Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

データ錬金術

2009-01-31 23:27:56 | Weblog
データからイノベーションを生み出すことができるだろうか。標準的な統計手法を使ってデータを解析し,消費者の特定の行動が他のどんな要因と相関するかを調べることで,新しい画期的な製品やサービスのアイデアを創出できるだろうか。消費者があげる満足要因を充足し,不満足要因を除去することで,魅力的なデザインを生み出すことができるだろうか。常識的にいえば,それは非常に難しい。イノベーションとはこれまで存在しなかったものを創り出すことだから,消費者の過去の行動をいくら分析しても,イノベーションのネタを見つけることは難しいと。

しかしながら,膨大なデータを読み込んで,素晴らしいアイデアを生み出す現場の達人がいる。そうした逸話でよく聞くのが,読み込みとひらめきの間に「寝かせる」プロセスがある,ということだ。この場合,データ処理を担うのは脳の無意識の部分である。最近,脳神経科学や認知科学の研究によって,無意識の力が次々と明らかになっている。しかし,無意識に頼れば,誰でもいつでもいいアイデアを思いつくかというと,そんなわけにはいかない。したがって,このプロセスを人工的に再構成し,イノベーションを加速させようとする試みが行われることになる。

ここで重要になる手続きの一つが,データを適切に「切り分ける」ことだろう。データ分析に長けた実務家は,どこに分析を絞るか(裏返せば何を捨てるか)が見事である。それをコンピュータの力を借りて行おうとするのが,データマイニングだろう。アソシエーション・ルールや決定木の分析は,データの一部にうまく光を当てて,強く関連しあう変数群を発見する。顧客の一部に向けたプロモーションやリコメンデーションに成功する方程式を見出そうとする。普遍性はなくても,あるところで役に立てばよいと割り切るところに,マイニングの極意がある。

データマイニングとは文字通り,データのなかに埋もれている「金」となる情報を見つけ出すことである。だが,イノベーションのためには,すでに存在する「金」を掘り起こすだけでなく,いまは存在しない「金」を生成することが期待される。そのためには「切り分ける」だけではだめで,「混ぜる」「熱する」プロセスが必要となる。そこでうまく化学変化が起きれば,イノベーションの芽が生じる。成功したかどうかの判断は人間が行うしかない。つまり,一種のチューリングテストだ。だからこの考え方は,統計学よりは人工知能に親近性が高い。

では,「混ぜる」手法が人工知能や機械学習にどれだけあるだろうか。思いつくのが,遺伝アルゴリズムだ。それは複数の情報を「交叉」させることで,新しい情報を生み出そうとする。さらには突然変異で「熱する」のに近い操作を加える。しかしながら,現実に起きているイノベーションと比べると,そのプロセスはあまりに迂遠に見える。「混ぜる」と「熱する」は同時に進行すべきであるとするなら,もっと高速なアルゴリズムを考えられるはずだ。そこではデータの内的論理に「任せた」生成(=シミュレーション)が鍵になると勝手に推測している。

単に「切り分ける」だけから「混ぜる」「熱する」まで行うことは,採掘から錬金術への移行を意味する。データマイニングからデータ錬金術(data alchemy)へ・・・ 常識的には,それは非科学的で「妖しい」世界へ足を踏み入れることを意味する。だが,そこへ進むしかないと自分を後押しする流れがある。その一つが,マーケティング・サイエンスはどこまで役に立つのかという長年の疑問である。それが具体的にどんな手法になるのか,ぼくの頭の無意識下にある「ニューラル・コンピュータ」が,いま超高速で計算していると信じることにしよう。
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サービス工学WS@産総研・お台場

2009-01-29 23:34:37 | Weblog
お台場の産総研で開かれた「第1回サービス工学ワークショップ」に参加した。まず産総研の内藤氏が,サービス産業のベストプラクティスを数々取材を通じ,現場にどんな KPI (Key Performance Indicator ・・・最近よく聞くことばだ) が暗黙知としてあるかを語る。次いで,樋口先生,佐藤先生,照井先生が,統計科学的立場から,このWSの課題である「大規模データがサービスの設計と反証・修正にどのように貢献し、サービスの生産性の向上につながるか」について発表。そして井上先生が「本には書けなかった」データマイニング実践のさわりを紹介された。

こうしたきわめて真っ当な報告のあとで,ぼくが道化の役割を演じることになった。そもそもサービスの大規模データはどこにあるのだろう? そこには期待されるレベルの完備性があるのだろうか? そもそも,そうしたデータを分析し,モデル化することで,サービス・イノベーションを起こせるのだろうか? ぼくはそれを,第三者的に揶揄するつもりはない。なぜなら,自分自身がデータ集めにコミットし,学生たちに分析しイノベーションについて考えよ,とけしかけているからだ。その難しさを直視したうえで,ギリギリ何ができるかを問いかけたつもりだったが・・・。

次いでぼく自身のいささか乱暴な試みに話を進めたのが,余計だったかもしれない。それは,ある選択肢を選んで満足し,推奨意向を持った顧客から他者へ属性情報が移転するというモデルで,実データを一部用いて簡単なシミュレーションを行うという話。データから推定した個人の選択モデルをもとに,クチコミのシミュレーションをした,とだけいえばいいものを,実はそれ以上の目論みがあると口走ることで話が混乱した。現実のデータに含まれる問題をサンプリングによる再構成で克服するという構想を,どうしても語りたかったからだ。

