Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

美と脳,男と女

2009-02-28 23:29:14 | Weblog
WIRED VISION に興味深い記事:

男と女は「美」の把握が異なる:脳の研究で違いが明らかに

元になった論文をダウンロードできないかと大学図書館の電子ジャーナルのページで調べるが,無理のようだ。記事からポイントを拾うと,
1)美しい画像に対して,男性では空間の絶対的座標を把握する部位が活性化する
2)女性はそれに加え,相対的に(カテゴリカルに?)空間を把握する部位も活性化する
3)こうした性差は,人類の進化プロセスでの性役割を反映していると考えられる
ということのようだ。

最後の進化心理学的な説明がどこまで妥当かはともかく,美しいものへの選好(aesthetic preference)は空間認知のメカニズムとともに進化してきたという主張は興味深い。ただし,何を美しいと感じるかには個人差があり,脳内の同じ機能を使いながら,違うアウトプットを出しているということだ。

選好の進化に関する研究を,より純粋な(つまり他の価値に還元しにくい)レベルで行なうには,aesthetic preference というキーワードに注目する必要がある。

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MASコンペティション@KKE

2009-02-27 22:45:44 | Weblog
構造計画研究所で開かれたMASコンペティションに参加した。昨年は,学生の発表の応援のため,今年は審査員として。例年より発表数は多く,エージェントベース・シミュレーションのソフト artisoc の学術利用が順調に進んでいるようだ。また,全体のレベルが上がっているのは,9年間コンペティションが開かれてきた成果といえるだろう。発表されたモデルのコードがウェブで公開されているので,学生は一からモデルを構築しなくても,過去の研究を修正・拡張することで研究を発展させることができる。

しっかりした教科書もある:

人工社会構築指南―artisocによるマルチエージェント・シミュレーション入門 (人工社会の可能性)
山影 進
書籍工房早山

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ただ,量的・質的に発展しているのは避難行動や交通流,あるいは店舗内の買物行動といった,目に見える物理的空間での人や情報の移動を扱った研究が多い。つまり,伝統的に工学が扱う領域での応用が進む一方,純粋に社会科学的な研究が増えないどころか,減っている印象さえある。そのことは個人的には残念だが,工学系の学生たちの発表を聞いていると,確かにちゃんとやっていると認めざるを得ない。研究対象が視覚的に想像しやすく,研究目的に公共性があって共感しやすく,モデルの設定の妥当性を客観的に吟味しやすい。

今回,社会ネットワーク上の情報伝播を扱う研究が2件あった。しっかりした研究であったが,実空間系の研究と比べられるとどうしても「不利」になる。クチコミが流れるネットワークを考えるだけでも,さまざまなバリエーションがあり得る。さらに情報の送り手と受け手の行動をそれぞれどうモデル化すべきか。過去のコミュニケーション研究をレビューしても,広く承認された規則性がそうあるわけではない。また,それが見つかったとしても必ずしも実証的裏づけがないし,あっても再現性が保証されていない。

こうした限界のなかで研究を進めるには,今回発表された研究のように,抽象化されたモデルを作り,モデルの仮定と振るまいの関係を地道に理解し,それらを積み上げていくことが考えられる。これは科学としてきわめて正当なアプローチだが,大規模な非線形システム(複雑系)において,ピースミルな知識の積み上げによって全体の理解へと到る保証があるかどうか悩ましい。抽象化されたレベルで洞察に富んだ「寓話」を作る,シェリングやアクセルロッドのような方向があるが,これはセンスが重要になる。

最近ではネット上でクチコミを観測し,実データに基づきモデル化をするという,工学的にも受け入れやすいアプローチが増えつつある。そうなると,避難する地域や建物と同様,クチコミが流れる社会ネットワークは一般化されるのでなく,個別の事例として扱われるようになる。一般性が求められるのはむしろ,クチコミの受発信という個々人の行動をどうモデル化するかだ。したがって今後の関心は,ネットワークに関する物理学的な研究から,コミュニケーションに関する心理学的な研究へと向かうのではないか。

こうした流れが功を奏して,MAS コンペで再び社会科学的な研究が高い評価を受ける時代が来るだろうか。残された課題には,シミュレーション結果の効果的なビジュアライゼーションや予測以外の用途の開発,社会的意義のある適用領域の開発(この点,マーケティングはいかにも弱い)などが考えられる。別の面では,研究者の層をいかに厚くするかが大きな課題である。ファイナンスへの参入は活発だが,マーケティング研究への参入はそう多くないし,あってもすぐに退出してしまう。顧客獲得も維持も両方重要だ。

