Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

日本商業学会@関西大学

2009-05-31 23:32:35 | Weblog
関西大学で開かれた日本商業学会に参加した。会場でもらった予稿集のプログラムを見ると,ぼくの発表のタイトルが「インフルエンザ・マーケティングは可能か:見えないネットワークをマネジメントする」になっている。もちろんこれは「インフルエンサー」の誤植。ここ数週間の大阪の状況が推察される。会場には相当数のマスクが用意されたらしいが,1時間遅刻したぼくには,すでに1つも残されていなかった。

タイトルを「クチコミ・マーケティングは どこまで有効か: 複雑ネットワークモデルが教えること」として報告。@cosme のお気に入り登録を用いたリコメンデーションを提案する山本さんの発表と,ネットワーク外部性に対する知覚とその影響に関する国際比較の調査を進める岸谷さん,川上さんの発表の狭間で,消費者間相互作用に関する自分の研究を紹介した。チェアの井上さん他,何人かの方からコメントをいただく。

商業学会のオーディエンスの質問は,テクニカルな点より,概念的な枠組みに迫ってくる。それに的確に答えられないのがもどかしい。2日目も朝からさまざまな発表を聞くが,過去の研究の系譜を踏まえた理論と少数例の事例とを往復しつつ,問題を提起するタイプの発表が多い。その作法をまだ体得していないせいか,それぞれの主張の核心をなかなか理解できない。だから新鮮で刺激的でもあるし,ストレスフルでもある。

ある意味「予告編」だけ次々見続けているような感覚。確かに現実をベースに,面白い問題が提示されている。周到なレビューで過去の研究の到達点が示されている。では,これからどうするか・・・ そこがオープンクエッションになることに,最近は「問題発見」の重要性をより感じるがゆえに,昔ほど否定的にはならない。実際,勉強にもなったわけだが,同時に答えを出すことに対する強い欲望もわいてきた。

各セッションの合間や夜の飲み会で,ふだんそれほど(あるいは全く)話す機会のない方々とお話しすることができた。それがそれだけのことで終わることなく,いつか何かにつながるのではないかと思う。6~7月,JIMS,JACS,DM,JASMIN と学会が続く。そこでは発表の機会はないので,自分を未知の人に知ってもらうことは難しいだろう。しかし,自分がこれまで縁のない研究(者)を広く知る機会にはなる。

ところで今回,スーパーホテルCity大阪温泉に宿泊した。スーパーホテルはサービスイノベーションの例として,最近注目を浴びている。価格的には東横インやアパなどと同じクラスのビジネスホテルだが,従業員の気配りや親切さは,並のシティホテルを上回っている。部屋は狭いが,あまり圧迫感がない。机が広く,コンセントやLANケーブルが便利な位置にあり,仕事しやすい。こうした当たり前の配慮がないホテルが多い。

収納場所に一切扉がなく,ルームキーや部屋の電話がないなど,コスト削減のためと思われる工夫がいろいろなされている。ただ,ルームキー(最近はカード式が多い)の代わりに暗証番号が記されたシートを持ち歩くことには,慣れないせいか紛失しないかと多少不安になる。枕を自由に選べるのは,このホテルのサービスの目玉の一つのようだが,枕にほとんど好みがないぼくにとっては,さほど魅力に感じられない。

今回ぼくが泊まったホテルには温泉がある。スペースは思ったより広く,なかなか素晴らしい!ホテルでありながら,構内を浴衣で歩くことができるのはある意味で便利だが,ロビー横のレストランで浴衣姿の宿泊客と一緒に朝食をとるのは,少し抵抗がある(一晩寝た,汗まみれの寝間着なわけで・・・)。もっとも旅館ではそう思わないのだから,偏見ともいえる。今度は別の場所でも,スーパーホテルを試してみよう。
 

三ノ宮のバフチン

2009-05-30 00:38:43 | Weblog
大阪に来た機会に,ネットワーク自己相関モデルの第一人者,渡辺さんと三ノ宮でお会いし,社会ネットワークの計量分析について相談。ぼく自身の問題意識を,ある程度は理解してもらえたかな…。話は最後「哲学への憧憬」に及ぶ。理工系でありながら,すでに数々の思想書,哲学書を渉猟している渡辺さんはバフチンを薦める。ヘーゲルの弁証法とは異なる対話の思想がそこにあるという。いつか,マーケティングサイエンス学会で「哲学」の発表をしようと「約束して」別れる。

11時過ぎに店を出て,快速に乗って余裕で尼崎に到着,iPhone で「乗り換え案内」すると,目的地まで5時間かかると出た。はー? よく見ると,その先の地下鉄が終電を迎えており,始発に乗れというのだ。では,大阪駅から地下鉄で,と思いきや,こちらも終電に間に合わない。結局,大阪駅からタクシーで帰還。土佐堀とか,靭公園とかいった地名から,ずーっと昔に両親と来た記憶が甦る。大阪で過ごす時間は,懐かしく,寂しく,悲しい。かすかな悔恨の念もある。

