Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

調査で大規模社会ネットワークを作る

2010-02-27 19:28:55 | Weblog
クチコミに対するマーケティングサイエンス(というよりぼく個人?)の夢は,実社会の消費者間ネットワークをまるごと再現し,そこで情報伝播~意思決定のシミュレーションを行なうことだ。だが,そんなことが可能なのか?学校や企業,あるいはソーシャルメディア内の社会ネットワークはうまくすれば観測できる。しかし,たとえば日本の消費者をすべてカバーする大規模ネットワークを把握することができるだろうか?

本書では,一種のスノーボーリング・サンプリングを組み込んだ消費者調査を用い,複雑ネットワークの理論に基づきながら,大規模な社会ネットワークを人工的に構成する方法が提案されている。そのうえでマーケティング戦略のエージェント・シミュレーションを行なう。この研究は東大の池田謙一研究室と日本電気の共同プロジェクトとして,かなりのコストをかけて行なわれた模様。その概要が公開されたことを喜びたい。

クチコミとネットワークの社会心理―消費と普及のサービスイノベーション研究,

東京大学出版会


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たいした研究費のない大学の研究者が,単独で同じような研究をすることは無理だが,潤沢なマーケティング R&D 予算を持つ企業の協力があれば,同様の取り組みは可能だろう。その際,この研究をどう超えていくかが目標となる。本書に示された先駆的な挑戦に敬意を抱きつつ,残された問題をどう解決するかを考えねばならない。最大のポイントは,消費者調査から構成される大規模社会ネットワークの妥当性である。

その意味で,発想を大幅に転換して,既存の調査資源を用いて「同じ目的を果たすモデル」を開発することも視野に入れるべきだろう。簡単ではないが,不可能ではないと思う。

出版業界を飲み込むロングテール

2010-02-26 17:32:51 | Weblog
『創』3月号は「恒例の」広告会社特集。有名クリエイターたちのインタビューも載っている。それはそれとして,ぼくにとって面白かったのは「変革をなしえないメディアは瓦解する」という座談会だ。出席者は堀江貴文,宮台真司,元木昌彦,鈴木邦夫の各氏。「メディア」といっても,主に語られるのは,出版業界のことだ。座談会は,堀江氏の問題提起から始まる。彼は冒頭「紙の雑誌に・・・こだわっていると、もはや出版社自体、なくなってしまう」と述べる。

創 ( つくる ) 2010年 03月号 [雑誌]

創出版


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堀江氏はこの座談会の時点ではまだ有料メルマガの準備中だったが,それなりに儲かるという見通しを語っている。宮台氏が神保哲生氏と行なっている有料ビデオニュースも,採算がとれているという。月会費500円で会員数が1万人だから月500万の収入となる。これくらいの規模になれば,数人のスタッフを雇って運営していくことができる。他方,既存のメディアはより多人数のスタッフに支えられているので,この規模ではとてもやれない。そのことが桎梏となってきている。

書き手が読み手に「中抜き」で情報配信できるのは,堀江氏や宮台氏のようにすでに多くのファンを持つ著名人だけではないのかという疑問がわく。堀江氏は「ロングテールの胴体に近いところ・・・の人たちは、何百人か何千人かいると思います。だけど、他の人たちは、ロングテールのしっぽの方ですから、全然儲からないです」と指摘する。一方宮台氏は,森川嘉一郎氏を引いて「ロングテールのサミット(頂点)にあたる部分が出てくるのは,テール部分があるから」と述べる。

テールがあってこそのヘッド,という見方には共感を覚える。ぼく自身は,コンテンツ消費側でのヘッドとテールのポートフォリオについて考えてきたが,コンテンツ生産側にも同様のポートフォリオが存在するということだ。なるほど。で,伝統的な出版社がテール育成を担ってきとしたら,その崩壊後は誰がどうその役割を引き継ぐのか。あるいは,そもそもネットのほうがテールに活躍の場を与え,少数ながらもファンとのマッチングを行うので,テール育成に貢献するのか。

いろんな論点がありそうだが,いずれにしろ,大きな変化がすでに始まっている。
 

与野党という役割構造

2010-02-25 09:51:32 | Weblog
今朝のニュースによれば,自民党は審議拒否をやめて国会審議に復帰する。にしても,何のため審議拒否を続けていたのかよくわからない。いま,民主党政権は「政治とカネ」以外にも,経済政策や普天間問題など,突っ込まれたくない問題を山ほど抱えている。先日の自民党・与謝野氏による「平成の脱税王」発言は,賛否はともかくかなり反響があった。自民党が審議拒否して得するのは与党や自民以外の野党で,自民党ではないと思うのだが・・・。

なぜ自民党は審議拒否戦術をとったのだろう? 自民党は与党時代,当時野党の民主党,あるいはかつての社会党が審議拒否するのを批判していた。もしかするとそのとき,与党の立場として野党の審議拒否がよほど苦痛だったのだろうか? だから野党となったいま,経験上「効果的な」戦術を採用しているのだと。これは,あくまで論理的にあり得る仮説でしかない。当事者に聞いてみるしかないが,素人目には,どうもありそうにない理由のように思える。