話しながら,自分自身でも,本来区別すべきことを一緒くたにして議論していることが実感されてきた。聴衆を目の前にしゃべることで,自分の考えがどこまで正しく,正しくないかがわかってくる。そんなことにつき合わされるのは,いい迷惑だとは思うが,ぼく本人としてはいい機会となった。シミュレーションからセグメントが生成されるかどうかが鍵だという(とぼくが理解した限りでの)本村さんのコメントも,帰り道でその意義に気がついた。つまり,ぼくがやろうとしていることは,従来のマイニングとは少し違う「切り取り」なのだ。それは,きわめて本質的な視点だ。

ぼくのあとは,初対面の神戸の藤井さんがエージェントベース・シミュレーションの話をされる。そのあと,竹中さんが登壇されるはずだが,試験監督の仕事が待っているため中座した。主催者もまた,データさえ揃えば何とかなる,という単純な楽観主義に立たないからこそ,こうした会議を開催されたのだろう。だとしたら,自分はどこまで応えることができたか心許ない。最も反省すべきは,もっと堂々と,恥じることなく「狂って」みせることができなかったことだ。道化としても,まだまだ修行が足りない。
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殴り殴られる~カープが強かった時代

2009-01-28 23:56:32 | Weblog
理知的でクールなスポーツライターとして知られる二宮清純氏は,熱烈なカープファンでもある。TV界のカープファンとしては故筑紫哲也氏や久米宏氏が有名だが,二宮氏はジャーナリストとしての活動で,カープファンであることをあからさまに出すわけではない。しかし,二宮氏は近年「東京カープ会」なるイベントを主催している(しかも東中野で! 最近そのことを知って愕然とした)。昨年末に開かれた東京カープ会の様子が彼のサイトで紹介されている。ゲストとして招かれたのは,事前に告知されていた川口和久氏に加え,「あの」長嶋清幸氏と,今年からカープに移籍する石井啄朗選手だ。

そこでのトークの概要はすでに何人かのブロガーによって伝えられているが(「東京カープ会」で検索すれば,続々出てくる),何といっても長嶋氏の発言が最も注目されたようだ。一言でいえば,彼が在籍した頃のカープは「殴り殴られる」世界だったということ。無名の選手として出発し,激しいパッションで這い上がってきた男たちが,強いカープを支えてきた。高橋慶彦しかり,長嶋清幸しかり,正田耕三しかり・・・ 彼らは摩擦をいとわない。うまくいけば切磋琢磨して全体が強くなるが,両雄並び立たずという状況になれば,チーム内に留まれない。そうして個性的な戦士たちは去っていった。

なかでも,広島球団にOB扱いされていないという(本人の弁)長嶋氏は,ヨシヒコとともに「殴り殴られる」世界の先頭を切っていたようだ。だが,誰が真のOBかを決めるのは球団を運営する企業ではなく,ファンなのだ。ファンが球団の最大の資産であることは,典型例として,阪神タイガースを見れば明白だろう。ぼくは1986年,神宮球場でこの目で見た,リーグ優勝を決めた長嶋清幸の初回満塁ホームランを忘れない。それで十分なのである。

昨日,日中はつくばで非常勤。夜,新丸ビルで開かれたパーティへ。そのあと,数人で同じビルの7階に行く。おしゃれなヴァーチャル有楽町ガード下,といった不思議な空間。閉店時間も遅い。丸の内の変容ぶりはすごい。ここには,かつてリアルのガード下で繰り広げられた,サラリーマンの「殴り殴られる」世界は存在しそうにない。
 
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メディアの危機からメディアの再評価へ

2009-01-27 13:51:34 | Weblog
最近の『週刊東洋経済』から刺激的なタイトルを拾ってみる。

2008/10/25号 「家族崩壊」
2008/11/01号 「医療破壊」
2008/11/22号 「雇用大淘汰」
2008/12/20号 「自動車全滅! 」
2009/01/10号 「若者危機」
2009/01/24号 「百貨店・スーパー総崩れ!」

「崩壊」「破壊」「淘汰」「全滅」「危機」「総崩れ」…
そして2009年1月31日号では,

 テレビ・新聞 陥落!
 頼みのネットも稼げない

と「陥落」という表現が使われている。こうなると不謹慎ながら,次はどの業界に,どんな表現が使われるのか,楽しみになる。

週刊 東洋経済 2009年 1/31号 [雑誌]

東洋経済新報社

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それにしても,この大不況で,広告費に依存するTV,新聞等のメディア業界もまた業績が悪化するのは当然だろう。しかし,同誌のインタビューで日本テレビの氏家齊一郎議長は,広告費の減少は循環的というより構造的な変化だと述べる。つまり,流通の寡占化が広告からSPへのシフトを生み,製造業でも寡占化が競争を抑制したため,広告支出が減少しているという。