ガチンコ歓迎!党首討論から比較広告まで

2009-05-28 23:24:20 | Weblog
政治とクルマ,たまたまの取り合わせだが,ちょっとばかし欧米風のガチンコの喧嘩が起きている。大いに喧嘩してほしい。ただし,フェアに。

27日の麻生,鳩山両氏の党首討論。メディアは政策論争がないと批判しているが,両氏が感情的になっている姿を楽しく見ることができた。政治とは突き詰めれば喧嘩なのだから,人は「本能」に従い感情的になる。そこに,その人間の本質が垣間見える。いまのところ,両党とも党首討論の継続に前向きだ。毎回あっちが勝った,こっちが勝ったという議論が続けば,日本の政治は進化するのではないか。そしていずれ,感情をコントールしてディベートに勝とうとする,欧米型の政治家が主流になるだろう。

日本では政治だけでなく,企業もまたガチンコで喧嘩する時代になってきた。もちろん,政治も経済もいままで互いに抗争,競争してきたわけだが,公開の場でフェアに角を突き合わす光景は乏しかった。党首討論が珍しいのと同様,企業の比較広告もまたなきに等しかった。日本の消費者はそれを好まない,という説明をよく聞いたが,本当にそうだとわかっていたわけではない。しかし,状況は変わってきた。「あの」トヨタが比較キャンペーンを公然と始めたのだ。これは,大きなインパクトを秘めている。

業界騒然!ホンダ「インサイト」をコケにする トヨタ「プリウス」の容赦ない“比較戦略”

この記事では,新型プリウスの新車発表会で行なわれた,インサイトを揶揄する「寸劇」について紹介している。ただし,アップルがラーメンズを使ってウィンドウズをバカにした CM のように,一般の消費者の目に触れるところまではいっていない。トヨタのディーラーのなかはホンダのインサイトを買い上げ,プリウスと比較試乗させている企業もある。何て露骨な,と眉をひそめる消費者はそう多くないと思う。よくやった,トヨタ! ホンダも負けずに頑張れ! と思う消費者がほとんどではないだろうか。

これまでだって,ディーラーのレベルでは,お互いライバル車の批判を顧客に語っていたはずで,比較キャンペーンはそれをよりオープンにしたものとなる。その結果,お互いに根拠のないことはいいにくくなるはず。そうなれば,お互いにイノベーションの刺激になるだろうし,価格や機能とは別の次元で差別化する方向も出てくるだろう。党首討論を真似て,競争する各社の開発責任者がガチンコ討論会をするなんてだめだろうか? 市場では別に過半数を占める必要はないわけだから,政治ほどシビアにはならない。

ガチンコ討論会という意味で「学会」はどうか,という方向に話題を振りたくなったが,今日はやめておこう。

事例研究からノンフィクションへ

2009-05-27 22:41:23 | Weblog
これまで,仮説→データ収集→検証とか,モデル構築→データへの当てはめとかいう研究ばかりしてきたが,それでは見えてこない「事実」は,取材(聞き取り)と観察に基づく事例研究で探るしかない。ハーバードビジネススクールのケースの場合,意思決定者が実名で登場して,まるでノンフィクションを読むような気持ちにさせる。ただし,ノンフィクションと違うのは,最後が意思決定の課題で終わることだ。「結末」の代わりに開かれた議論のネタを提供する。

おかげでエンタテイメント性は乏しくなる。また,教材としても「結末」があったほうが効果的な場合があるはずだ。そう考えると,物語として完結したノンフィクションのほうが,ビジネスの教材としても優れている可能性があり得るわけだ。本屋でつい以下のムックを手に取ってしまったため,ノンフィクションへの渇望がふつふつとわいてきた。そこでは,自らも優れたライターである人々が,彼らの心に残ったノンフィクションの作品を100編ずつ推奨している。

現代プレミア (講談社MOOK)
佐藤 優
講談社

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さらに,各界の著名人たちが「体験的ノンフィクション論」を寄せている。そのなかで特に面白かったのが,教育社会学者の竹内洋氏の一文だ。竹内氏は「ノンフィクション風でもあり、専門学術書風でもあるような本をまとめてみたいという気持ちをかねてよりもっていた」という。そこで執筆されたのが,昭和初期,左翼思想が弾圧されるなか,東京帝国大学経済学部で起きた内部抗争を描いた『大学という病―東大紛擾と教授群像』という本だ。一読すると,確かにノンフィクション風である。

