Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

予測精度を高める要因

2006-09-30 23:45:12 | Weblog
今日は最近の CRM の研究動向を概観しようと,ここ数年の Mktg Sci,JMR,JM を読み漁った。だが,当然のように脱線して,いろいろな論文に目が行った。Mktg Sci では実務的応用論文が奨励される一方で,ゲーム論を用いた純理論的研究が一定のシェアを占めていることを確認。JMR は最近心理学の新しいテーマで特集を組んだりして,幅を広げようとしている。

JM は,オーソドックスな手法で,実務的に重要なテーマを扱っている論文を掲載している(わがファカルティはこのジャーナルの購読を中止した!)。さらに CRM では,J. of Service Mktg や J. of the Academy of Mktg Sci. あたりが本当は欠かせないのだが・・・そこまで揃っているのは,伝統ある「商学部」を持ついくつかの大学だけだろう。

ぼくが探したかったのは,優良顧客のターゲティングを,予測の経済的リスクを考慮に入れて行なおうとする既存研究があるかないか・・・つまり,自分たちの論文の主張にどこまでオリジナリティがあるかを調べたかったのである。結果として,Neslin et al. "Defection Detection" (JMR, May 2006) が見つかったが,これが本筋の話を超えて面白かった。

著者たちは顧客データベースを用いた顧客の離脱の予測に関し,学者から実務家までに呼びかけてトーナメントを行なった。その結果から分ったのは,まず,ロジスティック回帰と決定木が,予測精度においてニューラルネットや判別分析を上回ること。だが,そんなことより面白いのが,変数選択を何らかの理論的仮説に基づいて行なうと予測精度が下がること。いわく「予測と説明は違う」・・・確かに。

さらに,多くの推定手法を使うほど予測精度が低くなるという結果。これは,手法自体ではなく,それを使う人間側の問題ではなかろうか。つまり,人間の能力には限界があって,限られた数の手法しか習熟できないことが,こういう結果につながっているのでは。

そうだとすると,凡人の取るべき道は,新しい手法に目もくれず,じっと伝家の宝刀に磨きをかけ続けることかもしれない。それで時代遅れになってしまったら・・・そのときは静かに去っていけばよい(ただし,大学内部ではどんな古臭いことを教えていても許される)。

この論文の手続きにツッコミどころがないとはいわないが,単なる手法の比較というより,ヒューマンファクターを取り込んでいるところに意義がある。実際,同じ手法でも誰がどう使うかで精度は大きく変わる。だから,このトーナメントに各手法にもっと習熟した分析者が参加すれば結果は変わるだろう。多数の手法を同時に操る Roland Kirk のような分析者がいてもおかしくない・・・。

今週の良いニュース

2006-09-29 12:49:24 | Weblog
「日本人の階層帰属意識とその生活・消費意識へのインパクト」が『消費者行動研究』に採択された。11月発刊予定。情けない話だが数年ぶりの査読付論文だ。今年度中にあと1,2は追加したいところ。今日・明日中に,最も有望だと思われる Optimal Threshold Analysis of Segmentation Methods ... の宿題をしなくてはならない。

「ロングテールはマーケティングをどう変えるか?」が『情報処理』11月号に掲載される。こちらは査読付論文ではない。それに関連して,Web2.0に関するセミナーに出ることになった。よくも厚かましく…といわれそうだが,他の講師はまつおさんをはじめ,すごい人たちばかりである。

GEG と Preference Dynamics (Wine) の打ち合わせのため,はがさんと会った。6月のJACS以来だから,3ヶ月ぶりである。彼女は自分の目標を定めて,着々と歩んでいるようだ。いろいろな移り変わりのなかで,Wine の研究だけが古証文のように残っている。そろそろ決着をつけなければ,と何百回目かの決意をする。

Wine の報告を目論むワークショップのサイトを見たら,アブストラクトと本論文の締め切りがそれぞれ延びていた。これも,ありがたいニュースといえる。

内閣支持率の二峰分布

2006-09-28 07:45:30 | Weblog
今朝の日経によると,安部内閣への支持率は71%。記事には竹下内閣以来の内閣発足時の支持率が出ており,小泉内閣80%,細川内閣70%とともに高い値になっている。残りのほとんどの内閣が30~40%。つまり,内閣発足時の支持率は完全に二極化=二峰分布に従っている(Nが小さいことは置いといて)。

テレビの視聴率だって,製品の浸透率だって二峰分布ってことはないはずだ。政治の場合なぜか…個々人に様々な属性(論点・政策)に対する様々な選好があって,その総計として内閣支持率が現れる,というメカニズムではないのだろう。個人の意思がなく,同調傾向があまりに強い,ということか?