もう1つの仮説は,審議拒否は与党に打撃を与えないが,世論に自分たちが「頑張って戦っている」姿勢を示すことができるメリットがあるというもの。ただ,これも説得力があるようには思えない。かつてもいまも,世論に審議拒否が支持されているという話を聞いた記憶がない(知らないだけかもしれないが)。特に,自民党の支持層は,かつての野党の審議拒否に対して批判的だったはずで,いま自民党が同じ戦術をとっていることに好意的であるとは思えない。

このように審議拒否に合理的根拠を見出すのは難しいが,限定合理性を考えれば説明できるかもしれない。長く与党の座にあった自民党は,野党としてどう行動すべきかがわからない。そこで,かつて野党がしていたことが,とりあえずの役割モデルになる。かつての野党であれば,ここは怒って審議拒否する場面だと思えば,そのように行動する。この説明はもっともらしい。ただし,少しでも合理性があれば,学習によって行動を修正するはずだが・・・。

社会学者なら,個々の政治家の思惑を超えて,構造が行動を規定する,と説明するかもしれない。すなわち,野党であるのが自民党であれ民主党であれ,野党という構造的役割を担う限り,そこでどうふるまうかは,ある範囲に制約されてしまうと。政権奪取後の民主党が,地方選挙で利益誘導を匂わせたりしている話を聞くと,この説明も説得力を帯びてくる。つまり,与党としてのふるまいもまた,自民党であれ民主党であれ,結局は同じになると。

政権交代したが,与党,野党という役割から見ると,やっていることは昔とほとんど変わらない・・・ というのはいいすぎだとしても,そういいたくなる場面をしばしば目にする。そう思う有権者が少なくないことが,民主党が最近の地方選挙で負け続けている要因の1つであり,また,それにもかかわらず自民党の支持率が上昇しない要因の1つではないだろうか。民主党,自民党ともに,かつての与党,野党の役割構造を超えてほしいものだ(と,やや優等生的な結び)。

サムスン対アップルの時代?

2010-02-24 07:59:07 | Weblog
前回紹介した週刊ダイヤモンドの今週号。メインの「ソニー・パナソニック VS サムスン」特集も非常に面白い。薄型テレビの世界市場で首位の座にあるサムスンだが,企業総体としても,あらゆる財務指標でソニー,パナソニックを圧倒的に上回っている。サムスンは日本市場では全く成功していないので,ふつうの日本人はそのすごさに気づいていない。 サムスンの新入社員は TOEIC が900点以上ないとだめで,課長昇進には 920 点以上必要,というのも驚きだ。人事面では信賞必罰が徹底しており,50代の社員は非常に少ない。新入社員の 10% が毎年退社し,30% が3年以内に辞めるという。

サムスンはマーケティングでも,非常に積極的である。グローバル・ブランド戦略を徹底し,広告や販促物のデザインは世界的に統一されているという。全社の広告費-売上高比率は3%。総額でも日本企業をはるかに上回る(売上で上回るのだから,当然そうなる)。広告だけでなく,営業部隊のきめ細かさもすごいようだ。2000年代初頭のサムスンの海外進出は,ソニーが圧倒的に強かったタイやイタリアに絞って,資源を集中投下するかたちで行なわれたという。相手の強いところをあえて選ぶ戦略が合理的かどうかは一概にはいえないが,少なくとも壁を破ったときのインパクトは大きそうである。

同社幹部は「デザインが経営の頭脳であり,マーケティングが血液だ」という。サムスンは技術力だけでなく,デザインにおいても高いレベルにある。その企業努力が実って,北米で権威のあるデザイン賞 IDEA(Industrial Design Excellence Award)で,昨年サムスンは8部門で受賞した。これはアップルの7部門を上回る最多受賞である。ハノーバの iF デザイン賞でもサムスンが1位,アップルが2位,パナソニックは5位でソニーは7位であったという。確かに超薄型の LED テレビのデザインを見ていると,これが適切な価格で日本市場に導入されたらかなり売れるのではないかと思わせる。

向かうところ敵なしのサムスンだが,アップルに「運転資本回転日数」で大きく負けている。アップルにデザインでは追いついたとしても(そこにも異論はあるだろうが),効率的なサプライチェーンの構築という点では負けているというわけだ(逆にいえば,アップルがそういった点で強みを持つことは,ぼくにとって意外であった)。センセーショナルな言い方をすれば,これからの情報家電は,サムスンとアップルの戦いになるということか・・・。いやいや,日本の家電業界が復活するというシナリオだって,まだまだ高い蓋然性で残っているはずだ(そういえば『社長島耕作』の新刊も出たなあ・・・)。