大学という病―東大紛擾と教授群像 (中公文庫)
竹内 洋
中央公論新社

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ノンフィクションでは,人物描写が最も重要な部分といってよい。そのとき彼(女)はどう思い、どう行動したのかという問題設定に,読者は自分を少なからず投影する。戦前の東京帝国大学という,いまでは想像を絶する特権階級の世界で起きた事件とはいえ,人間のすることに一定の普遍性を見出すことは可能である。だからこそ,時代を超え,立場を超えて多くの読者が関心を持ち,夢中になって読み進むことができる。ぼく自身,基本的にこの本をそういう読み方をした。

とはいえ,著者が本当に伝えたいことは,大学というものに関する自身の歴史学的・社会学的な考察であろう。その意味で,本書で描かれている問題を,どこにでもありそうな組織における個人のふるまいという問題に帰してしまってはいけないのかもしれない。もちろん本書は,普通では手に入らないデータを適宜挿入するなど,想像と実証の絶妙なバランスを保っている。とはいえ,ノンフィクションという形態をあえて選んだ以上,さまざまな読み方が想定されているはずだ。

ノンフィクションを書くために収集される情報の量は半端ではなく,その労苦は大変だ。そして,どうしても埋まらない欠損部分は,想像力で埋めていくしかない。それまた,深い経験と洞察なしにはなし得ないことだ。したがって,ぼく自身にはいま,ノンフィクションを書く能力も気力もない。しばらくは単なる読者として,消費する側に徹したい。ただそうする時間さえなかなか確保できないので,冒頭で紹介した推奨リストを眺めて,いつかそれらを耽読する日を楽しみに待つことにする。

一番の責任者は浩二(笑)

2009-05-26 18:45:03 | Weblog
カープ本に新たな一冊が登場した。今度の版元はベースボールマガジン社だ。冒頭に山本浩二,衣笠祥雄両氏の対談がある。同い年のライバルとして,カープの黄金時代を支えた二人だが,今回の対談に以下のような一節がある:
―そんなカープも、浩二監督の第1期の91年から、優勝が遠ざかっています。
衣笠 一番の責任者は浩二ですよ(笑)。
山本 システムがどんどん変わって、アメリカナイズされていった。一番は固定されたメンバーで戦うのが理想なのよ。・・・(中略)・・・練習量も、昔から比べたらずいぶん減ったしね。そういうのが一因かも分からんね。
・・・それってブラウン監督のことをいってますか?
にしても,衣さん,現役時代を思い出させるクリーンヒットを決めてます(笑)。

広島東洋カープ60年史―HISTORY1950-2009 躍動!赤ヘル軍団 (B・B MOOK 609 スポーツシリーズ NO. 482)

ベースボール・マガジン社

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ハーバード流「使えるツール」ベスト集

2009-05-25 23:11:07 | Weblog
新型インフルエンザのため延期の可能性もあった日本商業学会@関西大学は,結局予定通り実施されるとのこと。しばらく準備を中断していたが,そうも行かなくなった。ただし,懇親会は中止されるという(「濃厚接触」が起きるということか?)。ふだん接点が少ない人々と話す機会だと思っていただけに少し残念だ。学会のプログラムを見ると,「商業」「流通」よりも一般的な「マーケティング」に関する発表のほうが多い。しかも,経営的な意味で興味を惹かれるテーマもある。

これまで,商業学会に対しては,概念論ばかりでデータに基づく実証がない,レトリックばかりでモデルがない,という印象を持っていた。しかし,いま思うのは,問題はそういうことではなくて,目を見張るような概念枠組みがあるかどうかだ。その意味では,別の学会でたまに見かける,概念的には特に新しさがないのに,テクニカルな面のみ凝りまくった研究も困ったものだ。データをごちゃごちゃに扱って概念を見失った研究しかり。だから,「文学的」でいいから,面白い話が聞きたい!

経営上いま最もホットな概念(コンセプト)は,Harvard Business Review にしばしば掲載される。その日本版,DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー6月号は,これまで紹介してきた競争戦略の「ツール」から27個を選び,編集部あるいは原著者が手短に解説している。最初は「ファイブ・フォース・モデル」,2番目が「リソース・ベースト・ビュー」,3番目が「ブルーオーシャン戦略」・・・ 27番目はマーケティングあるいは CRM の分野に属する「顧客『紹介』価値の測定」である。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2009年 06月号 [雑誌]

ダイヤモンド社

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最後のほうは,ほぼマーケティングよりの話題で終始する(ただし中程に,マーケティング戦略論と競争戦略論との線引きが難しい領域がある・・・)。具体的に列挙すると:

 価格競争必勝法
 カスタマー・エクイティ分析
 マーケティング・マトリックス
 サービスの体系的実験法
 マルチ・ブランド評価法
 「超」商品ライフサイクル戦略
 営業とマーケティングの関係診断
 サービス戦略マトリックス
 「問題顧客」対処法
 顧客「紹介」価値の測定