一方,同じ特集のなかで池田信夫氏は,インターネット広告市場の影響が大きいと指摘する。ネット広告費は数年後に新聞を追い抜きそうな勢いで増えているが,その背景には,激しい競争によるネット広告の低コスト化・低価格化がある。イノベーションが低コスト経営を可能にするネットに比べ,高コストのインフラを維持しているTVや新聞は困難に直面すると予測する。

現在の危機に対する診断は氏家氏と池田氏で異なるものの,メディア業界の再編成が避けられないという点では一致している(もちろん,そこで誰が勝ち残っていくかの展望は,「当然」異なっているわけだが…)。

広告主や広告会社がメディアの構造変化にどう対応すればいいのか,優等生的な答案はすでに書かれているといってよい。最近のマーケティングの教科書では,戦略目標は市場シェアではなく,顧客生涯価値(の総計としての顧客資産)だと書かれている。メディアプランについても,同じ原理に従えばいい。ただ,優等生の答案は,その通り実行することが容易ではない。

顧客資産といっても評価対象を広げすぎると,シェアと何も変わらなくなる。重要なのは,評価対象とする顧客をある範囲に限定することだ(実買層を,ということでなく)。さらにそれが,顧客資産に基づく ROI の評価を観測可能な範囲で完結させることになれば,シェアで考えるのと違った話になるだろう。顧客の焦点が正しく絞られていれば,それでうまくいくと。

そうなれば,シェアが重視された時代に視聴率や GRP が果たした役割は,広告主ごとに設定された顧客資産への貢献度が担うことになる。これは,購買への効果がわかりにくいTV・新聞に不利に働くように見える。しかし,もはや平均的消費者の効果は重視されないので,差別化された顧客ポートフォリオを提案できるなら,むしろ高い付加価値を享受できるのではないか…

…なんてことを考えさせる特集であったが,その前に目前の仕事を終わらせないとなぁ。

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デジタルデバイド土俵際

2009-01-25 23:56:30 | Weblog
先延ばしにしてきた Time Capsule (AirMac) のセットアップに挑むが,またうまくいかない。なんせトリセツにほとんど何も書いていない。AirMac の設定は非常に簡単だと,電気屋さんも,院生の東君もいっていたが,ぼくにはそんなことはなかった。つまり,彼らとぼくの間に,デジタルデバイドという大きな溝があるということだ。

そこで,こういうこともあろうかと加入していた「Nifty まかせて365」に相談。電話であれこれやり取りしながらやり直すと,なんとかうまくいった。相談1件1,890円。相談しなくても月額315円。デジタルデバイドぎりぎりのおっさんには,ありがたいサービスだ(だが,これからお世話になることがあるかどうかは,わからない)。

無線LAN(AirMac)のスピードは,期待したほどではなかった。それでも,デジタルライフのステージが上がったと内心大いに満足している。余勢を駆って,やはり先延ばしにしてきた iPhone 3G のバージョンアップを行う。出先で Google のストリートビューを見ることができる。ただそれだけのことだが,ぎりぎり置いてきぼりを免れた思いだ。

正直,こういうことは面倒なのだが,全く無縁で生きていけないのが辛い。目下の検討課題は MacPro の導入。MATLAB の Parallel Computing Toolbox を合わせて導入することで,(いずれ)2基の Quad Core CPU を活かした並列計算が可能になる。だが,それを使いこなす自信はない。これはさすがに Nifty さんに相談するわけにはいかない。
 
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経済政策論争に「集合知」は生まれるか

2009-01-24 23:34:38 | Weblog
『新潮45』1月号で榊原英資氏と岩井克人氏が対談している。タイトルは「金を使うなら頭を使え!」。岩井氏は「かくも巨大な金融恐慌を生きている内に目撃しえたことに心底驚いています。しかし,起こったこと自体には驚いていない。資本主義は本質的にこうした不安定さを持っていると常に主張してきましたから」と述べる。そして,この不安定性を政府の介入や規制でなんとか抑え込むことを主張する。『不均衡動学』発表から四半世紀,その主張は確かに一貫している。

新潮45 2009年 01月号 [雑誌]

新潮社

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現在の不況からいかに脱するかについて,榊原氏も岩井氏も金融政策はもはや有効でないという点で一致する。岩井氏は,各国が協調して財政出動することを提唱する。世界経済を一国経済とみなせる場合,再びケインズ政策は有効になるという。榊原氏は政策協調の可能性には懐疑的で,ミクロの産業政策を提唱する。いずれも政府にそれなりの役割を期待する考えだが,異論を持つ経済学者も少なくないはずだ。金融政策を重視する説,あるいは自由放任主義などなど。

専門家の意見がここまで分かれることが,たとえば医療の世界にはあるのだろうか。セカンド・オピニオンという概念があるぐらいだから,所見の対立は珍しくないはずだ。とはいえ,それは経済政策ほどではないと思われる。なぜなら,政策論争の底流には,個々の業界や地域への利益誘導や政治的思惑がうごめいているから。そこに知的ゲームを得意とする学者や専門家が参入すると,議論が華やかになる一方,出口はますます見えにくくなる。さまざまな私怨も入り込む。