いずれにしろ,サムスンの躍進はマーケティング研究に面白いネタを提供する。今後注目したいのは,日本再進出。グローバル市場では日本企業を応援しても,日本市場ではサムスンのリベンジに期待したい。デザイン力の高さは,日本でのステレオタイプ的なブランド力の低さをどこまでカバーできるだろうか。世界市場での成功をどこまでブランド力の向上に活用できるか。大量の広告費を投入すれば,秀逸なキャンペーンでイメージ向上に成功したソフトバンクの例に続くことができるかもしれない。もちろん,時間はかかるだろう。選好進化の研究対象として格好の事例になるはずなんだが・・・。

大学の研究力と教育力

2010-02-23 23:03:55 | Weblog
週刊ダイヤモンドの今週号で,日本の大学の研究力と教育力が比較されている。研究力の指標に用いられたのは 2002~08 年度の COE 獲得額だ。研究力による大学ランキングはほぼ予想通りで,東大を筆頭に旧帝大がずらりと並ぶ。ただし,教員一人当たりの金額では,東工大が群を抜いて高い。私立大学では 6 位に慶應,10位に早稲田,12位に立命館が来る。そのあとはかなり差が開いて近大と玉川。残念ながら80位以内に明治の名前はない(GCOE を1つ獲得しているのだが・・・)。

週刊 ダイヤモンド 2010年 2/27号,

ダイヤモンド社,


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一方,教育力の指標は 2004~08 年度の GP 獲得額だ。GP とは大学教育での Good Practice に対する文科省の交付金。この指標はおおまかには研究力と相関しているようだが,首位に阪大がくるなど,独特の特徴もある。学生1人当りの金額では,医科大学が飛び抜けて高い。また,研究力に比べれば,私立大学も健闘している。慶應,早稲田,立命館が私立のトップ3である点は研究力と同じだが,明治は 41 位と今回はランキングに顔を出す(ちなみにMARCH のなかではトップ)。
ただし残念なことに,学生1人当りの数字で見ると,明治の順位はかなり下がる。
このランキングを素直に眺めると,研究力,教育力のいずれにおいても,地方大学を含めた国立大学が優位にあることがわかる。GP は COE よりは獲得しやすい(もちろん金額も小さい)ので,多くの私立大学は,研究よりは教育をより重視することになる。ただし,COE も GP も来年度は予算が減る見通しだ。そうなると結局,各大学の地力が問われることになる。そして教員もまた,それぞれの地力を問われる。それは一義的には教育力だが,それを裏打ちするのは研究力である。

iPad が問うマーケティングの基本

2010-02-22 15:00:08 | Weblog
少なからぬ Apple ファンがすでに iPad の購入を決意しているのは当然として,問題はそうした層を超えて売れるかどうかだ,というのは以下の記事がいう通り。そこにどんな戦略があり得るかを考えることは,マーケティングの恰好の演習問題になりそうだ
CNET Japan: 「iPad」のマーケティング戦略を考える--アップルファン以外にも訴求するには
iPad が「マニア」を超えて普及するうえで最初に直面するのは「人々が行動様式を変えようとするだろうか」という問題。
消費者は、フルサイズのバーチャルキーボードでタイプしたいと思うだろうか。また、書籍(さらには雑誌や新聞)を電子形式で購入することに満足するだろうか。あるいは、もっと重要なことだが、実質的に自分がすでに所有している複数のデバイスの機能を組み合わせた製品に、お金を払うだろうか。
それが可能かどうかは,ターゲティングとポジショニング次第。iPad が「テクノロジへの恐怖心はないが、それほど自在に使いこなせてはいない人々(つまり、米国のベビーブーム世代の人々)」をターゲットとして,「ほかのどんなスマートフォンよりもずっと大型のスクリーンを備えた、携帯用インターネットデバイス」というポジショニングをすれば,新規顧客の開拓に成功するのではないかという。

別の戦略として提案されるのが「iPadを人々がすでに慣れ親しんでいるものと比較し、同時にその体験を改善すると約束すること」である。つまり,Kindle の潜在顧客に,こちらはカラー表示できるとか,インターネットの端末になるとか, iPod/iPhone の機能もあるとかいって差別化する。それは,iPhone が携帯電話に音楽プレイヤーやカメラ,ウェブブラウザの機能を付けたのと同じ戦略だという。

iPad について,他にもいろいろなポジショニングがあり得る。堀江貴文氏は自身のメルマガ vol.004で,「パソコンで現在行っている作業が全てiPad+iPhoneで完了する」と述べている。だとすれば,持ち運びが便利で操作もしやすい,ほぼオールマイティな情報端末であり,ノートPCを代替するものというポジショニングも考えられる。どれが最もよい戦略かを議論してみると面白い。

Apple は今後,いずれかのポジショニングに絞り込んで,統合的なキャンペーンを展開するのだろうか。教科書的にはそうするはずだが,そうしないかもしれない。なぜなら Apple は,これまで情緒的なポジショニング(ブランディング)に注力し,機能的なポジショニングは結局のところ顧客の手に委ねてきたように思えるからだ(意図的というより結果的にそうなった?)。

iPad をどう使うかは,本来的に顧客の自由である。顧客が好きなように意味づけしたものを,企業が事後的にポジショニングとみなす適応的アプローチが,現代的にはより頑健なのではないか。マスキャンペーンの全盛期には一貫したメッセージ(ワンボイス)が重視された。しかし,今後は「玉虫色」のコミュニケーションがむしろ重要になってくるのでは・・・などと思う。まだ仮説以前の段階だが・・・。