わずかに数式が出てきてマーケティング・サイエンスっぽいのが,ブラットバーグ,デイトン「カスタマー・エクイティ分析」とクマー,ピーターソン,レオーネ「顧客『紹介』価値の測定」だ。前者はリトルの決定算法(decision calculus)に基づき顧客獲得-維持のバランスを求める方法を,後者はクチコミという要素を加味した顧客生涯価値モデルを提案している。このへんが,実務家が実際に使える数量分析ツールとして,ぎりぎりのレベルなのだろう。学術論文は過剰にして過小な世界だ。

やはり理想は,適切な実証研究やモデル分析を隠し味にしつつ,目が覚めるような戦略コンセプトを打ち出すことにある。それはいうまでもなく,凡百の論文を書くよりはるかに難しいことだ。

S&RM研究会@秋葉原

2009-05-23 15:20:57 | Weblog
昨夜は,DM学会サービス&リレーションシップ・マーケティング研究会。日本IBM東京基礎研究所の澤谷由里子氏が,ITサービスを前提に,「サービスの質」という問題にどう科学的・工学的に取り組んでいるかというお話しをされた。サービスの質と聞くと,サービス・マーケティングにおける SERVQUAL 尺度などが思い浮かぶが,そうした測定論を超えて,よりマネジメント的な観点からの講演であった。

澤谷さんは講演の前半で,品質管理でいう「シックスシグマ」にしたがうと,ITサービスの品質の信頼性は現在2~3シグマのあたりにあるが,6に近づけることで「効率化」「差別化」を超えた「卓越化」を目指すと語る。大学の教育サービスはどのあたりか,などという思いが頭をよぎったが,それをさえぎるように,この手法は品質が厳密に計量されないと適用できないが,そういう出発点でよいのだろうかという疑問が浮かんだ。

だが,その後のお話は,まさにこの問題意識と符合するもので,サービスの質に関する奥深く複雑な議論へと進んでいく。澤谷さんはトゥボールの「サービスの表舞台/裏舞台」という枠組みにもとづき,主にITサービスの今後の課題が表舞台にあることを指摘する。というのは,裏舞台はかなりの程度「工業化」が進んでいるからだ(正確には IBM では,というべきかもしれない)。チャレンジすべき課題は顧客との接点にある。

サービス・ストラテジー
ジェームス・トゥボール
ファーストプレス

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そこでは,期待と経験のマネジメントが必要になる。具体的には,顧客への権限委譲と自動化をどううまく組み合わせるかだと。そこに僭越にもぼくが何か付け加えるとしたら,表舞台とは顧客とのインタラクションそのものだから,意識された期待の充足という以上の快のマネジメントが考えられないか,ということだ。だが,実は澤谷さんがぼく以上にそのことを深く考えておられることを,懇親会での会話で知ることになる。

サービス・サイエンスでも「ものづくり」経営学でも,その先端部分で考えられていることは,本質的には同じ問題であることが確認できた。そして,そこにまだ答えはない。そして,それは顧客の経験や感情を問うものであるだけに,マーケティングの研究者が率先して取り組むべき課題なのである。そう考えると,これから分析を再開しなくてはならないクルマの「過剰品質」をめぐる研究も,微力ながら貢献できるはずである。

最後に,IBM で業務を「リズム」「ブルース」「ジャズ」に分けているという話も面白かった。それぞれ,定型的業務,部分的に非規則性を含む業務,非規則性が強く達人たちが即興で取り組むべき業務,という意味だと理解した。JAZZ!!!!!  このことばには,わくわくさせる響きがある。

インテグラルな選好

2009-05-22 14:09:10 | Weblog
日経ビジネス5/18号の

 激安デジタルの脅威 液晶テレビは誰でも作れる

という特集が面白い。ダイナコネクティブという会社の作ったDVD内蔵32インチ液晶テレビは,何と価格が 49,800円で,同種の日本製品の半額である。この会社はイオングループの委託で,汎用部品をなるべく多く用いて,中韓の EMSメーカに組み立てさせ,この価格を実現した。裏のパネルを外してエンジニアに見せたところ,作りは粗い部分もあることがわかったが,基本的な機能要件は実現している。製品開発論でいうオープン・モジュラー・アーキテクチャの典型といえるだろう。

この記事を読んで,先日聴いた藤本先生の発表で出てきた中国車のことを思い出した。通常,乗用車はクローズド・インテグラル・アーキテクチャとして設計され,日本企業はそこで強みを発揮してきた。ところが最近,見た目は「さほど」変わらない製品が,オープン・モジュラー・アーキテクチャのもとで作られ,顧客に受け入れられるという現象が生じている。要は,顧客が「さほど」の差異を気にしないか,それ以上に低価格であることを望むとしたら,そうなってしまうということだ。