そこで『エージェントベース研究者のためのマーケティング・サイエンス(あるいは消費者行動モデリング)入門』といった本でも書くべきかもしれない。少なくとも『マーケティング研究者のためのエージェントベース・モデリング入門』よりは売れるのでは,と思う。問題は,その本に載せるべき自分の研究成果があまりに少ないことだ。ということで,まずは自分の研究,という結論になる(いつもオチが同じで,進歩がない)。実際,北中さんの本もすでにあるわけだし・・・。

複雑系マーケティング入門―マルチエージェント・シミュレーションによるマーケティング
北中 英明
共立出版

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実務家のためのリベラルアーツを目指す

2009-02-26 23:57:30 | Weblog
先日,MBF のセミナーでレヴィ・ストロースの話題が出されたとき,フロアから,実務家にとってそういう一見「役に立たない」学問こそ「役に立つ」のだという発言があった。社会人が大学に戻って学び直そうとするとき,資格や肩書きを求めている場合もあるが,そうでなく,純粋に深い知識を求めている場合が少なくない。しかも,各人固有の問題意識にしたがい,既存の学問領域に縛られず,分野横断的に。

Esquire 日本版4月号は「もう一度、学校へ行こう」という特集を組んでいる。ショルダーに「社会人よ、新しき‘リベラルアーツ’を身につけよう!」とあるが,そう,現代社会でリベラルアーツを本当に必要とし,活かすことができるのは,20歳前後の学生より,齢を重ねた社会人だ。そう思わせる日本を含む世界の事例が紹介される。ページをめくりながら,大学が社会人に提供できる価値とは何かについて考えさせられた。

Esquire (エスクァイア) 日本版 2009年 04月号 [雑誌]

エスクァイア マガジン ジャパン

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志のある社会人が求める大学とは,どこか日常性の欠落した空間で,時間がゆったり流れ,バカバカしいことに熱中する「狂った」人々が唯一活動を許される場所ではないかと思う。そんな場所だからこそ「役に立たないが役に立つ」ことを学ぶのに相応しいのである。だとすると,大学が提供できる価値の源泉は,よくできたカリキュラムでも美しい建物でもなく,そこで行われている研究そのものに内在する必要がある。

そうした研究はしたがって,リベラルアーツを志向しなくてはならない。そういうと,これまで学際的研究と称するものから何か生まれただろうかという反論が起きる。それに対して,複雑系や行動経済学がその例だと答えることもできるが,新たな学問体系が生まれることが稀であることも確かである。だから,各分野の専門家が交流し,混沌としているが刺激に満ちた知的生産のプロセスが生み出されるだけでも上出来なのだ。

そうした思いを共有する異分野の教員たちが,学生たちを巻き込みながら様々なプロジェクトを動かしていく・・・ そんな夢を描くことができる。それは学部学生を対象とした,社会人の仕事を模擬体験するキッザニア的なプロジェクトとは異なる。むしろ,社会人院生がプロの研究者の仕事に参画するプロジェクトなのである。マーケティングのような研究領域では,それは「模擬演習」のレベルを超えたより本格的なものになり得るはずだ。

マーケティング研究がリベラルアーツを名乗ることは,常識に反するように見える。しかし,それは対象領域はマーケティングに限定しながらも,方法論はありとあらゆる分野から導入し,結果として学際的色彩を持っていることに注目する必要がある。すでに経済学,心理学・認知科学,統計学,経営学,といったあたりまでは十分交流があるが,今後は,文化人類学,脳神経科学,物理学,生物学,人工知能などとの交流が深まるだろう。

それらは,旅行の土産物のように雑然と並べられるのではなく,個々の専門家の議論を通じて,最終的には,何らかのストーリーを与えられる。それは,ぼくがいま行っている,かなり離れた分野の研究者との共同研究そのものではないか。そうした研究は,対象がマーケティングや消費者行動だというだけで,すでにリベラルアーツ化しているといってよい。あとは中身が面白いかどうかという,肝心の問いが残る。
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終わりは新しい始まりだ

2009-02-25 23:43:46 | Weblog
今日は前任校を訪れいよいよ「最後の」授業に臨む。といっても,講義ではなく,学生たちに出した課題の最終発表会であった。約4時間半,11チームのプレゼンテーションには,迫力に満ちたもの,冷静かつ論理的なもの,一瞬ユニークな閃きを見せたもの,何か不幸に見舞われたとしか思えないものがあり・・・ 時間はあっという間に過ぎ去った。ご苦労様。多くの発表が,相当な時間と労苦をつぎ込んだと感じさせた。それに報いるのは,講師からの褒め言葉ではなく,これからの学生自身の人生だろう。

