Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

JAWS 2008@大津プリンスホテル

2008-10-31 21:55:03 | Weblog
大津プリンスホテルで開かれた JAWS 2008 に参加。3日間にわたってエージェントベース・モデリングの研究発表を聞く。製品開発や広告など,マーケティングに関連する発表も少なくない。それ自体は喜ばしいことだが,それを専門とする立場からすると,先行研究の成果がほとんど反映されていないことが残念だ。逆にいえば,マーケティング研究の影響力のなさが浮かび上がる。

いくつかの研究が Rogers の採用者分類をモデルの仮定に援用していた。ぼく自身,授業で「よく知られた学説」として教えているが,どこまで一般性があるといってよいのか,不安がないわけではない。Bass の普及モデルは,その後多くの検証をくぐりぬけてきたが,Rogers はどうなんだろう・・・。どこかに,サーベイ研究があるとうれしい。

ぼく自身は「エージェントベースCRMに向けて」というタイトルで発表した。「向けて」というのはつまり,まだちゃんとしたものはできていない,という意味だ。このワークショップで選択データの分析結果を披露しても意味はない。そこで,間に合わせ的な数値実験の結果を示したが,そもそも研究の意図すら,きちんと伝えることができなかったと(いつもながら)反省。

問題にしたかったのは,選択モデルで一般に仮定される,意思決定者が選択肢の属性について等しく十分な知識を持っているという点だ。特にサービスの場合,顧客はふだんどれだけ利用しているかで,選択肢となる業者への知識のレベルが変わってくる。この点をうまく扱えないと,選択モデルを実務で役立てることはできない。

そして,そこにクチコミのような消費者間の情報伝播が介在する余地が生まれると期待できる。だから,選択モデルとエージェントベースをうまく結びつけて・・・ という話をしたかったのだが,そこまではいかなかった。一方,聴衆のエージェント研究者たちからすれば,そもそも選択モデルがどうしようと関係ない,という思いがあったに違いない。

もう一つ,ランダムサンプリングされた消費者間のネットワークをどう考えたらいいかという問題。これもマーケティングにとっては重要な課題だと思うが,もう少し立ち入って議論しないと,関心を寄せてもらえそうにない。正統派の社会ネットワーク研究者からは,そういった問題設定自体がナンセンスだと叱責されるかもしれない。

それにしても,大津プリンスホテルの22階から眺めた琵琶湖は壮大であった。そして豪華な懇親会のあと,途切れることなく「交流会」の場所が準備され,しかもワインが途切れることがないというのは,ぼくが慣れ親しんでいる学会では考えられないことであった。それに報いるため,もっと熟成した研究を報告せねばと思う。

スティーブされる前に

2008-10-29 23:53:18 | Weblog
大津に向かう車中,『スティーブ・ジョブズの流儀』を読む。いまや世界で最も注目される経営者であり,イノベータであり,マーケターでもあるスティーブ・ジョブズの言動と行動を知るのに最適の本であり,読み出したらやめられない。彼のおかげで顧客はすばらしい体験ができるが,アップル社員にとっていかに恐ろしい上司であるかは,彼が部下を即刻クビにすることをアップル社内で「スティーブする」と呼んでいることからも明白だ。本書で紹介されているジョブズによる採用面接の過酷さは,身の毛もよだつ。いつか,ディズニーで映画化してはどうだろうか。

スティーブ・ジョブズの流儀
リーアンダー ケイニー
ランダムハウス講談社

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しかし,そうしたエピソードや,ジョブズがいかにデザインにこだわるかというよく知られた話もさることながら,ジョブズのマーケターとしての側面が描かれているのが面白い。製品開発において,アップルでは調査予算は「マイナス」だという。しかし,顧客が無視されているのでなく,ジョブズを筆頭に顧客体験がシミュレーションされている。そして,徹底的にプロトタイピングが繰り返される。製品開発だけでなく,アップルストアのようなサービス開発においてもしかり。

