Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

JIMS@大阪大学→心斎橋で考えた

2010-06-27 22:54:42 | Weblog
今週末は大阪大学で日本マーケティング・サイエンス学会が開かれた。わが部会からは,松村さん(大阪大),山本さん(成蹊大)の「モバイルSNSにおけるクチコミネットワークの価値」を発表した。紹介制の SNS の実データを用いて,紹介ネットワークが実現する利益の増加を計算し,その要因を分析したもの。フロアから活発なコメントが出たのは,テーマの現代性に加え,いい意味でのモデルの簡素さの故だと思う。

本筋から離れるが,もう一つ本報告の「歴史的意義」は,JIMS 初の iPad によるプレゼンが行なわれたことだ。数十分後に濱岡さん(慶應大)がやはり iPad でプレゼンしたが,「初」の栄誉はわれわれにある。そして実は,松村さんの報告に先立ち,ぼくが(彼の)iPad で部会の活動概況を報告した。つまり,正確には,ぼくが JIMS の歴史の一頁を開いたのだ・・・といった瑣事でしか,自分の「存在価値」を出せなかった。

そのあと,近藤さんのモバイル情報サービスの研究にコメント。さらに主に普及や新製品開発に関する研究発表を聴いた。濱岡さんや井上さんのパワフルなプレゼンに感心しつつ,長岡-山田組の革新性の概念探求や阪本さんの色彩に関する研究を聴き,同じテーマを一歩一歩追求し続ける姿勢にも感心した。聴講できなかった発表のなかにも,素晴らしい研究があったであろう。では,この学会は順風満帆なのだろうか。

個人的な感覚として,何ともいえない停滞の感覚を覚える。INFORMS Marketing Science Conference と比べて,とかではない。両者は置かれている立場,歴史的背景,すべて違う。国際学会で展開される「超絶技巧」にひたすら追随すべきだとは思わない。では日本のマーケティング・サイエンスは,独自の実り豊かな道を歩んでいるのだろうか? このフレンドリーな空気から何が創造されているのだろう?

学会のあと,恩師や「同門の」人々と心斎橋へ。そこで名プロデューサ吉田さんが語ったことが印象に残る。日本企業はなぜアップルになれないのか,なぜスティーブ・ジョブズが出てこないかと問うより,自分がジョブズになろうと考えないのか。そのために科学ができることは限られるが,何もないわけではない。それは何なのか・・・いまのぼくにはその答えははっきり見えないが,雰囲気はわかる。

結局,何を面白いと思うかは,その本人の関心による。何を美しいと思うかは,その人の美意識にによる。経済学や物理学のように,確立したディシプリンがあれば,面白さや美しさの基準は比較的共有されやすいが,マーケティング研究ではそこが少し違う。いまは自分が何を面白いと思い,美しいと思うかを探求すべきだろう。そこに強い信念がないと,誰かとそれを共有することなど到底できはしない。

まずは「血みどろの」読書から始めるべきかな。

査読を巡る鼎談

2010-06-26 07:58:14 | Weblog
三流研究者: 申し訳ないが私は三流研究者なので,査読の依頼はお断りしたい。だって,対象となる論文で使われている方法についてなじみがないので,それが正しいかどうかなんてわからない。そもそも論文をどう書いていいかすら,迷いがあるぐらいなのだ・・・。正直,私のようなレベルの研究者に査読されたら著者も可哀想だと思う。だから,どういう縁で私に話が来たのか知りませんが,辞退させて下さい。

二流研究者: 研究者どうしが(匿名で)査読することで研究者コミュニティは維持されているんだよ。他人の投稿論文を評価できないというのは、自分に研究者としての能力がないといっているようなもんだ。そう自覚しているんだったら,とっとと研究者をやめてほしい。実際,自分の投稿に訳のわからん査読をされて苦労することが多い。そういう奴が書いた論文を私が査読するのもお断りだ。暇じゃないんだ。

一流研究者: 正直私にとって査読はそう大変なことじゃない。その論文に価値があるかどうかを一瞬で見抜くことができるからだ。私は学問の水準を下げないため,大概の論文は瞬時に不採択にしてきたよ。ところが最近,エディターがもう少し採択してくれという。そうでないと論文誌を発行できないと。そういうことをいうなら,査読はお断りだ。自分の研究に匹敵する水準の一流の論文しか私は認めないよ。

