Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

消費者行動のダイナミクス研究会

2009-10-29 12:52:20 | Weblog
昨日のJIMS消費者行動のダイナミクス研究部会は,エージェントベース・モデリング(ABM)を用いた発表が2件。まずは,北中さん他「消費者の広告想起と購買意図の形成における消費者間相互作用の影響について」。広告によって起きる態度変容が,消費者間のネットワークを通じて伝播し,広告効果が増幅されるプロセスをシミュレーションする。GRPや想起に関する実データを用いて,現実への接合を図っている。マス広告とウェブ広告の最適ミックスをどうするか,といったさらなる実践的な分析に期待がかかる。

次いで大堀さん他「テーマパーク問題における想起集合を考慮した来場者エージェントモデル」が発表された。従来のテーマパークのシミュレータを,来場者の選択行動をより現実的にするなどして拡張・精緻化している。そのポイントは,選択集合の形成とそのなかからの選択という2段階にしたこと。待ち時間が長くて選択肢がない場合,来場者は園内を回遊して新たな情報に接触,その結果選択集合が更新される。今後,質問紙調査を行って,実際の選択状況に近いパラメタ設定を行っていくとのこと。

いずれも,ABM を現実の意思決定に役立てていこうという,本格派の研究だ。そして,来週,中央大学@お茶の水で開かれる Complex'09 のマーケティングセッションで,この研究会を土台に組織した特別セッションで発表される。他にも,ぼく自身の独善的なサーベイを皮切りに,ABM以外にも社会ネットワーク分析や経済物理学など,さまざまな複雑系アプローチが報告される。招待講演を含め,楽しみな発表がいくつもある。

11/3 金 10:20-12:00

- Makoto Mizuno (Meiji University, Japan), Complexity in Marketing and Consumer Behavior: A Brief Review
- Yukie Sano*, Kimmo Kaski** and Misako Takayasu* (*Tokyo Institute of Technology, Japan, **Helsinki University of Technology, Finland),Statistics of Collective Human Behaviors in Blog Entries
- Yufu Kuwashima*, Tomohiro Fukuhara** (*Toyo University, Japan, **University of Tokyo, Japan), Social Network Analysis of Word of Mouth on the Internet A Case of Movies
- Isamu Okada*, Hitoshi Yamamoto** (*Soka University, Japan, **Rissho University Japan), A New Model on Consumer Behavior with Agent-based Simulation

11/3 金 14:50-16:30

- Takayuki Mizuno, Tsutomu Watanabe (Hitotsubashi University, Japan), Price Competition among E-retailers in Kakaku.com
- Kotaro Ohori, Hiroto Suzuki, Yosuke Saito, Mariko Iida, and Shingo Takahashi (Waseda University, Japan), A Visitor Agent's Decision Making Model with Evoked Set in Theme Park Simulation
- Hideaki Kitanaka*, Shirigu Kido**, Akira Suzuki and Jinya Nakamura*** (*Takushoku University, Japan, **Video Research Ltd., Goga. Inc. , The PR Effect of Consumers' Interaction and its Impact on Consumers' Brand Consideration

ところで昨日の部会後の懇親会は,社会人を含む大学院生比率が異様に高かった。それは非常にうれしいことで,自分は触媒として今後どういう役割を果たすべきか,いろいろ考えさせられた。いま(締め切りを過ぎたが)執筆中の,国内の実務家/研究者向けの啓蒙論文(タイトルは「消費者行動の複雑性を解明する:エージェントベース・モデルの可能性」)も,そこまでの道程の一里塚といえるだろう。そのうち,もっと詳しい内容を一冊の本にまとめてみたい(そこに収録すべき自分の研究が増えないとどうしようもないが)。

学生が熱心に聴く授業

2009-10-28 12:47:11 | Weblog
昨夜,経営戦略論の大家,三品和広先生の講演を聴いた。タイトルは「経営戦略は、観と経験と度胸」。「勘」でも「感」でもなく「観」であることに深い意味がある。それはビジョンではないという。ビジョンはしばしば具体的すぎて,制約的だ。それに対して観は大まかな方向を決めるだけであり,柔軟性に富む一方,数十年にわたって維持される。そうした観を持つ経営者は,そう多くないという。

非常に興味深い講演だったが,ここで書きたいことは,講演の冒頭に示された,三品先生の授業を聴く学生たちの姿である。百人以上の神戸大学経営学部2年生の学生たちが,教壇のほうを向いて座っている(それを正面から撮影している)。その写真を見せたのは,最近の大学生は昔と違い,真面目に授業に出てくることを理解させるためであった。しかし,ぼくにはそのこと自体,驚きではない。

驚いたのは,多くの学生が真剣な眼差しで聴いているだけでなく,寝ている学生が見当たらないことだ!もちろん,ぼくの授業だって,一生懸命ノートをとりながら聴いている学生はいる。ただその反面,少なくとも1割は,机に突っ伏して寝ている(その点は「昔」と変わらない)。 それが見当たらないのが,さすが神戸大学経営学部ということなのか,三品先生の授業が圧倒的に面白いのか・・・。

そのとき,脈絡なく思い出したのが,月曜の日経朝刊に出ていた,立命館の川口清史総長による「大学院充実 私大を主役に」という論文である。そこに示されていた数字によると,文科省による国立大学の大学院充実化政策の効果もあって,日本の大学院生総数の74%が国立大学に属している。一方,学部では75%の学生が私立大学で学んでおり,ほぼ真逆の関係にあるということだ。