アップルの成功は周到に計算されていたわけでもなく,天才の閃きによるものではなく,さまざまなヒト,モノ,アイデアのネットワーキングによる。つまり,“How Breakthroughs Happen” のいうテクノロジー・ブローカリングの考え方が当てはまる。その意味で,ジョブズはエジソンやフォードの正統な後継者なのだ。もちろん,当人の傑出した才能と幸運が大きく左右しているという点でも,エジソンやフォードを継承しているはず。この本の後半に出てくる,iPod 開発のケースストーリーがまさにそれを示している。

大津での JAWS2008 が始まる。そこで,秋山さんのリーダーシップに関する進化ゲーム的分析を聞いて,リーダーというものが,ある種の傲慢さと機会主義を兼ね備えていると感じた。ジョブズがまさにそうであるように・・・。いずれにしろ,非常に単純な利得行列から出発しながら,単純な直観からは導かれない,洞察に富んだ命題を生み出すところがゲーム理論の妙味だ。マーケティングや消費者行動の研究では,いくら抽象化しても泥臭い現実から逃れられず,そのような洗練は生まれない。明日の発表が思いやられる。

覆面パトに追いかけられ

2008-10-28 23:24:48 | Weblog
昨日は,サービス・イノベーションに関する大学間情報交換会に出席のため,久しぶりに常磐高速を疾走。すると後ろから,黒っぽくて,少し古そうな車が乱暴に車線を変えながら,急接近してきた。ぼくの車の後ろにぴったりくっついて,「煽っている」感じだ。だが,前にも横にも車がいるし,ふざけやがってという気持ちもあって,そのまま走り続けた。で,ちらっとバックミラーに目をやると,その車の上で赤いランプが回っているではないか。

ヤバい! 急に血の気が引く。しかし「前の車,止まりなさい」とか何とかがなりたてるわけでもない。よく見るとライトをパッシングしている。そうか,単にそこをどけ,ということなんだな,とあわてて車線を変えると,そのままスーッと追い抜いていった。事態に気づいた他の車も,同じようにどんどんよけていく。そういえば,さきほど車線をウィンカーも出さすに変えながら猛スピードで走り去っていったスポーツカーがいたから,それを追いかけているのか…。

いやいや,命拾いした。煽りに対抗してスピードを上げたりしていたら,自分が捕まっていた。そうしたら,朝10時から始まる会議に遅刻していただろう(結局,5分遅刻したわけだが…)。たまたま前に車がいたことで救われた。それにしても,覆面パト,走り方はそのへんのイカレた車と全く変わらない。後ろにぴったりくっついて,パッシングかい…。あれほど飛ばして,ほんとに「獲物」を捕まえることができたんだろうか。それがわからないまま,高速を降りた。

情報交換会では,ゲストの講演があり,当該プロジェクトを受託している各大学の挨拶があり,ホスト校からの報告がある。ぼく自身は,顧客データの中身や活用方法についてしゃべる。あと1ヶ月で,授業での展開の本番が来る。一難去ってまた一難… いつも何かに追いかけられている。それでもパトカーに追いかけられるよりは,ましではあるが…。懇親会のあと,元同僚たちと「秀苑」で焼肉を食う。ここの美味さに気づくのが遅すぎた。

そのあと二次会に繰り出し,飲みすぎて… 翌朝一番の研究打ち合わせに15分遅刻。皆様,誠に申し訳ない。しかし,実験計画のほうは,だいぶ進展があった。やはり,会って話すのが一番だ。胃が重いため,楽しみにしていたラーメンの「いっとく」は避けて,讃岐うどんの「丸亀製麺」へ。洗車カードを使いきろうと,よく利用したSSに行くが,それでもまだ残金がある。また,車でここに来ないといけないようだ。

またまた iPhone 失速説

2008-10-24 23:46:41 | Weblog
読み忘れていた10/21付日経夕刊に「iPhone に失速説」「相次ぐ不具合が原因?」という記事が出ていた。だが,読み始めて数行目に「当初の過熱人気は冷めたものの,小売データでは底堅い販売数を維持している」と,失速は単なるイメージかもしれないと書かれてある。いきなり見出しが否定されてしまい,びっくりする。要はこれからが正念場だということらしい。

iPhone に発生しているトラブルの最大のものは,MobileMe だろう。プラグのトラブルは,ぼく個人としては実害はなかったし,迅速かつ誠実に対応されたと思う。いずれにしろ,現段階の初期トラブルはまだ許容範囲にあるのではないか。問題は今後,App store にどれだけのアプリケーションが提供され続けるか,あるいはそれを活用するノウハウがどれだけ普及するかだろう。

