Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

2009年の「世のなか」を振り返る

2009-12-31 12:10:56 | Weblog
2009 年最大の事件といえば,やはり「政権交代」だろう。選挙後の政党の合併や連立ではなく,選挙自体で野党第一党が過半数を得たのは,戦後初めてのことだ。日本という小さなコップのなかの出来事ではあるが,そのなかで生きる者として,歴史的大事件というしかない。100日間のハネムーン期間といわれている時期が過ぎ,政権のビジョンや能力が厳しく問われている。政権交代はそれだけでも意味があったとは思うが「それだけ」で終わるのだろうか・・・。

10月26日の投稿でぼくは,鳩山政権は結局,普天間問題では米国の意向にしたがう道を選び,社民党との連立を解消すると予想したが,そうはならなかった。政権維持を優先して難問を先送りし,何の前進もしないまま参議院選挙の直前まで進んだ場合,民主党が参院選挙で過半数を得ることは難しくなる。かといって,自民党も長老が幅を利かす限り復活の見込みはないだろう。参院選にはさまざまな新政党が乱立し,混沌とした状態になると予測する。

もっとも,ぼくの政治の予測は当たったためしがないので,実際どうなるかわからない。予想外の出来事を起きるほうが人生楽しめる。確実に進むと思えるのが,マスメディア,新聞やテレビの報道に対する信頼の低下だ。今回の政権交代にからんで浮かび上がった記者クラブ問題は,既成ジャーナリズムの守旧的な体質を露呈した。より正確にいえば,インターネット上の情報伝播によって,旧メディアがもはや情報を独占できないことを白日の下に晒したといえる。

新聞やテレビの報道は,右からも左からも偏向していると批判されてきた。それは仕方のないことで,報道がどういうスタンスをとろうと,それとは異なる意見が存在し,全員を満足させることなどできない。一方,インターネットの空間にはさまざまな情報が流通する。大手メディアが伝えないニュースでも,稀少性があるのでかえって引用されRTされる。人々は自分に近い意見を積極的に参照するが,敵対する意見も混入してくるので,結果的に多様な情報に接触する。

このことを決定づけたのは YouTube であり,Twitter だろう。そういう世界にどっぷり浸かっている人々は,規模としては少数かもしれない。しかし,そうした人々は必ずしも「エリート」ではなく,社会のあらゆるところに潜む「草の根」の人々だ思う。そこからリアル空間に漏れ出した情報が徐々に,しかし広範に浸透し,社会に影響を与えていくのではないか・・・。これはあくまで想像であり,検証されざる仮説だ。どうやったら検証できるかもはっきりしない。

とはいえ,新聞やテレビのない世界が来るわけではない。新聞ジャーナリズムの良質の部分は,ネットの世界でも生き延びるだろうし,そうなってほしい。テレビは映像コンテンツの供給元として,また同時性・即興性の高いメディアとして,産業総体としては発展していくだろう。そのなかでクロスメディア・クリエイターやマーケターの活躍の場が広がる。そうした変化についていけないマーケティング研究者はどうなるか・・・は社会的にはどうでもいいことだろう。

だが,こうした大きな社会の変化と寄り添うマーケティング研究でないと,そこに人生を賭ける意味はない ・・・という大言壮語をして年を越すことにする。

2009年の「研究」を振り返る

2009-12-31 09:28:21 | Weblog
今年の4月1日に書いた記事を,数人の友人が真に受けてしまった。その後の進展を考慮に入れつつ,実際はどうであるかをあのときのリストに即して述べると以下のようになる(順番は,当時アウトプットが近い,と思った順序だと思われる):

1)クルマのブランド戦略と技術開発に関する研究・・・ 分析結果を秋の消費者行動研究学会@広島経済大で発表した。より実践的なステップに進む構想もある。

2)消費者の「予測能力」をフィールド実験で検証した研究・・・ 眠っていたデータを再分析し,暮れの行動経済学会@名古屋大で報告した。投稿のお誘いも。

3)消費者間の情報伝播に関するシミュレーション・・・ 過去に行なった分析結果を春の商業学会@関西大,年明けに予定される集中講義@筑波大で利用。

4)インフルエンサーを実際の購買データから見つけ出そうという研究・・・ こちらも塩漬けのまま。

5)iPhone の普及と情報伝播を調べた研究・・・ 1月に森さんがネットワーク生態学@沖縄国際大で,12月にエージェントモデルをぼくが JIMS @電通で発表。来年3月が投稿期限。

6)選択集合を介した消費者間相互作用のモデル・・・ 1月のサービス工学ワークショップで触れたきり。

7)クリエイティブな仕事の志向が消費行動に与える研究・・・ 貴重な追加データをいただいているのに進まず。いよいよ「最終」期限が迫っている感じ。

8)インサイト獲得に関するクリエイター・インタビュー調査・・・ 某クリエイティブエージェンシーで取材。年明けにまとめてフィードバックしなくては。

9)広告主と広告会社の関係に関するインタビュー・・・ 助成いただいた財団には報告書を提出済みなので,すでに終わったプロジェクトとみなすべきかな・・・。

10)テレビ広告の短期効果を傾向スコア法で検証した研究・・・ 追加でいただいたデータもある。リベンジすべきだと思いながら時間だけが経っていく。

11)ロングテール現象を顧客購買履歴から分析する研究・・・ 今年はデータの予備的な分析で終始した。いよいよ本格的な分析を始めないと・・・。

12)小売店舗内で計測された消費者の回遊動線の分析・・・ 学会発表してから数年経つ。その時間,その価値があるかどうか・・・。

13)消費者選択のトレードオフ(コンフリクト)回避に関する研究・・・ 夏の行動計量学会@大分大学で実験結果を報告。その後も実験を継続している。

14)ワインのテイスティング実験に基づく選好進化の研究・・・ すべてがここから始まり,ここで終わる。生涯をかけたプロジェクトになりつつある。

15)消費者の非補償型選択ルールの識別に関する分析・・・ これも意識の最古層にある研究課題。今後,突破口が見つかるかどうか・・・。

・・・ということで,論文執筆に近づいたのは1と2ぐらいだろう。上のリスト以外に成果があったのは,Complex'09 の予稿 "Complexity in Marketing and Consumer Behavior: A Brief Review" と流通情報 No. 481に掲載された「消費者行動の複雑性を解明する―エージェントベース・モデルの可能性―」という論文だけだ。

これらの原稿執筆と,年末から来年に書けて筑波大学での集中講義を担当したおかげで,自分の研究の方向性を complexity という観点からいくらか「整理」できたことは,今年の数少ない収穫といえる。 課題として残るもうひとつの柱が creativity だ。これは,研究だけでなく教育にも関わるテーマである。したがって講義やゼミの実践のなかで充実させていくしかない。

やるべきことは,上のリスト以外にもある。いま水面下にあって,来年浮上してくるテーマがいくつかある。そうなると,研究課題リストのリストラクチャリングは避けられない。今年こそ論文を続々と投稿する年にするという,毎年のように抱負に挙げながらもいまだに実現したことがない目標を,来年に向けてまた臆面もなく掲げることにしよう。

大学教授の給料は高すぎる?