だが,それでも政治評論に比べればまだましかもしれない。『新潮45』の同じ号に,政局を扱った論稿がいくつか載っているが,その多くが「政界再編成」を期待するトーンになっている。しかし,何の政策を基軸に政界再編成をすべきなのか,それによって国民にどんないいことが起きるのかが,どれを読んでもはっきりしない。そんなことより,小沢氏が加藤紘一氏を担ぎ出すとか,小泉元首相が再登板すべきだとか,東国原知事を自民党総裁にしろとかいった話に終始している。

誰を頭に据えるとか離合集散の話は,ドラマとしては面白い。ただそれは,深刻な経済危機から脱することに直接関係しないように思われる。もちろん,今後どういう政権が実現するかは,日本経済の行く末に影響を与えるだろう。しかし,当面の危機を即座に解決する妙案は,どの政権にもない。大恐慌からの真の回復は,第二次世界大戦による軍需拡大を待つしかなかったという説もある。そうした過激な療法は副作用が大きすぎるので,基本は自然治癒を待つことである。

本屋にはいろいろな経済書が溢れているが,マクロ経済学を本職とする経済学者(その線引きは必ずしも明確ではない)の手になる本は必ずしも多くない。かつてなら『現代経済』とか『東洋経済 近代経済学シリーズ』といった,学会誌でも一般経済誌でもない雑誌があって,そこで経済学者たちの論争が掲載されていた。いまや論争はウェブに移行しているのかもしれないが,フェーストゥーフェースの座談会や準アカデミックな論文を通じた論争も捨てがたいものがある。

そういえば,一世を風靡した「集合知」という見方は,経済学者やエコノミストたちの論争に対しても適用可能だろうか。つまり,利害や思惑,あるいは複雑な感情をうちに秘め,差異化そのものを好むかのような人々の議論から,それでも何かが集約されて「知」として浮かび上がってくることがあるのかどうか。最近 "Marketing 2.0" というスローガンのもと,集合知をマーケティングに活用しようという主張がある。マクロ経済の世界にそのお手本があると心強いのだが…。

「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー,小高 尚子
角川書店

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最近出たばかりの以下の本は,むしろ差異(difference)の役割を強調する(それが原題だ)。 著者は,政治行動のエージェントベース・モデリングで知られる研究者なので,政治的思惑が絡んだ経済政策の論争がどこに向かうか,それを好ましい集合知を生み出す方向に誘導可能か,といった問いを投げかけてみたくなる。現時点でそこまで答えられないのはしかたないが,社会科学的リアリティを踏まえた集合知の研究が進むことで,そこに徐々に近づいていくと期待しよう。

「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき
スコット・ペイジ
日経BP社

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クリエイター研究への一歩

2009-01-22 23:53:47 | Weblog
ランニングマシンをひたすら走る中年男は,ビジネスの競争に勝ち残りたいのか,それとも若い女の子にモテたいのか… というありがちな「説明」は,真実を見逃しているかもしれない。走る中年男の頭に半ば無意識に去来した14歳の思い出が,彼をしてそうさせているのでは,という「仮説」がふと頭をよぎった。今日,都内某所,比較的少数の企業人が集まったセミナーでのことだ。

きっかけは,有名スポーツ用品メーカーのコミュニケーション戦略に関する議論。14~22歳がターゲットだというが,実際の購買層はジムで走っているオヤジたちではないかという質問に,講師の佐藤さんの当を得た答えは,50代でも気持ちは若者のままいる,というもの。そう,そうなのだ! なぜなら,誰しもかつて輝ける若者であったから。そして,その記憶は消えることがないからだ。

もちろん,あらためて聞かれれば,自分が50代であることを認め,最近体力が低下しただの,老後が心配だの,相応の答えをいうかもしれない。それはもちろん,嘘ではない。だが,きっかけさえあれば,彼(女)は自分の現在にふさわしい役割を忘れ,若き日の自分の気持ちに戻る。だから,雪の上でサッカーボールを追いかけている少年の映像に,一瞬自分を重ねることができる。

こういう見事なパスを,人と人の気持ちの間に通すことができる人をクリエイターと呼ぶ。誰の気持ちにもあるが,それをいわれるまで意識しないことが,彼(女)の頭に浮かぶ。他者の頭のなかで起きる感動や驚きを,それが実際起きる前に自分の頭のなかでシミュレーションできる。そしてもちろん,シミュレーションを現実の刺激に変換できる能力を持った人,それがクリエイターだ。

さらに面白かったのが,佐藤さんの語る,クリエイターがインサイトを得るための方法論だ。まず自分が実感できるか尋ねてみる。それができなければ,他のスタッフに訊く。だめなら,自分やスタッフが持っている人的ネットワークで探る。それでもだめなら調査… ただし参与観察型のそれを行うという。これは「共感」のエゴセントリック・ネットワークといえるかもしれない。

繰り返しになるが,他人が何に喜び,驚くかを自分の頭のなかでシミュレーションでき,そこで実際に喜びや驚きを創りだす。そのために,自己から周囲へ「共感性の」(もっといい表現がないものか…)ネットワークを張り巡らしている。何かこのへんに,優れたクリエイティブワークを「理論化する」ヒントが隠されているような気がする。

クリエイティブ/クリエイターの研究,いつまでも先延ばしにできないと強く思った夜。
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消費が複雑系である証拠

