統計学の教科書でお奨めは何か? それは応用する分野によって,受講者のレベルによって様々だろう。では,数学から何年も遠ざかっている私立文系で,商学・経営学部系1~2年生が対象だとすると,どうだろう?
さる統計学教育の「先輩」が教えてくれたのが,小島寛之『完全独習 統計学入門』。それが手元に届いた。帯に「使うのは中学数学だけ!」と書かれている。確かに,著者自身の「私学文系」での教育経験が生かされているようで,わかりやすく丁寧に書かれている。カバーする範囲は基礎的な記述統計から一変量正規分布を用いた仮説検定と区間推定,そしてt検定まで。ぼくの行った一学期分の講義の範囲とほぼ一致する。ただし,来学期教える予定の重回帰分析がカバーされていないのが残念だ。
ちょっと気になったのが「予測的中区間」といった,聞き慣れない用語が出てくること。それは既知の正規分布のもと,平均の周辺に一定の確率でデータが出現する範囲のことで,確かに工夫された表現だ。「信頼区間」との違いもきちんと書かれており,そこをじっくり教えればいいのかもしれないが,初学者がこういう独自の(ぼくが知らないだけ?)用語法を覚えることがいいかどうか,迷うところである。
それでは,吉田耕作『直感的統計学』はどうだろう? 著者は日米でMBAコース向けに統計学を長く教えてきただけあって,実用を強く意識して書かれており,例題がビジネス関連の問題になっている点もありがたい。カバーされている範囲も広く,重回帰分析なども含まれている。以前紹介した『ビジネス統計学 上・下』ほどは分厚くもない。
ただ,まえがきでいきなり「数学で平均以下の人たちへ」と書かれている点がちょっと引っかかる。これを教科書に使うということは,受講者に,お前たちは「数学で平均以下」だと宣言するようなものだ。それって,バカにするなよ,と思わせはしないか?
数学に自信がない学生に,補習・独習用に薦めるには問題ない。しかし,受講者全員に読んでもらうことが前提の教科書にするのは,どうなんだろう? 学生たちがそんなことは気にしない,というのならいいんだが・・・。
しかも統計学の教科書であるからには,そこで使われている「平均」ということばに敏感にならざるを得ない。一体それは,どういう意味の平均なんだろう? 全国の文系大学生の数学力の平均は,理工系のそれより「有意に」低いのだろうか?
「思い切って」ベイズ統計学を教えるというのはどうか? たとえば松原望『入門ベイズ統計』。ぼく自身,M1 のときに著者の講義を受けて「目からウロコ」の感銘を受けた。この本は MCMC やベイジアン・ネットワークといった最新の話題をカバーしており,しかもその語り口が独特で,通常の専門書よりはるかにわかりやすい。
ただ,著者自らがまえがきで語るように,理工系の事例が多く,それなりに数式が出てくるので,文系だと学部学生よりは,ある程度の数学的基礎のある修士クラスでないと理解できないと思われる。
ちなみにぼくが受けた講義で教科書に使われていた『意思決定の基礎』は,いまや大幅に改訂されたようだ。そちらは(申し訳なくもまだ)読んでいないが,旧著と同様,名著であるに違いない。
だがベイズ統計学をいきなり初学者に教えることは,マーケティングの実務で「正統的な」統計学の手法がすでに深く浸透しているだけに,慎重にならざるを得ない。現状では,従来の統計学を学んだあとにベイズ統計学を教えるというパタンをなかなか崩すことはできないように思う(しかし10年後にどうなっているかは,わからないぞ…)。
最後に,同時に届いた本に西里静彦『データ解析への洞察―数量化の存在理由』がある。一般的な意味での統計学の入門書ではないが,心理統計学で国際的な有名な著者が,副題が示すがごとく「数量化」の原点を問うている。いまや双対尺度法について日本語で読める貴重な文献であり,コンパクトなブックレットなので,ある程度統計学を学んだ人にはお奨めである。
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データ解析への洞察―数量化の存在理由 (K.G.りぶれっと No. 18) 西里 静彦 関西学院大学出版会
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こう見てくると,「使える」(裏返せば「使えない」?)統計手法のレパートリーは,この四半世紀さほど変わっていないのでは,と思えてくる。