2009-12-29 16:40:49 | Weblog
弁護士・小倉秀夫氏のブログla_causetteで気になるエントリが続いている:

補助金漬けの産業」・・・私立学校振興助成法に基づく私立大学への補助金は、平成20年度で約3200億円です。平成20年度の大学の教員数は講師、助教、助手をひっくるめて、約9万7000人です。従って、教員一人あたり約340万円程度の補助金を国は大学の教員につぎ込んでいるということになります。
 介護ビジネスだって、一人あたり340万円もの補助金が設定されれば、もう少し担い手が増えるような気がします。

税金で350万円も年収を嵩上げしてあげる必要はあるのか」・・・現在、大学教授の平均年収が約1100万円、准教授の平均年収が約900万円ですから、教員一人あたりの補助金約350万円をここから差し引いても教授で平均750万円、准教授で平均550万円くらいになります。・・・補助金なんかなくったって、学者たちが上から目線で「規制に守られていて怪しからん!」と糾弾される職業に従事している人々よりよくよく多く貰っているように思われます・・・
この試算の根拠についてあれこれいうことは可能かもしれないが,それは本質から外れた議論になる。いずれにしても,大学の経営,大学教員の給料は多額の税金によって支えられているのは事実だ。そこを聖域化して,他の分野の規制緩和,補助金カットだけを叫ぶのはフェアではないといわれれば,その通りだというしかない。ただし,ここで小倉氏が例に挙げるような主張をしている「学者」は経済学者なので,他の分野の学者たちは,自分たちは別にそんな主張はしていない,一緒にしないでくれ,というかもしれない。

ただ,事業仕分けのときに垣間見えた,オレたちの研究に多額の税金が注ぎ込まれるのは当然で,その価値がわからないヤツはバカ,という一部理工系研究者の反応には,似たような特権意識を感じる。自分たちは他の連中が遊んでいる間,一生懸命勉強し,同様に高学歴の他の職業(弁護士?)に比べて低い給料に甘んじて研究している。そこで得られた成果が,国家や産業の競争力の源泉になっているのだ。そんなこともわからんとは・・・という主張だが,特に最後の部分が説得的であるためには「科学的」検証を要する。

ただ,そこをきちんと検証することは非常に難しい。他国との予算水準の比較とか,何かの相関係数を示すとかいった,厳密科学の世界では通用しない荒っぽい数字の操作がせいぜいだろう。結局のところ,富裕国の贅沢として,ドンブリ勘定で認めて下さいと平身低頭納税者にお願いするしかないのだ。その結果たまに「国全体に」名誉が転がり込んだり,産業の発展に寄与したり,いろんないいことも期待できるが,きわめて不確実だと。あとは国民の皆様のご厚意におすがりするしかないのであって,お前らバカにはわかるまい,などといえる立場では決してない。

したがって,税金から3200億円も私立大学に出すのはおかしい,という世論が優勢なら,わかりました,と従うしかない。その結果各大学がどうふるまうか,そして国民にどういう便益と費用が降りかかってくるかを熟慮しての決定なら,しかたない。他方,税金に依存しないのであれば,大学が教員にいくら給料を払おうと文句はいわれないはずだ。そこで,補助金が全廃されたときの私立大学経営をシミュレーションしてみる価値がある。まず各大学が補助金が減った分をすべて人件費カットでしのいだ場合だが,小倉氏によれば―

研究者の給与が世間並みで、どんな困ることが?」・・・「世間並みの給与しかもらえないのであれば、教員などやめて、チェーンのラーメン屋を起業してやるぜ」みたいな研究者ってほとんどいないのではないかと思うのです。研究と教育を生業としつつ、世間並みの給料がもらえる(しかも印税収入や講演収入等の副収入を得ることも可能)ということであれば、なお、研究者になろうというインセンティブはいささかも損なわれないのではないかと思われます。
これは半分ジョークだと思うが,一応真に受けて考えると,国際A級の研究者が海外流出したり,実務面で秀でた研究者が転業したりすることはかなり起きるだろう。多くの大学はそうした事態を好まず,一律に給料を下げるのでなく,一部の教員をリストラすると考えるほうが現実的だ。さらにブランド力がある大学は,学費を値上げして収入の落ち込みをカバーするだろう。その結果もたらされるのは,優れた教育を提供するバカ高い学費の少数の大学と,学費は比較的安いが(常勤)教員数が非常に少ない大学への二極化だ。

そういう結果になるのであれば,子どもの大学進学を望む有権者は,大学への税金投入を支持するだろう。ただし,大学への交付金・助成金ではなく,学生に奨学金を支給するという政策の選択肢もある。おそらく経済学者の多くは,理論上そちらを支持するはずだが,大学経営に関わっている場合は反対するかもしれない。しかし,既得権益の主張がいつまで通用するだろうか。経営・経済系の研究者は,教室で教えている理論を自らの足元に適用することが迫られている。それは幸福なことだ。理論と実践が一貫するのだから。

浅草の酒屋で「教養」を論じ合う

2009-12-28 23:21:24 | Weblog
昨夜は,前の職場の同僚たちとの忘年会。年に数回こういう機会があるが,いつも刺激を受ける。ひとつは,国際レベルでの研究競争を戦う彼らと話すことで,衰弱しつつある自分の気持ちを奮い立たせることができる点(その効果の持続性に問題があるわけだが・・・)。もう一つは,ユニークな教育上の工夫を学べることだ。少なくとも後者は,ぼくにも真似ができるはずだ(やる気さえあればの話だが)。

