Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

コ・クリエーション戦略の事例集

2012-02-25 20:26:43 | Weblog
最近コ・クリエーションとか(価値)共創とかいったことばをよく目にする。そのきっかけを作ったのはプラハラードとラマスワミで,プラハラード亡きあとは,ラマスワミが第一人者ということになるのだろう。本書では,共創という視点から,現実に起きている興味深い実践が次々と紹介される。

生き残る企業のコ・クリエーション戦略
ビジネスを成長させる「共同創造」とは何か
ベンカト・ラマスワミ,
フランシス・グイヤール
徳間書店

最初に出てくるナイキ(Nike+, NIKEID)やスターバックス(My Starbucks Idea)の例については,すでに何らかの形で知っている人は少なくないと思う。それらは確かに素晴らしい共創の実践だが,ナイキやスターバックスの強力なブランド体験を前提にして成り立っているともいえる。

そうしたグローバルブランドの事例以上に面白いのが,欧州やインドで活躍している,われわれにはなじみのないサービス産業や非営利団体の事例かもしれない。特に最近注目されている CSR 活動やソーシャルビジネスにとって,共創戦略はほぼ不可分といってよい関係にある。

ひねくれ者のぼくとしては,共創の成功例ばかり聞かされると,共創にはリスクもコストもあるはず,逆にどういうときにうまくいかないかに興味がある。さらにいえば,共創概念が経済学における交換概念とどう違うのか,どう超えているのか・・・なんてことも気になったりする。

「とある事情」で本書を読むことになったが,予想した以上に面白く,ためになった。理論的なことよりは,実際に使えるアイデアを日々探している実務家にとっては,いろいろ刺激になる箇所があるはずだ。それを,共創ということばで捉えるのがよいかどうかは別だけれども。
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Why Apple? を語る人々

2012-02-21 17:01:55 | Weblog
ページを開くとまずジョナサン・アイブと彼の率いるデザインチームが登場する。見た目は意外に地味な連中だ(そんなものかもしれない)。アイブのデザイン哲学が語られる。ジョブズのように名言・金言がぼんぼん飛び出すインタビューではない。彼は黙々と仕事をする職人なのだ。

次のページでは,ジョブズのデザイン「テイスト」の原点が紹介される。彼が幼少期を過ごしたアイクラーホームズ,そしてブラウンのデザインだ。そのあとで Mac の内部から周辺機器までの写真を眺めると,一貫したテイストを実感できる。なかなかうまくできた編集だと思う。

数ページ飛ばすと Why Apple? というアップルユーザの紹介記事に。ここでも少しフェイントをかけて登山家の栗城史多氏を最初に登場させる。彼は iPhone と iPad を持ってエベレストを登山中,ジョブズの訃報に接したという。そのあとは予想通りアーティストたちのオンパレード。

Casa BRUTUS
2012年 03月号
マガジンハウス

ゲームクリエイターの斎藤由多加氏とアートディレクターの佐藤可士和氏の対談では,斎藤氏の半端ないマック・コレクションが紹介される。その前後の記事も合わせ,クリエイターたちがなぜアップルを愛するのかがよくわかる。それはクリエイティブであることの本質と関わっている。

驚いたのが,初期のデザインに貢献したエスリンガーが登場するページだ。80年代に作られたプロトタイプに,すでに iPhone や iPad の原型があった! それが実現しなかったのは,ジョブズが追放されたからだと彼はいう。アップルストア1号店をデザインした八木保氏の話も面白い。

ジョブズ本はすでにネタ切れかと思っていたが,そうではなかった。アップルファンのみならず,デザイン,クリエイティブティに関心がある人にとって貴重な資料となるだろう。ついでに,ジョブズ復帰後は戦略コンサルタントとしてアップルに関わったというエスリンガーの本がこれ:

デザインイノベーション
デザイン戦略の次の一手
ハルトムット・エスリンガー
翔泳社


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箱根駅伝 いかに勝つか?