2009-01-21 19:31:22 | Weblog
昨夜は遅くまで起きて,米国のオバマ新大統領の就任演説を聞いた人も少なくないだろう。ぼくは聞かなかった。翌日(今日)のセミナーの準備で,それどころではなかったからだ。今回は選択の文脈効果の話をした。冒頭で,大きな本屋では平積みされている『予想どおりに不合理』の話題を出した。この本が第1章でまさにこの問題を取り上げているからだ。マーケティングよりの行動経済学にとって(著者がそうだ),文脈効果は大きな鉱脈だ。そこには,まだ掘り起こされていない,誰も知らない,大きな研究資源が隠されているような気すらする。

予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」
ダン アリエリー,Dan Ariely
早川書房

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ぼくの文脈効果との出会いは,片平先生の『マーケティング・サイエンス』を初めて読んだときである。選択理論の正則性(regularity)を破るものとしての,非対称に優越された選択肢(おとり)の話にわくわくした。マーケティング・サイエンスの奥深さに触れたような気がした。だが,それ以降,このテーマは単なる知識として,頭のなかにしまってあるだけであった。だが最近,「選択における葛藤」の実験プロジェクトに関わり始めて,文脈効果への距離がぐんと短くなった。昨年秋,JACS で都築先生の発表を聞いたことも大いに助けになった。

マーケティング・サイエンス
片平 秀貴
東京大学出版会

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今度は,院生の山田君が,JMR1月号 に,文脈効果(魅力効果)を fMRI を使って脳神経科学的に研究した論文が出ることを見つけてきた。これがとりあえず,発表されている限りの,文脈効果研究の最先端といえるだろう。この研究では,選択の文脈効果と負の情動が相関していることが示されている。それは,従来の研究で多かった,意思決定方略のバイアスだという説明を排除するものではないが,ただ,それだけで説明しようとする旧来の認知科学的バイアス?を排除するものだといえる。情動と理性は隣り合わせなのだ。

文脈効果の素晴らしいところは,選択という行為が,選択肢間の相互作用を無視して語れないことを示唆している点にある。たった3つの選択肢であっても,そこから思っている以上に複雑な関係が発生する。人間関係の複雑さが,3者関係から生じるのと同じことである。それによって,単純にして美しい選択モデルの世界にとどまることはできなくなるかもしれないが,むしろ複雑にして美しい世界へと進むことができる。どちらを研究者として幸せに思うかは,人それぞれであろうが,ぼくは(少なくともいまは)圧倒的に後者を好む。

もちろん,現段階の研究は,地道に一歩一歩進んでいるので,そこからいきなり消費の複雑系が現れ出ることはない。しかし,その可能性を秘めていると,ぼくは思う。もう一つの課題は,それをどう実務に生かしていくかだ。優れたセールスパーソンの説得テクニックを解明するという以上に,もっとダイナミックな応用はないだろうか。それを考えるには,おとりの戦略だけを考えていては限界がある。ただ「おとり」という表現自体に,生物界や人間界のリアリズムに近い気配がある。同様の画期的なアナロジーが,新たな研究の突破口になるかもしれない。
  
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若者はスポーツカーに飛びつかない?

2009-01-20 23:34:25 | Weblog
ちょっと前のことだが,大前研一氏のブログに次のような記事があった:

 トヨタ赤字決算の原因は、無理なグローバル化

それによれば,トヨタの赤字は,世界各地での設備投資が過大になって減価償却費が増えすぎたせいで,キャッシュフローは十分あるから,そう深刻な危機ではないという。大前氏は,これを機に製品ラインを整理したり,研究開発費を一時的に絞ったり,あるいは,広告費を5分の1に削ったらどうか,と提案する(それだけでも赤字は消える,と)。最後の部分は,広告業界やマスコミ業界にとって恐ろしい話だろう。

それはともかく,個人的には,大前氏の次の発言が気にかかる・・・

「日本におけるレクサスの販売や今回延期となった小型スポーツ車の開発などを見ていても、未だに「若者=スポーツカー」という発想なのだ。今は低価格であっても若者がスポーツカーに飛びつく時代ではないと私は強く感じている。」

若者のクルマ離れ,とはよくいわれることで,自動車各社も十分認識していると思われる。自動車各社は巨費を投じて消費者調査を行っており,コンサルティング会社や広告会社などを動員して,様々な角度から分析している。そこからトレンドを導き出すことによって,「若者=スポーツカー」が正しいかどうか,どんな判断を下せるだろうか? そうした分析の結果をぜひ聞いてみたい。しかし,本当のところ,その判断は非常に難しいだろうなと思う。

その理由は単純で,消費者の潜在的な欲望はそれが顕在化するまで,本人にすらわからないからである(それができるなら,もはや潜在的とはいえない)。人間は,具体的な対象を目にしないと欲望を顕在化できない。もう少し一般化していえば,連続的な変化の予測はできても,非連続的な変化の予測はきわめて難しい。そして現実の市場では,そうした変化の存在を無視できない。だからわれわれは,つねに現実に「裏切られ」ている。

ここでぼくは,調査データの分析が無意味だといいたいのではない。それは当然やるべき作業なのだが,通常の分析で仮定されている連続性が,やはり最後には障害になる。これからどうなるか,自分はどうすべきか,という2つの問い(これらは相互に依存し合う)に直面したとき,連続性の仮定は役割を終える。しかし,あとは想像力に任せるだけ,とはいいたくない。そこに新たな「科学」的アプローチが可能だと信じたい。