そんな会話(酔話)のなかで,大学で学生にいかに「教養」を教えるか,という話題になった。教養とは何か,それはどうやったら教えられるのか,そもそも誰がそれを教えることができるのか,それを教える意味があるのか,などなど議論すべきことは多い。しかし,それらを適当にスキップできるのが「酔ったうえでの勢い」の効用だ。ただ,翌日になっても「教養」をどう教えるかが少し気になっている。

教養を教えるというのは,古今東西の哲学,物理学や生物学から文学や芸術,ファッションの話題までを語ることだろうか。いま「ふつうの」学生たちに教えるべき「教養」とは,そういうことなのだろうか。そもそも「ふつうの」教師にそんなことができるのか。現実の教育現場で要請されている「教養」は,それに比べてもっと単純なことかもしれない。たとえば,エクセルやパワポの使い方を習得するとか。

もちろんそれより本質的なのが,フィールドの観察から何をつかむか,いかにアイデアを生み出すか,問題をどう解決し戦略を組み立てるか,「買い手」をどう説得するかを体験的に学ぶことだ。そんなことは社会に出てから学べばよいという意見は,いまの時代の速度を考慮していない。だから自分のゼミでは,今後もそうした試みを増やすつもりだ(環境が異なれば,別のやり方があるだろうけど)。

ただ,それでは下手すると「学問」と隔絶してしまう。それでいいのかという疑問が当然生まれる。その点で興味深いのは,チャルディーニの『影響力の武器』を学生に読ませたところ,大変好評だったという三橋さんの話だ。この本は社会心理学の研究を踏まえつつ,誰もが興味を持つ日常の問題を取り上げ,実務に役立つ示唆まで与えてくれる。研究と実務の間の境界線上に奇跡的に立つ書物だ。

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか,
ロバート・B・チャルディーニ,
誠信書房


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理想的には,そこを出発点に研究よりの世界に学生を導いていくというより,研究自体をもっと現実的で実践的な方向に導けないかと思う。それこそ現代の教養であり,研究もまたその生産に加わるべきではないか。チャルディーニのような本はもっと書かれるべきだし,可能ならば自分で書きたい。もっとも,600字×8頁という現下のノルマですら呻吟しているぼくには,見果てぬ夢かもしれない。

研究はテーマが命

2009-12-26 23:36:37 | Weblog
Journal of Consumer Research からのメールに Highlights from Two Years Ago (つまり 2007 年 4 月号)が紹介されている。なぜ2年前なのか不明だが,メディアによる書評がよかったせいかもしれない。これらのタイトルを見ていると,消費者研究において,一般読者の好みを反映したメディアの書評者が「うん?」と思うようなテーマを取り上げることの重要性を感じる。 以前にも書いたことだが,あらためてそう思う。

このなかで読んだことがあるのは,Watts & Dodds, Influentials, Networks, and Public Opinion Formation だ。オピニオンリーダ的な消費者をターゲットにクチコミ・マーケティングをするのが効率的だという「世間の常識」に挑んだ問題の論文だ。ぼく自身は,この論文の仮定や分析手法はおかしいと思っているのでその結論に同意しないが,常識をひっくり返そうという論争的な精神は素晴らしい。見習いたい。

L. N. Chaplin & D. R. John
Growing up in a Material World: Age Differences in Materialism in Children and Adolescents
Selected Media Mentions
- Reuters] Child materialism linked to self-esteem
- The Globe and Mail: Don't say iPod, say I love you
- CBC News: Children with low self-esteem want more consumer goods: study

D. J. Watts & P. S. Dodds
Influentials, Networks, and Public Opinion Formation
Selected Media Mentions
- Washington Post: Vote Your Conscience. If You Can.
- Science News: The Power of Being Influenced
- Science Daily: Social Change Relies More On The Easily Influenced Than The Highly Influential

S. Ramanathan & Ann. L. McGill
Consuming with Others: Social Influences on Moment-to-Moment and Retrospective Evaluations of an Experience
Selected Media Mentions
- CBS News: Enjoying Movies Is Contagious
- Times Online: Buddy movies
- FOX News: Research: Presence of Other People May Enhance Movie-Watching Experiences
- Web MD: Enjoying Movies Is Contagious
- Science Daily: Pass The Popcorn! Study Finds That Film Enjoyment Is Contagious
- Live Science: Thumbs Up? Thumbs Down? Moviegoers Follow the Crowd

K. White & D. W. Dahl
Are All Out-Groups Created Equal? Consumer Identity and Dissociative Influence
Selected Media Mentions
- The Globe and Mail: Sorry, but that is so not me

集中講義@筑波大学 1日目

2009-12-24 08:39:10 | Weblog
「マーケティングと消費者行動の複雑性」というテーマで,筑波大で集中講義を行った。クリスマスイブ前日の休日という条件ながら,50名近い学生が受講。予定した,選択モデルと基礎と応用,そしていくつかのアノマリーの説明を終える。線形効用関数の話しから始めることは,経営工学や経済学を専攻している大半の学生には問題なかったと思うが,そうではない学生には,なじみにくかったかもしれない。教壇から見た範囲では,居眠りしている学生はごく少数で,それなりに熱心に聴いていただいたように感じる。

標準的な選択モデルの想定が成り立たないケースというのは,理論的には面白いが,実務的にはどうでもいいように見える(そもそも標準的選択モデルすら実務でさほど重要でない,ともいえる)。実はそうでもない,と思うが,そこまでは授業で言及できなかった。もう1つ言い残したことが,属性分解的アプローチの問題だ。遠路東京から参加された,早稲田の院生中川さんがそこを質問してくれたので助かった。といっても,この限界を破る妙案はいまのところない。とりあえずは,交互作用項で対応するしかない。

そのあと,聴講に来た院生や昔の同僚たちと飲みに行く。Tversky や Kahneman らが「発見」してきた再現性の高い意思決定のバイアスは,行動経済学を通じて一部経済政策にも応用されつつある。バイアスのリストはさほど増えることはなく,この学派は成熟期に入りつつあるように見える。その神経科学的基盤を問う研究がさかんになっているが,一方で進化的基盤を問う研究があってもいいのでは・・・という話しを秋山さんたちとする。もちろん,大半はそんなことではなく,若い男女に相応しい(?)話題で盛り上がった。