データをきちんと分析した上で,そこから飛躍してイノベーションを発想せよというのは,そもそも無理難題といえる。だが,その無理難題こそ,現実に求められていることだと思う。分析と発想,収束と拡散,そのサイクルが回って,さらに偶然ないし天の恵みが加わって,いいプランが生まれる。「私の発表は素晴らしかったのに,みんなバカで理解できなかった」と考える学生より,「いいポイントを突いたはずなのに,どこか間違ってしまったのは何故だろう?」と反省モードの学生により大きな未来がある。

この授業をいつもサポートしてくれた根立さんに加えて,プロジェクトメンバーの岡田さんや河合さんにもご参加いただき,貴重なコメントをいただいた。特に遠方よりお招きした強力助っ人・戸谷さん,この分野の専門家だけに,さすがプロとうならせるコメントで,この授業にずしりと重い現実感を与えてもらった。皆様に感謝。こうした授業が可能になったのは,それなりの資金援助があったからで関係者にも感謝。ただ,コスト等々の制約で,こうした試みを今後継続・発展できそうにないのは残念なことだ。

これは,自分本来の研究に立ち戻れという天の声と解すべきかもしれない。データを用いてアイデア発想を行うという「錬金術」の探求はしばらく頭の片隅に追いやる(そのほうが,いいアイデアが生まれるという研究もあるし・・・)。で,今後しばらくは「クルマ」「ロングテール」「クリエイティブ」などに注力する。
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研究者にとって正直さとは

2009-02-24 23:27:26 | Weblog
研究者とは,どれぐらい正直だろうか。研究者にとって正直であるとはどういうことで,そこにどのようなメリットがあるのだろうか。

データを捏造する,あるいはデータなど頭から無視して分析結果を捏造して研究論文を書いたらどうなるか。世のなかに衝撃を与えるような重要な研究であれば,誰かがすぐに追試を行うので嘘は大概ばれる。しかし,ほとんどの研究はそこまでいかない。特に社会科学で扱われる現象は状況依存的なので,再現性自体がさほど問われない。だから追試されることはまれである。

だったら,どんどこ嘘で固めた論文を書けばいいことになる。合理的な意思決定者なら,そうしてもおかしくない。だが,実際には意図的に捏造された論文はそう多くない。いろいろ分析したあげく,望んだ結果が得られずに論文化をあきらめる人が少なくない。そうだという明確な証拠はないが,嘘をついてまで研究業績を増やそうとする研究者はそう多くはないと推測する。

だから研究者は徳が高い,といいたいのではない。問題はそう単純ではない。たとえば回帰分析で,望ましい結果が出るまで説明変数の組を変えることがよくある。心理実験で,期待された結果が出るまで何度も繰り返すこともそうだ。うまくいった結果だけが報告されると,それが偶然によるかどうかは,捨てられた研究結果に関する情報がないと本来は正しく評価できない。

この場合,研究者は意図的に嘘をついてはいないが,結果として不確かな研究結果を報告していることになる。研究手続きをオープンにして,再試可能性を高めることができればよいが,難しいことも多い。結局,研究の報告者と聞き手の双方が,得られた結果の暫定性を強く認識するしかない。ただ懐疑的になるというより,探求を簡単には終わらせないということだ。

正直な研究者とは,データや分析結果を捏造しないというだけでなく,一見適切な手続きで行った分析でさえ,統計学で扱われる以上の偶然を含んでいることを認識している研究者である。その正直さは,研究者としての成功を保証するだろうか。短期的には,それは研究の量的生産性を低下させるかもしれないが,長期的には研究の質的生産性を高めると信じたい。
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CLを外しメガネをかける

2009-02-23 23:30:34 | Weblog
花粉がきついので,CLからメガネ中心の生活に移行しつつある。例年よりその時期は早い。あと2ヶ月,視野が狭く視力が落ちた状態で生活しなくてはならない。今日は雨が降ったので,多少ほっとする。こうしたサイクルが一生続くことになると考えると,ストレスフルだ。

昨日と今日の午前中は,「ネットワーク生態学」に出す予稿の修正作業。午後1時から5時近くまで会議・・・。そんなこんなで一日が過ぎていく。

雨が上がったので,検収の終わった MacPro を取りにいく。とても手では運べないので,「街なか」を,ガラガラ台車を押して運ぶ。研究室はますます箱だらけに。近々いくつか什器も届く予定。今週から来週にかけて何組か来客があるが,こんな部屋にお通ししていいものか・・・。春休み中に,整理整頓しないとダメだ。先送りの罪は重い。
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シングルソース20万円也