したがって,モジュラー vs. インテグラルというアーキテクチャ論をマーケティング側で受けとめるとしたら,インテグラル型の製品やサービスをモジュラー型よりも選好する消費者行動をどう理解するかという問題になる。なぜなら,モジュール型製品の選択は,誰にとっても見える機能要件の充足を線形選好関数で表し,価格とのトレードオフをそこに加味すれば十分説明できるからだ。このようなモデリングは,マーケティング・サイエンスや選択モデルが得意とするところだ。

ところが,インテグラル型の製品を選好する消費者行動となると,話は違ってくる。それを説明するためには,従来用いられてきた選好関数とは違う,インテグラルな性質を持った非線形の選好関数を考えるべきかもしれない。あるいは,従来の選好関数を前提にしながらも,そこに新たな属性として,何らかの形で測定された「インテグリティ」尺度を追加すればいいのかもしれない。ただその場合も,そうした属性を消費者が何らかの方法で知覚できることが前提となる。

後者のほうが取り組みやすいように思えるが,それでも実際には難しい点が多い。インテグリティとは対象物の客観的な属性に根ざすのだろうか?そうだとして,それを知覚できる消費者はどれぐらいいるのだろうか?それはブランド力に体現されている,と説明することもできるが,それはトートロジーではないのか?専門家だけがインテグリティを知覚でき,その評価が評判として伝播する,という考え方もあり得るが,そのことをどう検証できるのか?研究課題は山のようにある。

だが,ここを突破できないと,マーケティング・サイエンスの役割はますます縮小していくだろう。

1957年生まれ

2009-05-21 23:31:37 | Weblog
毎日新聞jp:

新型インフルエンザ:患者75%が高校生 10代後半、感染しやすい?

によれば「米疾病対策センター(CDC)は1957年より前に生まれた人の一部に、新型に対する免疫がある可能性を示した」とのこと。「57年以前にさかのぼるほど(新型に類似した別の)H1N1型ウイルスに感染した可能性が高くなる」からだという。「1957年より前」というからには,1957年は含まないのだろうか?ただし,別のニュースサイトで「1957年以前」といっているものもある。どっちなんだ?

企業・産業の進化研究会@本郷

2009-05-20 23:00:18 | Weblog
午前中は「ロングテール・ビジネス」プロジェクトの中間報告。そこで判明した問題点を踏まえ,次のステップに進むことに。午後は「取材」を受ける。夜は「企業・産業の進化研究会」に出かける。進化経済学会と東大MMRC が共同で開催する研究会だ。塩沢由典先生を筆頭とする進化経済学会のメンバーと,藤本隆宏先生を筆頭とする実証志向の東大の経営研究者を中核にしつつ,約20人ほどの研究者や院生が集まった。マーケティングを専攻する人も数人いた!

参加者たちの自己紹介や今後の運営方針についての議論のあと,藤本先生が Lean Capability Building and Product Architectures - An Evolutionary View and Its Application と題する発表をされる。冒頭,経済学が「経済-産業-企業」というトライアングルを扱うのに対して ,経営学は「産業-企業-現場(field)」というトライアングルを扱うと指摘。これらのトライアングルは産業-企業という辺で接するが,こと産業論に関しては,経営学が貢献する余地が大きいという。

藤本先生の話はその後「能力構築とアーキテクチャ」というメインパートに入っていく。この会の趣旨にふさわしく,そこで進化論的な枠組みがいかに有効であるかが論じられる。製品-プロセス・アーキテクチャの本質は「デザイン情報」にある。そう考えると,「ものづくり」の原理は狭義のモノに限らず,サービスのような無形財にも拡張可能となる。そうした拡張の成功事例として,イトーヨーカドーやハーレダビッドソン(ジャパン)の分析が紹介される。

質疑応答でぼくは,日本の製造業ではものづくりの能力が非常に高いのに,市場での高付加価値性が低く,低収益に甘んじているという藤本先生自身が『日本のもの造り哲学』などですでに指摘している問題を挙げ,それが上の議論でどう説明されるかを聞いてみた。それに対する答えは,それはブランド力の問題で,結局本社の能力が現場に比べて劣っている,つまり「強い現場,弱い本社」が問題だというもの。確かに上述の本にそう書いてあった。忘れていた。

日本のもの造り哲学
藤本 隆宏
日本経済新聞社

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そのあと,会場での議論はすぐ「管理会計」や「原価企画」の話に向かった。ここに集まった人々の少なくとも何人かは,マーケティングよりは会計学のほうに関心を持っているようである。しかしながら,企業や産業に対する進化論的なアプローチを目指そうとするプロジェクトにおいて,マーケティングに出番がないなんてことはないと信じたい。というのは,まさにサービスがそうであるように,顧客をビジネスシステムのなかに組み込まざるを得ないからだ。