そこから容易に想像されるのは,学部は私立で学び,院は国立へ進む学生が多いということ。立命館大学の理工系学部は1学年1,700人ほどで,40% が立命館の院に進むが,100人以上が国立大の院に進むという。文系学部は「さらに状況は深刻」とのことで,定員が未充足なので授業規模が過小になり,さらに受験者が減るという悪循環が起きている(国立大でも他人事ではないはずだが)。

「そもそも私立大学に大学院はいるのか」と自問しつつ,もちろん,そうではないというのが川口総長の主張だ。COEなどを核にしつつ,国立大とは違う特色ある大学院を作っていく,そのために国の支援もよろしく,と話は進む。革新的で有名な立命館のことだから,その先頭に立って突き進んでいるに違いない。本当に力のある大学だけが大学院を維持できる時代になっていくのだろう。

多くの(私立)大学にとって,大学院は本当に維持すべきかどうか,真剣に問われることになる。理工系学部の場合,大学院を持たないと「手足になる」院生がいなくなり,研究力低下に直結する。文系はそこまでいかないにしろ,最先端のテーマを研究し,柔軟な頭で人生で最も勉強している(はずの)院生がいないと,教員たちの研究活力が失われていくおそれがある。

そうなると,教員たちの講義内容は十年一日のごときものになり,なぜか出席に熱心な学生たちの睡眠比率が向上していくことになる。文学や哲学ならそれでよいかもしれないが(偏見?),少なくとも経営やマーケティングのような分野で,研究や実務の最先端から外れた話題ばかり講義されるようになったら・・・。三品先生の授業はそうなっていないからこそ,活気ある学生であふれているのだろう。

教員と学生たちの間で正のフィードバックが働き,盛り上がっていく大学と,負のフィードバックが働いているのではと疑わせる沈滞に包まれた大学。大学が(あるいは同じ大学内で)そのように二極化していくかもしれない。その境目がどこにあるのか,どうしてそこで起きるのかが,大学教員にとって重要な問題になってくる(それが重要だと思わない心境に立てれば,幸せに生きていける)。

ぼくはいま,大学院生を指導しなくてよい立場にある。おかげで楽になったが,楽になることで自分の成長が妨げられているとも思う(研究会等での接点はあるし,院生に限らず若手研究者と一緒に仕事をする機会がないわけではないが)。自分の最近の研究業績を振り返ると,院生や学生との共同研究がけっこうあったことに気づく。今後はそんなことを期待しないスタイルに適応するしかない。

OR は鳩山首相を救うか?

2009-10-26 07:05:11 | Weblog
周知のように,現首相である鳩山由紀夫氏は東大の計数工学科を経て,スタンフォード大学でオペレーションズ・リサーチ(OR)を学び、博士号を取得した。彼が学者から政治家へと転身したのは,OR 的な発想を政治に生かそうと思ったのか,OR に何らかの意味で失望したのか,そんなこととは関係のない,鳩山一族としての宿命だったのか。それはともかく,彼の直面する難問を,OR 的に解決できるかどうかを,素人ながら考えてみよう。

鳩山首相,あるいはその政権が抱える最大の問題は何だろう。いろいろな見方があるだろうが,ぼくにはそれは,沖縄・普天間の米軍基地移設問題であると思える。選択肢の1つの極に,公約に努力目標として掲げた国外・県外の移設の主張があり,その対極に,米国が国家間の約束を履行せよと迫る辺野古への移設受け入れがある。この両極の間に,県内移設のような妥協案が存在し得ないとしたら,これは解が2つしかない離散的選択問題になる。

鳩山首相は決定を延ばして妥協案を探る姿勢を見せつつも,流れとしては結局,日米同盟の悪化を恐れて,辺野古への移設を受け入れるタイミングを計ろうとしているように思える。それは,米国の怒りが爆発しない範囲で,連立を組む社民党がしぶしぶ受け入れる確率が1に最も近づくのはいつかという問題である。つまり,問題は離散型から連続型の最適化に変わった。ここで鳩山氏の本当の目的関数は,自身の政権の持続期間だと考えよう。

米国の姿勢が報道されるようにきわめて強固であるとしたら,米軍基地の普天間から辺野古への移設は,いつか必ず受け入れなくてはならない。しかし,そのとき社民党が,しぶしぶであれ,それを認めることはあるだろうか。その可能性はきわめて低いと思う。なぜなら,それを受け入れることで,社民党は少数だがコアな支持者たちを失うからだ。党の存続を求める限り,そのとき政権から離脱することが,社民党にとって唯一合理的な選択になる。

どのみちいつか米国に従わざるを得ず,そのとき社民党は高い確率で連立から離脱するのだとしたら,鳩山氏に選択の余地はない(優越戦略が1つだけ存在する)。彼は早晩,辺野古への基地移設を受け入れるだろう。その結果連立が崩れ,参議院で多数を失うことになる。新政権は法律を変えずに,予算措置だけで実行可能な政策しか実行できなくなる。あるいはせいぜい,いずれかの野党が個別に賛成してくれそうな法律を通すぐらいだろう。

そして来年の参院選を迎えることになる。民主党が,マニフェストを実現するために参院でも単独過半数を与えてくれといって勝利するか,あるいはこの1年間,大きな成果を挙げなかったことが失望されて敗北するか。民主党は後者を怖れて,社民党(あるいは国民新党)に気を遣ってきた。しかし,前者を目指す戦略もあり得るはずである。参院選に向けて明確な争点を打ち出し,野党を「抵抗勢力」に仕立て上げる,小泉氏に倣った戦術である。