いずれにしろ,自分は少数派であることを自覚できる出来事だ。


私は「進化」している

2006-09-28 01:19:38 | Weblog
午前中は「自動車」プロジェクトの会議。たくさんサブテーマがあり,当初の予定時間を大幅に超過。ぼくは「技術ベースのブランド戦略」研究の進捗状況を報告。今後は対企業調査についても考える必要がありそうだ。それにしても国際的な「コンカレント」方式で共同研究を進めるというのは,自分にとって新しい経験になるだろう。

午後,能率協会で,社会人向けに「選択モデル」の講義。かれこれ10年以上続けているもので,毎回少しずつ内容を変えているが,なかなか定常状態に到達しない。今回は「メニュー選択型コンジョイント」の話題を追加したが,そこに辿りついたとき,ほとんど時間は残されていなかった。新庄も引退するし,そろそろ潮時か・・・という思いが去来した。

再度ものづくりセンターに戻って,ふーたろー1号さんの「ゲームソフト産業のイノベーション」の研究報告を聞く。彼の師匠筋の製品進化論,生産システムの進化論の系譜に「コンテンツ進化論」が加わることが期待される。ぼく自身,D論のタイトルに無理やり「進化」という文字を入れたほど,進化フェチなのだ。

そういう自分は進化しなくていいのか? 突然変異(行き当たりばったり)と自然選択(結果オーライ)というのが,進化論のアルゴリズムだ。その意味で私は進化している。進化と進歩は違う,ということもよく知られたことだ。

異性の友人が減っている

2006-09-26 18:30:20 | Weblog
国立社会保障・人口問題研究所の調査結果が面白い。18~34歳の未婚男性で「恋人がいる」のは24.3%,同条件の女性では31.9%だという。それぞれ標本サイズは3,000を越すので,はっきり有意差がある。なぜそうなるんだろう?

理由として,18~34歳の未婚女性のかなりの部分が

(1) 35歳以上の男性を恋人としている
(2) 既婚者ないし離婚経験者を恋人としている
(3) 自分は相手を恋人と思っているのに,相手は自分を友人と思っている
(4) 同性を恋人としている

などが考えられる。(1) が常識的に見えるがそれだけだろうか。仮に (3) もあるとしたらイタイ。上の数字に婚約している場合を加えても,男女ともはるかに50%に届かない。「交際している異性はいない」比率が,男女ともじりじり上がってきている。落ち込んでいるのは,婚約者・恋人でなく,異性の友人の所有率である。

ここから何を汲み取るか。

蔵書をめぐる未練との闘い

2006-09-26 11:11:58 | Weblog
「捨てきれない」のは未練のせいだ。せっかく…までいったのに…という思いが,先行きが明るくない案件へのコミットメントを持続させる。要するに,自己の行動に一貫性を持たせたいというバイアスの影響が大きい。

研究室でも,宿舎でも書架から本が溢れ出している。思い切って捨てればいいが,そうした本に限ってあとで必要になる気がする。だが,それ以上に大きいのは,その本を買った→その分野を勉強しようと思った→自分の研究(あるいは教育)を発展させようと思った,当時の自分を否定しきれないことだ。

マーケティング分野では,教科書や専門書だけでなく,ビジネス書の類もかなり買っている。これは本業だから仕方ない。新しい領域,ちょっと変わった領域まで百科全書的に揃えておきたいという欲望。賞味期限が切れた本もあるとは思うが,その判断が難しく,基本的に増える一方である。

経営学関係の本も増えてきた。そして,そのほとんどを読んでいない。マーケティングは経営の一部である,経営学全般がわからなくてどうする,いつかもっと幅広い視野で研究しよう,という「べき」論だけで買っている。だから書評で賞賛されていたりすると,分野に関係なく買ってしまうのだ。

経済学は,自分にとってかなり「遠い」学問になってきた。しかし,学生時代から所有し,ひたすら所有し続けてきた本を,いまここで捨てるのは忍びない。「いつか読む」確率が極めて低いことはわかっているが…。