学歴インフレ時代の就活戦略

2010-02-18 23:57:09 | Weblog
この本の著者は,リクルートエージェントを皮切りに人事コンサルタントとして長い経験を持ち,「エンゼルバンク」に登場する海老沢康生のモデルになった方だという。著者は最初に,いまの大学生,それを送り出す大学の問題を指摘する。面白い内容だが,大学教員としては,ただ面白がっているわけにはいかない。しかし本書の後半では,就活に臨む学生はもちろん,親や教師にとっても示唆に富んだ話が出てきて,ただ面白いというより,役に立つ本といえる。

学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識,
海老原 嗣生,
朝日新聞出版,


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第1章は「学歴のインフレーション」。「早慶は昔の早慶ならず」という節では,少子化が進み,大学の生き残りが厳しくなるなか,早稲田大学は一般入試以外の入学経路を大幅に増やす戦略をとったと指摘。一方,慶應義塾大学は,独自の入試パタンを他大学に近い形に変えて,受験者を増やすのに成功したという。本書はそれが両校の競争力に貢献したと指摘しつつ,長い目では学生の質の低下を促進していると批判的だ。ただこれは,早慶だけの問題でない。

若年人口が減少する一方,大学進学率が上昇しているのだから,多くの大学で学生の質の低下が見られるのは当然である。そんななか一時的な「粉飾」操作をしても,本質的な解決にはならない。では,どうすればいいのか。著者の出す処方箋は,多くの大学は従来のように学者になるための学問ではなく,社会に出たとき役に立つ実務的知識をもっと教えるべきだというもの。自分はまず研究者だと自己規定する大学教員には,受け入れがたい提案かもしれない。

私大商学部の教員として,その主張はさほど奇異には聞こえない。少しずつではあるが,著者が提案する方向に大学が変化していると感じるからだ。ただし,そうした変化はカリキュラム全体というより,一部の授業やゼミで起きている。リサーチやプラニングのグループ作業,プレゼンなど,社会で役立ちそうなスキルを体得させる。昔は就職後に時間をかけて身につけたことだが,企業に余裕がなくなるにつれ,大学で体験しておくことの意味が出てきた。

2章以降は,大学生の就活,あるいは企業の採用活動が俎上に上がる。第三章の「若者はけっこうカワイソウではない」では,海老原氏は客観的なデータに基づき,20 代での転職がこれまでずっと,けっこう起きてきたことを指摘する。20代に2回,そのチャンスがあるという。新卒のとき不況で希望通りの就職ができなくても,これまでの景気循環の周期を考えると 20 代のうちに好況が来る確率は高く,そこで「リベンジ」できるという。

不況のときでも,中小企業の求人は倍率は1を上回る。したがって,新卒者は大手に就職できなくとも,まずは中小企業に正社員として就職し,20代後半に景気が回復したとき,再就職を目指すべきだという。また「就社より就職」という主張は日本では誤りだと批判,どのような企業を就職先に選ぶべきかを論じる。それによれば「従業員150名」というのが1つの目安になる。なぜそう考えるのかに,著者独自の経験と見解が反映されていて興味深い。

「闇金」から人間を洞察する

2010-02-14 09:54:15 | Weblog
このシリーズ,早く終わらないかと思う。なぜそう思うのかというと,そこに描かれている現在日本の「底辺」があまりに凄惨で読むのが辛いからだ。といいつつ,ぼくはそれを17巻まで読み続けてきた。底辺といっても,かつてのような絶対的貧困があるわけではない。収入では賄えない,わずかに過剰な消費を求めたために借金を重ね,「闇金」の顧客になっていく。客観的には愚かな行為に見えるが,現代の消費社会にはその誘惑が確実に存在している。

闇金ウシジマくん 17 (ビッグコミックス),
真鍋 昌平,
小学館,


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今回の話では,ファッション雑誌の読者モデルでトップ(オサレ皇帝)になることを目指す若者が,可処分所得を上回る金額のファッションを買うために,麻薬の売人になっていく。そこにはあまりに大きな飛躍があるように聞こえるが,そこをつなぐのが,ささやかな競争心,虚栄心が引き起こす不幸の連鎖なのである。他人を「搾取」することで成り立つ生態系があって,わずかな偶然を必然に変えてしまう。本書が「現代のプロレタリア文学」と呼ばれる所以である。

このマンガの取材協力者である窪田順生氏によれば,闇金を規制する法律の施行後「ソフト闇金」が増えているという。それは「金利は年40~50%ほど。大声を出さず、暴力も振るわない」というもの。闇ビジネスの生態系は,単純な規制でどうこうなるものではないようだ。いうまでもなく,その根底には楽して楽しみたいという人間の欲望があり,恐怖の役割を知り尽くした人々がいる。その人間洞察は,下手な行動経済学者を上回るというと,いいすぎだろうか。