・・・・・・
正直,査読の依頼にどう対応するか悩ましい問題だ。論文誌の編集委員をしたことはないが,査読の依頼がいかに大変かはわかる。だから,人柄のよい方が関わっていることが多い(だからぼくにそういう話は来ないw)。なので,自分に査読の依頼があったとき,その方の顔を思い浮かべると断るのは申し訳ないと思う。だが,研究のキャパが低いぼくには評価が難しい論文も多い。そこで三流研究者の言い草になる。

もう少し自信を持って,二流研究者としてふるまう手もある。学会のため,浅学を省みず査読に協力する。実際,いままでそうやって査読に関わったことも数々ある。その結果,通すべき論文を落とし,落とすべき論文を通したことがあったかもと危惧する(ただし編集委員の識見により、ぼくの評価と違う結果になったこともある)。三流が二流より劣るのは,謙虚であることを装って、責任を取らないことにあるかもしれない。

一流研究者が実際にはどう考えているか,実際のところ,ぼくにはよくわからない。ぜひ一流研究者の方に補足していただきたい。蛇足だが,上に書いたことは一部(大部分?)「嘘」である。ランクの高い論文誌であれば,少しでも欠点のある論文をばしばし落としても、投稿される論文が不足することはないだろう(ただ,そういう論文誌でさえ困るほど,ほぼすべての審査対象を非採択にした大物の話を聞いたことがある)。

(続き)MSC at Cologne メモ

2010-06-22 10:37:18 | Weblog
前のエントリの補足として,INFORMS Marketing Science Conference で印象深かった発表をメモしておく。振り返ると,初日の朝一に聴講したセッションが最も充実していたかもしれない。長老の一人,Don Lehman の司会のもと,User Generated Content: Word-of-Mouth というタイトルで以下の3件の発表があった:
Jonah Berger, Eric Schwartz: What Do People Talk About and Why? How Product and Buzzmarketing Campaign Characteristics Drive Word-of-Mouth

Andrew Stephen, Yaniv Dover, Jacob Goldenberg: Comparing the Roles of Connectivity and Activity in Driving Information Diffusion in Online Social Networks

William Rand, Wei Guo, Wolfgang Jank: Using Agent-Based Models and Functional Data Analysis to Understand Auction Behavior
最初の報告は,クチコミマーケティングの事例を300件ほど分析して,どういうときにクチコミが起きやすいかを探っている。消費者行動(CB)的な仮説が検証される。2番目は,正統的なデータ解析とエージェントベース・モデリング(ABM)を併用した研究。データと直接結びつけるのでなく,データ解析→ABM→さらなるデータ解析,という段階的接近法は参考になる。一方,最後の研究は,関数主成分分析(functional PCA)で縮約したうえでデータへのフィットを検証する方法を提案する。

実はこのセッションでは,Lehman による"Complexity in Marketing: Future Theoretical and Methodological Directions, New Questions Worth Answering, and an Application to Research on Disadoption"という発表も予定されていたが,キャンセルされた(本人は司会をしていたので,分析が間に合わなかったということだろうか)。多様な研究者との共著論文があり,マーケティングサイエンス界のケビン・ベーコンといわれる人なので,どんな話か興味があったのだが・・・。一方,ABM へのマーケティングの適用として,以下のような発表があった。
Sebastiano A. Delre: Micro Consumer Decisions and Macro Diffusion Patterns: Using Indirect Inference to Validate Agent-based Models
この研究では,ABM を用いた普及モデルである Delre-Jager-Janseen,Toubia-Goldenberg-Garcia, Watts-Dodds の3モデルと正統派 Bass モデルがどれほど実データに適合するかが比較される。マクロな挙動に合うパラメタ設定を indirect inference と呼んでいる。ぼく自身の発表(Dynamic Interactions Between WOM and Preference Formation: A Case of Diffusion of a Really New Product)もその点では同じである。

今回 ABM を用いた発表は,北中さんたちのものを含め,あと数件あったようだが聞き逃した。以前に比べて,増えているという感じはない。ただ,上の Stephen のように,1つのパーツとして使い,タイトルやアブストラクトにそれがワードとして出てこない例もあったかもしれない。社会的影響,クチコミといった話に飽きてきて,ふと CB のセッションに入ってみた。いくつか選択の文脈効果に関する発表があったからである。
Subimal Chatterjee, Ashwin Malshe, Rajat Roy: The Role of Regulatory Fit on the Attraction Effect

