員に勉強を強いるという意味で教育的な教科書といえかもしれない。

さて、実は自分もまた、マーケティングの入門書的なるものを執筆中であったりする。優れた入門書・教科書が出るたびに、自分にこれ以上のことができるわけがないと自信を失い、あらぬ方向で差別化を考えてしまう。その仕事が遅れに遅れて、この冬休み最大の宿題になっている。

マーケティングってどういうことよ

2013-12-29 14:01:36 | Weblog
今年も多くのマーケティング入門書が出版された。ご恵贈いただいた本もあるので、ここで御礼をかねて紹介したい。まずは、多摩大学の豊田裕貴先生の『マーケティングってそういうことだったの(・∀・)!?』だ。タイトルの絵文字、イラストからも、若い読者にアピールしそうな予感がする。

この本はマーケティングの教科書というより、そこへつなぐ導入の書である。値下げで売上をつくることがいかにダメな戦略かという、きわめて現場的な問題意識から始めて、マーケティングに対する基本的理解を深めていく展開はなかなかうまい。一知半解の実務家にとっても一読の価値がある。

マーケティングってそういうことだったの(・∀・)!?
豊田裕貴
あさ出版



消費者行動論を超えた消費者行動研究書

2013-12-28 10:17:19 | Weblog
今年のマーケティング研究書、最後に紹介するのは、東北大学の澁谷覚先生の『類似性の構造と判断』だ。題名からは、哲学か認知科学の研究書でだと見間違う。副題に小さく「消費者行動」と書かれているが、見逃してしまいそうだ。

これは偶然ではなく、むしろ著者の矜持が現れていると解すべきだろう。本書はマーケティング・消費者行動という領域を超えた、心理学・認知科学の研究書として書かれている。そして、そのような書として読まれるべき書物である。

類似性の構造と判断
―他者との比較が消費者行動を変える
澁谷覚
有斐閣

本書が取り上げるテーマは、自己と他者の類似性である。それが重要なのは、他者から影響の背後にある、重要な認知メカニズムになるからである。本書はそれに関連する膨大な研究を概観し、著者自らの独自の研究を紹介している。

本書のマーケティング上の関心は、オンライン上のクチコミや顧客事例など、他者経験のコミュニケーションの効果にある。しかし、澁谷さんの研究は狭義の消費行動を超えて、人間の認知全体に拡張されるポテンシャルを秘めている。

著者の澁谷さんによれば、本書は各章が独立しており、どこかの章を読めば,全体がおぼろげにわかる、というわけにはいかないようだ。読者にとってタフな本であるが、これを書き上げた著者の頭脳が相当にタフであることの証左である。

ふと思ったのは、類似性とは引力であり、求心力だとすれば、その逆は、差異性、斥力、遠心力だということ。澁谷さんの円満な人柄が類似性の研究に向かわせるなら、その真逆のはぐれ者は、人間の差異性や孤立を研究すべきかもしれない。

メディアの言説から迫る消費文化

2013-12-27 14:39:36 | Weblog
今年出版されたマーケティングの研究書として、次に、一橋大学の松井剛先生の『ことばとマーケティング』を取り上げたい。昨日紹介した清水先生と同様、松井先生は「癒し」という日本的な文化現象を俎上に上げている。

癒しということばが、新聞・雑誌などで取り上げられるようになったのは比較的最近のことである。それは世相を表すキーワードであるだけでなく、出版、音楽、観光,玩具といった領域でのコンセプトとしても浸透している。

もちろん、「癒し」ということばは昔からあるし、世界中に対応することばがあるはずだが、その用法や使われる文脈に固有の特徴があるということだ。松井さんはそこに、文化社会学的な視覚から切り込もうとしている。

ことばとマーケティング
―「癒し」ブームの消費社会史 (碩学叢書)
松井剛
碩学舎

マーケティング研究では、消費者自身の発言を分析することは多いが、松井さんのように、メディアの言説を分析することは珍しい。メディアの言説は、消費者の意識を反映しているとともに、それに影響を与えてもいる。