国際会計基準から奇瑞汽車まで

2010-02-11 09:31:40 | Weblog
この3日間,毎日何らかのセミナーに出続けた。今日は東大MMRCで開かれた,進化経済学会の企業・産業の進化研究会。東大本郷の小島ホールに初めて入った。夜6時半に始まった研究会は10時半まで,4時間ぶっ通しで続いた。ふだんなら,研究会のあと近所で軽く飲むのが恒例なはずだが,もたもたしていると終電がなくなる時間なので,残念ながら(?)今回はすぐに帰宅の途についた。

最初に報告されたのは法政大学経営学部の坂上学氏(会計学)で,タイトルは「会計学における利益概念とその変遷」。経済学(あるいは経営学)の教科書には「利益=売上-費用」というきわめて簡単な恒等式が書かれているが,財務諸表に記載される利益はそんな単純な話ではないとのこと。それに加えて,新たな会計基準が提案されることで,利益とは何かがますます混沌としてきていると。

ビジネス誌などで話題になっている IFRS (国際会計基準)では,利益は将来予想されるキャッシュフローの現在価値に基づき算定される。経済学的にはもっともらしいが,算定がどこまで「客観的」であり得るのか疑問がわく。しかし,絶対的に正しい会計基準など存在しない。どのステークホルダーの立場に立つか,あるいは時間の範囲をどう設定するかで,どの基準が有用かが変わるということ。

会計基準のあり方は,企業戦略に大きな影響を与える。ものづくり研究者にとっては,会計制度が工場立地や研究開発-製品開発に与える影響が非常に重要な問題のようだ。進化経済学者にとっては,客観的真実がないという条件のもと制度がお互いにどう競争し,進化していくかの事例として興味深いという。では,マーケティング研究者にとってはどうか?・・・ぼくには何も思い浮かばない。

2番目の発表は,MMRCの李澤建氏による「中国民族系自動車メーカーのものづくりー奇瑞汽車を事例として」である。中国の自動車市場のダイナミクスは,他に前例がない全くユニークなものだ。確かに政府の役割は大きいのだが,その計画通り事が運んでいるわけではない。中央政府の規制を破り,日本的経営とはほど遠い経営を行なう奇瑞汽車のような企業が,突然変異的に急成長したという。

奇瑞汽車の市場戦略は,合弁企業のハイエンドと農村部のローエンドの間に,わずかな価格差で多様な車種を投入していくというもの。価格競争を回避するためのチャネル政策や,日本では考えられないほど巨大な,多くのメーカーを集めた自動車販売のモール,そして欧米のリソースも含めた研究開発と製品開発の能力の急速な構築・・・このあたりはマーケティングとも深く関連するので興味深い。

李さんの話ぶりから,彼に顧客の姿がはっきり見えていることは確かだ。そこがもっと伝われば,マーケティング研究者としては,さらにありがたかった。もちろん,国際会計基準にしろ,中国の自動車産業にしろ,進化経済学(経営学)的に関心を持たれるのは,制度と企業戦略の相互作用なのだろうだから,それで十分なのである。ただそこに,ぼく自身の関心があまりない,というだけのことだ。

帰り道に思ったのが,いろいろなことに首を突っ込み「勉強」するだけで,自分が何も知的成果を生み出さないままなら,研究者の名前に値しないという反省。この研究会の前に,地下に潜ったままのクリエイターインタビューについて軽く打ち合わせした。作り手を研究対象にしているが,カスタマーインサイトの獲得に関心を向けているという一点で,消費者とつながっている。そこが非常に重要なのだ。

twitter マーケティングの可能性

2010-02-10 08:43:46 | Weblog
日本DM学会のセミナー@秋葉原に参加した。講演者とテーマは以下の通り:

いま注目の“Twitter”(ツイッター)―「つぶやき」コミュニケーションの特性/講師: 佐々木智也 氏,(株)CGMマーケティング 取締役COO

「Twitter のマーケティング効果」の測定に向けた最新動向/講師:内山幸樹 氏,(株)ホットリンク 代表取締役社長

まず,日本で twitter 事業を展開するデジタルガレージの佐々木智也氏が,内外でのビジネス活用事例を次々と紹介される。さまざまな成功例を聴き,その可能性について再認識するとともに,これはまさに,人の肉声によるコミュニケーションなんだなということを実感した。となると,担当者に権限委譲しやすい小企業ほど有利なメディアではないかと思えてくる。そのことは,bot が機械的なルールにしたがうことで「炎上」を引き起こした,最近の事例が象徴している。 だが,twitter にスケーラビリティがないと決まったわけではない。

次に,クチコミデータでデファクトの地位を確立しつつあるという,ホットリンクの内山社長が,twitter におけるクチコミ伝播過程の分析を紹介される。上述の,最近起きた事件についてどのようにクチコミが広まっていったか,そこで誰がどのような影響力を発揮したかが視覚化される。さらに,ブログのクチコミとは違った動きをすることも示される(むしろ 2ch と近い動きをする)。ウェブ上のクチコミとマス広告の相乗効果の事例も興味深い。ただし,こうした相乗効果はつねに起きるわけではない。そこが非常に面白い点だ。