人には経験と想像力があり,直感力がある。と同時にデータもあり,それとの対話からも洞察が得られる。それはたとえば「チャンス発見」という考え方に通じるかもしれない。ただし,そうしたプロセスで,ぼく自身はデータそのものに内在する隠れたロジックを掘り出し,「外界」に解き放って自由に飛び回らせる局面を重視したい。いったんは,できるだけ観察者の主観を介入させずに,「自然の」成り行きを観察していたいと思う。

それがシミュレーションだ,というのがあらかじめ用意されたかのような答になる。かつてはシミュレーションが現実の記述として正確なことをどう担保するかに関心があったが,いま少し考えが変わってきた(もちろん,設定があまりにアドホックに見えるモデルへの反発は消えないが)。もっとも,何をどうすればいいのか,はっきり見通しが立っているわけではない。進むべき方向だけが,漠然と見えている状態だ。

さてさて,若者はスポーツカーに飛びつかないだろうか? ジョブズのあとのアップルはどうなるだろうか? 来年の日本は? 数年後の自分は,一体何をしているだろうか…
 
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革新的で便利なのに売れないのはなぜ?

2009-01-19 23:40:41 | Weblog
長年愛用していたシャープペンシルの「最後の1本」を無くしてしまう。「最後の1本」というのは,あらかじめ何本か買い置きしていたから。製造中止になってからおそらく10年以上経つ。ずっと失くさないできたのに,ここ数ヶ月で一気になくなってしまった。今度はどこからか出てくる気配もない。もう二度と手に入らないかと思うと,あまりに悲しい。

ぼくが愛用してきたのは,PILOT の「クラッチポイント」だ。芯がぎりぎりまで固定されるので,芯が短くなるとクルクル回って書きにくい,ということがない。実は,クラッチポイントというシャープペンシルは,まだ売られている。しかし,これはぼくが気に入っていた旧製品と違い,握りが太くて手帳に納まりにくい。一見高級感を出しているが,逆効果だ。

クラッチポイントという技術に最初に出会ったとき,非常に画期的だと感じた。その後,それを上回る技術を持つシャープペンシルはあるだろうか。PILOT はこれを製品ラインに残しているが,多くの文房具屋には置いていない(最近はチェックしていないが,昔扱っていた伊東屋からも姿を消した)。需要がないからだとしたら,なぜそうなのか,ぼくは理解できない。

最近,三菱鉛筆の「クルトガ」というシャープペンシルが革新的だと聞いて,早速試しに購入した。こちらは,芯が自動的に回ることによって,芯の先がまんべんなく減るようにしている。だから書きやすい,というわけだが,ぼくはまだ,そのよさを実感できないでいる。むしろ芯が不安定で,筆圧の強いぼくには書きにくい感じがする。

だんだんシャーペンを使わなくなっているのは確かだ。ほとんどの文章は PC で作るので,せいぜい手帳にスケジュールを書いたり(いずれ iPhone で,と思うが),メモを取るのに使う程度。だったら,どーでもいいはずだが,何かアイデアをまとめるときは手書きが欠かせない。ボールペン,しかも「消せるボールペン」にすれば万事解決か?

いくらパワポが普及しても,板書はなくならない。数理モデルを検討するにしろ,実務の調査計画を立てるにしろ,発想と意思疎通にはホワイトボードが欠かせない。会社でも大学でもお世話になった。ボードに絵や字を書いたらそのまま PC に取り込まれるというアイデアはだいぶ前からあり,一部製品化されたが,あまり普及していない。

非常に強いニーズがあるように(少なくともぼくには)思え,技術的な解決策がすでにあるはずなのに,それが売れない,あるいは売らないのはなぜなのだろう? イノベーションとか MOT とかの本を読めば,その秘密が書いてあるだろうか…。
 
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「ゼミ」という日本的仕組み

2009-01-17 17:58:50 | Weblog
昨日は「統計学」最後の授業。出席を取らない授業で,最前列に座りながらずっと突っ伏して寝ている学生もいれば,演習問題の「正解」に誤りがあることを指摘に来た学生もいる。そうした両極の間にいる学生が,どれだけ講義を理解してくれたか。それは,来週の今頃はっきりするだろう。

ゼミでは,来年度何をするか話し合う。多くの学生が R を勉強する覚悟を決めている模様。言い出しっぺのぼくが日和ってはいけない。教科書に選んだのは『Rによるやさしい統計学』だ。R のインストールから主な統計手法の解説まで,なかなか親切な作りだし,事例も現代的だ。

Rによるやさしい統計学
山田 剛史,杉澤 武俊,村井 潤一郎
オーム社

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ぼくが教える学部では,教養の選択科目に「統計学」があるものの,実際のデータ解析を学ぶ場は,個別のゼミか,あとは本人の自習しかない。ゼミの役割がきわめて重要だが,そこで何を学ぶかは教員次第,運次第である。つまり,日本の大学とは,よくも悪くも「私塾」の集合体なのだ。