もちろん,他のシナリオもあり得る。社民党に代わる連立相手を見つけ,参院で過半数を確保する(あと2議席あればよい)。あるいは,米国との交渉を決裂させ,日米同盟を解消する(そうなると民主党は分裂するだろう)。それとも,日本側からの妥協案に米国が譲歩するとか(ウルトラC)。結局社民党が妥協する可能性もなくはないが,その場合社民党は,事実上民主党に吸収されてしまったといえるだろう。わからない。一寸先は闇である。

いま鳩山氏の頭のなかには,ぼくごときが想像するよりはるかに複雑な(あるいは意外にも,もっと単純な)デシジョン・ツリーないし利得表が描かれ,確率や利得が付記されているのだろうか?もしそうなら,後年,情報公開の一環として,それをぜひ公開してもらいたいものだ。あるいは,そのような OR 的なるものは何もなく,全く別の図柄が描かれているのか・・・。それはそれで(いや,それならなおさら)どんなものか知りたい気がする。

新商品開発の法則

2009-10-25 15:13:21 | Weblog
船井総研のサイトで,新製品開発の法則について語るコラム(DIAMOND online に再掲載されている)。読んでみると,そのとおり!と思う部分がある反面,そういわれてもなあ・・・と思う部分もある。いずれにしろ,よい刺激を受けたので,思うところを書いてみた。

新商品開発に法則はあるのか!?

【ポイント1】ヒット商品開発成功秘話は読んでも参考にならない

その理由は,商品開発の成功に再現性がないこと,だから成功談のほとんどは後づけの説明でしかないこと,しかも数としては圧倒的に多い失敗例が考慮されていないこと(選択バイアスというやつだ)。確かにそうかもしれない。ただ,それを単純に認めると,多くの経営学の研究が意味を失う。実際,船井総研のサイトにも「ヒット商品の成功秘話」という綿々と続く連載がある! これは一体・・・。

【ポイント2】消費者の声を聞いてはいけない

著者がいうように「消費者自身がニーズを認識していない」ことが多いことには同意する。ではどうすればいいのか?自分がよいと思うものを作れば売れる,といい切れるならそれでよい(さらに,それで売れなきゃしょうがない,といい切れるなら)。やはり声なき声も含め,消費者の声に耳を傾けるのが穏当な戦略だろう。それをどうやるかがが問題で,消費者の声を聞かなければよいという問題ではない。

【ポイント3】信念のない人を責任者にしてはいけない

これももっともだが,その信念が間違っていたらどうするのだろう?変化の激しい時代にあって,優れたマネジャーは朝令暮改でなくてはならない,という「法則」をどこかで聞いたことがあるが・・・(ただ,どうせ不確実で不完全な情報のもとでの意思決定だとしたら,一貫性を持つことのほうが重要だというのは,そうかもしれない)。

【ポイント4】コストとスケジュールを最初に決める

確かに。しかし,イチャモンばかりつけるわけではないが,これはスティーブン・G・ブランク『アントレプレナーの教科書』に書かれた,悪しき「製品開発モデル」を思い起こさせる。顧客の開発を忘れて,コスト計算とスケジュールだけを厳密に追求していくやり方だ。もちろん,著者はそういうことがいいたいのではない,と思うが・・・。

アントレプレナーの教科書
スティーブン・G・ブランク
翔泳社

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ちなみに,この本をいま,ゼミで読み始めているが,なかなかよい本だと思う。ぼくが不勉強なだけかもしれないが,供給サイドの話が多くなりがちな「起業」の教科書のなかで,需要サイドを探究する重要性をここまで詳しく説いている本は珍しいのではないか。ベンチャーだけでなく,既存企業における新製品・新事業開発にも当てはまる話である。

【ポイント5】周囲の批判に惑わされない

結果として成功したプロジェクトが,実は企画段階では,周囲の猛反対に遭っていた,という話をよく聞く(たとえばプリウスがそうだ)。そうだとしても,逆は必ずしも真ではないはずだ。つまり,この命題には,成功例だけ見て教訓を得てはならないという,ポイント1の批判がそのままあてはまるのではないか。

・・・などと書いてくると,現場を知り尽くした船井総研のコンサルタントに,ぼくごときが異を唱えるとは何と不遜なことかと叱られそうだ。ここでさらに,ポイント1の延長線上に「ヒット商品開発の《法則》を読んでも参考にならない」という命題を提案したりすると,皮肉がすぎるかもしれない。これは,大変刺激的な問題提起を受けて,脳内のアドレナリンが過剰に分泌されたせいだと弁解しておきたい。

ぼく自身は,「ヒット商品開発成功秘話は読んでも参考にならない」とは必ずしも思わない(だから,船井総研サイトの連載も読む価値がある!)。確かにバイアスは強い。だが,経営領域に厳密な科学的研究法を適用できない以上,「特徴的と思われる稀少事例から学ぶ」という,人間に本来備わった能力を活用せざるを得ない。それは進化を通じて獲得した能力で,一定の適応性を持つと考えている。

「進化的に獲得した」という以上,それは進化ゲーム的なシミュレーションでも「検証」できるのではないか,とさらに思ったりする。いま,テンパった状況にあるからこそ,そういう妄想に耽って,現実のストレスを解消しようとしているのかもしれないが・・・。