松井さんの研究は、社会学の難解な理論に裏打ちされた骨太なもので、誰にでも真似できるものではない。しかし、メディアの言説を分析する方法論自体は、初学者にとっても参考になる。意欲ある学生に奨めたい本だ。

「日本発のマーケティング」という志し

2013-12-26 08:27:56 | Weblog
今年は例年以上に、日本人による本格的なマーケティングの研究書が出版されたように思う。そのいくつかは、著者からご恵贈いただいた。ありがたいことである。時間が経ってしまったが、年末に当たり、お礼を兼ねて簡単に紹介したい。

最初に、慶応大学の清水聰先生の『日本発のマーケティング』を取り上げたい。マーケティングの実践も研究も米国から輸入されたものだ。とりわけマーケティング研究は、米国発のモデルを修正・精緻化することで進められてきた。

しかし、清水さんは「日本発」にこだわる。たとえば新製品の成功を占うのに、モデルや推定方法を高度化するのではなく、データの大元、つまりどの消費者に注目すれば予測精度が上がるか、というような発想の転換を行っている。

日本発のマーケティング
清水聰
千倉書房

AIDAS、AIDEES、SIPS といった、日本のマーケターが提案したコミュニケーション・モデルを包括した実証分析に取り組んでいる点もユニークだ。もちろん、こうした概念を国際的に認知させるには、相当な苦労を要するだろう。

清水さんの研究には「そら耳」「目利き」「死神」といった独自の概念が登場する。こうした、日本的ともいえる概念を駆使して日本人の消費行動を分析する試みは、和辻哲郎や九鬼周造の研究に通じるものがあるように思う。

日本的経営が称揚された90年代ではなく、いま、日本発のマーケティングを語ることは、なかなかチャレンジングである。しかし、日本に基盤をおくマーケティングの研究者としては、その可能性を問う価値は十分あるはずだ。

仕掛学が仕掛けるもの

2013-12-21 08:09:29 | Weblog
木曜の夜は、大阪大学の松村真宏さん、成蹊大学の山本晶さんにJIMS部会でお話しいただいた。テーマは「仕掛学」(Shikakeology)。松村さんはスタンフォード大学での在外研究を経て、仕掛学の研究を牽引している。実際、内外の学会でセッションも組織されている。

今回、いつもより企業に所属する参加者が多かったことが、仕掛学への実務家の期待を示している。松村さんは「仕掛け」をどう訳すかで悩み、結局 shikake で押し通すことにした。仕掛けという言葉にはさまざまな意味があり、いずれも魅力があって、trigger だけではすまないのである。

仕掛けの典型的な事例の1つが、スキポール空港にある小用便器である。この便器には、ある位置にハエの絵が描いてある。すると利用者は無意識のうちにハエを狙って用を足すようになる。その結果、小便の外部への飛散が減少し、清掃コストが大幅に下がったという。


The Urinals of Amsterdam Airport Schipholより

松村さんの仕掛けの定義は、(1) 行動を変える具現化されたトリガー、(2) トリガーが特定の行動を引き出す、(3) その行動が個人的/社会的な問題を解決する、の3点だ。(1)(2) はいうまでもないが、(3) も実は重要だ。これが、仕掛けの乱用(悪用)への歯止めになっているのである。

後半は、山本さんが仕掛学のマーケティングへの応用について語った。最初に、消費者を受動的存在でなく、自発的参加行動をとり得る存在とみなし、ただし、その行動の「ゆるい参加」の部分、やや低関与の参加に注目する。そこを扱うアプローチとして仕掛学を位置づけている。

そこで用いられたのが、意識的-非意識的という軸と、情報型-転換型という軸だ。後者は、広告論で有名なロシター-パーシーの分類軸で、前者はネガティブな要素を取り除くこと、後者はポジティブな要素を加えることだという。この枠組みで、カンヌの受賞作品などが分類される。