そのためには,供給側に腰のすわったサービス戦略が必要になる。一方,この記事によれば,ソフトバンクの孫正義氏は,ユーザー体験の広がりが二次関数的な成長を引き起こすと期待しているようだ。つまり,ユーザーからのクチコミが今後どう広がるか,である。 iPhone の普及がS字型曲線に従っているとしても,まだテイクオフの段階まで来ていないと思われる。

以下の本のタイトルは,次世代携帯電話の覇権を iPhone と Android が争っているかのような印象を与えるが,中身は少し違う。著者は iPhone のすごさを認めつつ,結局 PC 市場における Mac のようなポジションになると予測する。この本の大半は,グーグルの Android が日本の携帯電話産業に与えるインパクトについて論じている。

グーグルvsアップル ケータイ世界大戦 ~AndroidとiPhoneはどこまで常識を破壊するのか
石川 温
技術評論社

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いずれにしろ,「ケータイ世界大戦」に,このままでは日本企業は,主要なプレイヤーとして参戦しないという見通しが示されている。とはいえ,国内市場が戦場になることは間違いない。昨日聞いたクチコミ・マーケティングのベンチャー各社のプレゼンにも「世界初」ということばが登場した。本当にそうであれば,そんなに素晴らしいことはない。 
 

ブログのインパクトは低下しているのか

2008-10-23 23:35:26 | Weblog
DM学会の「くちこみマーケティングの真偽を問う」と題するセミナーに出た。日経ネットマーケティングの編集長の講演の後,クチコミ・マーケティングのサービスを提供している7社の代表が,それぞれ15分ずつプレゼン。この世界の現場がどうなっているのか,勉強になった。7社のうち,ほとんどがブロガーネットワークを売り物にしていた。そして,スパムブログを排除するため,「目視」を強調している企業も少なくなかった。

以前,仕込まれたブログの炎上が話題になることがあったが,その後そうしたトラブルは起きていないのだろうか。あまり起きていないとしたら,マーケターがそれだけスキルアップしたのか,それともブログの読み手が慣れてしまったのか。後者だとすると,ブログのインパクトが低下しているのかもしれない。バナー広告のクリック率が初期に比べ大幅に低下したように,ブログの記事に消費者がさほど反応しなくなっているのか…。

マーケティングのツールは実験段階をすぎると,うまくいったエピソードを並べるだけではすまなくなる。きちんとした効果測定が必須になる。ブログ・コミュニケーションには,一方にマクロ的なクチコミ統計があるものの,ミクロよりの中間指標がないため,情報がどこからどこへ流れているかの動態がわからない。いまやコメントやトラックバックはスパムだらけで,膨大な数のROMの動向とは大きく乖離しているおそれもある。では,どうすればいいか。

膨大なカネと時間をつぎ込めば,ある程度のことはわかってくるだろう。すでにどこかの企業で,秘密の研究プロジェクトが進行していてもおかしくはない。ただ,データが整備されたら,それですむという問題ではない。クロスメディア・キャンペーンが精妙になればなるほど,その効果は非線形現象化して,線形モデルを基礎におく統計手法ではうまく扱えなくなる。予測とか制御について,根本的に発想を変える必要が出てくるだろう。

では,ぼく自身は何をするのか。とりあえずカネも時間も人手もないのだから,頭のなかでいろいろ考えるしかない。そして,まず時間ができたら,これまで細々と行ってきたシミュレーションをもっと充実させていくことにしよう。そのうちデータが手に入れば,より包括的なマーケティング・コミュニケーションのモデルを構築する… とうまくいくかどうは,ともかくとして。