「茶坊主」の組織論

2009-10-22 21:08:07 | Weblog
山崎元氏が DIAMOND online でまたまた興味深い論考を披露されている:

ミスター年金・長妻厚労相の苦悩をどう解決すべきか

民主党の掲げたマニフェストの多くが厚生労働省マターであり,世論調査でも最も期待されているのが,長妻厚労相なのだが,官僚の抵抗のみならず官邸の妨害もあって大変だと山崎氏は見ている。民間企業にたとえると,
長妻氏は、敵対的買収で獲得した子会社に社長として送り込まれて経営を任されたような立場だが、親会社の役員達に意地悪をされて仕事の邪魔をされているような状態に見える。民主党として、何を実現しようとしているのかを今一度整理して徹底すべきだし、調整が必要だ。企業なら、社是や経営方針の徹底が必要だし、社長(鳩山首相)ないし、実力オーナー(小沢幹事長)が組織を引き締める必要がある。
乗り込んだ先があれこれ抵抗するのは不思議ではないが,親会社の古株役員にじゃまされるのはなぜだろう。山崎氏は,問題の中心に官房長官がいるとにらんでいる。そして「民間会社でいうと、「社長室長」あるいは「経営企画室長」あたり(何れにしても社長に寄り沿う「経営茶坊主」)が、社長の威を借りて、社内に権力をふるうような構図」だと事態を描写する。

こうした状態は,トップがリーダーシップを発揮して解決すべきことである。ところが,トップが「経営茶坊主」に取り込まれ,山崎氏の言葉を借りれば「企業で言うなら、社長が、最も重要な事業部門の意見を聞かずに、経営企画室の話だけを聞いて、来年の事業計画を決めているような状態」は,一般に広く存在するのではないだろうか。側近と重臣の対立というのは,歴史小説でもよくあるテーマである。

トップの威を借りて自分の下位にある部下を指揮することは,組織の原理として当然である。問題は,公式には上位にないはずの側近が,事業部門の幹部の上を事実上支配しようとすることである(ただし,官房長官の場合,副総理を除く閣僚よりは上位にいるらしい)。それがトップの意向に忠実で,組織のビジョンにかなっていればまだいいが,そうでない場合(それがない場合)問題が深くなる。

側近の強みは,トップに助言する機会が多いだけでなく,トップが誰に会うか,どういう情報を見るかをコントロールできる点である。そして,トップと直接会う機会が少ない幹部に「トップは実はこうお考えです」と情報操作し,「私からうまく言っておきます」と恩を売る。それは裏を返せば,私を敵に回すと,トップから信頼されませんよ,という脅しである。そうして自らの影響力を着々と高めていくわけだ。

側近が横行するのは,基本的にはトップのリーダーシップが不足しているからだろう。現代社会のように管理すべきことが過多で複雑な状況では,トップが側近を持つことは必須だが,それがトップと重要幹部の間で情報を遮断したり歪曲したりするのを防がなくてはならない。そのために,情報技術が使えないだろうか。そこで,トップも幹部も twitter でつぶやき合う・・・とまではいかないまでも。

やっぱりそういうことじゃなくて,トップが人を見る目をちゃんと持っているかどうかじゃないか,などと結論は平凡なところに落ち着きそうだ。それにしても,君主-側近-重臣の不幸なトライアッドは大昔から繰り返されてきたはず。組織論では,どう扱われているのか興味がある。その意味で,上杉隆氏の『官邸崩壊』は,実は普遍的な組織論のための,有力な事例研究書なのかもしれない。

官邸崩壊 安倍政権迷走の一年
上杉 隆
新潮社

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輝ける未来を夢見ていた

2009-10-19 08:14:06 | Weblog
ぼくにとって未来を考える原点は,子どもの頃読んだ絵本や図鑑にある。人々は道路にとらわれず,空飛ぶ乗り物に乗って移動する。人間っぽいロボットがさまざまな場面で人間を助けている。街全体が大きな透明のドームに覆われ,空調が管理される・・・このあたりのイメージは,「スターウォーズ」などの SF 映画に引き継がれている(ということは,欧米でも同じような絵本や図鑑があったに違いない)。しかし,昭和30年代の想像力はそんなレベルで終わらない。

150km の高さの宇宙タワー
人工太陽のおかげで夜のない生活
海底へもつながる高速道路
高山の山頂まで駆け上る新式モノレール
スイスの山を突き抜けるアルプス超特急
・・・

しかも,それぞれの絵に,この技術が現在研究中である,と(当時)書き添えられている点がすごい(昭和30年代に研究中なら,もうすでに結果がわかっているはずだが・・・)。

紹介が遅れたが,これらの世界は以下の本で堪能できる。ざっと見たところ,この本に収録されている未来予想図は,昭和40年代前半が最後になっている。こうした想像は,昭和45年(1970年)の大阪万博を期に終わってしまったのだろうか・・・。万博で夢見た「未来」が実現したから,というのは安易すぎる説明だろうか。もちろん,その前後に生じた大きな環境破壊や資源の枯渇を危惧させる事件が,人々のマインドを変えた,というのが常識的な説明だろうけど。

昭和少年SF大図鑑 (らんぷの本)
堀江 あき子
河出書房新社

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当時,少年少女であった人々には懐かしい「光景」だが,いまの少年少女にとってどう感じられるだろうか?「ブレードランナー」以降(かどうか,よく知らないが)暗いディスユートピアが中心になったかのような SF の世界を生きてきた彼らにとって,とんだお笑いぐさかもしれない。万博以前にあった,テクノロジーに対する盲目的礼賛の世界に戻れないことはわかっている。ただ,夢を描き,夢を売る,ってことを考えるとき,ぼく自身にはここが原点なのだ。

早く,未来についてゆっくり思いを馳せる日が来ないかと思う(ただ,そうなったとき自分には,残された未来はほとんどないかもしれないが・・・)。

10年後に「広告」はない?