今日,ニューヨークの高田さんと久しぶりにお会いする。ランチョン→ラドリオという神保町の歴史を訪ね,やや長めのランチをとる。日本の大学のゼミはいわば教員付サークル活動だが,米国の大学にはそのような仕組みはない。小クラスでの「補習」を,院生のTAが行うぐらいだとのこと。

日本の大学では試験監督からイベントの見回りまで,何から何まで教員に降りかかる(実際,今後1ヶ月,4日に1日はそうした「業務」が待っている)。米国の大学の教員から見れば,信じられない慣習が多すぎるにちがいない。日米の大学システムはあまりにも違うのだ。

では米国型システムを導入すべきかというと,日本の教員の多くは反対だろう。米国流の激しい競争はいやだということもあるが,学生とのウェットな関係が決して嫌いじゃないからだ。多くの学部ゼミOBに囲まれての記念写真。多くの大学教員がうれしそうに写真に収まっている。

ぼく自身はどうか? そういう機会があれば,間違いなくうれしいはずだ。入試の監督など,どう理屈をつけても幸福には感じられないが,ゼミという制度には希望がある。一部の学生には不運だったとしても,小さな私塾を好き放題のカリキュラムで運営するのは「教師冥利」に尽きる。
 
そうそう,高田さんから新著をいただいた。

マーケティングリサーチ入門 (PHP BUSINESS HARDCOVER)
高田 博和,奥瀬 喜之,上田 隆穂,内田 学
PHP研究所

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簡潔にまとめられた,マーケティング・リサーチの教科書である。標準的に習得すべき事項がきちんと網羅されている点で,全国の商・経営学部やBスクールで採用されるべき教科書だといえる。こうした流儀が,米国流大学教育の優れた点であり,大いに学ぶべき面だと思う。

一方,ゼミという私塾では,標準にとらわれず,ユニークな勉強をしたい。しかし,学部レベルでいきなり標準を外れることは難しい。そこで優れた標準をいくつか用意し,その組み合わせにユニークさを発揮するのがよいのではないか。もちろん,いうは易く,行うは難し。やってみなけりゃ。

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ぼくもロボットを作る

2009-01-15 23:53:50 | Weblog
昨日朝,中央大学理工学部の構内で教授が刺殺された。犯人が誰かはまだ不明のままで,動機も背景も全くわからない。NYの大学には,入口に拳銃を持った複数の警備員が立っていたし,治安のよさそうなシンガポールでさえ,IDを見せないと大学に入れなかった。日本でも安全神話が地に堕ちてしまった結果,特に都市部の大学では早晩,厳しい入館チェックが行われるようになるかもしれない。

「Cマーケ」は後期最後の授業。ふだんより,多少出席者が多い。今回はクリエイティブクラスの話をした。職業に関係する話なので,就活中の3年生は少しは興味を持ってくれただろうか…。就職先の条件としてドレスコードを気にするかどうか聞いてみたが,誰も手を上げない。そんな贅沢はいってられないということか,元々そんなことに関心がないのか,いまや職場のドレスコードはどこでもさほど厳しくないということか…。

週末の余波は続いている。本屋をはしごして,いくつか気になる本を探す。まずは池上先生の講義で取り上げられた,ブライテンベルク『模型は心を持ちうるか―人工知能・認知科学・脳生理学の焦点』(哲学書房)を探すが見つからない。amazon でも品切れになっている。飲み会で話題になった(金子先生の研究に関連するはずの)様相論理学の文献を探すが,そもそも論理学の文献はきわめて少ない。

池上さんが「社会」について考えさせられるとして薦めていたカート・ヴォネガット。こちらはハヤカワ文庫に何冊も収められているので,むしろ,どれを読むべきかで悩むことになる。とりあえずタイトルがなんとなく記憶にあった『猫のゆりかご』を買う。

明日の「統計学」の教材を用意する。頼まれていた学部のパンフレットの原稿を書く。月末の「サービス工学ワークショップ」に向けて,アブストラクトを書く。そこで「構成論的」ということばを「初めて」使った。人間の心の働きを知るために人工知能を作り,生命の働きを知るために人工生命に挑戦するように,ぼくもまた理解したいもののために「ロボット」を作ることにしたい。そうは書かなかったが,そういう気持ちで書いたことは間違いない。
 
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動き,つくる@つくばと笠間

2009-01-12 23:22:40 | Weblog
昨日は笠間に行く。茨城県陶芸博物館では,茨城にゆかりのある板谷波山,松井康成という陶芸家に焦点を当てた展示をしていた。ぼくのような素人にも,これはすごいと思わせるのが,練上という手法で作られた松井康成の作品である。多彩な色や微細なひび割れが,ゆらぎを伴う反復で構成されている。前日の講義で聞いた Class 4 ということばが頭をよぎる。

すぐれた陶磁器を鑑賞し続けることで,いずれその価値を見極める眼を養うことができるだろうか。それは,社会的に共有された価値序列を学習するということなのか,それとも普遍的な美に目覚めるということなのか。その差異を厳密に区別することはできるのか。それを示す実験は可能だろうか。ぼくにとって,ワインのテイスティングの研究以来,未解決の問題意識である。