2009-02-20 23:29:57 | Weblog
WIRED VISION にこんな記事が・・・

野村総研、広告宣伝活動の影響力分析データを研究者向けに販売

おおもとをたどると,野村総研は

クロスメディアによる広告宣伝効果を「見える化」するために研究者に向けてデータ提供を開始

したそうで,単価は20万円だ。「初年度100ライセンス、2012年度には300ライセンスの提供を見込んで」いるとのこと。そのとおりいけば,初年度の売上は2千万円。大手シンクタンクの売上としては微々たるものだろうが,それ以上のさまざまな波及効果が期待されていると思われる。すでに広告会社や調査会社が先行している市場だから,ありきたりの戦略では埋没してしまう。

20万円という価格は,比較的研究費が潤沢な,理工系の研究室にとっては安い買物だ。それによって,一定のデータ解析能力を持つ多くの学生が,実データを使った卒論や学位論文に取り組むことになる。何百人かの学生が分析に参加すれば,そのなかから,マーケティングのプロが思いつかないような視点での分析が現れるかもしれない。一種のオープン・イノベーションといえる。

昨日,ゼミの新入生の顔合わせ会を開いた。集まった学生たちに研究の抱負を聞いたところ,「広告」と「統計」ということばが比較的多く出てきた。そこからいずれ,データのオープン・イノベーションに参画するような学生が出てくるとうれしい。さらにいえば,一見高度な手法でそのあたりの学者を煙に巻くタイプではなく,視点の斬新さで実務家を瞠目させるような学生が現れないかと。
 
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エスノグラフィと脳神経科学

2009-02-18 23:01:54 | Weblog
日経ビジネスONLINE に,企業でのエスノグラフィ導入の動向を紹介する記事が立て続けに掲載された。紹介されているのは,大阪ガスと花王。両社ともいかにも「理工系な」印象があるのに,定性的なアプローチの先端を走っている点が興味深い。定量的アプローチをやり尽くし,その限界に行き当たったのだろうか。あるいは,虚心に現象を観察するという方法論は,自然科学の素養を持つ人にとって受け入れやすいということか。

大阪ガス、調査手法「エスノグラフィー」をサービス改善などに活用
花王、消費者調査にエスノグラフィー手法を導入

こうした観察手法が最近ますます注目されているのは,インタビューや質問紙を通じて申告される消費者の動機や行動がどこまで正確かについて,疑問が深まっているからだろう。消費者から得られたことばは,そのままでは信用できない。だから消費の現場に行って,虚心に行動を観察すべきだというわけだ。ただし,その結果をマーケターが解釈する際に,結局ことばに頼らざるを得なくなる局面が出てくる。そこで介在する主観性や恣意性を無視するわけにはいかない。

同じ観察でも,外部に現れた行動ではなく,脳の内部を見ようとするアプローチもまた注目を浴びている。やはり日経ビジネスONLINE で,「ニューロマーケティング 話題の新手法の実力」という連載が続いている。初回は『日経ビジネス』2/2号に紹介された内容と同じ。2回目は Plassmann たちのワインの価格の知覚に関する研究を,3回目はリンストローム『買物する脳』を紹介している。いずれも最新のニュースとはいえないが,流れを概観するのには役に立つ。

ヒット商品は「脳科学」が作る
脳が語る「不況だから値下げ」の誤り
脳は「セクシー広告」がお嫌い?!

こうしたアプローチの狙いは,消費者が必ずしも意識していない,また正確に言語化できない意思決定メカニズムを解明することにある。それは,消費者が発することばに依存しない分析を目指す点で,エスノグラフィと共通している。では,やはり分析する側の解釈の恣意性はどうだろう。やはり問題がないわけではないが,適切な実験計画が立てられていれば,問題はかなり小さくなる。この点は,一般的なエスノグラフィよりも優れている点だろう。

エスノグラフィにしろニューロマーケティングにしろ,今後,現場への導入が加速しそうだが,既存の質問紙調査を完全に代替するとは思えない。過大な期待への反動は当然起きる。マーケティング用に俗化したエスノやニューロに対して,それぞれの「本家」から批判が起きるかもしれない。一方,質問紙調査の分析でも,もっと「ことばを真に受けない」工夫が必要になってくる。ぼく自身は,そこが最もチャレンジングな分野ではないかと思う。
 