2009-10-18 12:04:34 | Weblog
『広告』という雑誌を久しぶりに買った。「10年後、私たちの未来はどうなる?」というタイトルに惹かれたからだ。「2020年の未来ビジョン』という特集では,15のビジョンが紹介される。経済誌には出てこないようなユニークな視点が多い。「ラーメンの進化論」もある。「薬膳麻辣つけ麺」が2020年らしいラーメンだという。三浦展氏はネット×市(バザール)=2020年の買物だという。10年後というのはそう遠くない未来なので,何か画期的なことをいうのが難しい。いまとそんなに変わらない,という予測がもっと的中率が高いかもしれない。

広告 2009年 11月号 [雑誌]

博報堂

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気になるのは10年後の広告だ。有名なクリエイターと並んで,デーブ・スペクター氏が鋭い発言をしている。彼は10年後の広告について聞かれて,「うーん・・・・・・もしかすると『広告』なんて雑誌もないかもしれないしねえ(笑)。だいたいその広告が入らないから、いまテレビは困っている」と答えている。まあ,どんな時代でも面白い広告を作る,ということしか答えはないだろう。ジャーナリストの佐々木俊直氏が,CRM の C を Customer から Consumer に変えることを提案しているのが気になった。組織化された顧客だけでなくすべての消費者をターゲットにせよ,と。

こういう時代だからこそ,未来について考えようという姿勢はすばらしい。ぼくは「未来」ということばが表題にある本は,できる限り買うことにしている。未来を予測したいということもあるが,むしろ予測するという行為に興味があるのかもしれない。いま進行中(=保留中)の研究は,確かにそこに結びついている(かなりの迂回を伴うが)。それにしても,これだけ美しい写真やイラストに溢れたこの雑誌が690円というのは,ムチャクチャお買い得だ。
 

マーケティングサイエンスの定番

2009-10-15 23:49:52 | Weblog
最近あまりに時間がなく,ブログの更新をさぼっていた(twitter ではつぶやいていたが・・・)。その間,いろいろなことがあったが,特に東北大学の distinguished professor である照井先生からいただいた本の紹介を,これ以上遅らせるわけにはいかない。なぜなら,マーケティングサイエンス関係者にとって,これは大きなニュースだからだ。

これは照井先生とその教え子たちによる,マーケティングサイエンスを統計モデルの視点から概説した教科書である。いや,もっとわかりやすくいえば,この200ページにも満たないコンパクトなサイズの書物に,マーケティングサイエンスの「定番」といえるモデルが,基本的な公式が省略されることなく凝縮された,奇跡の入門書と呼べるかもしれない。

マーケティングサイエンス学会の会員はすぐにこの本を買い求め(もちろんぼくもその予定であった!),自分の知識に漏れがないか,チェックすべきだろう。R の使い方など,必ず新しい知識に出会うだろう。さらに,マーケティングサイエンスになじみはないが,それが何であるかを最小の努力で知りたい人にとっても最適な書である。

マーケティングの統計分析 (シリーズ 統計科学のプラクティス)
照井 伸彦,伴 正隆,ウィラワン・ドニ ダハナ
朝倉書店

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これを教科書として,マーケティングサイエンスの入門講義をするという誘惑に一瞬かられたが,著者が高校数学程度という数学リテラシーを,高校1~2年の段階で受験科目から数学を外した学生たちに求めていいか,なかなか悩ましい。理工系や一部の国立文系の学生,強い学習意欲を持つ社会人にとっては問題ないだろうが・・・。

この本では,Prodegy や MCI のようなマーケティングサイエンスの定番ないし古典といえるモデルから,階層ベイズのような最新の話題まで,幅広く紹介される。「定番」というのは,長い間,数多くの文献で引用されてきたという意味だ。実務でもかなり普及した手法なのかを問うと,なかなか厳しい現実を想起せざるを得なくなる。

ぼくは,これらのモデルのいくつかを実際に実務で適用した経験をもつ。それがそれ以上発展しなかったのは,自分が非力だったからとはいえ,モデルに何らかの制約があることも確かだろう。たとえば企業が自分が競争すべき市場を規定するのに,遷移確率や価格の交差弾力性は,本当に使える情報を与えてくれるだろうか・・・。

マーケティングサイエンスに関して,これまでの定番や古典に敬意を払いつつも,本当にいま現場で使えるものは何かを考えていかなくてはならない・・・ という思いがより深くなった。

Kamenometrics: Another Statistics?