それにしてもこのセミナーのタイトル,「…の真偽を問う」というのは,かなり過激である。つまり,クチコミ・マーケティングなんて偽りかもしれない,あるいは一部に偽物が混じっているかもしれない,という意識が主催者にあったことになる。ぼくとしては,現段階の「真偽」よりは,将来の「可能性」に関心がある。たとえば,非線形性の恩恵として,スタートアップ企業のための「貧者のマーケティング」が可能にならないか,などと考えてみたりする。
 

大学の常識と非常識

2008-10-22 23:23:27 | Weblog
ある大学では,すでに任用が決まった非常勤講師に書類提出を求める場合,返信用封筒+切手を同封することはない。理由の一つは,他の大学でもそうだ,ということらしい。しかし,ぼくは国公私立のいろんな大学の非常勤講師を勤めたが,そんな経験は一度もない。また,大学間の連絡だから,ともいう。勤務先の事務に出せば,そちらで郵送してくれるでしょ,ということなのか…。

別の大学では,市外局番が 03 か 04 で始まる地域以外に研究室から電話をかけることができない(携帯電話は別)。それ以外の地域(国内)に電話をかけるには交換台を通す必要があるが,そこは午後5時で業務が終了する。あり得ない,と問いただすと,学内から文句は出ていないという(ホント?)。地方に電話したけりゃ,自分の携帯でしたらいいでしょ,ということなのか…。

世のなかには,意外なところに落とし穴がある。アパートを借りるとき,誰もがどの部屋にもコンセントはあると思いこんでいる。だが,入居してみたら,あるはずのものがないことに気づいて愕然とする… というような話が,たまたま続けて自分に降りかかってきた,ということなのだ。たとえそれほど実害がないにしても,一般常識からしておかしいことには,一言いいたくなる。

もちろん,ぼくの常識からしておかしいと感じる組織や個人のふるまいに対して,何もいわない場合もある。そのときは黙って距離を置くようにするだけである。Hirshman を気取れば,voice ではなく exit による意思表明も選択肢の一つなのだ。

なぜ消費するのか?

2008-10-21 23:55:33 | Weblog
朝,大学の前で胃部レントゲン検査。それから健康診断に行こうとすると,男性は午後からだという。それが終わるまで食事がとれない。午後からは委員会があり,夕方になって初めて食事をとる。駅前のゴーゴーカレーへ。研究室に戻って「サービス」のデータを分析していると,あっという間に夜10時。退館の時間だ。深夜残業が許されないことは生活の健全化には役立つが,来週のイベントに間に合うか,心配になる…。

今日届いた本。消費の動機研究をテーマにした論文集だ。全体に「ポストモダン」学派の色彩が濃いが,正統派の消費者行動研究者も寄稿している。

The Why of Consumption: Contemporary Perspectives on Consumer Motives, Goals and Desires (Routledge Interpretive Market Research Series)

Routledge

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最も興味深いのは

Luce, Bettman, & Payne, Minimizing negtive emotion as a decision goal: investigating emotional trade-off difficulty

だ。Bettman や Payne が唱えてきた,属性間のトレードオフ(コンフリクト)が認知コストを高め,限定合理的なヒュースティクスを使う,というモデルが,情動という要素を加味することでどう発展するのか。現在進行中の「脳」研究とも関連するかもしれないので,気になるところだ。さらに,以下の論文も。

Kardes & Cronley, The role of approach/avoidance asymmetries in motivated belief formation and change

接近/回避パラダイムはプロスペクト理論と関連すると思うのだが,参考文献にそれらしい引用はない。そういう話じゃないのかな…。いずれにしろ,脳神経科学とは結びつく。この本のなかで唯一数学的記号が出てくる論文が,

Brownstein, Sirsi, Ward, & Reingen, Lattice analysis in the study of motivation

社会ネットワーク分析をマーケティングに導入したことで有名な Reingen が著者に名を連ねている。他にも面白い論文があるかもしれないが,まず目についたのが上の3つだ。なぜ消費するのか,この問いは当然,「選好の進化」というテーマとも結びつくだろう。

