Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

商業学会@東洋大学

2010-05-30 21:48:31 | Weblog
東洋大学で開かれた日本商業学会に行く。最近テンパっているので初日はパスし,2日目は日頃お世話になっている「後輩」の発表もあるので出かけることにした。会場となった校舎は内部が吹き抜けになっていて廊下まで明るい。さらに,そこかしこに自習用の机が置かれていて図書館のようだ。

この学会,5つの併行セッションがあって,マーケティング系学会としては最大規模を誇る。今回ぼくが聴講したのは,以下の発表だ。結果的に,いつも JIMS や JACS でもお目にかかっている方々の発表を多く聴くことになってしまった。
田中 洋,中央大学:マーケティングコミュニケーションの変革-クロスメディアとコミュニケーションデザイン
清水 聰,慶應義塾大学:クロスメディア環境におけるメディアの役割と消費者
澁谷 覚,東北大学:ネット上の商品選択におけるクチコミのレコメンデーション効果-リゾートホテルの選択に関する実験
桑島 由芙,東洋大学:映画視聴行動に関する社会ネットワーク分析-SNSを用いた実験
廣田 章光,近畿大学:「開発スコープ」のダイナミクスとイノベーション創発
今村 一真,広島大学・院:製品差別化の再検討-「レガシィ」にみる顧客間関係の視点から
新倉 貴士,法政大学:第二世代の消費者情報処理研究
石田 大典,早稲田大学:新製品パフォーマンスの先行要因に関するメタアナリシス
しかし,上述の学会では聞けないような発表もある。たとえば廣田章光先生の青芳製作所の事例研究。この企業は大学病院と共同で高齢者向けスプーンを開発した。そのために,高齢の患者の食事動作を徹底的に観察した。ユーザの能力と現実の製品の間にギャップがあるとき,イノベーションが誘発されるという視点は面白い。

自分の関心に合致したものの1つが,田中洋先生の報告だ。冒頭,AIDMA や AISAS のような直線的モデルを批判。消費者をプロアクティブな存在とみなし,行動(behavior)より行為(action)をモデル化すべく,消費者をエージェントとして見ることが必要だと。そこで一瞬,「エージェントベース・モデリング」(ABM)のことが頭をよぎる。

現実の ABM でエージェントが十分にプロクティブな主体として設計されているのか大いに疑問である。ただ「消費者の行動がますます事前に予測できなくなるので,それに相応しい動的モデルが必要だ」という趣旨の江原淳先生(専修大学)のコメントを聞き,やり方次第でエージェントベース・モデリングがうまく使えるかもと思い直す。

ただし,エージェントの目的合理性やプラン立案-遂行能力を強調しすぎると,潜在意識を重要視する最近の認知神経科学的研究と乖離する。一見対立するパラダイムをいかに調和させるのか。このことが,新倉貴士先生のいう「第二世代の消費者情報処理研究」とどうつながるか・・・。よくわからなくなってきたのでこのへんで・・・。
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定点観測:ストリートで異物を見抜く

2010-05-28 01:39:58 | Weblog
木曜の授業に『アクロス』編集長の高野公三子氏さんをお招きし “今「ストリートファッション・マーケティング」が必要な理由(わけ)」~若者とファッションの「定点観測」30年の歴史から” と題する講義を行していただいた。パルコは過去30年間,渋谷,原宿,新宿の3地点で,路上を行く人々のファッションを毎月約2千カットほど撮影してきた。その累計は50万を超す。すごい,の一言に尽きる。

30年×12ヶ月,同じ場所でストリートファッションを観察し続けると「変化」が見えてくる。かつてのように皆が一斉に同じトレンドに追随する時代ではない。多様化したファッションのなかで,単なるノイズではない,少数だが一定のトライブを形成しそうな変化に気づくこと。高野さんはこれを「異物が入ってくる」ことへの気づき,と表現する。非常にいいことばだ。

これは一種の免疫システムとみなせるかもしれない。体内に侵入した「異物」を片っ端から排除するわけではなく,少数だが「意味のある」ものを見逃さず検知し,追跡し,必要に応じて対処する。これをある程度システマティックに遂行するためには,複数の観測者の間の事前準備や事後的な情報共有化など,経験を通じて獲得された独自ノウハウが必要である。

ファッションの変化は「複雑」だ。ここ何年も,若い女性の間でショートパンツがはやり続けている。だが,ファッドやファッションが消失したわけではなく,靴にそれが現れているという(という理解でいいのかな・・・)。つまり,ファッションでは複雑な組み合わせが異なるタイムスケールで交錯して変化する。こういうことを見逃さない目が必要となる。

高野さんが尊敬する今和次郎によれば「考現学」は昆虫採集に似ているという。淡々と標本を集め,それを整理・分類し,何らかの気づきを得る。行動観察法について「観察」の部分に焦点を当てがちになるが,それをいかに蓄積・整理するかもまた重要なのだ。梅棹忠夫の「京大型カード」や川喜多二郎の「KJ法」を思い起こせば,それは当然であることに気づく。

こういうフィールド研究法の系譜のなかに,パルコ/Across が行ってきた定点観測は1つの金字塔として位置づけられる。誰も30年という歴史を超えることはできない(正確には,そうするにはそれ以上の歳月が必要である)。
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複雑ネットワークの応用に必携の書