消費者選好の進化・・・ ぼくにとっては博士論文以来のテーマであり,この会がそこに本格的に回帰する契機となるかもしれない。問題はそれによって,産業とか企業とかいう,このところずっと避けようとしてきた要素に,結局向き合うしかなくなることだ。そうなると,これまで逃げまくってきた会計学などについても,勉強しなくてはならなくなるかもしれない。

ネットワークが生み出すネットワーク

2009-05-19 17:00:51 | Weblog
昨日は久しぶりのJIMS部会。まずは金城さんの「商品信頼のネットワークと属性」という発表を聴く。商品への信頼の要因として,情報源への信頼が重要であることはおそらく,社会心理学などで主張されてきたことだと思われるが,この研究のユニークな点は,複数の情報源の信頼性が相互に依存し合っていると考える点だ。それを測定するため商品の情報源に加えて,「情報源の情報源」が調査される。こうして商品と情報源(メディアや他人)をノードとするネットワークが構築され,その間の信頼性の相関がネットワーク自己相関モデルで分析される。

ここから「信頼の連鎖反応」が分析されるようになれば,大変面白いと思う。だがぼくには,この研究で重要な位置を占める「情報源どうしの関係」がいまいち理解できなかった。そこでは,ある情報源で別の情報源のことが取り上げられるという「参照関係」を通じて,それらの信頼が相関すると考えられているようだ。ぼくにはむしろ,複数の情報源で共通の情報が取り上げられるという「共起関係」に基づき,信頼性なり説得性が相関すると考える方が自然なように思われる。その場合,複数の情報源が商品信頼に及ぼす交互作用という,別の話になる。

次いで桑島さんの「社会ネットワーク分析から見た映画のクチコミ伝播」。映画に関する電子掲示板から,お気に入り登録に基づきユーザ間ネットワークを作り,特定の映画への投稿タイミング(映画を見た時点に近いとみなす)と関係づけていく。すると,イノベータから始まるロジャーズの採用者類型と,ネットワーク上の立場を比較することができる。今回の事例では,お気に入り登録された数の多いユーザほど書き込み時期が早い,という傾向は見られなかったという。それが偶然でないとしたら,なぜみんなに参照されているのかが謎として残る。

一方,今回の映画の初期採用者と初期多数派の間では,相互にお気に入り登録している確率が高いという。この事例だけでは一般化できないが,ここに何らかのクラスタがあるように思われる。そこはどちらかというとスモールワールドで,ハブが存在するわけではないのかもしれない。もちろん,それがいえるためには「お気に入り登録」ネットワークがユーザ間の安定した参照関係を反映しており,映画への情報探索の基本になっていることが裏づけられなくてはならない。だとしたら,あとは事例を増やしていけば,一般性のある知見が得られるだろう。

というわけで,博士号取得直前の若手から意欲的な研究を聴くことができた。二次会でも,気がつけば30歳前後の研究者たちばかりが集まっていた。何の拍子か忘れたが,自分は40歳だと口走ってひんしゅくを買ったが,一瞬そう錯覚するほど元気になれたということで許してもらいたい。それにしても,ネットワークというコンセプトに基づき研究をすると,伝統的な専門領域を超えたネットワークが生まれていくという不思議な効用があるように思う(もっとも,社会ネットワーク分析の大家Y先生が,私は社交的ではない,とおっしゃっていたのも事実である・・・)。
 

世論調査の集計単位の不思議さ

2009-05-18 09:34:21 | Weblog
いつ頃から始まったのか,最近では世論調査がことあるたびに実施され,メディアで報道される。そのことは不可避であるし,望ましくもあるが,疑問に思う部分もある。たとえば,今朝の日経朝刊には,民主党の新代表に鳩山由紀夫氏が就任したのを受けて,総選挙後の首相として麻生氏と鳩山氏のどちらがふさわしいかという調査の結果が掲載されている。同様の調査は他の新聞でも実施されており,朝のワイドショーで紹介していた。

例によってメディアによって数字が違う。それは質問文,選択肢,調査方法,そして調査の主体が誰かという要因で説明されるのだろう。ぼくが疑問に思うのはそこではなく,同時に行われた,民主党の鳩山新党首に期待するか,という質問である。それ以上に不思議なのが,代表選直前に行われた鳩山氏と岡田氏のどちらが民主党党首によいかという調査だ。質問自体というより,結果を全有権者ベースの比率で出すことの意味がわからない。

