Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

書くことなし

2007-11-29 00:04:20 | Weblog
最近書くことがない…。
プログラミングの合間を縫って,学内重要業務に参加,ウェブ調査票を修正しつつ,採点などをし,期限の迫った原稿を書き始め,読まねばならぬ論文を眺める。するとあっという間に深夜である。深く考える時間がないと,書くこともないわけだ。

今日届いた本:

 日経産業新聞編,日経市場占有率2008,日本経済新聞出版社
 日経MJ編,日経MJトレンド情報源2008,同上

経済学から実験を学ぶ

2007-11-26 14:45:52 | Weblog
連休が終わり仕事再開。

本日届いた本

西條辰義編著, 実験経済学への招待, NTT出版
河野勝・西條辰義編, 社会科学の実験アプローチ, 勁草書房
S. Maital ed., Recent Developments in Behavioral Economics, Edward Elgar

昔経済学を学んだ頃,その片鱗もないように思えた「実験」がいまや急速に脚光を浴び,川越,西條両氏の本が立て続けに出版された。2冊目の本は,早稲田大学のCOEの成果であるとのこと。政治学の研究も含まれている。来るJACSの大会では,西條氏の招待講演がある。実験についてより長い経験を持つはずの消費者行動研究者が,経済学者から何を学ぶのだろうか。

あらゆる学問の流派が入り混じっている消費者行動研究に比べ,実験経済学の関心は新古典派経済学ないしゲーム理論の命題の検証や反証に集中している(ように見える)。このような理論志向は思考を硬直化させ視野狭窄に陥らせるおそれがある一方,知の継続的な蓄積という点で優れている。JACSでどんな「対話」が起きるのだろうか・・・指定討論者の顔ぶれを観ると,実験経済学 vs. 社会心理学の議論になるのかもしれない。

今日届いた3冊目の本は,行動経済学の最近の「重要」論文を集めたもの。日本でも行動経済学会が発足し,JACSと同じ日に第1回の大会が開かれる。主要メンバーを見ると,阪大を中心に関西勢が多い。だが,実験経済学者の名前はなく,本来行動経済学にあったはずの「反新古典派」的な雰囲気もあまり感じられない。既存の経済理論を地道な実証研究で補完するというだけでは寂しい。ちなみに趣意書には,マーケティングも分野の一つに数えられている・・・。

Thanksgiving Day

2007-11-23 01:53:28 | Weblog
今週は,近々行うウェブ調査の準備のほかは,会議もあまりなく,12月の学会発表の準備にかなり時間を割くことができた。それは,まるで奇跡のような日々だった。深夜まで研究室にいたため,酒もあまり飲んでいない(だがジムに行っていないので,総合的にどういう効果が生まれるかはわからない・・・)。この貴重な時間で何を達成したのか。

今週取り組んでいたのは,よくあるクラスタリング手法を直面する問題に合わせて拡張すること。風邪のせいもあって(?)亀のような歩みで何とか実データに適用するところまできた。結果の妥当性の検証は,来週のお楽しみだ。だが来週は今週ほど恵まれていない。突然「召集令状」が来て2日間ほど拘束される。その他打ち合わせも多い。

加えて今日,某プロジェクトで12月中旬に一大「イベント」が企画されていることを知る。Thanksgiving Day は終わった。次の祝福はクリスマスの頃に来るのか・・・。いやむしろ,仕事も安息も,つねに日常生活のなかに細切れに埋め込まれているようにしたい。そんな芸当がどこまでできるかわからないが・・・。

本日届いた本:

大前研一『大前流心理経済学 貯めるな使え!』講談社 ・・・疲れきっているときこそ,こういう本を読んで「元気」になりたいものだ(がその時間はない)。「貯めるな使え!」の教えには従うつもりである。