次回は1月6日,今度は消費者間相互作用やクチコミ・マーケティングの研究を紹介する。あっという間にその日が来そうなので,準備を進めなくてはならない。その前に「年内」(厳密にはいつのことか不明)と約束した原稿を仕上げること。

選択の統一理論を夢見て

2009-12-22 08:04:31 | Weblog
先週,行動経済学会の発表を終えたあと,いくつかの校務をこなし,適宜「休養」をとりつつ,今年最後の大仕事である筑波大での集中講義の準備をしてきた。初回の23日(明日!)は「消費者選択モデルと限定合理性」について75分×3回話す。離散的(確率的)選択モデルの入門から始めて,文脈効果に代表されるアノマリーや非補償型選好へと話を進める予定。過去に大学(院)や社会人向きに講義した際には,データへの適合(パラメタ推定)や実務への応用を中心にしゃべってきたが,今回は主従を逆転させる。

今回の受講者は,おそらく理工系を中心に一部文系も含む,幅広い専攻の学部(学類)学生と院生だろう。みんなが統計学の知識を持っている保証がないので,最尤法だ,階層ベイズだという話題には深入りしない。実務家ほどは,マーケティングデータを分析し,仕事の意思決定に役立てたいという切迫した要請もないだろう。だから,実務的応用の代表例であるコンジョイント分析の話も省略しようかと思ったが,さすがに行き過ぎだと思い直し復活させた。標準的選択モデルの限界を議論するうえでも,あったほうがいい。

そのあといよいよ,非補償型の選択ルールや文脈効果に関する有名な研究を紹介する。いずれも天才 Tversky が「発見」した選択モデルのアノマリーなのだが,それらを統一的に説明する理論モデルは,ぼくの知る限りまだ存在しない。最後に触れる予定の Payne, Bettman らの constructive processing approach も,残念ながら文脈効果まではカバーし切れていない。行動を予測するだけなら線形効用関数(補償型ルール)が包括的だが,それが消費者の認知プロセスを記述しているとは,ぼくにはどうも思えない。

そこに理論上の大いなるフロンティアがあると思うのだが,今回の講義で,それを具体的に語ることはできない。博士課程在籍中の初期に,そのようなことを考えていた時期もあったが,結局そこまで到達できなかった。その後もほとんど何もしておらず,初回の講義で,自分の研究を紹介する場面はほとんどない。その意味で,今回の講義は自分が置き忘れてきた重大な宿題を,再び意識の中心に取り戻す機会と位置づけている。実際,講義すると集中力が高まるためか,ふだんにはない気づきが得られる経験が何度かある。

最も楽しみなのは,受講者や関係者との交流だ。昨年の池上先生の集中講義では,遠路東京から聴講に来た学生を含め,講義のあと,何人かの教員や院生とともに飲み食いしながら議論した。池上さんとは比べるべくもないが,それでも意欲的な学生や院生が参加し,授業中/外で議論できるとうれしい。そこでぼくが何かを学ぶだけでなく,そういう問題があるなら自分が解いてやろうと思うような,野心的で能力のある若手に問題意識を伝えることは,なまじっか自分独自の研究を追求するより建設的かもしれない。

さて,どうなるか・・・ まだ,明日の講義の準備は完全に終わっていない。なお,選択モデルの課題として,もうひとつ重要な社会的相互作用については,次回に取り上げる。それは1月6日なので,そちらの準備も早々に進めなくては。

どの経済政策が正しいのか

2009-12-20 18:25:31 | Weblog
鳩山内閣の支持率が低下し,時事通信社の最新の調査では50%を切った。記事では「米軍普天間飛行場移設問題や2010年度予算編成での新規国債発行額をめぐり、首相自身や閣僚の発言が迷走したこと」を理由にあげている。政策の内容以前に, 内閣の首尾一貫した戦略性,あるいは首相のビジョンやリーダーシップが見えないことが,イライラ感を募らせている。「ブレる」という点では前首相と同じように見える。漢字を正しく読む分だけ(あるいは政権交代の昂揚感が残る分だけ)現首相の支持率がまだ高いが,この勢いで落ちていくと,早晩30%台に到達するかもしれない。

国民にとって景気の行方と経済政策が最大の関心事のはずだが,政府はいま何をすべきかについて,経済の専門家たち(経済学者には限らない)のいうことも,まちまちである。たとえば,Diamond Online の最新コラムを一瞥すると,高木勝氏(明治大学教授)や山崎元氏(経済評論家)は財政支出がまだまだ足りないというし,町田徹氏(経済ジャーナリスト)は逆に,赤字国債の増加を批判し,財政再建を主張する。何十年も前から同じような論争が続いていて,何も変わってない気がする。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者を集めて意見を聞いても,同じかもしれない。

経済学なんてそんなものさ,といえばすむことかもしれないが,もし自分がマクロ経済学を研究しているとしたら,そうはいっていられないだろう(そういう仮定をおくこと自体,変ではあるが・・・)。最近,高名な経済学者サミュエルソンが亡くなった。彼が提唱した新古典派とケインズ経済学の「総合」が,その後主体の合理性や市場均衡をより重視する方向へと変わり,いまや「動学的一般均衡」だという話をよく聞く。それがもしマクロ経済学の着実な進歩を意味するなら,日本の指導的なマクロ経済学者から,「経済学的に正しい」経済政策が提案されると期待したい。

日本のマクロ経済学者による数少ない(ぼくが他を知らないだけかもしれないが・・・)ブログである岩本康志氏(東京大学)のブログでは,12/16付で「53.5兆円の国債発行に至るまでに,どこで間違ったのか」という投稿がある。岩本氏は「1次補正予算を一部執行停止し,2次補正での追加経済対策がなければよかった」と述べつつ,たとえそうしていたとしても大幅な国債発行は避けられなかっただろうと指摘する。そもそも,リーマンショック以前に「増税を決断して,財政収支をもう少し改善しておくべきだった」と。ただ,政治的にそれができなかったわけで,そこに問題がある。