2012-02-20 09:00:04 | Weblog
年々注目度が上がっている箱根駅伝。参加する大学にとって,そこでの成績が大学受験者数に影響するといわれ,単なる大学スポーツではなくなりつつある。ぼくの勤務先である明治大学にとって,箱根駅伝での3位入賞と受験者数の3年連続日本一は偶然の一致なのだろうか?

箱根駅伝に出場すると大学の知名度アップになるし,人気が出て受験者の増加にもつながる。そうなると逆の因果関係が働き始め,大学の人気が上がるほど優秀な選手を集めやすくなる。その両方が繰り返されると好循環が生まれる。いまの明大はまさにそんな感じかもしれない。

では,箱根駅伝に出場し,上位に入賞しなくてはならないという使命に各チーム,それを率いる監督たちはどう応えていくのか?本書は,どの区間でどの選手を起用するかという戦術論から,人材の発見と育成,チーム作りに絡む組織論まで,多様な話題を掘り下げていく。

駒澤,東洋,早稲田の各監督へのインタビューも興味深い。特に駒澤の大八木監督へのインタビューには意外な印象を持った。テレビ中継では伴走車から選手を激しく叱咤激励するシーンばかり映るので,根性路線の鬼監督だと思っていた。実際はそんな単純な方ではなさそうだ。

箱根駅伝 (幻冬舎新書)
生島淳
幻冬舎

選手の各区への配置は思ったより複雑な問題で,時代による変化やチームごとの考え方の違いもある。各走路の距離や坂道の多さと選手との相性を考えるのは当然。往路ではだんご状態だが,復路では一人旅になりがちなので,どういう状況で力を発揮するかなども考慮される。

もちろん能力の高い選手を集めることが重要になる。ブランド力の点で早稲田が有利に思えるが,一人勝ちにはならない。推薦入学には制限があるし,選手層が厚いと出場機会が減ると考える選手もいる。最近は大学として一定の知名度を持つ明治や青学が台頭しているという。

長い箱根駅伝の歴史を振り返ると,強豪校に栄枯盛衰があることがわかる。強い大学には優れた選手が集まり,さらに・・・というポジティブ・フィードバックは短期では働いたとしても,中長期ではそうでもない。それは偶然のゆらぎで起きるのか,何か必然性があるのか・・・。

組織の成功が持続しないメカニズムがあるとすれば,ビジネスパーソンにとっても興味深いはずである。箱根駅伝の歴史をデータも駆使して分析し,それを解明する。さすがに本書はそこまでカバーしておらず,残された課題である。いつかそういう研究をしてみたいなぁ・・・。

(本稿は facebook における何人かの方との会話がヒントになっています。御礼申し上げます)
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おじさん図鑑|楽しき考現学

2012-02-16 23:53:17 | Weblog
イラストレータのなかむらるみさんが,美大時代からひたすら観察・取材・描写してきたおじさんのイラストを集めたコンパクトな本。思い出されるのが東京美術学校の出身で,考現学を提唱した今和次郎だ。彼は明治から昭和の世相や風俗をイラストを含めて記録してきた。

おじさん図鑑
なかむらるみ
小学館

本書には多数のイラスト以外に,いくつか写真も含まれている。それらを見比べると,イラストの持つ圧倒的な表現力を実感する。それはおじさんの特徴をわかりやすく強調するだけでなく,著者がおじさんに対して持つさまざまな感情(特に愛情?)を伝えるのに成功している。

本書の帯には「すべての若者に捧ぐ。おじさんになる前に、おじさんを知るべきだ。」とある。出版社としては若者をターゲットにしているらしい(どうりで文字が小さいはずだ・・・真性のおじさんには読むのが厳しい部分もある)。しかし,若者に読ませておくにはもったいない。