紅茶と珈琲,喫煙の関係

2008-10-19 23:40:22 | Weblog
今朝の日経「エコノ探検団」によれば,最近紅茶飲料の市場が増加しており,それを支えるのは中高年男性の重要だという。ほほーと思ったが,さらに面白いのが,喫煙者は非喫煙者に比べ,コーヒー摂取量が多いという関係が,いくつかの調査で示されているということ。で,男性の喫煙率低下がコーヒー需要を押し下げ,紅茶需要を増やしているかもしれないと。

喫煙者ほどコーヒーを飲むのは生理的な必然性があるのか,煙草とコーヒーをワンパッケージにした生活習慣がただ持続してきたのか,選好形成の研究対象として興味深い。以前,選好形成の既存研究をサーベイしたとき,肉への選好の歴史的推移を分析した研究がいくつかあった。喫煙習慣や嗜好性飲料への選好の変化も,おおいに研究の価値があると思われる。

 喫煙については,行動経済学の研究があった。古くは Gary Becker も。

メディアのすき間を探せ

2008-10-18 23:16:59 | Weblog
夜の電車では,老若男女が携帯電話の画面を眺めている。メールをやりとりしているのか,ニュースを見ているのか,ゲームをしているのか…。酔っ払って眠りこける男性の手にも,携帯が握られている(それでも落とさないはすごい)。こうした光景は,モバイル・マーケティングの可能性を裏づけているように見える。だが,それは生活の一断面でしかない。別の断面ではウェブが,あるいはマスメディアが圧倒的に重要になる。だから,それらをつないで「クロスメディア」… という話に進んでいく。

しかし,すでにあるメディアをつなぐだけでなく,メディアでカバーされない「すき間」をメディア化することが重要だという主張もある。昨日のエントリで紹介した DHBR 11月号に掲載された「『ビビスティシャル』とは何か」という小論がそうだ。vivistitial とは,まだ広告が侵入していない日常のすき間だという。さらにこれを細分化して,locostitial(場所のすき間),psychostitial(心のすき間),sociostitial(社会生活のすき間)等々が考えられている。どこもかしこも広告で埋め尽くされていいのかという議論もあり得ようが,少なくとも思考実験として考える価値はある。

もうひとつ興味深かったのが「贅沢や無駄使いは悪とは言い切れない」という小論。JMR や JCR に掲載された論文をベースにしており,科学的裏づけがあるといってよい。消費者は短期的な視野しか持たない場合,自己統制的になり贅沢はしない。ところが遠い将来まで視野に入れると,贅沢を選好するという。最後に引用されている,米国の政治家のことばがいい―「死の床にあって,『オフィスでもっと時間を過ごせばよかった』と嘆いた者は,いまだかって一人もいない」。 …「いまだかって一人もいない」と言い切るのがいいなぁ。

一見地味な消費者行動研究の結果が,経営者をターゲットにした雑誌に載る。日本では,あまり聞いたことがないことだ。実験的研究から「経営上の含意」をどこまで語るのか,本来は慎重でなくてはならないが,実務家のイマジネーションを刺激するために,多少の飛躍はやむを得ないとも思う。消費者に遠い未来まで考えさせることは,消費の刺激という以上に,人生を豊かにする価値がある。

「しつこい」実務型研究の可能性

2008-10-17 10:19:46 | Weblog
「サービス」プロジェクトの「一連の」発表が再来週に迫っている。新たな調査の準備も待ったなしの状況である。12月になれば,収集したデータを教材に用いた非常勤の講義も始まる。そろそろ気持ちを「サービス」に切り替えていかねば…。

という状況で購入した「Diamond ハーバード・ビジネス・レビュー」11月号では,巻頭論文にフライ「エクセレント・サービスの方法論」が掲載されていた。そのポイントは,顧客をいかにプロセスに巻き込むか,である。確かにそこにサービスの本質がある。顧客との接点が動的かつ連続的になると,顧客の評価や選択もまた動的かつ連続的になる。それをどう扱うのか… 既存の手法でどこまで可能か… そう考えると,自分本来の研究テーマと深く結びついていく。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2008年 11月号 [雑誌]