この数字を根拠に,メディアは民主党は民意に反する党首を選んだ,と書き立ている。しかし,自民党や公明党,あるいは共産党支持者に,民主党の党首に何かを期待するかとか,誰がなればいいかとか聞いて,どんな意味のある情報が得られるのだろう?ぼくは,巨人や阪神といった「敵」チームの監督に誰がなってほしいかと質問されても,まじめに答える気にならない。もし答えるなら,彼らが弱くなるような監督候補を挙げるだろう。

こうした「分析」を行なう記者たちは,有権者はすべて同質で,全政党の党首の選択に関心を持っている,と信じているかのようだ。そして各党は,こうした均質な有権者が支持する人物を党首にすべきであると。しかし,そんなことをしたら,政党の違いはなくなってしまう。各党が誰を党首を選び,どういう政策を掲げるかは,その党の支持者にとっての問題だ。一般有権者にとっては,そうした政党のどれを選択するかが問題となる。

もちろん,賢明なる記者たちが,政党支持別の比率を計算していないはずはない。とすると,支持政党による差がほとんどなかったため,そこまで触れていないのだろうか?だとしたら,政党支持にかかわらずどの政治家を支持するかが一定,という大変興味深い結果が得られているわけで,ぜひその結果を公表してもらいたい。それとも,そこまでの情報を読者は望んでいないことを,すでに調査などで確認している,ということだろうか?
 

Excel Solver で選択モデルを!

2009-05-16 15:34:25 | Weblog
だいぶ前のことだが,Peter Fader が実務家向けに教えるセミナーに出たことがある。そこでは,あまり実務では普及していない負の二項分布等々の確率過程モデルを,Excel に内蔵された Solver というツールを使ってパラメター推定する方法を教えていた。Solver とは,Excel に付いてくる最適化のツールだ。だから,実務家や学生は Excel を使う作業の延長線上で,容易に最適化計算を行なうことができる。

最適化=数理計画法はさまざまな経営工学的問題の解決に使われてきたが,同時に統計学でも用いられている。尤度関数を最大化するというのは,ほとんどの統計手法が立脚する原理である。だから, Solver を使えるようになれば,ほとんどの統計分析を手元の PC で実行できる(Office を持っているという前提で)。だが,日本でこのことを見据えたセミナーなり文献なりは,これまでさほどなかったように思える。

だからこそ,この本を本屋で見かけたとき,大変ありがたく感じた。本書は回帰分析で始まり,ロジスティック回帰,判別分析等々を経て,最後はコンジョイント分析で終わる。ここは実は,多項ロジット選択モデルを Excel で実行する章,といってもよい。つまり,Excel さえあれば(アドインやマクロなしに),この本を手引きに誰もがマーケティング・サイエンスの主要な手法を実行できる。その意義は大変大きいと思う。

Excelソルバー多変量解析―因果関係分析・予測手法編
中山 厚穂, 長沢 伸也
日科技連出版社

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もちろん,実際にデータを解析する立場からいうと,何もかも Excel で行うのは面倒な場合もある。だから,それを仕事とする人々は,やはり何らかの統計ソフトを使った方が便利だろう。しかしながら,Excel で計算することで,その手法のよってたつアルゴリズムが,おおまかではあるが理解できるようになる。つまり,その教育的効果に注目すべきではないかと思う。だから,授業での活用が大いに期待される。

この本には続編があって,ポジショニングやセグメンテーションのための手法がカバーされるとのこと。つまり,因子分析やクラスタリング,潜在クラス分析といった手法も(おそらく) Excel で追加費用なく実行できるようになるのだろう。ありがたいことばかりだが,唯一残念なのが,この本の価格が 4400 円とちょっと高めであることだ。もうすこし安ければ,意欲のありそうな学生にどんどん推奨するのだが・・・。
 

若者のプロ野球離れ,巨人と自民党

2009-05-15 23:29:13 | Weblog
読売新聞社が,大学生からプロ野球人気を高めるための提案を募集している。このコンテストに参加を申し込むと,東京ドームでの巨人戦を観戦することができる。ただし,観戦後1ヶ月以内にレポートを提出する意思を持つことが条件である。審査の結果,レポートが最優秀賞に選ばれれば30万円,5点の優秀賞に選ばれれば5万円の賞金をもらえる。

大学生のベースボールビジネスアワード2009

昨日の授業で学生たちにこの企画を紹介したが,パンフレットを持って帰ったのは,150人強の受講者のうち2~30人であった。レポートが面倒という理由もあっただろうが,大半の学生が野球にさほど関心を持っていないという気がする。実際,ゼミのコンパである学生が熱くプロ野球の話を語っていたときも,多くの学生は興味がなさそうだった。

こういう現状だからこそ,ジャイアンツの親会社である読売新聞社は,学生たちが球場に来る機会を作り,さらに集客のヒントが得られれば幸いと,こうした企画を行っているのだろう。レポートの課題をジャイアンツ向けの戦略だけに絞っていないことは,なかなか立派である。そして,こういう地道な努力を継続していることにも敬意を表したい。