2010-05-26 22:08:19 | Weblog
著者の増田直紀氏と今野紀雄氏は複雑ネットワークの教科書や啓蒙書をすでに何冊も書かれてきた。特に『複雑ネットワークの科学』はぼく自身輪読会に用い,勉強させていただいた。しかし,それから5年経ち,複雑ネットワークの研究は急速かつ大幅に進んだという。その成果を踏まえ,新たな教科書が執筆されたわけである。

ざっと眺めたところ,新たな話題が加わるだけでなく,実際に複雑ネットワークを構成するためのアルゴリズムが広範かつ詳しく書かれている。実証研究への目配りも充実している。理論家にとってはもちろん,「使う」側にとってありがたい知識が満載。社会ネットワークや複雑系に関心を持つ研究者・実務家必携の書である。

研究の最先端を自ら切り開きながら,一方で応用にここまで配慮した教科書を書く著者たちの力量には感服するしかない。

複雑ネットワーク―基礎から応用まで

増田 直紀,今野 紀雄,
近代科学社


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複雑ネットワークの科学

増田 直紀,今野 紀雄,
産業図書


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iPad 発売前夜

2010-05-25 23:07:48 | Weblog
クーリエ・ジャポン8月号は「アップルが、世界を変える。」特集。いろんな雑誌で iPad が取り上げられているが,さすがに世界中から良記事を集めたクーリエが一枚上をいっている。特に,タイム誌から再掲載された「筋金入りの“マニア”が訪ねた iPad 発売前夜のアップル本社」という記事がよい。デザインを統括するジョナサン・アイブがそのポリシーを端的に語っている。そして,米国大統領や英国女王を含む数々の超有名人と会ってきた著者が,スティーブ・ジョブズとの対面で最高の緊張を味わうあたりの描写が面白い。

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2010年 07月号,

講談社


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日本での発売は28日。朝起きたら,枕元に置かれている,なんてことがないだろうか・・・。
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下條先生とお話しした

2010-05-23 21:20:02 | Weblog
1週間ほど前,下條信輔先生を囲む少人数でクローズドな「雑談会」があるので参加しないかというお誘いを受けた。下條先生は東大からカリフォルニア工科大学に移られたとき「頭脳流出」と新聞記事にまでなった知覚心理学,認知神経科学の世界的権威。以前当ブログにも書いたが,一連の著書(論文ではない・・・)にぼくは強い刺激を受けてきた。10分ほどでしゃべれるようなネタを提供できないかとのこと。下條先生に聴いていただけるならと,浅学非才を省みず引き受けることにした。

だが前日に届いた参加者リストを見て卒倒しそうになった。青木昌彦(比較制度分析),池上高志(複雑系/人工生命),井上明人(ルドロジー/情報社会学/コンピュータ・ゲーム産業論),宇井貴志(ゲーム理論/ミクロ経済学),金子守(ゲーム理論/論理学),清成透子(社会心理学/進化心理学/実験社会科学),鈴木健(情報社会学),瀧澤弘和(経済学/哲学),成田悠輔(ゲーム理論/実験経済学),平井洋一(計算機科学/論理学),藤井直敬(神経科学)・・・[敬称略]。

自分が役不足であることはわかっているが,それ以前に,ここでマーケティングや消費者行動の話をすること自体あり得るだろうか?ただ,どう思われようと,自分に得になればよいと(経済学的に)割り切って,雨のなか赤坂へ・・・。NTT出版の柴氏の司会で「会」が始まった。藤井先生が,脳神経科学のチコ・ブラーエを目指すプロジェクトの紹介,宇井先生がゲーム理論に基づく制度設計に関する研究を報告。そして,いよいよ自分の出番が回ってきた。

博論以来のテーマである「選好形成」について話す。選好形成の実証研究には長期~中期~短期の様々なタイムスケールがあること,選好形成のメカニズムには,社会的相互作用,学習,認知バイアスなどがあること。そして,最近注目されている無意識(潜在意識)レベルの選好形成に言及。その最先端に位置するのが下條先生とその研究室の研究だ。『サブリミナル・インパクト』の序章で紹介されている「視覚のカスケード現象」が代表例。

サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)

下條 信輔,
筑摩書房,


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消費者行動における無意識(潜在意識)については,Dijksterhuis et al. (2005)Simonson (2005) の議論が面白い。それらを調停して,消費者行動を統合的に理解するには,Kahneman (2003)(大元は Stanovich & West 2000)による System 1(無意識的で自動的でしばしば感情的な意思決定)と System 2(意識的で熟慮された意思決定)という二分法が便利である,これに社会的相互作用を加え,影響関係のループを考えるとどうなるか・・・という雑駁な問題提起を行なった。

当然のことだが,こうした議論は大半のゲーム理論/経済学研究者の関心を惹かなかったが,下條先生からはいくつも瞠目すべきコメントをいただいた。以下,要点のみ記すと,1)無意識レベルの選好操作(プライミングや単純接触効果)を一時的と考えているようだが,実は長期間持続し得る,2)System 2 から 1 への影響について慎重な見方をしているようだが,「正当化」が影響をもたらす可能性がある,3)さらに記憶が選好にもたらす影響についても,下條研究室で研究が進んでいる(familiarity - novelty という枠組みで),4)次に考えるべきは人格の多重性ではないか,などなど。

ほかにも興味深い研究やエピソードをいくつも伺った。それぞれ奥深いテーマなので,ここではそれ以上言及できない。それらが十分に咀嚼されないまま,頭のなかで(しかも半ば無意識の領域で)ぐるぐる回っている。だが,潜在意識の研究が示唆するように,ぼくはもうすでに考え始めているのだ。そしてそれらはいつか,はっきりした形となって意識に立ち上るだろう。つまり,自分はどちらに進むべきか,もう「わかっている」。それを着実に実践していけばよい。