以上のまとめは,私見が混在した,きわめてバイアスがかかったもの。その他の興味深い話題については,ここに 「中継」の記録が残っている。

それにしても,ダイレクトマーケティング業界の twitter 評価は全体としてまだ冷ややかな感じがする。人的な顧客サポートとして考えると,それなりのコストがかかってくるからだ。しかし,佐々木さんや内山さんが指摘したように,twitter は1対1のコミュニケーションが,多くの人が見るなかで起きるというオープン性に特徴がある。したがって,そこでの対話がもたらす乗数効果は,見かけよりはるかに大きいと考えられる。であれば,十分ペイする投資になるのではないか・・・。GoogleBuzz の登場も含め,大きな変化の胎動を感じる。

すべては一匹のネズミから

2010-02-09 08:55:21 | Weblog
MBFでウォルト・ディズニー・ジャパンのキャンドランド社長の講演を聴く。冒頭引用されたのが,以下のウォルト・ディズニーのことばだ:
"I only hope that we don't lose sight of one thing - that it was all started by a mouse." 
つまり,すべてはネズミ一匹から始まったのだと。世界最大のコンテンツビジネス,そしてブランドビジネスのディズニーであるが,その原点はそこにある。ただ,そこで話を終わらせてはつまらない。ネズミ一匹から始まるビジネスの創造が,ディズニーを超えて繰り返されるかどうかが,ぼくの関心事だ。

ディズニーはいまや,メディア・コングロマリットでもある。ただし,ABC や ESPN は異なるセグメントに対応したビジネス上のポートフォリオで,必ずしもディズニー・ブランドと統合されているわけではないという。ディズニーという企業は非常にプラグマティックだ。キャラクターのローカライゼーションについても,年々柔軟に取り組んでいる。興味深いのは,日本発のディズニー・キャラクター「ファイアボール」だ。一般的な認知度はまだ低いが,熱烈なファンを持っているようだし,今後国際進出する可能性もある。

日本発のコンテンツが,ディズニーの手で世界に流通するという時代。また,今回の講演では話題にならなかったが,ディズニーの最大株主スティーブ・ジョブズと通じた iPad との連携も大きな可能性を持っている。そこで新たに生まれてくる「生態系」で,日本企業もまたニッチを見出していくことになるのだろう。そこで日本企業がいかに成長できるのか。ディズニーの「ネズミ一匹から始める」ということばを噛みしめる必要がある。グローバルに巨大化したビジネスが,新たなネズミの登場を促進するのか妨げるのかにも注意したい。

この講演が開かれている会場の10階下で,「ものづくり寄席」が開かれていたことをあとで知った。そのお題は「「本当に」新しいものの 開発活動とは?~ゲームソフト産業の事例に 見る開発生産性のディレンマという現象」だ。同じような問題にディズニーやピクサーもまた直面するのか。ディズニーが取り入れようとしている一種のグローカリゼーション戦略がいずれ一種のオープン・イノベーションにつながっていくとしたらどうなるか。それは日本のコンテンツ産業にとって機会なのか,脅威なのか。ぜひ専門家に聴いてみたい。

孫さんの「つぶやき」に感動する日々

2010-02-08 23:56:06 | Weblog
ソフトバンクの孫さんのつぶやき(tweet)が素晴らしすぎる。直近の例では,
ハマコー先生、iPhoneは、スティーブが生んだ傑作で、スティーブは、人類が生んだ傑作です。 RT @555hamako @masason 拝啓 孫正義様、iphoneはすばらしいご様子。貴殿の企画されたものでしょうか?
というもの。このことばは,一瞬に100個以上の Retweet が起きている。「スティーブは、人類が生んだ傑作」ということばは,今後たびたび引用されるだろう。

孫さんはやはりただものではない,と思ったのはこの発言を読んだあたりからである:
言論の自由の本質は、国民一人一人が伝える事のできる権利と知る事のできる権利。既得権益のTV局や新聞社等でInternet記者や外国記者を締め出している記者クラブは、完全なるカルテル。義に反する。(10:24 PM Jan 21st)
そんなことをいって,今後のマスコミ対策は大丈夫なのかと,ぼくのような小心者は心配になってしまった。しかし,孫さんはそんなことはちっとも気にしていない。そのラディカルさは,次のことばに象徴的に現れている:
革命は、1日にして成らず。起こさねば百年にしても成らず。(1:41 PM Jan 30th)
このことばは,額に入れて飾っておきたいぐらいだ。孫さんの目指す「革命」に末端ではありながら参画するために,まずは iPhone の次のバージョンは絶対に買うことにする(iPad との関係は悩ましいとしても・・・)。