2009-10-12 16:13:37 | Weblog
前回のエントリと混同しやすいが,今度は KameNOMICS ではなく KamenoMETRICS,すなわち亀井流計量学を紹介する。亀の子算と話と違うのでご注意を。これも前回取り上げた,亀井氏と御手洗氏の対談でのあまりに有名になったエピソードに基づいている。
亀井静香金融・郵政担当相は5日、東京都内で行われた講演会で、「日本で家族間の殺人事件が増えているのは、(大企業が)日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ」と述べ、日本経団連の御手洗冨士夫会長に「そのことに責任を感じなさい」と言ったというエピソードを紹介した。御手洗会長は「私どもの責任ですか」と答えたという。
別の記事によれば,亀井氏はさらに「これはね、風がふけば桶屋がもうかるみたいな、その程度の因果関係じゃないよ。もっと強いから」と語ったという。

最初に確認しておきたいのは,そもそも日本で最近,家族間殺人が増えているかどうかである。警察庁の「平成21年上半期の犯罪情勢」に掲載されたデータを見ると(大西宏氏のブログで知る),親族間の雑人検挙数はここ 7~8 年,特に増える傾向にはないが,全殺人における比率にすると,2004 年あたりから増加傾向にあることがわかる。したがって比率で判断する限り。亀井氏の議論は事実を無視したものではないといえる。

では,親族間殺人が増加した時期に(あるいはそれに少し先行して)経団連に代表される日本企業が「日本的経営」を放棄したといえるだろうか。簡単化のため日本的経営を長期雇用の維持だと定義したとしても,そうした仕組みが各企業のなかでいつ変わったかを同定することはそう簡単ではない。しかし,亀井氏は日本的経営が放棄された背景に小泉改革を見ているはずなので,小泉政権の在任期間との関係を見ることにしよう。

小泉政権は 2001 年 4 月から 2006 年 9 月まで続いた。その半ばに親族間殺人の比率が増え始めたが,竹中平蔵氏なら,このデータから別の結論を導くかもしれない。この時期殺人件数自体は減少しており,むしろ社会の治安はよくなっている。一方,親族間殺人には個別の家庭事情が深く関係しており,社会の変化の影響を受けにくいので,その比率が増えただけだと。そのどちらが正しいか,統計学的に決着させることは容易でない。

そもそも,10 時点もない2つの時系列データから因果関係を推論することなど,できる相談ではない。では,亀井氏はどうしてあそこまで「因果関係」に自信を持つことができるのだろうか。彼の発言には,地元選挙区の支援者から聞いたという話がよく出てくる。それ以外にも,元の職場である警察からの情報や,噂される(あくまで噂でしかない!)アングラ経済とのつながりから得られる現場情報もあるかもしれない。

これは,数字だけ見てレトリックを組み立てる学者にありがちなやり方とは全然ちがう。マーケターとしては,おおいに見習うべきだといえるだろう。つまり,現場の声をナマで聞き,一方で客観的な数字と矛盾しないかを確認する。それが揃うと,確信が持てる。これは,現場の聞き込みと科学捜査を併用する,現代的な警察捜査とも一致する。現場感覚と数値による確認(検定ではない)。これが Kamenometrics の核心なのだ。

なお,以上の「論考」はすべて二次資料と想像に基づいており,その意味で上で述べた Kamenometrics の精神からみると,トンデモないものであることを申し添えておきたい。
ちなみに,上で引用した,御手洗会長が「私どもの責任ですか」と答えたというシチュエーション,どんな口調でどんな表情だったのか,興味がある・・・。


Kamenomics: Alternative Economics?

2009-10-10 23:55:00 | Weblog
Kamenomics とは,2009年に発足した鳩山民主党政権において金融・郵政改革担当大臣となった,亀井静香氏の政策を支える「経済理論」であり,市場や企業活動への規制・介入や積極的な財政支出を提言する点を特徴とする。その意味で,伝統的なケインジアン,あるいは修正資本主義的な政策思想につながるものと考えられる。それは,市場メカニズムを信頼する新古典派経済学から見ると誤った考え方だが,違う前提に立つ経済理論から見れば違う評価になるかもしれない。

■ 批判の嵐
亀井静香氏が,中小企業に対する民間金融機関の融資の返済を猶予させる法案について大臣就任の記者会見で語ったのが9月15日。そのとき,多くの経済の専門家たちの反応は,そんなことをしたらムチャクチャなことになる,というものだった。9月27日「サンデープロジェクト」に登場した亀井氏は,民主党ブレーンといわれる榊原英資氏を含めた専門家たちから猛烈な批判を浴びる。ただし,司会の田原総一郎氏によれば,このとき視聴者から亀井氏を支持する電話が殺到したという。

■「陰謀」説
その翌日,外資系投資銀行に勤務し,投資に関する著書もある藤沢数希氏のブログ(金融日記)に「みんな亀井静香を甘く見ない方がいい」という記事が発表された。それによれば,実は社会主義者である亀井氏は,日本の銀行業界が危機的状態に陥ることを承知で,この政策を実行しようとしているという。つまり,亀井氏の本当の狙いは,日本のメガバンク全体を郵政とともに国営化し,支配下に置くことだと(なお,このブログには「全部ネタ」と断り書きが入っている)。

■ゲーム論的分析
一方,この政策は心配されているほどの危機を起こすことはないだろう,という意見も現れる。会計士の磯崎哲也氏は,ゲーム理論を援用しながら,「 亀井大臣の「モラトリアム」は実はあんまり使われないんじゃないか?」と述べる。返済猶予を申し出ることで,今後,金融機関や取引業者からの信用が低下する。したがって,この制度に応募する中小企業はそう多くなく,懸念されているような危機は生じないが,本来期待されている効果もない,と磯崎氏は見ている。

■落としどころ
経済評論家の山崎元氏は,9/30 に書かれた「亀井・藤井・福島3大臣の 気になる『マーケット感覚』」という記事のなかで,返済猶予の具体的な中身が,国による債務保証のようなかたちになると予測している(最近のニュースでは,そういう方向で政府原案がまとめらているようで,山崎氏の読みの鋭さに感心させられる)。したがって,金融業界が危機に陥ることはないが,「本来リスクのある貸出案件に対して公的な低利の金融を大量に付けることになる」と批判する。