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クリエイターたちのスモールワールド

2009-02-17 23:59:10 | Weblog
注文していた「スタジオ・ボイス」2005年7月号が到着した。最初に,複雑系や複雑ネットワークについていくつか啓蒙書を書いているマーク・ブキャナンへのインタビューがあり,スモールワールド・ネットワークに関する簡潔な解説が与えられる。その後,何人ものファッション・デザイナーやプロデューサー(という呼称が妥当かどうか,ぼくには自身がないが・・・)へのインタビューが続き,彼らのコラボレーションの一端が紹介されている。そして,セレブたちとの戦略的なネットワーク形成や,ロンドンにおけるクリエイティブ異種格闘技的ネットワークの話などなど。

STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2005年 07月号

インフアス・パブリケーシヨン

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スモールワールドという概念からすれば,個々のクリエイターやアーティストの周りにある比較的な小さなネットワークをたどっていくと,それぞれのネットワークがどんな予想外の広がりを見せるかが興味深い。この記事では,そこまで明示的に扱っているわけではない。それが実際にどうなっているのか,調べてみると面白そうだが,それが果たしてどこまで可能なのか,はっきりしたイメージがわかない。

いずれにしても,この文献を教えていただいた高野さんに感謝。

今夜は MBF で片平先生の講義を聴く。世阿弥『風姿花伝』からレヴィ・ストロース『野生の思考』へと話が展開する。数十年前,確かにぼくの本棚を「飾っていた」本だ。ブリコラージュ ・・・一世を風靡したこのことばが,ブランド論あるいは経営論に新しい光を当てている。「初心」に立ち返るという意味では,メルロ・ポンティなどにも立ち戻るべきかもしれない。
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泥酔と絆創膏

2009-02-16 23:23:46 | Weblog
昨日から繰り返し流される,G7の記者会見で,中川財務大臣がまるで泥酔しているように,しどろもどろに答えている映像。本人によれば,ローマで開かれた会議ゆえにランチで少々ワインを飲んだが,それが風邪薬とチャンポンになって,調子がおかしくなったという。そんなことはあるとかないとか,お医者さんを巻き込む議論が起きており,飲んべえにとっては大いに参考になりそうだ。

ぼくの経験では,時差ぼけによって,信じられないぐらい急激に眠気が襲ってくることがある。慣れない?英語での会話で疲労したこともあるかもしれない。海外に出かけるビジネスパーソンや研究者が同じような失態を繰り返さぬよう,大臣が身を以て反面教師を演じてくれたことに感謝したい。ただ,VIP であるがゆえにその姿が映像に撮られ,世界に配信されたことのインパクトは大きい。

日本の政治家や財界人が,酒席の帰りに報道陣に暴言を吐いたりするシーンは,これまで何度か報道されてきた。プロ野球1リーグ化の動きが頓挫したのも,それが一因となった。今度は世界を相手に,どういう影響を与えるだろうか。日本政府は,速やかに新宿や新橋の映像を世界に配信し,日本には酔っぱらいに寛容な文化があり,そのおかげで幸福な社会を維持してきたとアピールすべきだろう。

政治家の衝撃映像としては,一昨年,赤城農相(当時)が絆創膏を貼った顔で記者会見した出来事が思い出される。本来は事務所費問題で追求されていたはずなのに,この映像はそれを吹き飛ばし,なぜそんな顔になってしまったのかに関心が集中することになった。顔に絆創膏を貼ることは法律違反でも不道徳でもないはずだが,結果としてそれが,自民党が参院選で敗北した原因の一つにされてしまった。

顔に絆創膏を貼って職場に行った過去を持つぼくとしては,ここでも教訓を得た。たかが絆創膏とはいえ人生を変えることがある。さらには,絆創膏一つで歴史が変わることさえあるということだ。それは,北京で蝶が舞うと,回りまわってNYで嵐が起きるというカオス現象かもしれない。それはともかく,泥酔もどきの会見も絆創膏も,大きな流れから独立した,単なるノイズではないような気がする。

だから,この経済危機(石油ショック以来の大幅マイナス成長!)の時期に,くだらない話はいいからもっと政策論議を,という一見正論っぽい主張には同意できない。専門的な見地からの政策論争が重要なのは確かだが,いまも昔もそうした論争だけで政治が動いているわけではない。それと同様に,どうでもよさそうな政争や不祥事が,広義の政策選択と無関係に起きているわけではないと思うからだ。
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「人間は銭ズラ」