齊藤誠氏(一橋大学)の個人サイトに,「成長戦略より,既得権益の撤廃を」と題する週刊東洋経済向けのコラムが転載されている。先進国では確実な投資機会に乏しくなっており,そこで(バブルなしに)成長を持続させることは難しい。全体のパイを拡大することを目指すのでなく,限られたパイを公正に配分することを目指すべきだという。そのため,まず「法的整理を覚悟で日本航空を見事に再生させてみてはどうか。そうすれば、日航再生は、既得権益の撤廃、利害対立の調整のすばらしい手本となるであろう」と述べる。ここでも,財政出動の効果については否定的である。

他にも財政政策の効果に悲観的な経済学者は少なくないが,政治的には Kamenomics に代表される積極財政派は相変わらず根強い。財政政策に効果がないことを現代の経済学が十分な信頼性をもって証明できないとしたら,「このまま患者を放置して死なせるぐらいなら,リスクを伴う治療をすべきだ」という主張を論駁できない。「患者の死」が倒産や失業者の増加なのか,議員の落選なのかは別にして,積極財政は政治家にとって合理的選択になり得る。その後子孫が借金に苦しむのか,景気が良くなって税収が増えるのかの不確実性を考慮しても,なお合理的かもしれない。

もちろんそれは,いくつもの仮定を重ねた上の「手続き的合理性」でしかない。結局,政治家も経済評論家も,経済の「真の構造」について無知な状態のまま,部分的な経験や知識を根拠にゲームをしているという見方もできる。プレイヤーたちの重要な動機は「将来後悔しないと現在思えること」や「過去の発言を正当化すること」,「この論争で目立ち,相手を罵倒すること」であったりする。したがって,そこに学習メカニズムが加わったとしても,繰り返しのなかで正しい知識が形成されるという保証はない。だからこそ,同じような政策論争が永遠に続き,決着しないのだろう。

・・・というような議論は,マクロ経済学の発展を知らないための妄言だとマクロ経済学者から怒られるとしたら,むしろうれしく思う。しかし,財政政策にしろ金融政策にしろ,主要な経済学者が一致した見解を出せるほど確実な知識を持たないとしたら,朝からテレビ番組で政策論議をしている政治家や評論家とはちがう存在意義は何かということになる。一方,経済政策論争に加わる自信満々な人々にも聞いてみたい:なぜそうだと確信できるのか?それは科学的根拠に基づくのか,単なる信念なのか,その中間の「洞察」なのか。どれがいいということではなく,ただ聞きたいのだ。

これからゼミをどうするか

2009-12-17 13:25:46 | Weblog
来年4月から,ぼくが教えるゼミは2~4年まで揃う。週3コマはゼミを行うことになり,教務の大半はそれに費やされる。不況の影響で,ゼミ参加学生は非常に増えており,多くの教師にとっても学生にとっても「ゼミ」が大学生活の中心になるだろう。これまでと同様,今後もゼミ運営の試行錯誤が続く。

ぼく自身がゼミに入ったのは大学3年のときだ。数理経済学のゼミで,3年では一般均衡理論に関する邦訳された入門書,4年では英語の専門書を輪読した。ゼミ生の大半は,その本に書かれたアルゴリズムを実行する研究を行ったが,ぼくはそこから逃げて,ゲーム理論の文献サーベイで卒業論文を書いた。

修士課程では2年次(か1年の最後あたり?)に産業組織論のゼミに入った。修士論文を書くことを目標として,先生が指示する論文を次々読んで,年の後半には自らの研究の進行状況を報告した。ゼミ生は3人しかいないので,ほぼ毎回何かを発表していたはずだが,厳しい,辛いと感じた記憶はない。

修士課程では統計学のゼミにも出ていた。発表するのは毎回,その先生に師事する博士課程の学生で,ぼくはただ聴講するだけだった。担当の先生は名講義で知られていたが,ゼミでは居眠りされることが多く,発表中に先生に質問しようとした学生が,声をかけられずに立ち尽くしていたのを思い出す。

マーケティング・サイエンスを学んだ博士課程では,先生が選んだ論文や自分の研究テーマに関連する文献を報告していた。ゼミのあと皆で昼食に行ったり,節目ごとにコンパをしたり,毎日が楽しかった。最初の頃は論文を書くプレッシャーもないし,一生こんな生活ができればいいなと思っていた。

さて,自分がゼミを持つようになったのは,大学に職を得た6年前のことだ。そこではゼミは大学4年,あるいは修士2年からなので,基本1年の付き合いだった(ただし,前半は就活で多くのことは要求できない)。自分が過去に経験してきたように文献を輪読し,論文指導を行い,コンパをした。

学生は学部と修士を合わせて毎年4~5人なので,合同でゼミを行った(ゼミ自体は単位にならないので,そのへん融通は利いた)。ゼミ合宿もクルマ1~2台ですんだ。1泊2日で,初日「勉強」したあと,2日目は「地域文化の研究」に没頭した。年末の論文指導は大変だったが,夢もあった。

しかし現在,学部で3学年のゼミを持つことになり,過去の経験は通用しない。まず人数が各学年10~17人と多い。パワポを初めて使う学生もいる。データを与えて,統計の授業で習ったようにやって・・・というわけにはいかない。英語の文献の輪読はしたことがないが,強い抵抗が予想される。

現在の3年生は,いま卒論の下調べを報告している。来年就活が本格化すると,ゼミ活動がどうなるか予測がつかない。卒論も,前任校のようにデータ解析やシミュレーションで「格好つける」のは難しそうだ。一方,事例研究だと,ぼく自身に指導や評価の経験がない。試行錯誤が続くだろう。

2年生とは,輪読以外にプロモーション企画の実習を行っている。概して評判はいいようだ。協力企業を見つけるのが大変だが,これはぜひ続けたい。と同時に,そこからテンプレートが作れないかと考えている。あらゆるツテを当たって,起業家やプランナーと直に接して話を聞く場も設けたい。

ただ,実務家に協力してもらうには,学生の分析や提案にある程度価値がなくてはならない。それができる学生をいかに育てるか。矢田勝俊さんは,データマイニング「虎の穴」(だったと思う)を作って,私立文系学生を鍛え上げていると聞いたことがある。似たようなことができればいいが・・・。