■前政権との継続性
概して批判が多い亀井氏の政策だが,最近ロイターに「焦点:亀井発言、中小金融専門家は一定の理解」という記事が載った。実は昨年,麻生内閣は中小企業向け融資の政府保証を行なう政策を実施しており,年末にその返済が迫っているが,特に零細企業に返済能力が回復していない企業が多いという。その意味で,現在考えられている返済猶予策は,前政権が行なった政策を継続・強化するものといえなくもない。もちろん,だから安心だ,よい政策だ,という話にはならない。

■ミクロ的基礎
こうみてくると,Kamenomics とは結局,長い間自民党政権の根幹にあった,家父長的温情主義の政策思想そのものではないかと思えてくる。何か独自の部分があるかを考える上でヒントになるかもしれないのが,亀井氏と経団連の御手洗会長との会話である(もちろん亀井氏が一方的に公開した内容だが)次の記事だ:
・・・亀井担当相は、御手洗会長に「(従業員や下請けのために)内部留保を出せ」と迫ったという。
「あなたたちは、下請け・孫請けや従業員のポケットに入る金まで、内部留保でしこたま溜めているじゃないか。昔の経営者は、景気のいいときに儲けた金は、悪くなったら出していたんだよ」
そう亀井担当相が話すと、御手洗会長は「亀井さん、やり方がわかりません」と答えたという。それに対して、亀井担当相は「オレが教えてやる」と応じたのだそうだ。
亀井氏の主張が,企業収益の分配に裁量権を持つ経営者は何らかの「社会的責任」も目的関数に入れて意思決定しろ,といっているとしたら,それは新古典派的企業モデルとは異なるが,新たな企業モデルとしてあり得なくはない。御手洗氏他,多くの経営者もまた社会的責任について考えてはいるが,従業員の雇用のためにも企業の成長が必要だとして,そのために投資やリストラをより優先している。とすれば,こうしたモデルの違いは,企業の多目的効用関数における相対的なウェイトの違いに集約される。

あるいは,企業の意思決定を経営者や従業員といった異なる主体間の交渉ゲームと考えた青木昌彦氏のモデルに,下請企業や非正規労働者,あるいはもっと広範な「社会」との交渉を加えるという拡張が考えられる。しかし,そもそも企業の外部にある主体と何を交渉するのか,なぜそうしなくてはならないかは,そう簡単な話ではない。Kamenomics がそこまで視野に入れた発展を見せるなら,未来への約束でオバマ氏がノーベル平和賞を受賞したのと同様の賞賛を受けても不思議ではない。

素晴らしき Kamenomics !! それは今後,どこに向かうのか? それとも,それは本当に存在し得るのかを問うべきか。 

現代の企業―ゲームの理論から見た法と経済 (岩波モダンクラシックス)
青木 昌彦
岩波書店

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ハーバード大学医学部教授の仕事術

2009-10-08 10:57:02 | Weblog
島岡要氏は現在ハーバード大学医学部の准教授で,専門は「細胞接着と炎症」とのこと。大阪大学医学部を卒業後,10年間は阪大病院で臨床医を経験されたあと,ハーバードへ留学されたという。いうまでもなく,日本の大学にいれば終身雇用で安全な人生を送れたはず。しかし,激しい競争のなかに身を置かざるを得ない米国の大学,しかもその最高峰への転出をあえて選ばれたのである。

その島岡氏が『やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論』という本を出版された。本屋の平積みに出くわしたとき,帯に梅田望夫氏の推薦文があるのを見て,思わず買ってしまった。やはりこうした推奨は効く・・・。でないと『実験医学』という,自分にはあまりに縁遠い専門誌に連載されていたエッセイに,注意を向けることなど全くなかっただろう。

で,その読後の感想は,あまりにもありきたりの表現だが「この本をもっと早く・・・少なくとも研究者という職業を選ぼうとした段階で読むことができれば・・・」というものだ。しかしながら,「いや,中年研究者がこれからでも役立てられそうなノウハウ,あるいは少なくとも励ましを十分得た」とも付け加えたい。研究者,あるいは何らか知的生産に関わる広範な人々に役立つ本だ。

というのは,島岡氏は医学の研究者でありながら,ビジネス書や自己啓発系の本を洋書・和書を問わず多数読み込んでいて,そのエッセンスをたかだか170ページほどの本に,非常にわかりやすい形でおさめているからである。もしかすると,元の本以上に,論理的にまとめられているかもしれない。だから,これまで自己啓発本が嫌いだった人も,数時間この本に時間を割くことを薦めたい。

最も普遍性があるように感じるのが2章の strengths-based approach の部分で,今後(特に難関企業を目指して)就活を行なう学生たちにも参考になるだろう。弱みをどうにかするより強みを伸ばせ,とはよくいわれることだが,なぜそうなのかが納得できる。「好き」より「得意」にこだわれという教訓は,自分にとって厳しい点もあるが,最終的に見て幸福になれる戦略である。

研究者にとってすぐに役立つのが,プレゼンに関する章である。最初に「スモールトーク」を,そしてすぐ「テイクホームメッセージ」を出すというステップは,日本ではあまり見かけないものだ(最初に謝罪,というのはよくあるが・・・)。これは,早速試してみようと思う(詳しいことはぜひ本書を読んで検討されたい。これ以外にも役立つノウハウが多く,決して損はしない)。