Nico Neumann, Ashish Sinha: Extremeness Aversion: A Critical Review and Research Agenda
regulatory fit とか regulatory focus といった用語を最近よく聞く。それで魅力効果(囮効果)がよく説明されるという。実証分析では,CB では珍しく階層ベイズ法を用いている。その点に質問があったとき,それは(その場にいない)共著者の院生に聞いてくれという率直な返答。オーバーアクションのプレゼンが疲れを癒してくれた。さらに刺激を求めて,マルチチャネルのセッションに行く。
Venky Shankar, Tarun Kushwaha: Are Cross-channel Effects Complementary or Competitive? An Empirical Analysis

Sara Valentini, Elisa Montaguti, Scott A. Neslin: The Impact of Customer Multichannel Choices on Revenues and Retention

Sonja Gensle, Martin Boehm, Peter Leeflang, Bernd Skiera: Influence of Online Channel Use on Customer-based Metrics and Consequences for Customer Channel Migration Strategies

Umut Konus, Scott A. Neslin, Peter Verhoef: The Effect of Channel Elimination on Customer Behavior: Transition from Catalog Retailers to E-tailers
最初はベクトル自己回帰を使って,チャネル間の補完的 vs. 競争的関係を推定している。2番目は2段階の選択モデルで tobit。3番目は消費者の評価の選択バイスを除去するためにマッチング(傾向スコア法の一種のそれだろう)。4番目が面白くて,通販会社が顧客を無作為抽出して紙のカタログを廃止した場合の分析。この場合,メディアの有無は外生的なので,バイアス云々の話は出ない。

最終日は気を取り直して「社会ネットワーク」というセッションに行く。だが,その内容は,このことばから一般に想像されるものとは大きく違う。
Zsolt Katona, Endogenous Homophily in Social Networks

Christophe Van den Bulte: Tricked by Truncation: Another Source of Spurious Social Contagion in New Product Adoption

Olivier Toubia, Andrew Stephen: Why are People using Twitter?
最初の発表は,人々の間の類同性(homophily)と選好の同時決定関係を扱うためにゲーム論的な均衡分析を行なう。2番目は,普及モデル研究の若手第一人者による,打ち切りデータがもたらすバイアスに関する研究。あまりの高速ぶりについていけない。3番目は,幅広い分野で活躍する若手の星が,Twitter を用いる動機を「動的離散選択モデル」で分析する。動的計画法などが登場し,最近の計量経済学の発展を踏まえているものと想像される。こういった研究が,よくも悪くも?マーケティングサイエンスの「最先端」なのだ。

最後に,前回のエントリでも触れた,マーケティングサイエンス発祥の地ともいえる MIT の大物たちの話を聴いた。最終日の最後の時間なのに,人が集まっている。前日のパーティで「神」と呼ばれていた John Little の姿もある。
John R. Hauser, Guilherme (Gui) Liberali, Glen L. Urban: Do Competitive Test Drives and Product Brochures Improve Sales?

Glen L. Urban: Developing Consideration Rules for Durable Goods Markets
Hauser の報告は,GM の車の品質が高いことを示すレポートがいくら発表されても,米国の消費者は信じなかった。ところが,競合車も含めて試乗させると,評価がちゃんと上がったというもの。オチは,それがわかったとき GM はすでに破綻していた・・・というもの。高度な手法は登場しないが,マーケティング的に面白い話だ。天下の Hauser のみに許された発表だったもしれない。Urban の話も然り。非補償型選好の話は,以前に比べかなり減っている印象。だが,彼らがいまそれを実務的応用に使っていることが注目される。

最後に,各発表の概要はこのページから検索できる。

Marketing Science Conference at Cologne

2010-06-20 13:29:05 | Weblog
ケルンで開かれていた INFORMS Marketing Science Conference が昨日終了した。 social influence,network,Word-of-Mourh に関係する発表を中心に聴講(+ついでに発表)したが,かなりの発表数だ。かつてのスキャナーパネルデータの時代に代わり,いまや誰もがソーシャルメディアのデータを分析するようになった感がある。ただし,15の併行セッションがあるわけで,ぼく自身の観察は非常に限られたものだ。

さて,WOMやソーシャルメディアの研究では,次数中心性等のネットワーク分析のジャーゴンが,いまや当たり前のように飛び交っている。ただし,マーケティングサイエンスらしく,最後は選択モデルやハザードモデル,あるいは変数の内生性を重視した計量経済学的分析に持ち込むものが大半だ。たとえば,ブログの投稿→製品の売上の効果を分析する場合,逆の因果関係もあると考えて,内生変数化するといった具合だ。