そして今日は池上さんの講義2日目。いよいよ『動きが生命を作る』の中心テーマに話が進む。取り上げられるのは,ビークル,油滴,アート。生命を「中間層」として研究する方法論としての人工生命。それは,かつて耳にしたラングトンやレイの研究を超えて進んでいる。油滴を通じて,化学システムとしての人工生命まで研究が及んでいるのには驚いた。そしてデジタル音楽。

動きが生命をつくる―生命と意識への構成論的アプローチ
池上 高志
青土社

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池上さんの主な関心は一貫して生命に向けられているが,ぼくの関心はそれよりは「社会」,あるいはもっと俗っぽい消費の世界にある。そこでの構成論的なアプローチの可能性について,かつてないほど肯定的な気持ちになっているが,現実はなかなかそれを許さない。明日からは,たまりにたまったマーケティング・データの解析の宿題をこなさなくてはならない。

もちろん,データ解析を構成論的(constructive),生成的(generative)アプローチと対置させるのは,安易すぎると思われる。ステレオタイプを脱却して,手を動かさなくてはだめだ。そして,ときどき自己を客体化して反省すること。そのためには「旅」というプロセスが欠かせない。今回のつくば~笠間~つくばの旅のような機会を人生に織り込んでいく必要がある。
 
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口舌争半吉

2009-01-11 23:24:29 | Weblog
今日,笠間稲荷で引いたおみくじ曰く「口舌争半吉」だと。どういう意味なんだ? 口頭で議論すると,幸が薄くなるということか。わかりました。今年は学会その他の口頭発表は減らして,論文を書くことにしよう。
 
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ラディカルな研究者たち

2009-01-11 08:59:37 | Weblog
昨日,年末に買ったカーナビを搭載して,つくばに向かう。吸盤でダッシュボードにつけるタイプだが,走り出して10分ほどするとポロリと落ちる。仕方なく音声ガイドをたよりに,首都高から常磐高速へ。あとは勝手知ったる道のりである。「研究学園」駅の近くに新たにマンションが建っている。オランダだったか欧州の新興都市で見た光景と重なる。とにもかくにも時間通りに到着。

午前中,秋山研で実験の打ち合わせの後,池上高志先生の集中講義を聴く。タイトルは「構成論的アプローチと複雑系」。休日なのに学生が大勢集まっている。そこに混じって講義を聴くが,休み時間に聞こえてくる雑談から,それなりの読書量,問題意識が伺える。最近学生といえば「あちら側」の存在としてしか見ていなかったが,今回「そちら側」に立ってみたことで,ふだん見えていなかったものがちらっと見えた。

さて,池上さんの話だが,今日は基礎編ということで,最近の物理学ないし複雑系の研究が達成した重要な成果であり,彼の研究を基礎づける10のテーマが語られた。それらを,講義に登場した順に列挙すると以下の通り。

Dissipative Structure(散逸構造)
Chaos
Class 4
SK Model (Spinglass)
Stripe
Shift Map
Open Dynamics
Dynamic Recognizer
Demon (Maxwell's)
Shape Grammar

冒頭,池上さんは自分の立ち位置として,意味のレイヤーと原子・分子からなるレイヤーの「中間層」を研究対象とすること,それらを他方に還元しないことを宣言する。十分理解したわけではないが, それが従来にない独自の学問領域を作ることであり,非常にラディカルなアジェンダだということはわかる。この話は講義のあとの食事会でも続く。

池上さんに,もっとラディカルになるべきだとけしかけるのが,金子守先生だ。金子先生にご自身の専門分野(ゲーム理論)でこれまでラディカルであった研究者は?と問うと,筆頭がフォン・ノイマンで,かなり差が開いて(!)ナッシュである,という答えが返ってきた。そのあとは,おそらくもっと差が広がるのだろう,特に名前が挙がらなかった。

いうまでもなく,ここでいうラディカルとは,単に既成の権威に反抗しているという意味ではなく,学問を本質的に飛躍させるという意味である。それを追求する二大巨頭を前に,少し酔っぱらいながらも緊張した時間を過ごした。この二人を悠然と見守る秋山さんもすごい。そして,物怖じせず発言する院生,学生たちに希望を感じる。

ぼくの専門であるマーケティングや消費者行動は,いわばべったり意味のレイヤーの側にいて,経済学や心理学から借りてきた「科学的」手法を切り貼り的に使いながら,何らかの物語を紡いでいる。ぼくとしては,そういう世界をそれなりに居心地がいいと感じながらがも,より普遍的なレイヤーでの研究への関心も断ち切れない。

そちら側でたいした研究ができないとしても,フィールドワークする生物学者が理論家に数理モデル化すべき現象を提供するように,何か面白い現象を発見したり,理論家たちに通訳したりするぐらいのことはできるかもしれない。消費者行動研究には,そのためのいいネタがあると思う(これが昨夜のぼくの発言で,最もましなことかな・・・)。

ホテルに帰り,おにぎりでも買おうと近所のコンビニを探すが,あるはずのところにない。寒風吹きすさぶなか,深夜営業のスーパーまで歩く。ほとんど人影がない広大な空間に,イルミネーションで彩られたたくさんの木々が明るく光っている。つくばとはつくづく妙な場所だが,見えないところで多くの知性がうごめいている。
 
次回の集中講義は月曜日。
 
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