著者の鋭い観察眼によって見いだされたおじさんの生態を見ていると,あーいるいると思う一方,え,これはオレ?・・・とぎくりとする。しかし読み進めるにつれ,だんだんとおじさんの多様性,厚み,深みのようなものに気づき始める。負けてはいかんという気になってくる。

おじさん臭さを隠そうと無理に若作りするのもいいが,渋さとか,あるいは可愛らしさとかを身につける方向もある。若さという特権がない分,本人の工夫やセンスが問われてくる。いろいろと考えさせる本である。おじさんこそ読むべきである。そして背筋をすっと伸ばそう。
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エージェントベース哲学研究

2012-02-12 10:41:28 | Weblog
ドゥルーズ,ガタリ,ベルグソン,ライプニッツ,ヴィトゲンシュタイン,ヴァレラ・・・という名前が次々と出てくる本書はもちろん哲学書のカテゴリに入る。しかし,ユニークなのがエージェントベース・モデリング(マルチエージェント・シミュレーション)が使われている点である。

そうした試み似始めて遭遇したわけではない。昨年の人工知能学会で,やはりライプニッツの思想をエージェントモデルにしたという発表を聴いたことがある。その発表者は,本書の著者とは異なる。ということは,こうしたアプローチが世のなかで芽を吹き始めているということだろう。


魂と体、脳
計算機とドゥルーズで考える心身問題
(講談社選書メチエ)
西川アサキ
講談社

クオリアとか心身問題とか,人間の頭脳が答えを出せるかどうかわからない問題にコンピュータ・シミュレーションが何か光明を与えることができるだろうか? ぼくの答えは「わからない,でも面白そうだ」である。現在のバタバタが落ち着いたら,腰を据えて読みたい本である。

エージェントベース・モデリング(マルチエージェント・シミュレーション)の適用範囲の拡大に興味のある方に,このユニークな本の存在を伝えたい。
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飯島勲氏が語る政治の広報

2012-02-10 00:30:59 | Weblog
総理大臣が毎年のように代わる現状では,5年も続いた小泉政権を秘書として支えた飯島勲氏の存在が,その風貌と合わせて気になってくる。本書はいかに官僚を働かせるかを論じた本だが,そのなかで,本筋ではないが,飯島氏のマーケティング感覚が垣間見える箇所がある。

現政権も広報の専門家を雇っているはずだが,飯島氏の目から見ると,メディアへの対応に稚拙さが目立つという。たとえば被災地を訪問した首相が記者に囲まれたとき,カメラに映る背景まで計算に入れて演出すべきなのに,全く配慮されていないという。興味深い指摘である。

官僚
飯島 勲,大下 英治
青志社

もちろん本書の主題はタイトルが示すように「官僚」論で,飯島氏は小泉政権よりあとの内閣がいずれも官僚を使いこなせず,短命に終わっていることを批判している。小泉氏=「小さな政府」というイメージがあるが,少なくとも飯島氏は「脱・官僚」的な風潮には批判的である。

飯島氏は当初野田首相に期待したが,彼が世論に押されて朝霞の公務員住宅の建設を凍結したことに失望したという。そこに住むのは毎晩深夜帰宅を強いられるノンキャリアの官僚である。官公労の組合員でもあり,民主党の支持基盤でもあり得るのに,その措置はないだろうという。

一方のキャリア官僚は,飯島氏によれば民間企業の幹部社員などが及びもつかないほど優秀で,驚くほど広い人脈を持っている。出世意欲が非常に強い彼らをいかに巧く登用して働かせるかが政策遂行の鍵を握る。小泉政権はそれに成功したが,それ以降はまるでだめだと一蹴される。

今後の政局に関する飯島氏の見立ても独特だ。次の総選挙で民主党は敗北するが自民党もかつての勢力を回復できない。今後の政局の鍵を握るのはみんなの党や大阪維新の会ではなく,小沢一郎氏のグループが民主党から分離して,議員数で公明党を上回るかどうかだという。
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三丁目の夕日の時代