1番目の軸は、システム1-システム2と関連しそうだし、2番目の軸は、プロスペクト理論と関係するかもしれず、深い枠組みだと思う。山本さんは、無意識-転換型の組み合わせには事例が存在しないというが、空白はどうしても気になる。そこを埋めるよう考えさせる仕掛けかもしれない。

日本語のニュアンスにこだわり、そこから独創的な概念を生み出す流れは、九鬼周造の『「いき」の構造』を思い起こさせる。自分の考えていることが、うまく英訳できたら安心してしまう思考回路では、こうした発見には至らない。独創的研究への刺激を大いに得たセミナーであった。

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)
九鬼周造
岩波書店

The Structure of Detachment:
The Aesthetic Vision of Kuki Shuzo: With a Translation of Iki No Kozo
Hiroshi Nara, J. Thomas Rimer, Jon Mark Mikkelsen
Univ of Hawaii Pr

スタイライズド・ファクツの悩み

2013-12-19 10:33:59 | Weblog
数日前に紹介した『エコノミスト』臨時増刊号は、前半で経済諸問題への経済学の取り組みを紹介し、後半で行動経済学、マーケットデザイン、ネットワーク、実験経済学、神経経済学等の研究動向を紹介している。つまり、理論・応用両面の最先端の動向が分かるようになっている。

そのなかで、ある意味で異彩を放っているのが,室田泰弘氏(湘南エコノメトリクス代表)の「新しい経済学を柔軟、自由に構想する」だろう。室田氏は,現在の主流派/反主流派経済学をいずれも「枠組み重視派」と呼び一蹴する。それに対して「新・現実直視派」を対置させている。

一言でいえば、現実を観察し、そこから重要なトレンド(スタイライズド・ファクツ)を見出し、然るのちにそれを説明する枠組みを作るべきだという。その例として、エルニーニョ現象の存在を幅広くデータを分析することで見出した、ギルバート・ウォーカーという数学者の例を挙げる。

データから誰もが否定できない頑健な規則性を見出し、それをどれだけ説明できるかを競うことで、理論を進化させるという研究戦略には、ぼく自身も惹かれる。ただし、そのためには、観測ができるだけ理論に依存しないで行われたほうがいいが、それがそう簡単にはいかない点が悩ましい。

たとえば、潜在成長率とか全要素生産性とかいった「データ」の場合,生産関数の推定が前提になるので、その基礎となる理論を認めるかどうかで議論が生じ得る。つまり、データの理論負荷が高い。あるいは、道具として用いる統計モデルが立脚する仮定が問題になる場合もある。

マーケティング・サイエンスでは一時期、スタイライズド・ファクツと似た概念、「経験的一般化」が話題になった。Marketing Science の特集号を見た限り、理論負荷の低い一般化された事実は、エーレンバーグらの「シェアの二重苦」の話ぐらいしか見つからなかった。

普及現象にバス・モデルが広く適用されているので、そのパラメタのメタ分析が経験的一般化だという考え方もある。しかし、バス・モデルを認めない人には、それは通用しない。3つのパラメタしかないバス・モデルなので、他の複雑なモデルよりはましかもしれないが。

シェアの二重苦のようなマクロ現象の他に、再現性の高い消費者実験などが、スタイライズド・ファクツの候補になる。自分としては今後、新たなデータ、新たなモデル、と研究を拡大するより、足下にあるスタイライズド・ファクツを掘り起こすことが重要かもしれない。

エコノミスト増刊
「経済学のチカラ 」
2013年 12/23号
毎日新聞社

経済学(者)のチカラ

2013-12-16 08:30:43 | Weblog
経済学の現状をレビューした特集号が、ときどきビジネス・経済系の雑誌から出る。経営学で同じような特集はそう多くないし、ましてマーケティングとなると、ほとんどない。経済学に関心を持つ人々がいかに多いか、感心させられる。