2009-02-15 18:59:49 | Weblog
松山ケンイチ主演のTVドラマ『銭ゲバ』。昨夜は,蒲郡風太郎がいよいよ社長に就任するところで終わった。この漫画を連載当時読んでいた記憶はあるが,内容をほとんど思い出せない。原作を読み直したいと思っていたところ,本屋に幻冬舍文庫版の『銭ゲバ』上下2巻が平積みされているのに遭遇。思わず買ってしまった。たった2巻だが,物語は超高速に進む。

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4),
ジョージ秋山,
幻冬舎


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銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5),
ジョージ秋山,
幻冬舎


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漫画が連載されていたのは1970年。大阪万博が開かれ,よど号ハイジャック事件が起き,三島由紀夫が割腹自殺した年だ。この時代,社会は煮えたぎっていた。40年近くたって,日本経済はその頃と全く逆の方向に向かっているように見える。だから,二つの時代に特に共通する点を探るより,銭ゲバのメッセージにある種の普遍性がある,と考えたほうがよい。

銭さえあれば,何でも手に入る。銭さえあれば,有名になれる。有名になれば,少々スキャンダルがあっても,大衆に支持される。手段を選ばず成功を目指す姿には,ピカレスク的魅力がある。だから女性にモテるだけでなく,男性も憧れる。70年頃の田中角栄,最近ではホリエモンがそうかもしれない。タレント出身知事の人気にも,どこか通底する部分がある気がする。

誰もが富と権力,名誉を手に入れたいと心の奥底で願っている。島耕作のように多くの美女に助けられ,偶然が何度も重なって出世するのは夢物語だ。それよりは平気で嘘をついて,ためらいもなく邪魔者を排除するほうが,まだあり得るかもしれない。そこで,それができる人物に密かに憧れつつも,実際にはそうは振る舞えない自分の怨嗟をぶつけることになる。

だから,そうした物語がハッピーエンドで終わらないのはお約束といってよい。現実社会でも「成り上がり」はしばしば失脚させられる。それが社会の自浄作用,あるいはガス抜きになっている。『銭ゲバ』の原作が秀逸なのは,蒲郡風太郎は社会によって罰せられるわけではないことだ。TVドラマ版がどのような結末を用意しているかは,これからのお楽しみである。

『銭ゲバ』の唐突な終わり方は,どういう結末を用意しても,この物語を納得する形で終わらせることができないことを示唆している。同時期に『アシュラ』を描き,さらに人間の本質を過激に追求しようとしたジョージ秋山は,その後『浮浪雲』の世界に向かう。一見真逆の方向への転回のようにみえるが,何か普遍的なものを探求している点では同じかもしれない。
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大学偏差値のグローバル化

2009-02-14 18:25:36 | Weblog
「スポーツビジネス崩壊」という記事が読みたくて週刊エコノミスト2/17号を買ったが,それより関心を惹いたのが「「大学版 PISA」上陸で大変革迫られる日本の大学」という記事であった。著者の黒木比呂史氏は,教育ジャーナリスト。で,そもそも PISA とは何かというと,OECD が世界各国の15歳を対象に実施している学習到達度調査のことである。2000年以降3年おきに実施されているが,その結果は「日本の子供たちの学力の「惨状」を白日の下にさらけ出した」と黒木氏はいう。

この記事に出ている表によれば,2006年の調査で日本の15歳の「読解力」は世界15位,「数学的リテラシー」は10位,「科学的リテラシー」は世界6位である。以前より順位が下がっているものの,「惨状」というのはいい過ぎのようにも感じる。日本の順位は,米国はもちろん英独仏にも負けていない。上位にいるのはフィンランド,香港など,比較的小さな国(地域)が多い。もちろん,ヒトという資源しかない日本が,子どもの学力で世界トップクラスを目指すことは悪いことではない。

さて,本題の大学版 PISA とは AHELO と呼ばれる,やはり OECD が企画している調査のことで,文科省は実験に参加する意向だ。この試験は日本語ではなく,英語で実施される可能性が高いという。さらに「批判的思考力」や「分析的論理付け能力」,「文章表現能力」を問う問題が出題されるため,日本の大学生の成績はかなり低くなるのではと,黒木氏は危惧する。そうだろうとぼくも思う。このテストで日本の大学生が世界の最低ランクに位置づけられても驚きはしない。

この調査が実施されれば,世界レベルで日本の大学全体に「偏差値」をつけることになる。日本で一流とされる大学でも,世界的には下流となれば,優秀な頭脳は海外(米国)へ流出すると黒木氏は予測する。ただし,昨年ノーベル賞を受賞した南部氏や下村氏のように「頭脳流出」はずっと以前からある。むしろ,特に経営分野では,海外留学したり,海外で教える学者が最近減っているという説もある。「グローバル偏差値」が発表されることで,どちらにドライブがかかるのだろうか。