世の中にも人生にも飛躍はない

2007-11-20 11:08:47 | Weblog
先週金曜はS&RM研究会@日本橋に参加。報告者はそれぞれ広告会社と通販会社で,CRMの最先端に携わっている。お二人の話に共通することの一つは,CRMに残された課題として,ブランディングが重要だということだ。そこからマス広告の再評価という話も出てくる。現場のマーケティングは,バランスがとれた形を志向していく。

最近,CRMへの反省も生まれてきた。たとえば顧客によっては,CLVが時間ととも増加するどころか,逆になるといったことが指摘されている。表には出にくい(研究者が知るのが難しい)コストの情報を加味すると,それは十分あり得ることだ。だからといって,これまでのCRMに関する理論や技術がすべて無効になるわけではない。世の中にそうそう大きな飛躍は起きない。

それは,マス広告についてもいえる。その効果は過去に比べて激減したわけでも,また最近急に再上昇したわけでもない。世の中のほとんどのことに飛躍はないのだ。こういうときに重要なのは,自分やその周囲の数人の経験から一般化するのでなく,きちんとした実証研究を踏まえてものを語ることだろう(そうしたくても,データが手に入りにくいという問題はあるが・・・)。

人生にも大きな飛躍などめったにない。風邪が完全に治らないまま,ここ数日,12月の学会に向けた準備作業をしている。非補償型意思決定ルールの探索手法・・・10年ぐらい前に考えていたことに似ている。何とか基本プログラムを作り,数値実験を行い,そろそろ実データへの適用を・・・という段階まで来たが,週末からしばらく,研究に専念できない環境に再び戻る。ここにも飛躍はないわけだ。

ともかく12月の学会発表2件,セミナーでの発表,新たに開講される講義の準備が目下の課題である。いずれも,いつか訪れる「飛躍」のためということで・・・。

好みの先天性

2007-11-16 14:07:42 | Weblog
昨日は,3人の学生の卒論中間発表を聞いた。みんな,他の研究室の学生である。社長のパワーが業績回復にどう影響するか。文学賞審査員のネットワーク。固定顧客の管理会計・・・門外漢の分野を含めいろいろあるが,数式の羅列を聞くよりはよい。あと2ヶ月ちょっと,頑張って下さい。昨夜から今日まで,大量データからの非補償型ルール抽出の方法を考えるが,なかなか斬新なアイデアが出ない。

そうこうしていると興味深いニュースに遭遇。東大の研究者たちが,哺乳類の匂いに対する好き嫌いが先天的に決まっていることを,世界で初めて実験で示したという。彼らは遺伝子操作によって,本来なら忌避するはずの匂いを忌避しないマウスを作りだした。その論文は,近く Nature にも掲載されるらしい。

匂い(あるいは味)への好みは,根源的には遺伝的に決まっているということである。つまり,選好の部品は自然によって与えられている。これは長い進化のプロセスで「獲得」されたものだ。これを「基礎選好」と呼ぼう。だが,部品だけで機械は動かない。部品を特定の形式で組み立てると機械になる。基礎選好が1つの実体として構成されたものを「メタ選好」と呼ぶことにしよう。これが,マーケターや経済学者が対象とする選好だと思われる。その形成には,無意識の作用と意識的な操作が加わる。後天的な部分はここに現れる。個人差の多くの部分は,それによって生まれるのだろう。

基礎選好が組み合わされた結果,全く新たな選好が生まれるとしたら,選好の化学(ケミストリー)とでもいうべき現象があることになる。人間はそうした階層性が生まれる方向へなぜ「進化」してきたか・・・そのあたりに,遺伝子操作だけでは済みそうにない,人間の選好マネジメントを解く鍵がある。

small decision

2007-11-14 23:13:18 | Weblog
午前中,卒論の中間発表。審査してもらった秋山さんと昼食。最近,ゲーム理論の研究者の間では,ほぼ無意識に,一瞬に行われる意思決定を small decision というらしい。進化ゲームは,まさにこうした意思決定を説明するのに役に立ちそうだ。だとすると,「無意識の消費者行動」との接合も視野に入ってくる。・・・短時間だが,いつものように実り多い時間になった。