ぼく自身の授業(クリエイティブ・マーケティング)にとっては,最終章の「創造性とは」が最も深く関連する。この章のページ数が少ないのが唯一残念なところだが,multiple independent discovery (multiples) や Robert K. Merton の研究を知ったことはありがたかった。今後,このあたりを補う続編が出ることを期待するとともに,そこは自分で埋めていかなくては,という気にもなった。

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論
島岡 要
羊土社

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twitter marketing

2009-10-07 08:54:37 | Weblog
このところ,twitter の閲覧回数が増えつつある。自分の「つぶやき」も増えた。ブログに twitter ウィジェットを貼った。フォローする対象は慎重に増やしつつある。あまり多くすると,特に投稿頻度が極端に多い人を含む場合,あっという間にタイムラインがいっぱいになってしまう。また,親しい友人とのコミュニケーションをメインで使われている方を部外者がフォローしても,得られる情報は少ない。

そのあたり,マナーも含めてわかりやすく解説しているのが以下の本だ。twitter のマーケティングでの利用についても解説されている。これまで twitter にノータッチの人はもちろん,ぼくのように少し使い始めた人にとっても役に立つ:

仕事で使える!「Twitter」超入門 (青春新書INTELLIGENCE 250)
小川 浩
青春出版社

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なお,twitter が現実のマーケティングでいかに利用されているかについては,CGMマーケティング社のサイトに美しい資料がある:

Twitter日本語PC版媒体資料2009.07-2009.09

この情報は,tsukunepapaさん経由で知りました。御礼申し上げます。

そうそう,以下の雑誌でも twitter の使い方が特集されているが,社会ネットワーク分析の第一人者,安田雪先生の体験的コラムが載っている:

Mac People (マックピープル) 2009年 11月号 [雑誌]

アスキー・メディアワークス

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政権交代が元気につながるか

2009-10-05 17:11:29 | Weblog
鳩山新政権はいまのところ「ムダな支出を減らす」ことに専念しているようにみえる。そのことは必要なことだし,千載一隅のチャンスだと思うが,それだけでは景気はよくならないし,夢もない。『経済界』という「渋い」雑誌で,経営者と並んで以下のような有名な経済学者が新政権に意見を述べている。

島田晴雄「理想と現実のタイムラグは経済を破綻に導く」
野口悠紀雄「著しく人材の質が低下した日本は教育こそ最重要課題」
八代尚宏「農業、医療、介護、労働市場の改革で成長軌道を描く」

「日本の国家ビジョン」というテーマなので,それぞれ大所高所からの提言が並ぶ。小泉内閣のブレーンでもあった島田,八代両氏はともに「健康」等々の新市場の成長性を説く。ただ,島田氏の注目する公務員の削減や八代氏の主張する労働市場改革を実行することは,民主党にはハードルが高いかもしれない。

野口悠紀雄氏は「最大の問題点は日本人の質が著しく低下していることにある」という。その証拠の一つとして提示されるのが,スタンフォード大学への留学生で,日本人の比率が低下していることだ(中・韓からは増加している)。ふーむ・・・ 野口先生の「超勉強法」を読むだけではダメなんだ・・・。

いずれにしろ,民主党のマクロ経済政策は,所得再分配による内需拡大一本槍で,成長戦略が欠けているという批判がある。一方,産業政策などよけいなことだ,という見解もある。この点で興味深いのが,後述の小野善康氏の議論である。小野氏は既存の学派分類に収まらない,個性的な理論経済学者である。

経済界 2009年 10/6号 [雑誌]

経済界

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小野善康氏と「派遣村」で有名になった湯浅誠氏の対談が『サイト』最新号に載っている。「ね!政権交代っておもしろい」という特集だが,「面白い」という基準を持ち出すことを面白く感じない人もいるだろうけど,ぼくはいいと思う。ただ,この対談はあまり面白いものにはなっていない。

SIGHT (サイト) 2009年 11月号 [雑誌]

ロッキング・オン

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小野氏の議論はありきたりの「通説」とは違うので,対談という形式では,その論理はきちんと伝わらない。その点で,やはり現在発売中の『現代思想』「政権交代」特集号に載った,小野氏の「新政権の経済政策を考える」という論文がおすすめである。コンパクトに,わかりやすく書かれている。

現代思想2009年10月号 特集=政権交代 私たちは何を選択したのか
吉本 隆明,姜 尚中,森 達也,雨宮 処凛,小野 善康,小森 陽一
青土社

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小野氏によれば,民主党がマニフェストで掲げる子ども手当にしろ農家の所得補償にしろ,国民の間の所得の移転であって,移転先の消費性向が相対的に高いのでない限り,景気を押し上げる効果はない。単に再配分するのではなく,市場を創出するような財政支出をすべきだ,というのがその主な主張である。

その点で評価すべきは,鳩山首相が国際公約とした,厳しい環境規制だという。それが家計にとって大きな負担増になるという議論に,小野氏はその分環境ビジネスに関わる家計の所得増になると反論している。そこに財政を投入する,というのは日本版グリーンディールに近い考えだと思われる。

週刊誌でもテレビでも,民主党政権対官僚の戦い,といった点にのみ関心が集中しているようだ。確かにそれは物語として面白い。だがもっと面白いこと,元気が出る話は,ムダの排除以上に,今後何を作り出すかだろう。再分配だけしてあとは市場に任せる,というのは一種の市場主義ともいえる。