といっても,このゼミではデータマイニングではなく,ましてモデリングでもなく,データ解析は簡単なレベルにとどめ,日常生活の観察や内省,ペルソナやシナリオの記述による顧客インサイトの掘り起こしに取り組んでみたい。最初を除くと自分の経験が乏しい領域なので,一から学ぶしかない。

こう考えるのは,学生たちの志向を考えてのことだが,同時に教科書的なマーケティング・サイエンスを一般の学生に教えることへの疑問があるからだ。とはいえ,マーケティング・サイエンスを学びたいとか,複雑系的アプローチに挑戦したいという学生がいつの日か現れることを,内心夢見ている。

神経経済学の前に立ちはだかる壁

2009-12-15 01:51:14 | Weblog
昨日は夕方から東京財団に向かい,VCASIセミナーを聴講した。VCASI とは Virtual Center for Advanced Studies in Institution(仮想制度研究所)のことで,青木昌彦氏が所長を務める。セミナーの題目は「社会科学の哲学から見た神経経済学---協力行動と嗜癖」で,講師は社会哲学を専攻する吉田敬氏である。吉田氏は神経経済学を行動経済学の神経科学的基礎づけを目指すグループと,神経科学の理論的基礎として経済モデルを導入するグループに分け,それぞれの代表的な研究を紹介する。前者の代表は,ゲーム論における協力行動の研究であり,後者の代表は,人間の嗜癖ないし依存症の神経メカニズムをモデル化する研究である。

吉田氏は,前者の行動経済学的な神経経済学に対する共感を持ちながらも,その前途には大きな障壁が立ちふさがっていると指摘する。脳の特定部位の活動と認知行動の間に相関ではなく因果関係を探ろうとすると,その部位の活動を統制するような手段をとらざるを得ないが,それは倫理的問題を引き起こす。したがって,その方向での研究は早晩行き詰まると予測するからである。一方のタイプの神経経済学は,経済学というより神経科学そのものなので,動物を使った実験でもかまわない。そちらのタイプの神経経済学はこれまでどおり,順調に発展していくだろうと見ている。

それに対して,青木所長を筆頭とする経済学者の反応は,実験科学的な厳密さにさほどこだわる必要はないという,行動経済学的な神経経済学に対して比較的寛容な見解が多かったように思える。具体的には,経済学では一般的に統制実験は難しく,因果関係を厳密に確かめるのは神経経済学ならずとも難しいとか,制度と個人が共進化する結果内生性の強い変数が多いので「相関」しかわからないのはしかたない,といったコメントが相次いだ。また,もうひとつのタイプの神経経済学は数理的な神経科学といってよく,経済学者の関心をさほど惹かないという印象を受けた。

ぼく自身の感想は,週末に参加した行動経済学会での議論も踏まえると,神経経済学が物珍しさから注目される時期は終わり,今後は批判を受けながら,その真贋が問われる段階に達したのではないか,というものである。そこで思い浮かぶのが,社会学におけるネットワーク分析と理工学における複雑ネットワークの研究者の間の交流だ。最近は蜜月関係が終わり,お互い違うベクトルにしたがって分離しつつあるように思える。一般的な脳神経科学は今後も発展し,そこで経済現象も扱われていくだろうが,経済学を内部から変えようとする行動神経経済学がどうなるか微妙である。

現段階では fMRI による実験費用が非常に高く,少数の被験者しか実験できず,かつ実験に高い専門性を要求するので,神経経済学の研究が順調に増えていくとは考えにくい。そうしたなかで,これまで神経経済学の研究が見出してきた結果の一般性もまた,問われるようになるだろう。イノベーションによってこうした状況が一変しない限り,神経経済学への過大な期待は失望に変わり,いったん冬の時代が来ても不思議ではない。そこをどう乗り切れるかで,神経経済学が生き残れるか,それとも神経科学一般に吸収されてしまうかが決まるだろう。あくまでも素人の予想ではあるが。

行動経済学会@名古屋大学

2009-12-13 23:08:43 | Weblog
名古屋大学で開かれた行動経済学会第3回大会に参加した。この学会の会員ではないが,「マーケティング・消費者行動」の特別セッションを開くということで,お声がけいただいた。名古屋大学は「名古屋大学」という駅を出たところにある。ただし,そこは大学のど真ん中で,プログラムの地図を見ても,どちらの方角に進めばいいかわからない(やはりジャイロ付きの iPhone 3GS がほしい・・・)。案の定,大幅に遠回りして会場にたどり着いた。

最初に「実証行動経済学」というセッションを聴講。 代理変数の設定の仕方など,マーケティング研究から見ると大胆だなと思える面がある一方,変数の「内生性」を非常に気にするのが経済学らしいと思う。経済学らしくないが(だからこそ?)個人的に興味深かったのが,「カレンダーマーキング法」と名付けられた主観的幸福度の測定に関する報告だ。その日感じた幸福度を,寝る前に日記のカレンダーに○△×を付けさせることで記録させる。

その後測った幸福度との相関では,○が幸福度と相関するのは期待通りとして,×ではなく△が負の相関を示す。また,カレンダーマーキングをすることが幸福度に有意な影響を与えることもなかった。これは,発表者の期待に反する結果であったようだが,ぼくにはこの測定方法の中立性を示すものとして,むしろ望ましい結果ではと思えた。今後,こうして測られた日々の幸福度が,本人の生活や環境の何に影響されたのかが研究されることに期待。

初日のメインイベントは,行動経済学の世界的権威 Loewenstein 教授の講演だ。 "Using Decision Errors to Help People" というタイトルが示すように,行動経済学が明らかにしてきた人間心理のバイアスを,望ましい行動を導くために利用することを提案する。たとえば,肥満を防ぐため,ファストフード店で各アイテムのカロリー情報を提示しても逆効果。低カロリーのアイテムをメニュー上のデフォルトとして提示して初めて,効果が生じる。

George Loewenstein 氏近著:
Exotic Preferences: Behavioral Economics and Human Motivation


Oxford Univ Pr (Txt)


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行動経済学は,経済学のアノマリーを指弾する異端の学問から,望ましい社会政策を実現するための確立された知識体系になった。ただ,今度はその知識の悪用を警戒される立場になったともいえる。この学会にともに参加した守口さんが,行動経済学をマーケティングに応用するのは「悪用」といわれるのかなと苦笑いしておられた。心理学者の竹村さんによれば,経済学とマーケティングは対極にあり,心理学はその中間かもしれないという。