ダイヤモンド社

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DHBR のこの号では「マーケティングの原点」と銘打って,過去の「名論文」が特集されている。シャピロ,レビット,コトラーといった名前に並んで,ハンセンズの名前がある。選ばれたのは「カスタマー・エクイティを科学的に最大化する」という論文で,正統的なマーケティング・サイエンスのアプローチを企業の実践に生かそうとしたケーススタディである。ハンセンズは時系列モデルの研究で有名だが,共著者はこのプロジェクトのクライアント企業と調査会社のメンバーだ。

そこで扱われているのは,市場反応とマーケティング・ミックス・モデルである。入手可能なデータを用いてモデルを推定するだけなら,これまでも多くの企業が試みてきたはずだ。しかし,この事例では,市場実験まで行って,モデルの妥当性を高めようとしている。このしつこさ,徹底ぶりがアメリカらしい。モデルは詳しく紹介されていない。それは企業機密なのだろうけど,むしろ重要なことは,モデルのエレガントさではなく,プロジェクトをとことん続ける「しつこさ」なのだ。

ぼく自身の経験では,企業がマーケティング領域の研究プロジェクトを何年も継続し,試行錯誤の末,着実に知識を深めていくことは珍しいように思う。やってみたものの見込みがないので中止した,というのであれば仕方ない。しかし,その見込みは正確なのだろうか…。そこに関わった研究者が,研究の継続にどこまで説得力があったかも重要な要素だろう。その意味では,研究者ももっと「しつこく」なくてはならない。さらには,顧客を巻き込む「エクセレント・サービス」だと…。

あと,クマー他「顧客「紹介」価値のマーケティング」も,顧客の価値について興味深い指標を提案している。

「最先端」を追いかける

2008-10-16 23:20:49 | Weblog
1年前NHKスペシャルで放映された「グーグルの衝撃」を,Cマーケの授業で見せる。学生たちに聞いたところ,すでに見たことがあると手を挙げたのは約1名。であれば,これを見る価値は大いにある。グーグルを始めとする新たな広告ビジネスモデルの台頭は,マーケティングに大きな影響を与える。しかし,変化はあまりに速い。最近の動向については,別途ゲストから伺う予定。

NHKスペシャル“グーグル革命の衝撃”あなたの人生を検索が変える

ポニーキャニオン

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時代の最先端から,ぼくはかなり遠いところにある。実務家はそれぞれ,現場という先端で生きている。ただし,どこが「最先端」であるかは,その時点では当事者にすらわからないかもしれない。周回遅れの研究者は,後出しじゃんけんといわれようと,何が最先端であったかを事後的に把握しようとする。現場から離れた視点に立つことで,何か「一般性」を引き出せることを願って。

U な人,H な人

2008-10-15 10:13:54 | Weblog
ここ数日は,デザインやクリエイティビティに関する最近の研究動向を調べるのに「没頭」した。ビジネス界では重要性が増しているテーマだが,マーケティングや消費者行動の学術的研究ではどうかというと,これが思ったよりあるのである。もちろん,様々な分野でデザインを研究している人々は多数いるはずだし,心理学にも多くの関連する理論が存在する。

これからの自分の研究という意味では,属性やベネフィットに関する Utilitarian(功利的)vs. Hedonic(快楽的)という分類法が興味深い。この概念を初めて聞いたのは,何年前のことだろうか …第一印象は,実際に特定の属性をこの二つに分けるのは容易ではないし,属性は属性なんだから一括して扱えばいいんじゃないか,というものだった。

だが,この2つの属性への情動的な反応の違いを知るにつれ,この二分法はけっこう面白そうだと感じ始めた。これらは狩野紀昭氏の「当たり前品質 vs. 魅力品質」概念にかなり近いし,佐々木土師二氏の「合理性 vs. 情緒性」尺度とも関連していそうだ。だから,日本にはすでにある考えだと一蹴するのではなく,むしろ,これらの概念をさらに発展させることのほうが重要だと思う。