「雑談会」はこのあと,清成先生のPDゲーム実験における賞罰の効果,金子先生のハイエク『感覚秩序』(に対する下條先生の解釈)をめぐる議論で白熱していく(何と恐ろしい「雑談」なんだろう・・・)。最後は時間切れになって,何人かの若手研究者の発表とそれに対する下條先生のコメント(そしてフロアを巻き込んだ議論)を聴けなかったのは誠に残念だ。にしても,こうした若手研究者が参画し,シニアな研究者と交流する「仮想研究所」の存在は素晴らしい。自分の周囲にはそうしたものはなく,羨ましく思う。

最後に,『サブリミナル・インパクト』以前に出版された,下條先生の一般向けに書かれた著書を列挙しておく。消費者行動研究を志す人,特にその最先端を切り拓きたい人は,丹念に読むべきである。かくいうぼくも,再度読み直そうと思っている。そこには山ほど研究の刺激とアイデアが詰まっている。

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)

下條 信輔,
中央公論社,


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「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤 (講談社現代新書)

下條 信輔,
講談社,


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「野外採掘」と「仕掛け」

2010-05-21 18:04:43 | Weblog
昨日,ぼくの授業で松村真宏さん(大阪大学)に「仕掛けのデザイン」と題する臨時講義をしていただいた。人間は,環境に埋め込まれたちょっとした仕掛けで行動を変える。たとえば小便器のある場所に蠅のシールを貼ると,男たちはそこを狙うので,便器外への飛散が大幅に減少し,清掃コストが大幅に減少する。公園のゴミ箱に,ゴミを入れると落下音がする装置をつけると,みんなゴミを探してまで捨てようとする。わずかなコストで大きな社会的メリットを実現できるのである。

こうした現象を説明する原理の一つがアフォーダンスだ。たとえば,初めて遭遇したドアの把手を引くのではなく押せばいいことがすぐわかるなら,そのデザインは押すことをアフォードしているという。物理的な強制があるわけではない。言語的な誘導があるわけではない。環境に埋め込まれた「情報」が,半ば無意識にある行動へと導く。優れたデザインはマニュアルが不要で,アフォーダンスを持つ。実際にはそれ以外に,生理的反応やユーモア(fun theory)といった原理が加わる。

実際に環境から情報を採掘することを目指すのが,松村さんの提唱する「フィールドマイニング」だ。フィールドは情報で溢れているといっても,すでに数値や文字になっているわけではない。その点がデータマイニングやテキストマイニングと大きく違う。そこで思いつくのが,環境や人に山ほどタグやセンサーを取り付けて大量データを集める方法だ。しかし,人工知能を専攻する工学者の松村さんは,あえてそうした選択をしない。むしろ,その環境に身を置く人々に語らせようとする。

たとえば商店街の空きスペースに地図を貼り,お年寄りから小学生までの利用者にメモを記した付箋を貼らせる。あえてローテクを使って,幅広い人々の「生の声」を集める。さらに積極的な発話をさせる仕掛けを作る。たとえば十三の商店街のサウンドスケープの調査。誰もふだん,意識して特定場所の音を認識していない。だが,適切に動機づけると人々は意識的に環境の情報を収集できるようになる。つまり,この方法は対象者を採掘者に変える。対象者がマイニングに参加しているのだ。

この点でフィールドマイニングは,与えられた(別の目的で集められて死蔵されている)膨大なデータから意味のある情報を採掘しようとするデータ/テキストマイニングと大きく違っている。では,「採掘」はどのように「仕掛けのデザイン」に向かうのだろうか。おそらくそのヒントは,松村さんが今後の研究課題に挙げていた「パタンランゲージ」にあるに違いない。パタンランゲージは,居住者参加型のボトムアップの建築デザインに用いられている。今後の研究の発展が非常に楽しみだ。
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リパッケージとリコメンデーション

2010-05-20 11:20:08 | Weblog
佐々木俊尚氏の『電子書籍の衝撃』が発売されて約1ヶ月。この間あちこちで話題になったため,いま頃読後感を書いているのはあまりに遅すぎる感じがしないでもない。しかしながら,この本は単なる Kindle と iPad の解説本ではない。したがって,それほど慌てる必要はない。 本書では iTunes が起こした米国の音楽市場の激変が報告される一方で,日本の出版流通システムが戦前にまで遡って議論される。これからのコンテンツ流通に関して,グローバル企業の戦略と市場の歴史的経路依存性という両面がおさえられている。こういったビジネスに少しでも関心がある人は一読する価値がある。

電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書),
佐々木 俊尚,

ディスカヴァー・トゥエンティワン


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ビジネスに携わる人は,過去や現在がどうであるかということ以上に,これからどうなるか(どうすべきか)が気になるだろう。佐々木氏はこれを技術トレンドの外挿的予測ではなく,むしろサービスのコンセプトの側から考える。それは一言でいえば「リパッケージ」というコンセプトに集約される。一定の影響力がある人が,アイテムを括り直して消費者に提示する。書店におけるリパッケージの成功例は,千駄木の往来堂書店や,松岡正剛氏がプロデュースした丸の内オアゾの丸善内に作られた松丸本舗である。いずれも独自の視点でリパッケージされた書籍群が店頭に並べられている(という)。