高等教育では米国が圧倒的に優れている,という見方は一般的だし,ぼくも基本的には同意する。大学評価がグローバル化することで,日本の大学が「グローバル・スタンダード」を目指すことは避けられないし,望ましいことかもしれない。一方,日本の大学には日本社会に適合した文化があり,日本語による高等教育や,その裏づけとなる研究を維持することに価値があるという主張にも共感する。まさに日和見的だが,2つのベクトルの間で揺らいでるのが,正直なところだ。
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サービス(  )←空欄を埋めよ

2009-02-13 23:43:35 | Weblog
昨日は JIMS 部会に,サービス工学で活躍されている竹中さんをお招きし,エージェントベース・モデルを使ったサービス工学の実践について伺った。いずれも質問紙調査や行動履歴データを用いて,消費者行動をモデリングしようとしている。ただし,そのアプローチは,経済学やその流れを汲むマーケティング・サイエンスとはかなり趣きを異にする。竹中さんは実験心理学の出身だが,そうした分野の人間行動の捉え方は,意外にも工学と相性がよいのかもしれない。

竹中さんたちが「サービス」という語を含む文献をサーチしたところ,以前は公共サービスや医療サービスに関連するものが多かった(いまでも多い)が,その後通信やコンピュータ関連が増え,近年では健康・スポーツ,あるいは人間行動や価値,そして持続性(環境問題を含む)の関連が増え始めているという。サービスとは人間が希求する本質的価値と深く関係している。だから,価値の進化について考えるという,哲学的・思想史的なアプローチが欠かせないようだ。

もともとサービス研究は経済学や経営学,マーケティングの一部で行われてきたが,工学の本格的な参入が起きたのは,周知のように IBM がサービス・サイエンスを提唱したことが契機になっている。その後,東大ではサービス工学,京大ではサービス・コンピューティングと名付けられたプロジェクトが立ち上がっている。一皮むくと,従来からあった工学研究と何も変わらないものが少なくないが,そもそも情報通信とはサービスなのだから,別に不思議ではないのかもしれない。

サービスの対象範囲は,定義次第でいくらでも広くなる。クルマを買えば製品の消費だが,リースすればサービスの消費になる。所有権という法的問題を無視すれば,いずれもクルマが提供するサービスを消費している点で同じことになる。このことをサービス・ドミナント・ロジックと呼んだりするわけだが,皮肉なことに,そうなればなるほど,モノにはないサービスの特性が見えにくくなる。サービス工学ではとりあえずそのへんに気にせず,実践を優先させているようだ。

サービス工学やサービス・コンピューティングがざっくり扱っている要素に対して,サービス・マーケティングの流れを汲む研究者はこだわりを見せる。そこには,簡単には埋められない,大きな溝がある。そこを埋める新たな研究を目指すには,まずサービス「   」という新たなネーミングを考えることが重要だ。なぜなら,名は体を表すから。つまり,名前が研究を方向づけ,規律を与えるのだ。では「   」のなかに何を埋めるべきだろうか?
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経済学は統合されつつあるという

2009-02-11 23:32:08 | Weblog
今日の「仕事」は辛かった,あとは焼酎・・・ ではなく,安ワインをあおるだけ,という一日だった。ただ,昼食時にふだんあまり接する機会のない,ファイナンスの先生とほんのわずかだが話す機会があった。何でも私の修士課程時代の恩師と接点があるようで,スモールワールドを実感する。私はその頃,産業組織論を勉強していました,といささか弁解気味に申し上げた(なぜ弁解するのか,考えてみれば不思議だが・・・)。そういえば,小田切ゼミのOB会が来月早々にある。

経済学かぁ・・・ つかず離れずの関係できたが,マクロ経済学となると,さすがに距離感がある。しかし,この経済「危機」にマクロ経済学がどのような診断書を書くのか,少しは興味がある。週刊東洋経済の2/14号では「特別講義 世界経済危機」という特集を組み,有名な経済学者,エコノミストを登場させている(なぜだか慶応の先生が多い気が・・・)。それはそれとして,個人的に興味を持ったのが「分析ツールの共有化が進む世界の経済政策当局」というコラムだ。

週刊 東洋経済 2009年 2/14号 [雑誌]

