Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

経済学と経営学の狭間で揺れる

2018-11-27 10:37:11 | Weblog
『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』が刊行されたのは今年5月。行きつけの書店のビジネス書コーナーではいまだに平積みされており、ミクロ経済学やゲーム理論をベースとした本とは思えない人気である。この本が売れ続けている理由は、一体何なのだろう?

「イノベーターのジレンマ」
の経済学的解明
伊神満
日経BP社

「イノベーターのジレンマ」は、ハーバード・ビジネス・スクールの有名教授クリステンセンが著したベストセラー(邦訳は『イノベーションのジレンマ』)。過去にイノベーションで成功した企業が、新たな「破壊的イノベーション」に対応できない現象を指摘した。

イノベーションのジレンマ
―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき
(Harvard business school press)
クレイトン・クリステンセン
株式会社翔泳社

この有名な学説を取り上げたことが本書の成功の一因だが、それだけではない。まず挙げられるのが、かの山形浩生氏を上回るほどの軽妙でカジュアルな文体。適宜説明を繰り返して読者を説得していく文章力。著者が研究面だけでなく教育面でも傑出していることが伺える。

もう1つの魅力は、著者が振りまく「毒」である。クリステンセンの説明に対して「煎じ詰めれば … 経営陣がバカだったから」失敗したと述べているようなもの、と批判する。単純化しすぎのようにも思われるが、著者としては、わかりやすさを優先してのことだろう。

伊神氏は、企業が合理的に振る舞う経済学的なモデルによって上述のジレンマを明快に説明しようとする。事例を延々と述べ、明確な論理なしに検証不能な議論を繰り返すタイプの経営書に辟易としている読者には、その「毒」がいっそう心地よく感じられると思われる。

私が学んできたマーケティング・サイエンスは、そうした経営学的な伝統(?)から脱して「科学的な」研究を目指している。経済学の影響も強く受けてきた。そうした意味で著者の研究戦略に近い部分はあるし、その鮮やかな手さばきにはひたすら感嘆せざるを得ない。

もっとも、私が違和感を持つ箇所もある。企業間の競争にクルーノー均衡を仮定すると、コストに関する情報なしに企業行動のモデルの推定が可能になるという。コスト情報は入手が難しいのでやむを得ないとはいえ、私にはそうした設定の妥当性がどうしても気になる。

このあたりが、古い世代のマーケティング・サイエンスが経済学になりきれない点かと思う。伊神氏が用いるゲーム理論で武装した産業組織論や構造推定は、欧米の(若い)マーケティング研究者の間には急速に浸透しており、いずれ日本でもそうなるかもしれない。

もう1つ注目したいのは、経営やマーケティングの問題を扱う若手の経済学者が、伊神氏以外にも増えていることだ。彼らの研究生産性は高い。マーケティング学者がうかうかしていると、自分たちに来るべき仕事を奪われるだろう(過去にもそういうことはあった^^)。

したがって、本書はマーケティング研究者にとっても一読の価値がある。今後席巻するかもしれない研究アプローチを知ることは、それに追随するにしろ別の道を行くにしろ有意義だからである。そして、難しい問題についてわかりやすく書くノウハウを学ぶためにも。