佐々木氏は有名人や有識者をインフルエンサーと呼び,無名だがソーシャルメディア上の一定範囲で影響力を持つ人々をマイクロインフルエンサーと呼んで区別する。今後,マイクロインフルエンサーが行うリパッケージが,より重要な役割を果たすようになると佐々木氏は見る。インフルエンサーといってもいろいろで,その区別は重要だ。Twitter の世界では「メガ」インフルエンサーも無視できない力を発揮しているように思える。こうした異質性を,連続性も考慮しながらいかに視野に入れるか。そこを問わないインフルエンサー論は使えないかもしれない(ここは自分自身が自戒すべき点である)。

リパッケージは,リコメンデーションとは違うのだろうか?広義には同じと考えていいと思う。しかし,ぼく自身がリコメンデーションということばから感じるニュアンスは,外国などでメニューがチンプンカンプンなレストランに行ったとき,シェフのリコメンを聞く,といった感じに近い。つまり,自分に知識や判断能力がない対象について,専門家の助言を求めるのがリコメン,というわけだ。それに対して,自分が尊敬したり興味を持ったりしている人の本棚を覗いて,そうか今度あれを買おうと思うのがリパッケージ。知識も判断力もあるが,きっかけがない。この解釈が正しいという自信はない。

著者は,ソーシャルメディアを通じたリパッケージが,電子書籍の市場が今後多様性を保っていくための重要な要素だと見ている。そのためにはクリス・アンダーソンのロングテール論で語られた,市場の「民主化」はどこまで本当に起きているのか,そこでリコメンはどのような役割を果たしているのかを確認する必要がある。すでにいくつか実証研究があるし,今後も研究が進むだろう。その隊列の末尾に自分も加わっているつもり。いつ落伍するかわからない弱々しい足取りだが・・・。ユーザとしても経験を深めねばならないが,この本を電子版ではなく,紙で読んでいる時点でまだまだかもなあ・・・。
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少数特異ケース「論」補足

2010-05-19 23:50:09 | Weblog
昨日の投稿に多少の補足。「少数特異ケースの普遍性」というタイトルは,まるで少数例のなかに「全体」が含まれているかのような誤解を与える。こういう議論をする前に確認しておくべきだったのは,マーケティングとは必ずしも,市場の多数派をターゲットにするものではないということだ。最近ではむしろ,比較的少数であっても,明確な嗜好と強い購買力を持つ消費者のグループをターゲットにすることが重視される。この点が多数派形成が重要な政治と異なり,マーケティングリサーチが世論調査と異なる所以である。

マーケティングリサーチャーはそのことを十分認識している。だから,異質な消費者を比較的同質で凝集性の高いグループに分割すべく,クラスター分析その他の手法をしばしば使うのである。だが,そのクラスターが小さいながらもターゲットとなり得ることをどう立証すればいいのか。そのとき,再び統計学的発想が頭をもたげて「彼らは全体の 5% を代表する」とか「その特徴は他の消費者に比べて有意差がある」と主張しがちである。しかしこれは,マスの眼鏡をかけてニッチを追い求めているように,ぼくの目には映る。

非マス・マーケターにとって「こういう人々が世のなかにどれぐらいるかわからない。だが,確実に一定規模存在して,うちのお客様になってくれる」ことを示すことが重要だ。一定数の事例から,ある傾向の群が存在することの確からしさを,母集団に関する推論なしに主張するということだ。この論理は進化論に似ている。ある環境で「たまたま」淘汰されることなく生き残ったものが「適応的」とみなされる。それは環境を超え,時間を超えて最適であるということを意味しない。「パンダの親指」があってもかまわないのだ。

そうした発想に立つクラスター分析は可能だろうか。局所的な情報をもとに(つまり全データを用いないで)一定の凝集性と周囲への差異性を持つ小さなクラスターを作る。それが実務的に「有意味」(meaningful;「有意」 significant ということではない)であれば採用する。これは,少数特異ケースに注目するエスノグラフィに近いアプローチといえないだろうか。つまり,フィールドで局所的に観察された少数事例から「有徴な」情報を汲み取るという意味で。もちろん「有意味」「有徴」とは何かを問う必要があり・・・。
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少数特異ケースの普遍性

2010-05-18 21:03:42 | Weblog
最近,マーケティングリサーチの方法としても注目されているエスノグラフィでは,少数のケースを事細かに観察するというアプローチが一般的だと思う。しかも,平均的/典型的なケースではなく,極端な(あるいは,非常に特徴がある,といったほうが穏当か)ケースに注目する(この点は流派によって多少異なるかもしれない)。つまり,ケースはより多いほうがよく,そこから全体を代表する値を得ようとする統計学的なアプローチとは真っ向から対立する。

エスノグラフィは,人類学を経て動物生態学などにもつながる。野外での生態学的研究で,統計学的に望ましい規模の標本を無作為に抽出することが簡単にできるとは思えない。そもそも対象に遭遇すること自体が困難なので,少数ケースを分析するしかない。つまり,自然科学のなかにも,任意に抽出した少数ケースを仔細に観察する方法が存在することになる。ただし,対象が動物の場合,本質的な個体差は小さいので問題はない,と考えられているのではないか。

マーケティングにおける少数ケースのリサーチは,コストと時間の制約でそう多くの消費者を調査できないことが理由で行われることが少なくない。その際,少数のケースから得た情報で安心するためには,消費者の個人差がそう大きくないと密かに仮定するしかない。このグルイン室にいる6人の主婦は(少なくとも同じ年代で首都圏に住む)主婦を代表しているので,過半数の意見に基づき意思決定する・・・これは誇張だとしても,それに近い実態はないだろうか。