夜は懇親会のあと,星野さん,守口さん,中川さんと「隣り駅」本山で飲む。

2日目は,「神経経済学」に関するチュートリアルを聴き,ついで年金問題と行動経済学に関するシンポジウムを聴いた。たまたまかもしれないが,ぼくの出たセッションは全体に質疑応答の時間が少ない。ぼく自身は何かを質問したりコメントするほど,そこで話されていることを理解できなかったが,会場に多数いるはずの論客にもっと出番が回るとよかった。彼らの議論を通じて,門外漢がああそういうことかという気づきを得る可能性がある。

昼食後は,いよいよ「マーケティング・消費者行動」の特別セッション。まず,星野さんが消費者選択モデルの既存研究を手短に概観したあと,潜在クラスを用いて補償型と非補償型の選択モデルを統合的に扱う研究を報告する。その結果は,属性の水準数が増すほど,非補償型ルールが選択されることを示すなど,Payne, Bettman & Johnson の予測を裏づける。認知科学的研究に最先端の計量的手法が適用される。さすがである。

Payne, Bettman & Johnson の記念碑的著作:
The Adaptive Decision Maker


Cambridge University Press


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次いで,竹村さんが「ニューロマーケティング」の現状を一瞥したあと,背景効果の研究を報告された。これは,たとえばかき氷への選好が,背景に夏の光景が表示されているのと冬の光景が表示されているので大きく変わってしまうという現象だ。行動実験では効果は明白なのだが,fMRI で測定された脳活動では,集団レベルで明確な差異が見出せない。それに対する神経科学者の春野先生の指摘や,星野さんを交えた議論が面白かった。

最後はぼくが,新車の売上予測を消費者に行なわせた実験を報告。2001年に行なった実験で,長らくお蔵入りしていたが,今回潜在クラス・ロジットを適用して再分析した。ちょうどこの時間,行動ファイナンス(この学会の最大勢力?)の発表がなかったせいか,ファイナンス系の研究者が比較的多く参加し,貴重なコメントをいくつかいただいた。その1つは,予測の当たり外れだけでなく,どちらに外れたかも重要だというもの。

実際の株価予想とか予測市場における選挙予測について,個人レベルのデータを分析したらどうか,という提案もいただく。マーケティングの学会で得られるコメントと少し違い,新鮮である。そうしたデータが手に入ればぜひやってみたい。今回,行動ファイナンスあるいは行動経済学の研究者とそう多く話すことはできなかったが,伝統的な経済学より接点が多いのは確かだ。この学会に加入すべきかどうか,非常に悩んでいる。

いずれにしろ,学会に追われ続けた日々がようやく終了。あと大きなイベントは,イブの前日,筑波大で行なう集中講義だ。それ以外にも,これまで後回しにしてきたアレやコレや。

ジャーナルからマスメディアへ!

2009-12-11 00:31:53 | Weblog
Journal of Consumer Research 最新号のお知らせがメールで送られてきた。それを見て驚いたのが,それぞれの論文についてメディアでの書評へのリンクが張られていることだ。これはおそらく,今回から始まった試みではないだろうか。たとえば,この号の巻頭論文 E. B. Andrade & T. H. Ho, Gaming Emotions in Social Interactions には,以下の書評がリンクされている:

The Wall Street Journal
Does It Pay to Be an Angry Customer?

CBC News
Consumer Anger Can Be a Powerful Negotiating Tool: Marketing Study

United Press International
Consumer Anger Can Pay Off, or Backfire

The Consumerist
They Wouldn't Like You When They're Angry - Or Would They?

AOL Canada
Consumer anger can be a powerful negotiating tool: marketing study

Innovations Report (Germany)
Consumer anger pays off: Strategic displays may aid negotiations

EurekAlert
Consumer anger pays off: Strategic displays may aid negotiations

次の論文,S. Frederick et al., Opportunity Cost Neglect には書評のリンクは2つだが,そのうち1つは The New York Times である(詳しくはこのページを)。

ところで,最新号の論文なのに,なぜすでにメディアに書評が出ているのか?編集部が事前に各メディアに原稿を送付し,書評を書くよう働きかけているにちがいない。学術雑誌がそこまでやるとは!こうしたことは,欧米ではそう珍しくはないのだろうか。日本のマーケティングや消費者行動の学会も,本来ならメディアに研究が取り上げられるように努力すべきなのかもしれない(誰に向かっていっているんだ?)。

もちろん,ここで当然突っ込みが入る。メディアが取り上げるべき研究があるのか?と。これこそ,我が身に突きつけるべき問いだろう。メディアが取り上げるには「この研究では○○がわかった」という明確なメッセージがあり,それが一般の人々にとって面白く,驚きである必要がある。「消費者の新製品の採用と会話ネットワークが織りなす相互作用を記述するモデルを構成した」という答では全然ダメなのだ。

メディアまでいかなくても,初めて会うビジネスパーソンに,何を研究しているのかを一言で説明でき,それに対して相手が「ほーそりゃ面白い」とお世辞抜きに反応するかどうか。あるいはまた,多少は関連するが少し距離のある分野の研究者が「ほーそりゃ面白い」というかどうか。このことをもっと強く意識して研究テーマを設定すべきなのだ。いま自分が進めている研究のほとんどは,この基準を満たしていない。

掲載した論文をマスメディアに批評させる Journal of Consumer Research の戦略は,消費者行動研究を開かれたものにし,社会にインパクトを与える研究を促進させる効果があると思う。目指せジャーナル&マスメディア!