それはともかく,U と H の二分法は,様々な現象に適用できそうだ。たとえば政治家の分類。右であれ左であれ,思想性の強い政治家は H な政治家だ。麻生太郎はタカ派といわれるが,これまでの行動を見ても,吉田茂の孫という意味でも,U な政治家ではないだろうか。それに対して小沢一郎は,田中派出身という意味では U なはずだが,「原理にこだわる」点で H にも見える。

H な政治家はしばしば危険だともいわれる。しかし,U なだけではあまりに情けなく,U-H バランスが重要だ。米国をみると,オバマは H な印象で,対するマケインは完全に U だろう。米国民の多くはオバマの H な演説に酔いしれながら,U の能力について値踏みしているに違いない。政権を担うと U にならざるを得ないが,ときに H にふるまうことで支持をつなぎとめることになる。

さて,この二分法をぼく自身の人生に適用するとどうなるだろうか。これまで,あまりに U 過ぎたのではないか,と反省しないでもない。もっと H でなくては,と思う。いや,見方によっては,その逆が真実かもしれない。もっとしっかり U にならないと,そのうち破綻するおそれがあるよ,と。どっちなんだ? やはり,この二分法を使いこなすのは難しい。

市民球場とともに忘れてはならないこと

2008-10-11 23:41:22 | Weblog
所沢で西武ライオンズを長く応援してきた美容師さんと話をした。ライオンズが信じられないほど強い時代に,やはり毎年のように優勝を争っていたカープが日本シリーズで挑戦した。ぼくが3塁側で応援していたとき,彼は1塁側にいたらしい。カープは都合二度ライオンズに挑戦し,いずれも負けている。

最後に日本シリーズでライオンズと対戦した年,カープに前田智徳が入団した。早くから天才の片鱗を見せ,将来への希望が限りなく膨らんだ。そのとき,それ以降のあまりに長いカープの低迷は,まったく予想できなかった。広島市民球場は今年で姿を消す。広島の球場は原爆ドームのそばから離れ,広島駅の近くに移るという。

今年のシーズン中に市民球場を訪れたいという思いはあったが,叶わなかった。20年ほど前に一度だけ訪れたことがあるが,そこは噂にたがわず狭い球場で,当時でさえ古ぼけた印象があった。久々にカープがホームグランドに帰ってきたということで,満員の球場は活気づいていた。ぼくには聖地に来たという思いがあり,勝敗はどうでもよかった。

市民球場の移転を記念して,以下のようなムックも発売されている。装丁は野暮ったいが,そこがカープらしい,という気がしないでもない。数々の名監督,名選手のインタビューが掲載されている。古葉竹識元監督へのインタビューを読み,強かった時代を思い起こすと,いまなぜこんなに弱くなったのか,謎に感じられる。それとも,当時なぜ強かったかのほうが,本当は謎なのだろうか。

ありがとう!栄光の広島市民球場 (洋泉社MOOK) (洋泉社MOOK)

洋泉社

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次いで衣笠祥雄がインタビューに答え,「我々を含めてだけれど,球団が結成されてから先輩たちが紡いできてくれた物語を,うまく語り継げなかった」と語る。最近のカープの不甲斐なさへの悔しさがひしひしと伝わってくる。これほどカープを愛する英雄が,なぜ一度も監督になることがなかったのか。それを知ることがたとえ苦痛になるとしても,ジャーナリズムに真実を伝えてほしい。

このムックの最大の目玉は,高橋慶彦へのインタビューだろう。村上龍『走れ!タカハシ』のモデルになった,全国区の人気を持った選手。給料が少なかったので練習するしかなかった,そのおかげで今日の自分がいると語る。彼はロッテのコーチをして5年になるという。バレンタイン監督のもとで学んだことを,カープで生かしてほしいと思うのは,ぼくひとりではないはずだ。

走れ!タカハシ (講談社文庫)
村上 龍
講談社

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だが,広島球団には,カープを途中で去った(去らざるを得なかった)人間をあまり活用してこなかったという印象がある。他方,このムックでは,なぜか山本浩二や大野豊が大きく取り上げられていない。オリンピックのコーチで忙しくて取材に応じる時間がなかったのか,ギャラが高すぎるのか,カープOB人脈に何か溝でもあるのか,あるいは単に,編集者の好き嫌いが出ただけなのか。