一方,エスノグラフィをマーケティングで実践する人は,代表性を追求することに価値を見出さない。むしろ,情報豊かな少数ケースこそ重要だと考える。仕方がないからではなく,むしろあえて特異な少数ケースを見ようというわけだ。この考え方は,かなり多くのプランナーやクリエイターに共有されていると思う。それで経験上うまくいったので(あるいは少なくとも何も問題はなかったので)そう考えるのだろう。科学的根拠があるとかないとかは関係ない。

さてさて,マーケティング「サイエンティスト」はこれをどう考えるべきか?それは統計学を知らない愚かな考えだと言い放つ者は,さすがにそう多くはいないはずだ(一貫した態度だと賞賛してもいいのだが)。現場の猛者たちが持つ直感力は科学の枠外にあると棲み分けを図るか,質的調査と量的調査の組み合わせが重要だと調停を図るのは大人の態度だが,どこかいい加減だ。いや,マーケティングなんてそんなもんだ,という居直るのはさらにいい加減だ。

ぼく自身,これまで(あるいは今後も)こうしたいい加減さを貫いてきたが,密かに「特異な少数ケースから示される普遍性」の存在を理論的に証明できないかという loopy な野心を抱きつつある。いうまでもなく,個々のケースが一定の母集団を構成し,共通のパラメターに独立な正規ノイズを加えた形で存在しているなら,それはあり得ない。だが,市場は,あるいは社会は本当にそうなっているのだろうか?実は別の構造が存在し得るのではないだろうか?

もしこういう構造が個人(個体)間にあったなら,それを無作為抽出によって知ることはあまりに非効率で,むしろ何らかの戦略に基づく少数ケースの任意抽出が必要だということを証明できないか(当然無視すべき異常値も存在する)。そういう「構造」はいろいろ考えられるだろうけど,さまざまな間接証拠と適合しつつ,最もシンプルなものは何だろう?そんなことをたまに夢想している。それがどこかで何かと結びついてボッと発火してくれれば・・・
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小休止・・・

2010-05-17 15:11:55 | Weblog
週末に9月に開かれる WCSS の投稿を終えた。予稿とはいえこの2~3週間は計算と執筆で忙しかったので,昨日はぐたーっとしていた。今日も久々に本屋に行き,まだエンジンがかからない(ただし,ノルマとして今日中に査読を終える予定)。これしきのことで糸が切れていては,とても「論文の量産」などできない。自分の「限界」が透けて見える・・・。

論文のタイトルは "The Effects of Valence of Word-of-Mouth and Its Propagation by Non-Adopters on New Product Diffusion: An Agent-based Approach" ・・・ベタな感じだ。本当はもっとセクシーにしたかったが,そこまでする自信は持てなかった。投稿期限ギリギリに他に類似研究があることがわかったりした。幸いにも採択されたら,分析をもっと深めないと・・・。

シミュレーションの結果を群間の平均値比較で分析した。それだと拾われない,価値のある情報が眠っているかもしれない。寺野先生(東工大)は,シミュレーション結果にデータマイニングを適用することを推奨する。膨大な出力から,ダイヤモンドのようなシナリオを掘り起こそうというわけだ。そこまでいかなくとも,交互作用の効率的把握に役立つだろう。

さて,これから6月の学会シーズンまでにやるべきことは・・・
1)クリエイティブ・ライフの研究 総仕上げ
2)製品/顧客のロングテールのデータ解析
3)アフィリエイト広告調査の準備
4)Marketing Science Conference での発表準備
5)サービスカイゼン研修での講義準備(コンセプト創造)
6)クリエイティブマーケティング講義前期後半準備
  ・・・・・・
1~2は「着手する」ということ。自分のメモリにデータとプログラムが常駐している状態にするということだ。
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影響が伝播する夜~JIMS部会

2010-05-11 08:54:23 | Weblog
昨夜は JIMS「消費者行動のダイナミクス部会」。最初の報告は松村さん(大阪大学),山本さん(成蹊大学)による「モバイルSNSにおけるクチコミネットワークの価値」。さるモバイルSNS について,誰が誰の招待で入会したかのネットワークを作成。それに基づき,会員のサイト内消費行動がどれだれ「伝播」したかを推計している。つまり,顧客の評価を本人の購買だけでなく,他者への影響を考慮して行なっている。

プロアからの質問としては,分析対象とする顧客の入会時期を揃えなくていいのか,ある会員の購入がすべて招待によって起きたと考えていいのか(別の誰かによる招待の可能性は考えなくていいのか),コスト(仮想貨幣とはいえ機会費用はある)をどう扱うか,各指標で上位となった顧客の特徴だけでなく全体の分布や関係はどうなっているか,など。また,支払いを伴わないサイト内活動をどう扱うかについて議論があった。

次いで,同じく松村さんによる「影響伝播モデルIDMによるTwitter分析」。松村さんの IDM (Influence Diffusion Model) はメッセージ間の語の伝播に基づきメッセージ,あるいは発話者や語の影響力を分析するモデルだが,その線形代数的表現が説明されたあと,Twitter データへの適用例が紹介された。このモデルを用いれば,単なる頻度とは異なる指標が得られる。多く発言している人に大きな影響力があるとは限らない。

