Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

前例なき政策の効果予測

2009-09-11 22:54:07 | Weblog
鳩山民主党党首が掲げた,温室効果ガスの排出量を 2020 年までに 1990 年比で 25% 削減するという目標が議論を呼んでいる。財界はもちろんのこと,民主党の支持母体である労組からも批判の声が上がっている。現政府の試算によれば,この目標を実現すると1世帯あたり「最低でも」36 万円の負担増になるという。

町田徹の“眼” 1世帯36万円以上の最低負担

現内閣でも斉藤環境大臣は,鳩山氏の目標自体は評価しつつも,民主党の高速道路無料化政策と矛盾していると批判する。高速道路の無料化については,国土交通省が 2.7 兆円の経済効果があると試算していたことが報じられた。では,それによって温室効果ガスの排出量がどうなるかについては触れられていなかった。

こうした試算は,政策の決定(や推進/反対)において欠かすことができない。そこで,いろいろな前提をおきながら,高度な解析手法あるいはメノコ算を駆使して計算される(ご苦労様)。ところが政策論議が進んでいくと,その試算にどういう「前提」がおかれていたかは無視されて,数字だけが一人歩きすることが多い。

上述の温室効果ガス削減がもたらす効果がどのように試算されたのか,かなり大変な計算になるはずだ。環境への効果も含めた「完璧な」日本経済シミュレータがあったとすれば,温室効果ガスの排出量はその出力変数となる。それを一定の値まで下げる入力変数(政府の政策シナリオ)を一意に決めることは可能だろうか。

おそらく,そうした政策シナリオは無数にあり得る。そこから,ある意図を持って1つのシナリオを選択することで,他の出力の値が決まる。「国民の負担」も計算される。現政府は試算において,そこで何らかの選択したはずである。一方,鳩山政権がそれとは異なる政策シナリオを選択するならば,出力結果は変わり得る。

それに比べたら,高速道路無料化の効果予測のほうがよほど簡単かもしれない。やはり「完璧な」シミュレータがあったとしよう。今度は出力の水準に制約はないので,入力としての高速道路の料金をゼロに設定してシミュレータを走らせれば,交通渋滞,温室効果ガス,そして経済効果といった結果が出力されることになる。

もちろん,実際はそう簡単にはいかない。検証したいのが前例のない政策の効果なので,シミュレータの構築に用いられた過去の交通行動,経済活動,環境等々のデータから効果を予測していいかどうか疑問である。画期的な政策が採用された場合,想定されてきた企業や消費者の行動様式が変化してしまう可能性だってある。

まあ,それをいいすぎると,前例のない政策の効果について何もいえなくなる。構築されたシミュレータ(それがどのレベルのものであれ)の感度分析を行ない,「洞察」を深めるしかないだろう。そうしたプロセスがオープンになり,異なる見解を反映して前提を変えると結果がどう変わるか検討するのが理想である。

鳩山政権の温室効果ガス削減目標は,画期的なイノベーションがないと実現しない,という意見もある。企業の場合,トップが現場の意見を無視して一見無理な目標を押しつけ,その結果イノベーションが誘発されることがある。それは賭けであり,政府がそういうリスクをとっていいのかどうか,意見が分かれるところだ。

ポパーの「ピースミールな社会工学」論にしたがえば,社会レベルで非連続なイノベーションを起こそうとすることは望ましくないはずだ。しかし,そんなことをいうと,明治維新も戦後改革も許されないことになるかもしれない(もちろん,それらのケースでは「効果の試算」など,全く必要とされていなかっただろうけど)。

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自己責任でリスクをとるのが当たり前の企業の世界では,非連続的イノベーションに挑むことはむしろ奨励される。その結果を「試算」することが求められるとしたら,それに相応しい(これまでとは非連続な)アプローチを採用するしかない。それが可能になれば,上述のような政策の事前評価に応用できるかもしれない。