このような発想に立つと,何らかの「均衡」概念を持ち込まざるを得なくなる。因果関係が双方向的な世界を扱うとき,それが1つの強力な方法であることは間違いない。だが,実際のパラメタ推定作業に移るとき,操作変数を適切に設定できるとは限らない。また,誤差項の相関をより複雑に考えることで理論的には一般性を高めることができるが,パラメタ数の増加が分析結果の一般性を低下させるおそれもある。

何よりも,そうした手法の流行は,Excel かせいぜい SPSS でデータ解析を行なう実務家たちを遠ざける結果になる。したがって,研究と実務の間の距離がいっそう広がっていくだろう。マーケティングという領域の性質上,それはまったく望ましいことではない。また,均衡モデルは複数均衡があればまだしも,そうでないとすれば実務家たちに何ら行動の指針を与えない。せいぜい行動の後づけ的な正当化に役立つぐらいだ。

次から次へと繰り出される同じような分析作法の発表を聴きながら,この領域の研究はそろそろ飽和状態に近づきつつあるのではないかと考えてしまった。もちろん,ソーシャルメディアの活動を投稿件数など量的に捉えるだけでなく,センチメント(正負の判別)や読みやすさなどの質的側面を変数に加えたり(しかもそこを自動的に判定している),進歩している面はある。Twitterへの取り組みも始まっており期待が持てる。

以前,この学会では choice のセッションが花形であったように思う。だが,いまや研究者の関心はそういう基礎研究より,具体的・個別的問題に向かっているように見える。確立した「高度な」アプローチを,いかに「新しい」テーマに適用するかが,特に若い研究者の腕の見せ所というわけだ。それは悪いことではないが,同じようなスタイルの研究を氾濫させる原因にもなっている。すると研究の収穫逓減が加速化する。

学会の最後に,Urban,Hauser といった大物を含む,MIT Sloan の研究者たちによるセッションに出た。駿河銀行と組んだウェブ上の行動履歴を用いたコンテンツの最適化など,実務上の課題に対してあまり過剰にならない範囲の数理モデルが適用されていた。それはある意味,マーケティングサイエンスの最も成功している部分かもしれないが,いずれ大物の引退ともに消えていく最後の砦なのかな,などと考えてしまう。

帰国したら,週末に日本のマーケティングサイエンス学会@大阪大学が待っている。


ケルンへ

2010-06-16 02:07:50 | Weblog
明日から INFORMS Marketing Science Conference に向けて旅立つ。アムステルダム経由でケルンに入るというかなり長い旅だ。正直,いまから心が萎えている。年齢とともにエコノミー席の拷問に耐える体力・気力が失われてきた。他方で,ビジネスクラスに乗る財力はいっこう得られない。

ただ,ケルンという街には興味がある。その名前を聞いて真っ先に思い浮かぶのがキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」だ。神の啓示を受けたようなあのピアノソロが演奏された土地を見てみたい。ケルン大聖堂でのパイプオルガン演奏が学会のイベントに組み込まれているのも魅力だ。

ザ・ケルン・コンサート
キース・ジャレット
ユニバーサル ミュージック クラシック


自分の発表のパワポは最後の2枚(要約と今後の課題)が未完成だ。万が一会場に設置された WinPC を使うはめになったら困るのでキーノートにはしなかった。理想は、ジャズピアニストのように,その場で即興演奏のごとく発表することだ。もちろん,そんなことができる器量はない。

さて,明日朝早いので,そろそろ寝ないと・・・

心理学・認知科学の事典2冊

2010-06-08 21:22:46 | Weblog
最近購入した心理学・認知科学の事典を紹介する。まず『感情と思考の科学事典』。監修の海保博之先生と松原望先生は,それぞれ心理学,統計学(いまや計量社会科学といったほうがよい?)の大御所である。そして,個人的なことをいえば,ウン十年前に両先生の講義を受講しており,その後何度かお話ししたこともある(というか松原先生はぼくの修士論文の指導教員の一人でもあった!)。編集者の一人,竹村和久先生には学会で,しばしば貴重な指摘をいただいてきた。