元々電子掲示板データの分析から出発した手法だと思うが,Twitter というあらかじめ140字に制限された発言に適用することで,よりシャープさを増す可能性がある。特に,Retweet には参照先の発言が引用されるので,語の伝播をとらえやすい。モデルはすっきりとして美しいが,分析対象とするメッセージが大量になるとふつうのPCで計算できるのかと松村さんに問うと,疎行列の計算モジュールを使えばよいとのこと。

今回も大学教員から実務家(いずれも研究者な方々),マーケティングから経済あるいは社会心理学まで,様々な方々に集まっていただいた。懇親会は2つのテーブルに別れたが,「女子」の創造的破壊力が非常に印象的だった。女子力を活かせない大学や学会には未来がない。
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アップルの美が表紙に降臨した

2010-05-10 13:34:26 | Weblog
今日は iPad の予約が開始される日。朝から Twitter 上で「予約だん」の報告が続々と届く(ちょっと誇張)。それにつられて,iPad with Wi-Fi 32GB を予約した。秋により小型軽量の iPad が出るのでそちらがおススメ,という意見もあったが,この何に使えるかわからないが,異様な魅力を発するガジェットを早急に体験することなく,クリエイティブだとかイノベーティブだとか語ることは許されない,と思ったからだ。

ちょうどその日に合わせたように,「アップル丸かじり」というコピーが美しく表紙に映える週刊ダイヤモンドが発売された。中身はというと iPad や iPhone をいかに使いこなすべきかを,有名人のロールモデルを登場させて語る記事がほとんどだ。それはそれでいいんだが,アップルという企業の製品開発戦略やら組織論についてはほとんど語られていない。そこがビジネス雑誌としてはちょっと残念なところである。

週刊 ダイヤモンド 2010年 5/15号,

ダイヤモンド社


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実際,アップル・ウォッチャーによるルポ的な文献はいくつもあるが,経営学者やマーケティング学者による「学術的な」アップル研究はほとんどないと思う。それはアップルがあまりにクローズドだからか,それとも,あまりに特異で一般化できないからなのか・・・。若くて元気で清新な感覚を持つ研究者にぜひ挑戦してもらいたい。トヨタもサムスンもマイクロソフトもすでに研究され尽くされている(ほんとか?)。

そういうならお前がやればいい・・・といわれそうだが,ぼくはぼくなりに,消費者モデリングの立場から人はなぜ Mac を真っ白なパッケージから出すときわくわくし,電池の持ちが悪い iPhone を使い続け,どんな効用があるのかわからない iPad を予約したりするのか研究したいと思っている。それがどういう原理にしたがうか(記述と説明)が第一段階,なぜそんなことになってしまったか(進化の解明)が第二段階だ。

にしても,非情に美しい表紙である。立ち読みで表紙が汚れされてしまう前に,早めに購入することをお勧めしたい。お近くに大きな書店がない方は,すぐ下のリンクをクリックしてアマゾンで・・・(アフィリエイトフィーを期待w)。
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JACS@駒澤大学 2日目

2010-05-10 01:33:00 | Weblog
今日も午前中だけ消費者行動研究コンファレンスに参加。大学に出て計算と論文執筆に取り組む必要があったので(しかも出足が遅れたので),聴講したのは3件のショートセッションだけであった。そのあとにも聴きたい発表がいくつもあり非常に残念。しかし,#jacs2010 というハッシュタグのおかげで,ある程度はフォローすることができる。さて,聴講した3件の報告とは・・・
安藤和代氏(千葉商科大学)「語り手本人に及ぶクチコミの影響」・・・ポジティブな体験を語るかネガティブな体験を語るかでクチコミの目的が変わり,語り手本人の対象への評価もまた変わってくるという仮説。面白い視点だ。関連する心理学的研究を丹念に調べ,さまざまな概念を精妙に組み合わせてモデル(パス図)を作るのは見事。扱おうとしている現象に比べてモデルが複雑すぎる気がするのは,ぼくが消費者行動研究の流儀を体得していないせいだろう。

中川宏道氏(流通経済研究所)「好きだから見るのか、見るから好きになるのか?~セールス・プロモーション研究における視覚マーケティングの視座~」・・・急に聴衆が増え,立ち見が続出した。「見るから好きになる」ことを示した下條信輔氏らの研究を踏まえて,デジタルサイネージが消費者選好に与える影響を,アイトラッキングを駆使しながら検証している。その結果,店頭SPは,本来売れるものをロスなく売るという従来語られていた目的を超えるものになる。

石井裕明氏,阿部周造氏他(早稲田大学)「消費者の評価・選択軸の変化と解釈レベル理論」・・・さらに聴衆が増加。解釈レベル理論は,対象への心理的距離によって重視される属性が変わると主張する。これが,Feature Fatigue 研究の理論的基礎になった(購入前は高機能を求めるが,購入後はユーザビリティを重視する)。早大全体の重点プロジェクトとして研究が始まり,さらに科研費も取得したとのこと。今回は,予備的研究としてのグルインの結果が報告された。
というわけで,聴講したのはいずれも選好の形成や変化,あるいはその誘導に関する研究であった。消費者行動研究の本流の1つである社会心理学において,態度変容というテーマが長く研究されてきたことを考えると,そのこと自体はさして不思議ではない。そしてこの問題が,実務家にとっても大いに関心があることはいうまでもないだろう。ただ,研究によって語られることの多くは,実務家がすでにわかっていると感じる話ではないだろうか。つまり,そんなことは当たり前だと。