このムックでは,元選手たちが広島市内で経営する飲食店も紹介されている。木下富雄と原伸次。ここもマークしておこう。

ぼくだって「研究」したい

2008-10-09 23:51:35 | Weblog
ノーベル物理学賞・化学賞ともに,日本人が受賞したというニュース。NHKの解説者によると,ノーベル賞の授賞対象になった研究の多くは,研究者が30歳前後に生み出されているという。その頃いかに研究に集中するかが重要なのに,いまの日本では,その年代の研究者たちが研究に専念できる環境に置かれていない,と解説者は指摘する。だから今後が心配だ,と。

ぼくの目には,理工系の若手研究者たちは朝から晩まで研究室にこもって実験したり計算したり,かなりの程度研究に専念しているように見える。だが,研究費が絶対的に不足しているとか,そもそもそうした場にいられる人が限られるとか,いろいろ問題があるのだろう。元々「論文生産性」が低い文系の人間が考える「専念」とは,レベルが違う話かもしれない。

社会的に意義深い研究などしておらず,論文生産性はきわめて低く,将来の伸びしろも少ないこのぼくでさえ,「研究に専念できる」環境におかれたらどんなにいいだろう,と思っている。極論すれば,メシフロネル以外の時間はすべて研究に没頭していないと,よい研究成果など生まれないと思う。1日に2時間ずつ研究して,それを重ねていけば成果になる,なんてことはない,と。

ところが,優秀な研究者とは,それができる人々のようなのである。研究以外の活動にそれなりに時間を割きながら,それでも平均以上の研究成果を上げている人たちは決して少なくない。つまり,限られた時間に集中する力,頭の回転の速さ,そしてセンスのよさといった能力が鍵なのだ。一方,そうした才能に恵まれない凡庸な研究者こそ,研究に専念できる環境を必要とする。

研究したい,という気持が才能と一致しないことがある。だが,凡庸なので研究に専念するしかなく,その結果他の人が見逃した何かを見つけることがあるかもしれない。歩みが遅いことにもメリットはあるのだ。そして,人並み外れた才能に恵まれつつ,メシフロネル以外の時間を研究に捧げた人が,ノーベル賞クラスの研究成果を上げるのではなかろうか。あくまで想像にすぎないが。

仮想世界から来た研究書

2008-10-07 23:53:21 | Weblog
「人はなぜ形のないものを買うのか」というタイトルはなかなか魅惑的である。サービスからコンテンツまで,無形の財がいろいろ思い浮かぶが,この本が扱うのは副題からわかるように,物理的実体のないデジタル財,さらには仮想世界でのビジネスである。こうした分野を精力的に研究してきた著者の現段階での成果が,ここにまとめられている。

人はなぜ形のないものを買うのか
野島 美保
エヌティティ出版

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毎日,ほとんどパソコン画面の前にいるぼくだが,この本で取り上げられているような世界に足を踏み入れたことが全くない。だから,なぜそれを買うのか,全く想像がつかない世界が研究されている。ぼくの前に存在する大きな壁(デジタル・ディバイド)は,著者の前には当然ながら存在しない。だからなのか,その世界を知らない者が想像する仮想世界のおどろおどろしい異質性とは,この研究書は無縁である。

むしろ,リアルの世界とのある種の連続性が仮定され,経営学やマーケティングの理論が自然に,発展的に拡張されているように思える。それは,リアルと仮想の世界の間を軽やかに移動する著者ならではのことともいえる。その「自然さ」に共感するか,あるいは(よく社会学の文献に見られるような)もっと「構えた」議論を欲するかは,趣味の違いといえるかもしれない。

友人が本を出すのは刺激になる。まして,それが自分よりずっと若い人の場合,非常に刺激になる。本屋で見かけながら,もしかしたら… とケチ臭く購入を控えていたら,期待通り献本していただいた。深謝。