Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

最先端の「構造推定」について学ぶ

2014-08-30 10:59:11 | Weblog
最近、米国のマーケティング・サイエンスで1つの大きな潮流になりつつあるのが、構造モデリング、あるいは構造推定である。その分野で国際レベルで活躍されている、ニューヨーク大学スターンスクールの石原昌和先生を、昨夜のJIMS部会にお迎えし、話を伺った。

前半は構造推定に関するチュートリアル、後半は石原さんの最新の研究をご紹介いただくという構成でのセミナー。120分強の時間を、熱く語っていただいた。米国で学位を取り、教鞭をとられている石原さんにとっては、初めての日本語による講義、ということであった。



構造モデリングというと、心理系の研究者がよく使う SEM (Structural Equation Modeling) を思い浮かべる人もいるだろうが、別物である。構造推定は計量経済学で発展してきた手法で、産業組織論などで活用されている。ここで重要なのが「構造」という概念である。

「構造」をどう定義するかで、何が構造推定なのかの見方が分かれると石原さんはいう。私の理解した範囲では、分析したい行動主体の目的関数を明示的に定式化し、その最適化行動として実際のふるまいを記述していることが、「構造」を持つかどうかの分岐点のようだ。

経済学における構造推定では、さらに経済主体間の均衡が仮定されるが、マーケティング分野の構造推定では必ずしもそうではない。消費者側だけモデル化し、企業行動については、シミュレーションを通じて最適戦略を提案するアプローチがけっこうあるという。

また、消費者のモデルに心理学・行動経済学などで発見されたバイアスを導入する、といった研究も、もはや珍しくないようである。そこでは主体の合理的行動を仮定しているとはいえ、限定合理性を取り入れるという柔軟さを発揮して、現実への適合性を高めている。

多くのモデルが時間を超えた意思決定、つまり動的最適化を扱っているが、それすら必須ではないようだ。古典的な選択モデルでは、一時点の意思決定を最適化行動としてモデル化している。見方によっては、そういったモデルも「構造」モデルといえるかもしれない。

今回認識したこととして、変数の内生性 (endogeneity) を扱うことと構造推定を区別しなくてはならないことだ。内生性を扱わない構造推定もあれば、構造推定以外の内生性へのアプローチもある。上述の均衡云々もしかり。このあたりを混同して議論してはいけない。

さて、構造推定と Agent-Based Modeling を比較してみよう。対極にあるように見える両者だが、主体の意思決定について「構造」を仮定する、という点では共通している。大きな違いは、主体の行動を最適化の枠組みで捉えるか、stupid, simple に捉えるかにある。

ABM の強みは主体間の相互作用を明示的に扱える点だが、構造推定の強みはデータを用いた検証にある。それぞれ得意な適用領域が違うことを踏まえつつ、両者を架橋する試みがあってもいい。もちろんそれは、双方の研究者に歓迎されないことかもしれないが(笑

組織の世代交代~夏のカープ本から

2014-08-14 11:47:13 | Weblog
研究助成を受けたプロ野球球団研究の一環として、昨夜、研究仲間と軽いワークショップを開いた。私が属するグループはファンの意識調査の結果を分析、もう1つのグループはチーム編成のダイナミクスをエージェント・モデル化している。

後者の研究で、組織文化の伝承と適応、といった話題が出てきたが、もちろんこれを測るのは難しい。ただし、選手への取材や回顧録から、そのあり方を定性的に知ることはできる。その参考になりそうな、最近出た本を紹介しておこう。

まずは、巨人を中心に長年プロ野球を取材されてきたジャーナリスト、赤坂英一氏の新著。著者は広島出身で、生粋のカープファンでもある。かつて取材中に、カープベンチから「わりゃあ、どっちの味方や」と声をかけられたとのこと。

その赤坂氏が、古葉竹識、山本浩二、大野豊、達川光男から前田健太まで、新旧の監督や選手を取材(「敵側」として川相昌弘も)。興味深い話が満載だが、そのなかで特に強調されているのが、チーム内の世代間ギャップの問題である。

チーム最年長の横山竜士とマエケンの間に存在する、意識のギャップ。それは、昔からのカープファンと、最近球場を賑わせている新しいファンとの意識の違いにも対応する。組織文化という点では、一定の断絶があることになる。

広島カープ論
赤坂英一
PHP研究所

横山竜士は、かつてカープには他球団の選手が遠巻きにするような「怖さ」があったという。高橋慶彦は、それについて語る最適任者の一人だろう。彼は『赤き哲学』と題する自著で、強い時代のカープのプロ意識について熱く語っている。

ヨシヒコは、常軌を逸した練習量でスター選手の座を獲得する。彼の目からは、現在のカープの選手は歯がゆく見える。ファンのなかには、彼にベンチ入りしてほしいという声があるが、強かった時代の組織文化の再興を願ってのことだろう。

赤き哲学
高橋慶彦
ベストセラーズ

高橋慶彦が移籍したあとのカープは徐々に優勝から遠ざかり、いつのまにかBクラスが定位置になる。栄光の時代と現在をつなぐ時代に苦闘した一人が、前田智徳だ。彼が同じ世代の石井琢朗、トレーナーの鈴木卓也と3人で鼎談している。

天才と称賛された前田が味わったアキレス腱断裂後の苦闘は、想像を絶するものだ。本人は自ら多くを語りたがらないが、トレーナーであった鈴木や最後の数年同僚になった石井との対話によって、様々なエピソードが引き出される。

過去にあらがう
前田 智徳、石井 琢朗、鈴川 卓也
ベストセラーズ

もしアキレス腱の断裂がなかったらどうなっていたと思うか、という質問への前田の回答は秀逸だ。天才打者として野球人生を終えることの代償に彼が得たものの価値が、そこからほのかに見える。もちろん、私の主観的解釈として。

壮絶な練習とプロ意識に支えられた強くて「怖い」時代があり、個人としてもチームとしても苦闘した「辛い」時代があり、若手選手を中心に新たな人気を獲得した現在がある。そこに組織として、どんな流れと断絶があるのか。

戦うための組織として、ある意味で極限化されたかたちをとるプロ野球チームの内部変化を、数十年というタイムスケールで眺めることは、他の組織のマネジメントを考えるうえでも、示唆に富んでいると思う。それに、面白い。