それに対して,研究とはそういうものだというのが1つの模範解答だ。当たり前に思えることの背後に,どういうメカニズムがあるかを科学的に究明し,体系化するのが研究である。そして,過去の研究と整合的に結びつけることで,大仰にいえば人類の知的遺産になると。それはそうなのだが,重要なのはそこにサプライズがあるかどうかだ。「好きだから見るのではなく,見るから好きになる」というのは間違いなくサプライズ。しかもそれには,大きな実務的インパクトがある。

解釈レベル理論にしても,過剰装備がなぜ生じるかという問題に結びつけたことで成功した。当たり前だと思っていることが,実は当たり前でないことを見出す問題の発見。昨日片平先生の講演でも語られた「ブ・ジャデ」ともつながる。その意味で,仲良しクラブの「コラボレーション」からそうした発見が生まれるのか ・・・なんてことを考えながら,明日の朝,無事に計算が終わっており,その結果に何がしかのサプライズが含まれていることを願って,そろそろ寝ることにしよう。
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変態で反骨で反省する研究者になる

2010-05-08 22:57:52 | Weblog
駒澤大学で開かれた消費者行動研究コンファレンスに出席した。WCSS に投稿する論文の締め切りが迫っているので,どうしようかと迷ったが,「今日の講演は、一流の「職商人研究者」はHでなくては、という話(笑)」というつぶやきに誘われて,基調講演を聴きにいった。タイトルは「接着剤とヤモリ:新発想が生まれる仕組みづくり」。講演者は,丸の内ブランドフォーラムの片平秀貴代表。会場で書きなぐったノートを見ながら,その要旨を記してみる:
常識では思いつかない,画期的な発想。その例が日東電工が阪大と共同で開発した「ヤモリ・テープ」だ。ヤモリは壁を上り,天井からぶら下がることができる。ヤモリの足の裏に潜む秘密を解明し,カーボンナノチューブの技術を応用した。その結果,強い接着力を持ちながら,簡単にはがせる接着テープが出来上がった。こういう発想は,接着剤の開発を既存の技術の延長だけで考えているとでてこない。マーケティングや消費者行動の研究も同じである。

世界的に有名なデザイン会社 IDEO のトム・ケリーがいう「ヴ・ジャデ」ということば。デジャ・ブとは「実際は初めて見たものを,以前見たように感じること」だが,その逆である。つまり「実際にはいつも見ているものを,初めて見るように見ること」である。われわれはふだん見慣れているものを,実はきちんと見ていない。良いイノベーションは,そこを見ることから生まれる。それは,あとでいわれてみると,何だそんなことか,と思うようなものが多い。

イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材

トム ケリー,ジョナサン リットマン,
早川書房


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合理的な思考は役に立たない。なぜなら,合理的と呼ばれるものは,われわれが気づいている範囲だけで因果連鎖を考えたものにすぎないからだ。したがって,世間が驚くようなイノベーションは事前的には非合理的で,事後的には合理的となる。山城祥二としても知られる大橋力氏は,耳では聴こえないが脳には聴こえる音の周波数を発見し,世界的に注目されている。これは氏が音楽活動を通じて,知覚されないが快感を与える何かがあることに気づいたのがきっかけだ。

最近,マーケティングでも人類学的な手法が注目されている。文化人類学者レヴィ・ストロースのブリコラージュという概念は,未開の人々が持つ知のあり方で,何であれその場にあるもので間に合わせる(make do with "whatever is at hand")ことを意味している。それは,目的に最も合致する手段を探すエンジニアの思考とは対照的である。これはどこかで役に立つかもしれないと思って手元に置いておく。この,ひょっとして,何か匂う,という感覚を持つことが大事である。

野生の思考

クロード・レヴィ・ストロース,
みすず書房


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ハヤカワの『思考と行動の言語』を参考に,体験(体)>体験知(頭)>言語=地図という3つの層を考える。体験から体験知を得るには問題意識の壁があり,それを言語化するのにさらなる壁がある。一方,プロジェクトを行なう際には,情報量の少ない言語をアイデアにするのに発想の壁があり,さらに現場・現物にするのに実施の壁がある。研究者が行なっている作業にも現実>データ>仮説という3層があり,それぞれの間に測定の壁,推論の壁がある。

思考と行動における言語

S.I.ハヤカワ,
岩波書店


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マーケターがデータやモデルの係数だけ見ていると重要な情報を見失う。そこで学ぶべきなのが,世阿弥の物学(ものまね)という考え方である。世阿弥は「物学(ものまね)の品々を,よく心中に当てて分ち覚えて・・・」「師によく似せ習ひ,見取りて,わが物になりて,身心に覚え入りて,安き位の達人に至るは,これ主なり」「すなわち,有主風の為なるべし」と述べている。顧客を外から観察するだけでなく,その内側に入っていくことが重要である。

世阿弥に学ぶ 100年ブランドの本質

片平 秀貴,
ソフトバンククリエイティブ


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言語を通じて体験知を交換することに成功すると,一方の体験知が他方に外挿される。そのためには「複数の人間」「共有体験」「各人の独自の体験知」「共通言語」「共通の哲学とモチベーション」といった条件が必要となる。新発想が生まれる仕組みとは「物学(ものまね)精神」「数奇と下地」「公私一体なコラボレーション」「職商人としての研究者」である。最後の点は 3H に要約される。すなわち「変態的好奇心」「反骨精神」「反省心」を持つことだ。
以上の要約は重要と思われるキーワードを並べただけという感もあって,片平先生の深い思考や熱い思いを十分反映していない。しかし,それでも非常に刺激的な議論であったことは感じていただけると思う。この講演はイノベーション論であるとともに,マーケティングや消費者行動の研究者へのメッセージでもある。この講演を聴いたあと,研究室に戻って論文執筆を再開するのには忸怩たる思いがあった。しかし,日常のなかでこの刺激を埋没させてはならない。

反骨精神を説く講演に感銘を受けたのに,素直に頷いているだけでは真に学んだことにはならない。そこでささやかではあるが,3H に1つだけ追加するという越権行為を行なう。追加したいのは「偏執狂的努力」・・・なぜなら,それが自分に最も足りない部分だと思うからだ。
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なぜ大学生は新聞を購読しないのか?