年内学会発表4本

2009-09-10 23:27:08 | Weblog
行動経済学会向けの予稿を送付。消費者の「予知」能力を検証した実験を再分析する。

某学会の論文誌の査読を返す。オンライン・システムがマニュアルどおりに動かない。

ここ数日は,某購買履歴データをいじる。ロングテールの奥底にある秘密を暴きたい。

今日は大学の近所の歯医者に行く。そういや今年はまだ人間ドックに行っていない・・・。

10月になると授業(講義×2,ゼミ×2)が始まる。教材修正の時間もばかにならない。

すぐに Complex09 <1> の予稿の期限がくる。筑波大での集中講義の土台にしたい。

クリエイター・インタビューは取材相手による校正終了。次は第一次まとめ作業へ。

来年度の科研費申請の学内締め切りが10月中旬にある。あっという間に3年すぎていく。

10月末は広島経済大で JACS <2>。クルマの過剰装備(重装備)の分析を発表予定。

12月上旬,電通(汐留)で JIMS <3>。特別セッションに申し込む。予稿がないのがいい。

その翌週が,名大での行動経済学会 <4>,ということで話が元に戻る。

今年は論文を書く年にするはずだったが,結局こうなってしまった・・・。

広島がヤクルトに3連勝。阪神と並び,3位ヤクルトまで2.5ゲーム差。目が離せない。

70年万博以前と以後

2009-09-07 21:23:57 | Weblog
『CasaBRUTUS特別編集 浦沢直樹読本』は1970年の大阪万博の話で始まる。『20世紀少年』のマンガを読んだか,映画を見た人なら,2015年に,あの大阪万博が再現される光景を思い出すことができる。美術評論家の椹木野衣は,大阪万博のリコー館のうえに浮いていた目玉状のバルーンに注目する。それはまさに「ともだち」のシンボルだと・・・。

浦沢直樹は小5のとき,大阪万博を迎える。東京に住んでいた彼は,『20世紀少年』の主人公ケンヂと同様,大阪万博には行けなかった。それは,愛知万博に行けなかったことと全く重みが違う。ただし,その会場にいたかどうかに関わりなく,大阪万博は多くの人々の記憶に70年という時を焼き付けた。当時の小中学生にとってはなおさらだ。

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ロングインタビューで浦沢直樹は次のように語る:
僕にとっては万博のあった1970以前が「昔」で、1971年以降が「今」なんですよね。あそこにくっきりと時代の分かれ目があって、69年以前がセピア色の世界ならば、こっち側はカラーの世界。・・・それから同じころ、「未来」が銀色から白になったんだよね。例えばロケットとか、・・・『2001年宇宙の旅』を転換点に,がらりと白に切り替わる。
いったんカラーの世界になってしまうと,それ以上の「目に見える」変化を起こすことは非常に難しくなる。1970年以降,いろいろなものが洗練されたと思うが,本質は変わっていない感じがする。しかし,それが永遠に続くわけでもない。20世紀少年の世界では,人類はいったん「終末」に近づくわけだが・・・。

社会的起業と「小さな政府,大きな福祉」論

2009-09-05 23:50:52 | Weblog
社会的起業と通常の起業,ソーシャル・イノベーションと通常のイノベーションはどう違うのか。「一橋ビジネスレビュー」夏号を読みながら考える。冒頭に掲げられた,グラミン銀行ユヌス総裁の論文はさすがと思わせる。明確に顧客を定め(ターゲティング),「市場」での立ち位置を明確にする(ポジショニング)。そうした一貫性のある戦略が,バングラデシュの貧しい農民をサポートするという,壮大なビジョンを支えている。

本特集の他の論考でも論じられている通り,社会的起業と通常の起業,ソーシャル・イノベーションと通常のイノベーションの相違点は,実はそうは多くない。唯一違うといってよいのが,究極の目的が私的利益ではなく,社会問題の解決であることだ。経済学は私利の追求が結果として社会を望ましい状態に導くと主張するが,社会的起業家は,より直接的で具体的な目標として社会問題の解決を設定する。そこが本質的に違っている。

もっとも営利企業もまた社会的責任が重くなっている。基本的には利益の拡大を求めながらも,それだけでは達成できない社会目標を重視する企業が増えている。そうなってくると,社会性と収益性という2つの目標を追求するという点で,社会性の高い営利企業と社会的企業の境界はあいまいになってくる。むしろそれらと大きく異なるは,最低限の社会性(遵法)を制約条件とする企業,あるいはそれすら裏をかこうとする企業だろう。

一橋ビジネスレビュー 57巻1号(2009年SUM.)