さらにページをめくると,青木幸弘,杉本徹雄,星野崇宏,守口剛といった諸先生が執筆者一覧に並ぶ。星野さんは計量心理学者なので不思議ではないが,他の方々は消費者行動の研究者だ。感情と思考の科学というテーマでこれだけ「マーケ」系の研究者が寄稿していることは慶賀すべきことだろう。それはともかく,感情と思考を並列させている点がこの事典の面白いところだ。テーマごとにコンパクトにまとめられているので,拾い読みするだけで相当勉強になりそうだ。

感情と思考の科学事典
海保 博之,松原 望
朝倉書店

もう一つが『「学び」の認知科学事典』だ。こちらの執筆者はゴリゴリの認知科学者で固められているかのような印象を受けるが,そのなかに池上高志先生の名前がある。担当されている章は「学習における力学系/身体性/意識」と題され,なかなか魅惑的である。なお,こちらの事典のほうがやや小振りで,値段は半額だ。もちろん,カバーしている領域が違うので,比べてもしかたない。消費者行動あるいは行動経済学の研究者にとっても手元に置く価値がある2冊だ。

「学び」の認知科学事典
佐伯 胖
大修館書店

COE は研究成果に貢献したか

2010-06-06 17:16:00 | Weblog
6月2日の日経朝刊・経済教室に,依田高典氏(京都大学)の「科学研究、定量的な評価を」と題する論文が掲載されている。依田氏と共同研究者は,21世紀 COE プログラムによって研究成果が向上したかどうかを計量的に分析した。COE を始めとして数々の公的研究資金は,その効果を納税者にきちんと示すことが求められている。その意味で,これは時代の要請に合致する。そうした評価が今後普及するようになれば,笑う研究者も泣く研究者も出てくるだろう。

依田氏らは,研究の量的効果の指標として(国際学術誌に掲載された)論文数,質的効果の指標として論文の被引用数を用いる。そして,COE プログラムの導入前後で指標の差分を求めたのち,「COE をもらった研究者の COE 前後の成果の差分から、資金をもらわなかった同じような環境の研究者の COE 前後の成果の差分を引」くことで,COE の政策効果を取り出そうとしている。こうした分析から,COE の量的効果は支持されたが,質的効果は支持されなかった。

つまり,COE の研究費を獲得することで論文投稿が増え,その結果採択数も増えた。ただし,全体としては論文の被引用数は増えていない。つまり,COE は平均的な質の論文の量産をもたらしたことになる。もちろん,それは必ずしも悪いことではない。いずれ量が質に転化するかもしれないからだ。また,論文の評価は短期に定まらないという面もある。真に革新的なので最初は無視されるが,長期的には評価され,被引用数が増えていくような研究もあるはずだ。

さて,気になるのが COE の効果を「資金をもらわなかった同じような環境の研究者」と比べるという操作だ。医薬品であれ広告であれ,その効果を検証したい要因以外について,影響が同一になるよう「統制」することは統計分析として正当である。ただ,それとは全く別の論点として「資金をもらわなかった同じような環境の研究者」もまた COE から資金を得れば研究成果を高めることができるのなら,なぜ彼らは資金をもらえなかったのかが気になってくる。

現実には予算は限られ,大学間,研究者間に政治力学があるので,同じ能力の研究者に同じ額の研究費が配分されるわけではない。皮肉なことに,研究費が 100% フェアに配分されると,上述の方法論で研究資金の効果を検証することができなくなる。政策の効果を検証するためには,ある程度フェアでない配分がなくてはならないということだ。もちろん,効果の検証のためだけなら,研究者間でランダムに研究資金を配分するのがベストなわけだが。

総合的人間科学としての行動観察

2010-06-04 19:49:06 | Weblog
昨日はぼくの授業でのゲスト講義シリーズ最終回。大阪ガス行動観察研究所の松波晴人所長をお招きして「サービスサイエンス ―行動観察技術のビジネスへの応用」と題してお話しいただいた。松波さんは行動観察のビジネスへの応用に関して日本の第一人者といっていい方だ。この手法をいくつもの現場に適用して大きな成果を挙げてこられた。

質問紙調査で得られる情報はしばしば表層的で,ユーザの行動の真実を捉えていないことが多い。そこで,実際にユーザの使用実態を長期間観測し,現場で質問することで,思わぬ実態がわかってくる。ユーザが質問紙やグルインでそれについて語らないのは,そもそも意識していないから,うまく言語化できないから,あるいは社会的に正しいことを答えようとするバイアスがかかるからである。