統計分析を使う英語論文を書く人へ

2009-12-09 15:07:22 | Weblog
『統計解析の英語表現』・・・これほど一般の人々には全く無縁で,しかし必要な人にとってはビンゴな本はないであろう。そうした人は思った以上に多いかもしれない。この本は「医学統計学シリーズ」の1冊だ。医学や薬学の論文では統計分析が頻繁に利用されるが,統計学の専門家ではないから英語で書くとき悩むことがある。そこで,こうした本へのニーズが生まれた,ということだろう。

だが,それだけではない。この本は,統計分析を伴う英語の論文を書かねばならない,さまざまな分野の研究者の参考になりそうだ。そこには,実験やフィールド調査に基づき消費者研究をしている人々も含まれる。ほとんどの本屋に置いていない本だと思うので,ぜひ,下のリンクからアマゾンに発注していただきたい。そうしますと,私にわずかながら,アフィリエイトフィーが入りますので(^o^)

統計解析の英語表現―学会発表、論文作成に向けて (医学統計学シリーズ)
丹後 俊郎,タエコ ベック
朝倉書店

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iPhone が実現するマッドな世界

2009-12-08 09:03:20 | Weblog
『iPhone 情報整理術』というタイトルから,よくありそうな実用書に見える。しかし,この本は発売後すぐ店頭から姿を消すほど売れ,その後も書店のビジネス書コーナーで売上上位ランキングに入り続けている。iPhone のユーザが買うだけでそこまでいくのか,やや疑問に思える。それよりはむしろ,この本が提案するクラウド・オフィスやライフハックのノウハウがクチコミで広がり,多くの人々が興味を感じたのではないか。

iPhone情報整理術 ~あなたを情報’’強者’’に変える57の活用法!
(デジタル仕事術シリーズ)


堀 正岳, 佐々木 正悟

技術評論社


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著者はまず,あらゆる情報を iPhone に入れてしまうことを提案する。電子ファイルはもちろん,もともと紙媒体であっても,すべて電子化して保存する。名刺をスキャンするなんてレベルでは終わらない。本でさえバラバラに解体して,ScanSnapで pdf 化して読み込めという。引き出しや本棚を撮影して iPhone に保存しておくと,いろいろ便利だという。なお,iPhone の記憶容量には限界があるので,ネットワークストレージを活用する。

ビジネスパーソンが iPhone を活用するいう意味では,スケジュールやタスクを管理するためのツールが見逃せない。iPhone と PC あるいはウェブ上のアプリを同期させるさまざまな方法が紹介されるが,逆にどれがいいのか迷ってしまう。それに比べて手を出しやすそうなのは,いくつもの PW を統一的に管理できる 1Password あたりだろう。ネット上でバックアップをとっておけば,iPhone を紛失しても問題はない。

iPhone らしさという意味では,この本の最終章で取り上げられているライフハック用ツールもまた面白い。その筆頭が White Noise という,さまざまな雑音を出すだけのアプリである。これは仕事に集中するのに役立つという。睡眠時間や体重を記録していくアプリは理解可能な範囲内だが,Daytum はそれを超える。日常の諸事を記録したいという欲望から,ブログや twitter を書いている。ハマる可能性は大いにある。

iPhone がもたらす変化は,単なる仕事の情報化や効率化にとどまらないことを本書は語る。この本を買った人々の多くは,過激な「革命運動」に自ら身を投じないまでも,沿道で声援を送りたいと思う人々ではないだろうか。それとも,この本が奨めるよい意味でのマッドな仕事と生活のスタイルを,日本のビジネスパーソンたちは採用し始めるのだろうか?そうなると本当に革命が起きる。そのとき,ぼくはどの陣営にいるだろうか?

JIMS@電通ホール(汐留)

2009-12-06 17:59:58 | Weblog
昨年に引き続き,日本マーケティング・サイエンス学会(JIMS)は汐留の電通ホールで開かれた。今回の特別テーマセッションは「社会的相互依存とイノベーションの普及」。全部で7件の研究が,パネルディスカッション形式で報告される。ぼく自身も共同研究「新製品普及プロセスにおけるクチコミ伝播と選好形成の動的相互作用」を発表した。これは,昨年度2回にわたり調査した,ある企業での iPhone に関する会話ネットワークと採用状況を,エージェントベースモデル(ABM)で再現しようとしたもの。

ディスカッションで,堀先生から投げかけられた「実務的な含意は?」という直球のコメントがずしりと響く。いや,それは今後の課題だが,こんなことがわかった,と返答できればまだよかったのだが・・・。現段階では,データにあてはめ,得られたパラメタでモデルの振る舞いを少し調べただけである。片平先生から懇親会で「面白いような面白くないような研究だね」というコメントをいただく。ぼくとしては,このことばをポジティブに受け取ることにする。つまり,今後頑張ればもっと面白くできる,と。

同じセッションで報告された,中山雄治,小澤純「人工市場を用いたネットワーク外部性とサービス普及の分析」や,自分の部会で報告いただいた,北中英明他「消費者の広告想起とブランド購買意図の形成における消費者間相互作用の影響について」を加えると,計3件のABMを用いた研究が報告されたことになる。これは,過去最大かもしれない。ぼくが聴いた範囲で,MCMC を用いた研究は3件であったから,ABM はマーケティング・サイエンスの方法論として定着してきたのか・・・。

いや,それはいいすぎだろう。この学会の中核的な人々からほとんど質問もコメントも出なかったことが,ABM に対する評価を象徴している。ABM が新たな手法として認知されるためには,もっとインパクトのある研究が出てこないとダメだ。それには,データに当てはめるだけでなく,こうした手法でしか説明できない現象を提示する必要がある。その点で,データから明確な規則性を見いだすことから出発する経済物理学のやり方から学ぶことは多い。よくいわれるように,まずチコ・ブラーエが必要なのだ。

それとともに,物理学者がよく行う平均場近似のような数理解析をきちんと行うことや,最尤法やMCMC,あるいはデータ同化のような既存の統計的手法をできる限り活用する努力も必要だ。前者はさすがにぼくの手に余るが,後者は少しぐらいならできるはずだ。いずれにしろ,数理や統計に強い研究者が共同研究を申し出てくれるぐらい「面白そうな,そして実際にも面白い」テーマの発掘が望まれる。それがおそらく,Toubia と Goldenberg たちの間で起きた「化学」なんだろうと思う。

昨日の夜,盛り上がりすぎたせいで今日は遅刻。阿部先生,芳賀さんの発表に続き,自分の部会の概況報告と戸谷圭子「サービス業における内部顧客(従業員)と外部顧客(顧客)の相互作用の研究」のコメント。外発的動機づけを求める従業員に権限委譲すると,かえって職務満足が下がるという交互作用が面白い。これこそ,金融業界の問題なのだと戸谷さんは指摘する。話は変わるが,このお三方に共通するソフトな語り口のプレゼンに,自分はもっと学ばなくてはならないと感じた。