2010-05-07 23:17:54 | Weblog
ある偶然から,今日は「新聞について考える」一日になった。きっかけは,Twitter で見た,kamematsu さんの
某新聞社の人の話。「大学生が新聞を買わない理由はいろいろあるが、電車で読むのが恥ずかしいというのもあるそうだ。どの新聞のどの面を読んでいるのか、他人に知られるのは恥ずかしいというのだ」
というつぶやきに「 今日のゼミで聴いてみよう」とRTしたところ,「結果をお知らせいただけるとうれしいです」とお返事いただいたこと。そこで実際,2年生のゼミで聴いた結果を再度つぶやいて みた:
2年生17人中この1週間新聞を読んだ者1人,同居する親が新聞をとっていても同じ,という結果でした。・・・

ニュースはテレビかネットで得ている。同居する親が購読していても読まないのだから,新聞を読まないのは金銭的要因だけではないと思われます。・・・

ですから,そもそも電車で新聞を読む可能性がない。ちなみに,大人が混んだ電車で読んで迷惑という学生が数人。他は特に迷惑していない・・・というより電車で新聞を読んでいる社会人もいない。(→少なくなった,が正確)

電車でケータイを見ているとき覗かれたらいやか,という質問には大半が嫌だと。iPadの普及に阻害要因になるかどうか・・・。なお電車で本を読む学生が4,5人にいて,カバーをかけるかどうかは半々に分かれる。(→このへん脱線気味だが,実際にはもっと断線した質問も行なったw)
こうしたつぶやきに対して,直接,間接いくつかのコメントをいただいた。ある大学のあるゼミの N=17 という過小なサンプルの結果なので統計的信頼性は低い。そこで帰宅後,大学生である娘に聞いたところ,やはり新聞は読まないという。家に日経新聞が積み重なっているにもかかわらず,だ。ニュースはテレビ,電車のなかのモニタ,インターネット(新聞社のサイトではなく SNS のトップ画面など)で得ると。N=1 なのでますます信頼性はないが,大規模な標本調査をしても,大まかな傾向は変わらないと予想する。

実は kamematsu さんは,以下のようなつぶやきもされていた:
某新聞社の人の話。「いまの大学生でも『新聞は読んだほうがいい』と思っている子は多い。だが、読もうとしても理解できずに挫折してしまうケースが多い」
これはうっかり見過ごして,ゼミ生に質問しなかった。彼らはどう答えただろうか?新聞のフォーマットに慣れていない,ということだが,それは新聞を必要としないことの結果でもあり,原因でもあり得る。そこを見分けることは難しい。では,学生たちに新聞を読むことを奨めたほうがいいかどうか。一応奨めるにしても,どこまで強く?

はるか昔,ぼくが新卒で採用されたとき,研修担当者から入社前から日経新聞を購読するように強く推奨された(他の新聞社にもお世話になっている会社であるにもかかわらず・・・)。いまでも,新入社員に日経を読めと指導している会社は少なくないと思うが,若者たちはそれにしたがっているのだろうか?ビジネスパーソンが日経を読むのは,取引先の人事異動を知るためだという説がある。だが,それだけのことなら,各事業所で日経電子版を1口契約して情報を回覧すればすむと思う。個々人が自宅で購読する必要はない。

だいぶ前のことだが,多くの会社の重役の社用車には,日経とスポーツ新聞が用意されている,と聞いたことがある。そのスポーツ新聞だが,電車のなかで読んでいる人が減っているのではないかと,スポーツライターの阿部珠樹氏が指摘している:
電車に乗ってもひとつの車両の中で、スポーツ紙を読んでいる人はめっきり少なくなった。7人がけのいすがあるとすれば、4人はメール、2人はアイポッド、残りは居眠りで、スポーツ紙はめったにいない。読んでいるほうが照れくさくなるくらいだ。
駅のスタンドには山ほどスポーツ紙や夕刊紙が積まれているように見えるが,実は売上が低下しているのだろうか・・・。ぼく自身,電車のなかではほとんど iPhone を眺めている。満員電車でも読める。プロ野球の試合経過など,スポーツ新聞より鮮度の高い情報がそこにある。一部有料でも,トータルでは安く,効率的である。

かつて新聞を購読することはデフォルトで,理由はあとからついて来た。購読者はそれを特に意識することなく,結果としてメリットを享受していた。だが今後,若者に続いて多くの人々が新聞をとらなくてもほとんど困らないことに気づき始めるだろう。古新聞紙の効用すらなくなってきている。そうなると,新聞を購読するのは,それなりの強い理由をもった人々だけになる。そうした人々はそう多くいないが,確実に存在する。少なくとも自分はその一人だ。だから購読する理由がもっと鮮明になるような,「新聞」の進化を期待している。

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