進化・行動・神経マーケティング

2010-02-04 20:54:00 | Weblog
いま,ビジネスパーソンも含め,行動経済学に関心を持つ人々が増えている。行動経済学は意思決定者の「限定合理性」に光を当てた。その延長線上に,感情や無意識の重要性が認識され,神経経済学(ニューロエコノミクス)が登場した。行動実験中心の行動経済学に対して,脳神経科学的な基礎づけを行うのが神経経済学だ。さらに,そうした実験に基づく知見に進化論的な基盤を与えるのが進化心理学である。人間の意思決定の特徴を,人類の長い進化プロセスにおける適応として説明しようとする。

この3つの学問はお互いに関連しながらも,独自に発展している。それをマーケティングあるいは消費者行動という観点から総合的に捉えるとどうなるか。それを非常に読みやすい文章でコンパクトにまとめたのが,ルディー和子『売り方は類人猿が知っている』である。ルディーさんはダイレクト・マーケティングの世界で活躍されてきた,どちらかというと実務家に属する方である。しかし,その読書範囲はビジネスから神経科学,しかも海外の専門学術誌にまで及ぶ。その博覧強記ぶりは,並の学者をはるかに凌駕している。

売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ),
ルディー 和子,
日本経済新聞出版社


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この本は,主に消費行動に焦点を当てた行動経済学やニューロエコノミクス,あるいは進化心理学の啓蒙書として,幅広い人々にお薦めできる。タイトルからも,日経から出版された新書であることからも,ビジネスパーソンが主なターゲットであることは間違いないが,個人的には,マーケティングや消費者行動に関心を持つアカデミックな研究者に強く推奨したい。今後この領域で必読となるであろう最先端の論文の読書ガイドになるし,今後研究すると面白そうなテーマを探すのにも役に立つはずである。

なお,ぼく自身がいつか研究したいと思っていることで,本書を読みながらさらにその思いを強くしたのが,消費行動における再現性の高い特性の進化論的基盤を問うことである。本書でもたびたび紹介される進化心理学は,それを「長きにわたった狩猟社会における適応的行動」として説明する。その視点に反対ではないが,よくできているが反証不能な「物語」で終わっていることが多く,不満が残る。完全な方法はないとしても,進化ゲームのような,一定の厳密性を持つ方法でないと,ぼく自身は納得感を得られない。

たとえば,本書で,人間が嫉妬という感情を持つのは,そのほうが狩猟という集団行動でうまくいくからだという説明が紹介されている。嫉妬心があることによってある程度平等な分配が実現する結果,みんなが互いに協力して(集団の)適応度が向上する,というのだが,それは人が平等な分配を好むことが前提とされているから,いえることではないだろうか。進化論的には,偶然誕生した嫉妬心が,同義反復的になることなく,人々の間で協力行動あるいは集団への忠誠心を「創発」することを示す必要がある。

それはともかく,マーケティング教員として本書の問題提起を真摯に受けとめることも重要だ。消費者の感情や無意識の役割をもっと全面的に考慮した講義をしないと,本書から最新の研究動向を学んで知的に武装する実務家たちから遅れをとることになる。いや,すでにそうした講義を行っている先生は多くいるかもしれない。自分自身の課題として,本書の刺激を踏まえて,講義内容をいかに「進化」させるかを考える必要がある。それはもちろん「突然変異」に頼ることになる。問題は「自然選択」の役割を誰(何)が担うかだ。

東大マーケティング・ワークショップ

2010-02-03 15:14:38 | Weblog
昨日,久しぶりに東大(本郷)に行った。赤門の周辺は工事中で,経済学研究科棟に行くには遠回りする必要があった(近道があるようだが,つい赤門のほうへ行ってしまう)。今回は,Korea University Business School の Janghyuk Lee 氏による発表。タイトルは "Local Networks As Early Predictors of Innovation Adoption," 共著者の筆頭は Jacob Goldenberg となると絶対聴くしかない。

この研究では,韓国のSNS "Cyworld" のデータを用いて,スノーボールサンプリングで社会ネットワークを構成,Girvan-Newman の方法でクラスタリングする。そして,このサイトで流通するアイテムの普及規模と速度を,個人レベルとクラスタレベルの変数で予測しようとしている。その推定には,階層線形モデルが用いられる。研究の主な目的は,普及の先行指標となるクラスタを見つけることである。

ドリームチームによる共同研究なので,ぼくごときが何かいえる筋合いのものではないが,少しだけ疑問に思ったのはクラスタリングの是非である。クラスタ内部での影響関係がより重要,というのはその通り。ただ,クラスタ間の情報伝播は無視していいのかどうか・・・。もう一つ気になるのはネットワークの多重性。関心に異なるコミュニティがあるとしたら,クラスタは互いに重複しているのでは・・・。

そんなことをいい始めるとキリがないことはよくわかっている。最近,消費者間相互作用の研究では,SNS を分析対象にするものが増えている(昨年の大西さんの発表がそうだ)。化け物のようにでかいデータを相手に,どこまで異質性を踏まえた分析をするのか。データの大きさが分析手法を制約するという皮肉な状況に研究者たちは陥っている。ミクロな観察に基づく研究も同時に必要だと感じる。