だが,どうもぼくには,ジャイアンツに対する人気は,今後ずるずると低下していくと思えてならない。もちろんそこに,ぼくが大阪で生まれ育った広島ファンであり,根っからの巨人嫌いであるという個人的バイアスが絡んでいることを否定するつもりはない。ただ私情を離れて,こうした変化は社会的に大きな意味を持つと思っていることも確かだ。

いうまでもなく,いまでもプロ野球は日本のスポーツビジネスの頂点に君臨しているし,そのなかで最も多くのファンを抱えるチームは読売ジャイアンツである。こうした事実を踏まえたうえで,プロ野球およびジャイアンツが,もはやかつてのような傑出した存在でなくなりつつあることを強く感じる。そしてこれが,一時的な現象ではないことも。

札幌,仙台,名古屋,広島,福岡といった地方都市を拠点とするチームは,地域というアイデンティティのゆえに,規模は小さくとも一定の激しい情熱を享受してきた。ところが,ジャイアンツは東京を拠点とするとはいえ,そこにアイデンティティを限定していない。日本球界の「盟主」であるという「普遍的な」ステータスがその支持基盤であった。

ところが,米国の MBL に日本の優秀選手たちが次々と流出するようになった結果,ジャイアンツは日本球界の盟主であろうとなかろうと,もはや頂点に立つ存在ではない。「野球は巨人」という恒等式を頭に植えつけられた,ある年齢以上の世代を除くと,ジャイアンツはよく知る名前ではあるものの,特別の輝きを放つ存在ではなくなったのだ。

それは,東京という都市の性質とも関係しているように思う。それはあまりに巨大な都市であり,日本のすべてを吸収し尽くしそうな勢いで肥大化している。そこには地域のアイデンティティはないに等しい。したがって巨人ファンはいくら多くいても,決して圧倒的多数にはならない。そのアイデンティティは,過去の名声のなかにしかない。

このことと自由民主党の「凋落」とは無関係でない気がする。かつての強大な自民党は,小沢一郎氏によって分裂を強いられ,残った本体はいま,公明党の支援によってかろうじて与党の座を維持している。もちろん,それでも日本の堂々たるエスタブリッシュメントであるわけだが,特別の存在ではない。軽い。そこがジャイアンツと共通する。

だから時代が変わった,といえない点がまた,共通している。全国区の熱狂的人気を誇る阪神タイガースは,選手年棒の総額でもいまや日本球界のトップになったが,ジャイアンツに代わる球界のリーダには到底見えない。政界も同じ。自民党政治の疲労はいまや明らかだといっても,次の政治の枠組みについて,まだその姿ははっきり見えていない。

何だか話が飛躍しすぎてしまった。だが,いま世のなか全体として,何かが終わろうとしているが,次の何かが目に見える形で始まってはいない状態にある気がする。そして,もしかしたら何も大きく変わらないまま,何もかもがゆるやかに衰退していくのではないかという不安が頭をよぎる。しかし,そうなっても,どこかに夢はあるはずだ。

政権交代を制度化するという提案

2009-05-14 01:40:00 | Weblog
民主党の小沢一郎党首が去る11日に辞任。その後,メディアを通してさまざまな議論が展開されているが,ぼくが最も感銘を受けたのが,以下に(再)掲載された茂木健一郎氏の論述だ。

「憲政の常道」再び

ともかく政権交代が必要だと茂木氏はいう。それは,政策がどうとか政権担当能力がどうとかいう次元の話ではなく,システムとして政権交代を持ち得ない国は,民主主義の学習メカニズムを享受し得ないという次元の問題なのだ。だから茂木氏は,あえて「いっそのことたとえば4年とか8年ごとに交互に政権を交代するということに決めてしまったらどうか」と書く(もちろんそれは皮肉なわけで・・・)。

そうした空気を共有するかのように,最近,かなり多くの有権者の間に政権交代を望む気分が広がっているように感じる。だからこそ,確かに麻生氏への人気が再び小沢氏を上回ったものの,政党支持率では自民と民主は依然として拮抗しているのではなかろうか。だが唯一懸念されるは,このような「ありがたい」状況の本当の意味を,当事者である民主党の幹部や議員たちがわかっていない可能性である。

そうした有権者たちの「片思い」が破れ,夢が醒めてしまえば,政権交代は遠のき,茂木氏のいう学習メカニズムが日本で働くことはなくなる。その点だけとっていえば,欧米諸国はもちろん,韓国や台湾にも及ばず,むしろ中国や北朝鮮に近い国と位置づけられる。そこで生まれる無力感や倦怠感によって,この国は衰退の一途をたどるだろう。その意味で,民主党が抱える「歴史への責任」は非常に重い。