東洋経済新報社

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経済評論家・山崎元氏の「民主党政権に望みたい『小さな政府、大きな福祉』」というコラムを読むと,今後の日本にとって,社会的起業(企業)はますます重要になると感じられる。「小さな政府,大きな福祉」という主張は一見矛盾しているようだが,福祉をできる限り給付方式にして(究極はベーシックインカム?)そこに関わる役人を減らし,かつ福祉と無関係の不要な支出を優先的に削減する,ということのようだ。

山崎氏によれば,小さな政府を目指した小泉政権は,医療・福祉関係の支出を削減したため,今回の選挙の大敗を招いた。それは支出削減を官僚に丸投げしたため,官僚組織の存続にとって重要でない分野が削減されたからだ。鳩山新政権はその逆をやることで「小さな政府,大きな福祉」を目指せというのである。この議論をぼくなりに受け止めると,福祉のカネはちゃんと出すから,あとは民間でやってくれということだ。

たとえば,いろいろ議論になっている「子ども手当」。支給金をパチンコに使ってしまう親もいるから,むしろ幼稚園や学校へ補助金として出したほうがよいという意見もあるが,それをやると役人の仕事が増え,政治家を含めた業界団体との「関係」が温存されることが懸念される。バウチャーなどによって受給者の使途を制約しつつ,基本的には,社会的企業にサービスを委ねる方向に進むのが望ましいと思う。

とはいえ,社会的起業(企業)やソーシャル・イノベーションの議論が,大なり小なり人間の善意に対する楽観論に立脚しているのは事実である。人間はそんなに高潔な存在ではない,という見方に立った批判にきちんと応えることが,それらが真に発展するためにも必要かもしれない。その点で,強欲で抜け目がない人間が引き起こす究極の状態を分析するのに長けた,経済学者が貢献する余地は大きい。

ゼミ合宿@山中湖

2009-09-04 17:39:35 | Weblog
9月2日~4日はゼミ合宿。場所は山中湖畔・平野周辺。2~3年20人強が参加した。3日間にわたり,3年生は卒業論文の研究構想を発表し,2年生は日本におけるクリエイティブ・クラス論の可否に関するグループ発表を行なった。リクレーションの時間をとらず,昼間はほとんど勉強のみ,というプログラムでよかったかどうか。前任校では参加者が6~7人(4年生+M),1泊2日で勉強は半日だけ,あとは観光,という合宿を行なっていたので,かなり趣が違う。

宿泊したのは,学生の合宿用の旅館で,部屋に洗面器もトイレも,まして風呂もない。われわれ以外は,いろんな大学のテニス等の体育系サークルが滞在しており,風呂はごったがえしている。夜には大部屋で大騒ぎが始まる。前任校での合宿では曲がりなりにも,ホテル・旅館の類に宿泊していたので,これも初めての体験だ(学生時代にさかのぼれば別だが)。ただし,会議室があって,プロジェクタがあるのはいい。この部屋,夜は畳を引いて宴会場に模様替えできる。

最後の夜,通常の夕食代に1人あたり千円を追加して,旅館の庭先でバーベキュー。期待以上の内容で正解だった。学生たちの動きを見ていると,それぞれの性格がわかる。その場を仕切るリーダ型,調理に精を出す続ける奉仕型,ときおり気配りを見せる良き市民型,後方でもくもくと食べるだけの寄生型・・・ いろいろである。ぼく自身は,学生たちの奮闘をビールを飲みながら見守り,焼き上がった獲物を少量だがすばやく狙う,ハイエナ型としてふるまった。