『エコノミスト』創刊90周年記念に出たこの増刊号も、著名な経済学者を動員して、現在経済学がどのような問題にどのように取り組んでいるかを概観している。その最後に,編集部による「日本の経済学者と研究」という記事がある。

エコノミスト増刊
「経済学のチカラ 」
2013年 12/23号
毎日新聞社

東大、京大、一橋、阪大といった大学別に、活躍している経済学者が紹介される。最も詳しいのは東大で、誰がどこのゼミ出身かまで書かれている。読者がそこまで関心を持つとしたら,経済学に対する社会的関心の何と高いことか。

この記事によれば、日本の経済学をリードしているのは東大で、とりわけゲーム理論と計量経済学において他大学を凌駕している。東大経済の将来は、現在米国で活躍している出身者たちが、どれだけ戻ってくるか次第であるという。

しかし、京大も負けていない。国際的な論文発表数では、京大が現在日本一とのこと(知らなかった)。ただし、論文の7割が京大経済研究所の手になる。ここには、複雑系経済学、空間経済学、ゲーム理論の重鎮が在籍している。

記事は次いで、一橋、阪大、神戸大、早稲田、慶応を紹介する。ところが、著名な先生が何人か抜けている。大学によっては経営学者が紹介されるが、経済学的手法をとっている方でもない。どんな基準で選択されたのだろう・・・。

「その他」で、明大から一人だけ経済学者が紹介される。誰の後任で採用されたかが言及されており、随分と細かい。にしても、ぼくがこんなことを書いていること自体、「他人の噂」が、強力なコンテンツであることを示している。

ということで、本誌の本旨である、経済学の動向や課題については、次の機会、ということで。

マーケティング・サイエンティストの世代論

2013-12-13 11:00:44 | Weblog
先週の土曜、汐留の電通ホールで日本マーケティング・サイエンス学会の研究大会が開かれた。代表理事の小川孔輔先生(法政大)が懇親会の挨拶で、マーケティング・サイエンスの研究者の世代論を語っておられた。第一世代は大澤豊先生(当時阪大)など、すでに鬼籍に入られた方もいる。

第一世代は、米国で1960~70年代に生まれたマーケティング・サイエンスを学び、日本に導入した。彼らに育てられた第二世代が片平秀貴先生(元東京大)や小川先生で、海外の学会で発表したりジャーナルに投稿することで、欧米と同等に活動するレベルまで学会を進化させてこられた。

その次の世代は、おそらく現在40代から50代の研究者だという。彼らに残された課題は、他の研究分野ともっと交流すること、そして産業ともっと連携することだと小川先生は語る。自分はいったいどの世代なのか、実年齢で考えるべきなのか、それとも番外なのか、考えるほど悩みが深まる。

この学会の大会は、最近2つのトラックからなる。例外はあるが、どうもハードコアMSとペリフェラルMSで分けられている気がする。前者は、顧客の購買履歴データを用い、高度な選択モデルや時系列モデル(やその混合)をMCMCで推定する、といった研究が並ぶ。それ以外が後者になる。

ペリフェラルMSは、ソフトMSといったほうが聞こえがいい。消費の心理的・社会的側面が取り上げられ、データは質問紙調査が中心で、分析手法はさまざまだが、統計パッケージで済む分析も少なくない。今回の(というかここ数年の)ぼくの発表は、ソフトMSのトラックで行われている。

意外なのが、実務家を含むこの学会の聴衆の多くが、ソフトMSよりハードMSのトラックのほうを好んでいるということだ。研究としてはそちらのほうが「高度」で「主流」だということもあるだろうし、スーパーマーケットでの購買行動に関心を持つマーケターがいまだ多いのだろう。

さて、自分は小沢佳奈(流通経済大)・戸谷圭子(同志社大)両先生と連名で「サービス業における価値共創のモデル化について」というタイトルで報告した。やや漠然としたタイトルだが、やったことは、ある法人向け地域金融機関からいただいた顧客調査と顧客別利益データの分析である。