懇親会のあと,別れ際に Lee さんはみんなにケルンで会いましょうといった。その場にいたほとんどは,ケルンで開かれる Marketing Science Conference に参加するという。ぼくが参加するには,明日中にアブストラクト(英文250字)を書く必要がある。それを書くこと自体はできるとしても,6月までにきちんとした分析ができるか,またそうすることが研究計画上適切か,踏ん切りがつかない。

「最後の政治家」の運命

2010-02-01 14:47:53 | Weblog
小沢一郎氏を好きか嫌いか,支持するかどうか別にして,彼がこの四半世紀,最も存在感のある政治家だったことを認める人は多いと思う。小泉純一郎氏の存在感もまた大きかったが,小沢氏が自民党を弱体化させたからこそ,自民党の救世主として登場できた面がある。その意味で小沢氏のインパクトは非常に大きかった。一方,首相の座についた小泉氏とは違い,小沢氏は自らの政策を十分実現するには至っていない。「小泉改革」ならぬ「小沢改革」と何なのかは必ずしも明確ではない。

正月頃の話になるが,テレビ東京の「カンブリア宮殿」という番組で,作家の村上龍が小沢一郎と対談した。番組のエンディングで,村上氏は小沢氏を「最後の政治家」と評した。番組のウェブサイトには,次のように書かれている:
村上龍の編集後記 小沢一郎ほど、誤解されている人はいないのではないだろうか。日本の政治家には珍しく論理的だが口下手で、経済から外交まで3次元的な構想と戦略を持っ ていながら演説は苦手で、頭は切れるが社交的ではなく、基本的にシャイな人だ。本当は政治家には不向きかも知れない。きっと孤独なのだろうが、決して孤立はしない「最後の政治家」だと思った。
では,小沢氏の「構想と戦略」とは何だろうか。以下の『小沢主義』は,かつて話題になった小沢一郎『日本改造論』を現代に合わせて改訂したものだという。文庫本なので,手軽に小沢一郎の「構想と戦略」を理解できるかもしれないと思い,読んでみた。

小沢主義(イズム)―志を持て、日本人 (集英社文庫),
小沢 一郎,
集英社


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冒頭で小沢氏は選挙について語る。いわゆるドブ板選挙は悪いこととして語られがちだが,これこそ議会制民主主義の原点だという。つまり市井の人々の話に耳を傾け,実際に支持を受けて当選する。公約を果たせず支持されなくなれば落選する。そこが原点だと。そこでぼくが思い出したのが,かつての青島幸男氏の選挙だ。一切選挙運動はしない。有権者は候補者の政見をメディアで読んで投票する。確かにカネのかからない「清潔な」選挙だが,青島氏ほどの知名度がないと実行できない。

小沢氏の選挙至上主義は,選挙ではなく試験で選ばれた官僚たちに重要な意思決定を任せるのはおかしい,政治家がリーダーシップを発揮すべきだという主張につながっていく。官僚には,選挙のように,結果責任を問われる機会がないというのがその理由だ。鳩山政権が発足早々実施したいくつかの「政治主導」の取り組みは,2006年に出版されたこの本のとおり行なわれているように見える。つまり,小沢氏が長く構想し,本書でも重点的に扱っている政策が,最優先で実行されたといえる。

では,政治家主導の体制で,小沢氏はどんな政策を実施したいのだろうか。本書の前半に,農産物の輸入を自由化しても,農産物価格が生産費を下回ったとき政府が補填する制度があれば大丈夫だという話が出てくる(ただし民主党自体は,農家の所得補償だけ主張して,自由化のほうはあいまいにしている感がある)。しかし,これを除くと経済政策への言及はそう多くない。小沢氏の関心は議会や行政の制度改革に集中している(経済への関心の低さは,民主党自体の特徴かもしれない)。

小沢氏は本書で,尊敬する人物として,織田信長,大久保利通,原敬といった名前を挙げている。そこで思い出したのが,池田信夫氏のブログの一節だ。かつて池田氏の取材に対して,加藤寛氏は「行政改革をやった原敬も犬養毅も暗殺され、戦後も福田赳夫のように行革をやろうとした内閣は短命に終わった。私は命が惜しいから、霞ヶ関には手をつけない」と笑いながら語ったという。池田氏は「鳩山政権の苦境をみていると、犬養を殺した官僚の力は健在だなと思う」と結んでいる。

小沢一郎氏あるいは民主党が掲げる「脱官僚」や「政治家主導」というスローガンは,その意味で非常に困難な課題である。「カンブリア宮殿」で小沢氏は,自分たちは「無血革命」を目指していると語っていたが,それが革命という呼称に相応しいものなら抵抗は半端ではないはずで,「無血」では済まなくなる。原敬を尊敬する小沢氏はそのことを覚悟していても不思議ではないが,他に改革を叫ぶ議員たちはどうなのか。彼らにその認識がないとしたら,小沢氏はやはり「最後の政治家」だということになる。