東洋経済新報社

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執筆者の小枝淳子,西山慎一の両氏は,いずれも米国の大学で経済学の学位を取り,それぞれ IMF とカナダ銀行に勤務する若手エコノミストだ。したがって,米国経済学,そして政策当局での経済学の動向に通じておられる。その彼らがいうには,最近のマクロ経済学は「動学的確率的一般均衡」モデルへの統合が進み,いわゆる新古典派とケインズ派の対立は,そのなかでの相対的な位置の違いになってきているという。

このモデルでは,主体は動学的な最適化行動をとると仮定するが,市場の不完全性(たとえば失業の存在)などは許容することもできる。なるほど,従来より懐が深いわけだ。ぼく自身は,最適化行動の仮定がどこまで妥当か気になるが,基本はシミュレーションで解を求めるアプローチなので,行動経済学や行動ファイナンスの成果を導入する拡張は,技術的には可能であるかもしれない(すでにあっても不思議じゃない)。

動学的一般均衡モデルについては,同じ IMF の加藤涼氏がすでに入門書を書かれている。そのコンパニオン・サイトを見ると,計算には MATLAB が使われている。そうかそうかと,一瞬強くシンパシーを感じる。もちろん,同じシミュレーションといっても,ぼくとはやっていることがかなり違う。ただ,シミュレーションという,ある意味で機械まかせの手法を使うことで起きるあつれきは,共通する部分があるのではなかろうか。

では,マクロ経済学は対立から統合に向かうのか? その阻害要因は,シミュレーションという作法が,数式を解くのとは別のスキルを要求することだ。さらにいえば,そもそも数学モデルをほとんど使わない経済学者や実務家が多数いて,そこでの論争をモデルが解決するのは難しい。そうした困難を乗り越えるだけのパワーを動学的一般均衡モデルが発揮するならすごいことだ。そうなると,隣接分野への影響も出てくるだろう。

では,ぼくが関心のある,マーケティング・消費者行動という領域ではどうだろうか。米国の一部の研究者たちは,すでに上述の流れに乗っているように思える。マーケティングといっても,経済の一部にすぎないと考えれば当然のことだ。しかし,製品・サービスのマーケティング競争やイノベーションの世界は,一般均衡というパラダイムからかなり離れた地点にあると思う。そこでは,動学的不均衡モデルこそふさわしい。

しかしながら,動学的一般均衡モデルが,個々の経済主体の限定合理性を考慮し,市場の均衡メカニズムに不完全性を認める方向で進化していけば,結局何もかもそこに統合されるという見方もあるだろう。最終的にどうなるのかわからないが,そうなるまでには,かなりの時間がかかるのではなかろうか。だとすれば,そんな長期には,ぼくはもう死んでいるだろう。
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マーケティングはジャズだ!

2009-02-10 23:22:42 | Weblog
今日はファッションの専門家,高野さんとお会いする。クリエイター研究に関するぼくの仮説(らしきもの)をぶつけると,がんがん面白い話題が返ってきた。ファッションのスモールワールド革命・・・ 招待されるのはプレス&フレンズ・・・ 毎日のようなパーティにアフターパーティ・・・ なるほどなるほど。ぼくの思いつきも,あながち的外れではなかったようだ。今後はさらに対話の輪を広げ,理論武装に向かうことになる。

「ポストモダン」マーケティングの重鎮,Holbrook の近著が届く。何とジャズをメタファーにマネジメントやマーケティングを論じている。というと,内容が何となく推測できそうだが,それでも「買うしかない」本だ。挿入されているミュージシャンの写真の多くが著者の撮影による。 1960 年なんてのもあり,半端でないジャズへの関わりがうかがえる。Holbrook はコロンビア大学教授。そこには必然性があったわけだ。

Playing the Changes on the Jazz Metaphor

Now Publishers,

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この本を翻訳したら面白いんじゃないか,と一瞬思ったが,本書のあちこちにコード進行の記号が並んでいたりして,音楽理論をつゆほども知らないぼくが軽々に手を出せる代物ではない,と冷静になる。ジャズをメタファーにしているといっても,この本のアプローチはけっこう「本格派」なのである。自ら楽器を演奏し,ジャズに詳しい人こそ翻訳するのにふさわしい。もちろん,売れるかどうか保証の限りではない。

ジャズといえば,ジャムセッションだ。ミュージシャンたちが三々五々集まって,即興でセッションを行う。同じような即興のコラボレーションが,研究活動でもたまにある。異分野の人々と建設的な「バトル」を行って,新たな気づきを得る。今日がまさにそうだ。今後も,ぼくはいろいろな友人・仲間とジャムセッションを楽しむつもりだ。問題はいつホールに立ち,CD を出すかだが・・・。
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