数学,統計学,工学関係は,ごく一部頻繁に参照するものを除くと,これもまたやはり過去の夢の遺産である。もちろん,通読しなくても,事典として置いておいたほうがいいものがかなりある。その峻別はきわめて難しい。

最近,急増しているのが社会学,特に「格差」と「家族」関係の文献だ。読みたい気持ちは強いが,それにしては在庫が大きくなりすぎたかもしれない。

宿舎には,心理学や脳科学関係の本がある程度ストックされている。最近の研究上関心の流れからすると,その分野だけなぜ研究室から切り離されているのか,うまく説明できない。

いずれにしても,書架の整理は,どうありたいかという自己イメージの再編成ということでもある。

団塊の世代と「噂真」

2006-09-25 06:55:15 | Weblog
昨夜のスタメン(CX,夜10時~)で「“勝ち逃げ”団塊の世代にツッコミ」というテーマの特集があった。年金,退職金で「勝ち逃げ」とか「壊すだけで何も生み出していない」とかツッコミたかったようだが,成功しているようには見えなかった。次の首相は50代前半だから,団塊の世代は政治的リーダーシップではスキップされてしまった。しかし「嬬恋」コンサートに集まったゲストを含む面々を見ると,文化的にはリーダシップを持ってきた世代ではないかと思う。

たまたま最近読んだ『噂の真相・闘論外伝』(サイゾー別冊)では,岡留安則と上野千鶴子の対談が面白かった。最近10代女性の中絶が増えている,少子化を防ぎたいなら,北欧やフランスのように婚外子をもっと許容する社会にすべきだという上野氏の主張。上野千鶴子はなぜ結婚しないのか,上野ゼミの卒業生の結婚式に出るのか,などの「噂の真相」元編集長ならではの質問も。

この2人は団塊の世代に属する。だが,その世代を代表しているというわけではない。十把一絡げの世代論は無理がある。ただ,この世代は,ぼくにとってはおよそ一回り上で,良くも悪くも影響を受けてきた。修論も博論も,おおまかにはその世代の先生に指導を受けている。彼らの「老後」,60代以降の過ごし方には大変興味がある。「勝ち逃げ」などとひがんでみても始まらない。

プラニングの実習

2006-09-22 19:42:00 | Weblog
実習が終了した。B3の学生中心に,1日3コマ×3週(=約11時間)かけて,実際のブランドのマーケティング・プランを考えてもらう。学生はチームに分かれ,ネットワークウォークマン,Aya,スーパーマイルドのいずれかについて,活性化プランを立案し,プレゼンする。

iPod が圧倒的に強い市場で,ソニーのネットワークウォークマンはいかなる戦略をとるべきか。各チームの提案は,ソニーの総合力を活かした包括的サービス,製品デザインのカスタマイゼーション,中高年の富裕層を狙うこと。・・・ iPod の弱点を突くこと,裏を欠くことは容易ではない。

Aya もまた,ハーゲンダッツが支配する市場で精彩を欠いている。健康志向への対応というど真ん中直球,男のスイーツ市場を狙えという変化球,「彩」を復活させ Aya と二本立てで母娘を狙えという魔球…アイデアとしてはどれも面白い。

一世を風靡したスーパーマイルドは,シャンプー市場の高級化・ダメージケア志向のなかで埋没気味である。癒しニーズを狙え,ファミリー向け市場での高級ニーズを発掘せよ,思い切って石鹸シャンプーにせよ…説得材料がもう少しほしい。

20歳を過ぎたばかりの学生でも,頑張って情報を収集し,一生懸命考えれば,そこそこのマーケティング・プラン(アイデア)を作ることができる。プロのマーケターの仕事と大きな差があるのは当たり前だが,その大部分は,消費者として経験の差からきている(だから,学生にとって実感をもてない中高年やファミリー,あるいは健康の話になった途端にリアリティが低下する)。あとは業務上の基礎知識だが,そういったことは経験さえ積めば身につく。

それでも埋まらない差があるとしたら,何だろう。ただ経験を重ねるだけでは,身につかないもの。そこに大学なり大学院が(あるいはマーケティングの研究というものが)ちょっとでも貢献できるなら,存在価値があることになるが…。

追記:

学生またはアマに欠けているのが,ある種の批判的思考のように思える。昔は職場で上司,先輩,得意先等にがんがん叱られることで,物事の見方が多面的になっていった。Bスクールでのケース・ディスカッションはこれを時間を圧縮して,かつより客観的に行なうものといえる。