2012-02-08 08:59:47 | Weblog
昭和39年が記憶のどこかにある人へ。

このムックでは西岸良平『三丁目の夕日』のマンガを随所に散りばめながら,あの時代を記録した数々の写真を掲載している。東京オリンピック,新幹線,YS-11,鉄腕アトム,鉄人28号,キングギドラ,チキンラーメン,GIジョー・・・ いすゞのベレットなんてクルマもあった。

三丁目の夕日の時代
´64(昭和39年)篇
(小学館C&LMOOK)
小学館

女性の事務職の呼称が BG(ビジネスガール)から OL(オフィスレディ)へと変わった経緯が興味深い。元々使われていた BG という呼称が英語では売春婦を意味するということで,雑誌「女性自身」が読者投票を行って選ばれたのが OL ということばだったのいう。

ところが,この話にはさらなる後日談がある(ご関心のある方は本書の98頁をお読み下さい)。いずれにしろ,BG も OL も和製英語であり,「日本の国際化」の折衷的な性格が何ともいえず面白い。その後 OL ということばは定着したが,いまや死語になりつつある感もある。
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ゼミ追いコン

2012-02-06 23:47:42 | Weblog
先週の金曜はゼミの追い出しコンパを行った(残念ながら2,3年生の半分しか参加しなかった・・・)。以下の写真は一次会のあと,大勢の通行人を気にしながら外で記念撮影したもの。参加者たちが盛り上がっている様子は伝わると思われる。



さて,今年度,当ゼミで卒論を提出したのは全部で7人。そのテーマを挙げると

プロ野球球団/ファンのツイート分析
アニメによる地域振興
深夜アニメの人気向上
音楽産業の無料配信への対応
AKB48の成功要因
クリエイティブシティ横浜市の可能性
パチンコ産業の将来

となる。このうち最初の3つは TWCTTC を用いて Twitter やブログのデータを収集し,TTM で分析している(うち2つは重回帰分析まで行った)。残りは公開資料や文献をもとに自分の所見をまとめている。基本的にみんな,自分の関心事について研究を行った。

追いコンでの挨拶である4年生が語ったように,この代では3年間のうちにゼミ生の数がほぼ半減した。最初のうちは自分のやりたいこととの違いが理由とされ,そのうち就活が忙しいことが理由になり,そして最後は卒論を書く時間がないということが辞める理由になった。

卒論の提出はゼミごとに定められた慣習であり,ゼミを履修することは必修ではないので,単位を取るという観点からだけいうと,4年になってもゼミを続けて卒論を書くことは全く効率的でない。それなのにあえて卒論を書いた7人のゼミ生たちのガッツは賞賛に値する。

では卒論の「レベル」はどうだったのか・・・ 毎度のことだが,あと数ヶ月あればもっと面白い研究になったのにと思う。就活が長引いて卒論に十分時間を割けなかったこともあるが,やはり教員の指導力不足も否めない。来年度はもっと前倒しでことを進める必要がある。

そもそもなぜ卒論を書く必要があるのだろう? すぐ思いつく答えは,大学が「学問を学ぶ」場である以上,最後に何らかの「論文」を書いて,学問の再生産の一端に加わる経験をすべきだ,というもの。典型的な模範回答だが,これを超える答えを出すことはなかなか難しい。

論文を書く経験はいつか必ず役に立つ・・・というのもありそうな回答だ。確かに就職したのち,その職場での懸賞論文に応募する可能性がないとはいえない。卒論の経験がそうした場で生かされることが期待されるなら,学術性とはちょっと違う要素が強調されなくてはならない。

いますぐ研究者になる可能性はなく,今後ビジネスの現場に出て行く学生たちを主な対象としたとき,卒論を書くことにはどんな価値があるのだろう? それは,企画書や調査レポートに置き換えてしまっていいことなのか? なかなか適切な答えが思い浮かばない。悩みは続く・・・
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