松波さんの行動観察は,人間工学,エスノグラフィ,環境心理学,社会心理学,しぐさ分析,表情分析などを総動員する。ユーザの行動を見て気づきを得るという質的なアプローチにとどまらず,行動を客観的に計測・数値化して解析するという量的アプローチも併用される。つまり総合的人間科学なのである。ただし,目的はサービスの現場をカイゼンし,生産性を上げることで,徹頭徹尾実務的である。

営業トーク,ガス機器の展示イベント,スーパー銭湯などにこのアプローチが適用され,飛躍的な生産性の拡大を実現している。また,近畿経済産業局のプロジェクトとして,ファストフード店の厨房,駅の案内表示,膨大な数の顧客の名前を覚えるテクニックなどが研究され,結果が公開されている。一企業の利益に拘泥せず,サービス産業全般の生産性向上を推進していこうとすることには頭が下がる。

最近では工場における業務カイゼンへの適用も始まっているという。そこではすでに,テーラーの科学的管理法以来の手法(インダストリアル・エンジニアリング)が存在するが,行動観察法は単にストップウォッチで行動を計測して効率化を図るのではなく,働く人々の心にも入り込もうとする(ちなみに,テーラーはただ効率化だけを考えていたとみなすのは誤りだと,あとで教えていただく)。

サービスの特徴は生産と消費が同時に起きることにありで,その「現場」を観察することなくサービスのカイゼンやイノベーションを語ることはできない。したがって,行動観察やエスノグラフィは,サービスサイエンスとかサービス工学にとって最も重要な柱の1つといえよう。一方で,マーケティングサイエンスと呼ばれる研究コミュニティは,このことを十分認識してきたとはいいがたい。

この講義をいくつかの研究コミュニティに案内したが,聴講にいらっしゃた方の大多数は実務家であった。やはり現場に近い人ほど,行動観察の重要性に気づいている。また,物理学や進化経済学の研究者,視線追跡をテーマとするマーケ研究者が参加された。彼らは客観的かつ詳細な事実というものをリスペクトする点で,エスノグラフィと共通の志向を持つのだろう。

なお,以下の本に松波さんによって書かれた章がある:

ヒット商品を生む 観察工学 -これからのSE,開発・企画者へ-

山岡 俊樹,
共立出版


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OR は鳩山首相を救えなかった?

2010-06-02 23:07:14 | Weblog
今朝の新聞朝刊あるいはTVのワイドショーで語られていた予想に反して,鳩山首相が辞任した。いろいろ要因はあるだろうが,最後は「やはり」普天間問題が命取りになった。ぼくは以前,鳩山由紀夫氏が専攻していた Operations Research (OR) の観点からこの問題への「愚考」を述べたことがある。結局,OR は鳩山首相を救えなかったのだろうか?

OR は鳩山首相を救うか?
OR は鳩山首相を救うか Part 2

普天間問題の考えられる解の両極は,辺野古沖の埋め立てという「現行案」と,グアムあるいはテニアンへの「国外移設」だろう。鳩山首相は元々「駐留なき安保」が持論で,国外移設を理想と考えていたという説もある。いずれにしても,この両案の間に解がいくつも存在し,そのどこかに最適解があると考えていたのではないだろうか。

ところが,結果としてわかったことは,米国から了解を得ることを制約条件とする限り,実行可能な解は現行案かそのわずかな修正でしかない,ということであった。ただし,その案は沖縄県民の多数が受け入れるという制約条件を満たさない。つまり,この2つの制約条件を満たす解はないのだ。これらが制約として動かせない限り。

鳩山首相は結局米国の要求を優先させた。それに対して沖縄県民はともかく,本土の有権者の支持率もさらに下がったのはなぜか?県外移設を目指してもっと交渉しろということか?交渉の理論は,交渉決裂時に失うものが大きいほど交渉力が弱いことを教える。日本が米国に逆らえないのは,そうしたモデルで説明がつく。

多くの有権者はそのことをよく知っている(でなきゃ社民党はもっと支持されているだろう)。と同時に内心では沖縄県民への負い目も感じている。2つの制約条件の間で葛藤を感じながら,デフォルトとして米国への恭順を選択している。だから,この忌々しい葛藤に自分を巻き込んだ鳩山政権に対して,怨嗟の念が高まったのだろう。

同じような葛藤がメディアにあるだろうか?社説では日米関係強化のため現行案へ戻れと主張しながら,社会面では基地に反対する県民に同情する記事を書く。どちらも鳩山内閣を非難する点では一致するが,解については真反対の立場になる。それについて葛藤を感じている気配もない。それがメディアということか・・・。