今回の実習で,40人中6~7人の学生がつねに積極的に発言していた。日本の大学としては,これは,発言する学生が多いほうに属するのではないかとも思う。年々そういう変化が起きているのか,今回たまたま,なのか。

さらに発言する学生が増えるようにリードすべきだというのが一つの考え方。しかし,無理に発言させようとしても無理だとしたら,自ら発言する学生たちともっと議論を深めたほうがいいかもしれない。いずれにしても,教師の力量がますます問われる。勉強が足りない・・・。しかし,勉強するインセンティブになるともいえるなあ・・・。

書くことなし

2006-09-19 23:44:51 | Weblog
このブログには「研究」に関することを書くと決めたため,ここ数日,書くことが一切ない。マーケティングに関する,ちょっとした話題すら,書くことができなかった(いよいよ「終わり」が来たのだろうか…)。

言い訳としては,今月は週9時間近い授業負担があること,B4・M2の論文指導がいよいよ本格化してきたこと,来週の実務家向けセミナーに向けて教材を作り直したこと…

大学にいる時間が長いのが問題じゃないだろうか。出張しているときのほうが,脳が活性化している気がする。旅に出たいが,当面予定はない。いや,東京都内であっても,ちょっとした旅はできるかもしれない。

論文生産プロセス工学

2006-09-17 15:26:57 | Weblog
先週,ある論文をどう改稿していくかの打ち合わせがあった。まず,査読者のレビューを分析,いくつかの要求定義にまとめる。対応する作業を,専門に合わせて共著者に割り当てる。そして作業が進み次第,スクリーンに原稿を映して合同で修正・追記していくこととし,必要な時間を推定,とりあえず5回の打ち合わせ日程を押さえる……経営工学の権威である教授の仕切りは,まさに「論文生産プロセス・エンジニアリング」とでもいうべきものだ。今回,コメントが比較的明確で,無理難題がなかったことも幸いしている。

やるべきことをモジュール化し,それぞれに必要な時間をできる限り正確に見積もる…こうしたスキルが身につくには経験が重要だ。大学院に進学する学生が指導教員を選ぶ際,専攻分野で最先端の研究を行なえるかどうかもさることながら,きちんとした論文生産技術を学べるかどうかが重要なポイントだと思う。その意味で,学生を実質的に指導して共同論文にまで結実させる実績の豊富な,ベテランの研究者に指導を受けたほうがよい。もちろん,分野によっては(あるいは大学によっては)査読付論文をさほど書かなくてもよいので,話は違ってくるだろう(そこではどんなスキルが重要か…)。

さて,ベテラン教授との共同研究は「大船に乗った気持ち」だとしても,それ以外は,研究の工程について自分できちんとした見通しを立てる必要がある。何やかんやで9月は半ばを過ぎ,どんどん時間が経っている。ここ数週間内にいくつかのテーマの打ち合わせがある。それを踏まえて,秋の過ごし方を決めなくてはならない。必要な作業時間と,それに割ける時間の見積もり…これが一番難しい。いつも,つい楽観的になってしまう。

付記:「工学的」でない,もっと牧歌的な研究スタイルでいきたいな,という気持ちもある。ここ数年は無理だろうけど,そのうち,いつか…。

テレビへの過剰な露出

2006-09-14 01:03:44 | Weblog
夕方,新橋まで出かけて藤原和博さんの話を聞いた。リクルートフェローを経て,民間初の公立中学校長に就任,「よのなか科」を実践している藤原さんだ。本題が面白かったことはいうまでもないが,最後に彼が語ったことが,気になった。

いま,子どもたちは平均4時間テレビを見ている。これに365日を掛けると約1,500時間。一方,中学校のホームルームや体育も含めた全授業時間は年間800時間,4教科だけに限ると400時間にすぎないと…。

テレビは集中して見ているわけではないが,授業だって同じだよな。とすると,単なる情報の露出時間としては,ものすごい差になる。「ロングテール」「テレビCM崩壊」という議論の一方で,足元にはこういう現実もあるなと実感した。

テレビが悪いと一方的に断罪したいのではない。ぼく自身,テレビによって人格を形成されてきた,といっていいぐらいだから。だが,いまの時代にそれでいいのかと,はっきりした根拠はないが漠然と感じる。

論文は永遠に残る

2006-09-13 13:06:32 | Weblog
ある論文を一瞥して唖然。技術的におかしな手続きが堂々と弁護されている,参照している論文の著者名が取り違えられている…その分野の専門家が見れば一目でわかる誤りばかり。思わず,誰が査読したのか問いたくなる。