この研究では、価値共創を、顧客と企業がそれぞれ受け取る価値が特定のサービス活動でともに高まることと定義している。しかし、このことばは最近さまざまな意味で使われており、それぞれの分野での期待がある。諸先生からいただいたコメントから、その難しさを感じることになった。

自分としては、それをどう呼ぶかはともかく、価値の相互ダイナミクスをどう取り込むかが課題である。この研究は、会計学者や物理学者を含むプロジェクトの一部なので、彼らの助けを借りながら、「本丸」に切り込めないかと思っている。つまり、エージェントベース・モデルに何とか・・・。

忙しさにかまけて投稿をサボっていたが、研究大会の約1週間前に部会を開き、本報告とともに小野譲司先生(青山学院大)から「サービスエクセレンスのダイナミクス:JCSI(2009-2013)からの知見」というご報告をいただいた。これは、マクロレベルでの価値ダイナミクスの研究といえる。

小川先生の世代論でいえば、小野先生の世代が日本のマーケティング・サイエンスの第三世代になるのだろう(小野先生は残念ながら JIMS 会員ではないが)。この世代には、他にも優秀な研究者が多い。産業界との交流という第二の課題については、かなり実績を上げている方々が少なくない。

実年齢はともかく、学位取得や教職に就いた時期でいえば、自分も第三世代か第四世代なので、小川先生のいう第一の課題、異分野の研究者との交流で貢献するしかない。とはいえ、サービス・マーケティングですら自分にとっては「異分野」だという不勉強ぶりなので、学は成り難し・・・。

大学の単位が格付けされる

2013-12-12 08:39:11 | Weblog
今日、ある方の Facebook 投稿で知って、いろいろ考えさせられた記事:

「できるビジネスマン」かどうかは高校の学力で決まる

著者の山崎元氏によれば、最近三菱商事や JT といった大企業が、就活生に、大学の授業の成績をネットを通じて提出させているという。それは、NPO 法人 DSS なる組織により、大学を超えて比較可能なように再評価されるという。

学生の成績評価という聖域に、企業の利益を代表する外部機関が入り込むことに反発する大学人は少なくないはずだ。大学は、企業好みの人材を育てる機関ではないと。多くの私立大学が「就職に強い」ことを売り物にしているのだが。

この話を聞いて、一流教授による講義を無料でオンライン配信している米国の組織を思い出した。その収入源は、世界中から優れた能力を持つ人材を見つけ出し、企業に紹介することらしい。学生の能力を発掘して売るビジネスといえる。

これまで大学は、学歴という能力情報(経済学でいうシグナル)を供給してきた。しかし、山崎氏は、いまやどこの大学・学部を卒業した、というだけでは能力がわからなくなってきた、という。より詳細な情報が求められていると。

大学の単位が大学を超えて格付けされると、教員は講義の質を改善するよう刺激され、学生は学習意欲が高められる・・・学生は格付けの高い授業でのみ真剣に勉強するようになるが、それは質の低い講義の淘汰に・・・となればいいが。

DSS のサイトを見ると、「考える力」を重視した授業を増やすことが目標になっている。もっともな目標だが、どんな授業が考える力を育てるのかを、客観的かつ一元的に判定できるのか、いろいろ難しそうである。

大学教員として思うのは、現在の就活での面接や試験では能力や資質を評価されず、就職に苦労している学生たちがいる、ということだ。学生の潜在的能力を見つけ、それを必要とする企業とマッチングする何らかの仕組みができないか。

そういう意味で、大学のイノベーションとして、学生の能力を高めるだけでなく「高く売る」ところまで考えてもよいかもしれない。それが大学と学生、企業の三方両得になるなら・・・そんなことを、この記事が刺激になって考えさせられた。

なお、山崎氏の記事は、企業にとって従業員の基礎学力は重要、大学に基礎学力を向上させる力はないので高校の成績で評価すればよい・・・という方向に話が進んでいる。しかし、それでは大学不要論になり、自分としては困ったことになるw