論文誌は半永久的に保存される。だから,下手なことを書くのは,本人にとってもヤバイはずだ。誤植や計算ミスならご愛嬌だが,議論の重要な部分を誤魔化したり,原著を読んでいないことがミエミエの参照をしたりしていると,好ましくない印象が記録されてしまう。

査読に対する査読,査読者の審査も必要かもしれない…しかし,そんなことをしたら,誰も査読を引き受けなくなって,論文誌が発行できなくおそれがあるだろう。こういうジレンマに陥った学界は,早晩衰退するしかないのだろうか。

マーケティングの質感

2006-09-12 23:06:48 | Weblog
スクリーンに映し出された新製品を見たとき,昔感じたことがある,何ともいえない感覚に捉われた。その製品が画期的であること,そしてぼくが十年以上前に「得意先」としていた企業の製品であることも関係したかもしれない。

それは,いわば「マーケティングの質感」とでもいうべきものだ。普通の生活で消費者として感じているものとは逆の情報の流れ。それは店頭や商談の場,製品テストの会場から企画会議が開かれている会議室まで,「現場」であればどこにでも遍く存在する。うまくいえないが,一つは作り手=売り手の能動性,もう一つは一見それと相反するが,消費者に対する無知を認める謙虚さというか。

冒頭で述べた感覚を抱いたのは,研究への協力を求めて訪れた会社の会議室であった。消費者間の影響関係を測定するにはどんな製品カテゴリがいいか,本当は仕事で忙しい実務家たちが,熱心にブレストしてくれた。その流れのなかで出たのが,冒頭の新製品の話題である。

話のついでに,シャンプーの購買にクチコミは影響しないと言い放ったマーケティング研究者の話をしたところ受けた。皆さん「しょーがないオジサン」を連想したようだが,真相を明かすと口あんぐり。マーケティングの質感が存在しない,記号だけの研究の世界もある,ということだ。

マーケティングの質感に気づいたことは,大きな啓示かもしれない。それを可能にしたのは,昨日の訪問先のように,自分たちにどんな得になるかよくわからない研究に一肌脱いでくれる,友人たちの存在だ。何社かそうしたネットワークがある,というだけで,ぼくは格段に恵まれている。恩返ししないと,いつかバチが当る。

蛇足:一方で,現場感覚だけの「研究者」たちもいる。コンサルを名乗るなら何ら問題はないが…。

自己実現的消費って何?

2006-09-10 03:53:38 | Weblog
マズローの欲求段階説に,ここ数年のヒット商品を当てはめる試みが,日経MJ 9/6 に出ている。いわく…

自己実現欲求:脳を鍛えるゲーム
自我の欲求(尊敬欲求):富裕層向けサービス
社会的欲求(所属欲求):「負け犬の遠吠え」,ブログ,ミクシィ
安全への欲求:ヘルシア,ヘルシオ,ピッキング防止用品などなど
生理的欲求:様々な低価格製品…

「脳を鍛える」のが自己実現かどうかは別にして,自己実現欲求に対応する製品・サービスが少ないことは確かである。ただし,記事では,団塊の世代が定年したあと,趣味に没頭したり,何かの勉強を始めたりするので,今後ここが膨らんでいくと予想している。

で,自己実現とは何なのだろう? 何か本来の「自己」というものがあって,それを現実化することか。金がもうかるとか,他者に褒められるとかいうこと(だけ)には吸収されない,自分だけの夢ということか? マズローの本を読まないで,あれこれいってもしかたないが。

自己実現とは,生理的欲求から尊敬欲求までわかりやすい欲求以外の,余剰のようなもので,何かしら,そのようなものがあることは事実だ。それは最終的にアイデンティティの根拠になる。「自分探し」の対象。その迷路に入り込むと,厄介である。

「夢」ということとどう関係あるだろう? 以前,40代の男性にインタビューしたときは,自宅や別荘関係の話が多かった。趣味とか勉強とかはやりゃいいだけのことで,夢というほどのことじゃないのかもしれない。

それにしても,夢を探り出す調査,というのは難しい。人々はふだん,それを明確に意識しているわけではない…という意味では「想起させる」というより「構築(=創作)させる」のでいいと思う。「あの研究」もまた再開したいな…いつか…少しは準備しておかないと。