午後は会議。組織が外的な成長機会を奪われ,いったん縮小さざるを得ないときの空気・・・このところ,多くの人々があちこちで感じているものだろう。そして,大学には,企業に比べあまりに制約が多すぎるという事実。ずっと大学で生きてきて,これからそうしたいと願う人々は,今後どうすべきなのか。もはや「そちら側」に立つ人間として,他人事ではない。

会議を中座して,近々発注しなくてはならない調査の打ち合わせ。だが,速やかなる執行に立ちはだかるのは,調査とは無縁の役所の壁だ。それにしても,時間感覚がここまでズレているとは・・・自分の仕事はのんびりで,相手には期日を厳しく言い立てる人々・・・大企業病とかいっても,「お役所」に比べれば可愛いものである。

風邪で体調は万全ではないが,やれることをやれるうちにやっておかないと・・・。

本日届いた本

青山秀明他著『パレート・ファームズ―企業の興亡とつながりの科学』日本経済評論社 ・・・パレートの法則つまりベキ則を基軸に企業行動を解析する試み。今年6月の発売というが,気づかなかった。先日の日経・経済図書文化賞にノミネートされたが,既存の経済学との距離が大きいという理由で選からもれた。

川越敏司『実験経済学』東京大学出版会 ・・・著者は,実験経済学がいまのように認知される以前から研究を積み重ねてきた。敬意を持って読むべき一冊。

クリエイティビティと競争

2007-11-13 23:31:02 | Weblog
谷間に咲く百合の花のように,比較的自由な時間に恵まれた日。次の課題となるプロジェクトのため,データを見直したり,分析アルゴリズムを考えたり。

夜,TBS の NEWS23 で,グラフィックデザイナーの佐藤卓氏や文化人類学者の竹村真一氏(竹村健一氏のご子息といったほうがわかりやすい)が企画する water というイベントを取り上げていた。環境問題をしかめっ面ではなく,ニコニコしながら語ろうというコンセプトはいい。デザイナーの力はすごい。優れたデザイナーがどんどん登場して,世間がそれを受け入れたら,世のなかもっとよくなるのではないか。

いやいや,クリエイティビティを持つ人間の数は限られる。成功するデザイナーはごく一部だから高い報酬が支払われる。その結果,世のなかの大半のデザインは貧しいままである・・・と訳知り顔で語る声が聞こえてくる。だが,それで話を終わらせたくない。すべての人がクリエイティブになれないとしても,そういう人が少しでも増えること,あるいは一人ひとりがほんのわずかでもクリエイティブになることを願うことは,さほど無茶な夢ではないと思う。

クリエイティブであることと競争はどう関係するのだろうか。いうまでもなく,優れたクリエイターたちは競争している。だが,彼らは経営学者の「競争戦略論」がいうような,参入障壁を築いて他者の追随を防ぐ方向で努力しているとは思えない。では差別化はどうかというと,それは必要条件であって十分条件ではないと思う。差異がクリエイションを起こすのではなく,クリエイションが差異を生むのだ。

番組のなかの佐藤氏や竹村氏を見ていると,彼らはひたすら自分の欲するものを追求し,同時にそれが多くの人々が欲するものだと確信していることが伝わってくる。「クリエイティブ経済」というものがあるとしたら,企業が生き残るための競争戦略などよりも,「こんなものを作りたい」「それこそ欲しかったものだ」という,企業人と顧客の本源的欲求に応えられるかどうかが重要になる。

競争戦略再考

2007-11-11 22:41:47 | Weblog
ディズニーがソフトバンクの回線を借りて,来春携帯電話事業に参入するという。確かにディズニーには他にはない「資源」がある。経営学者が「競争優位性」と呼ぶものだ。それを生かしてどんな携帯ビジネスを展開するのか・・・それは携帯市場の競争にどういう影響を与えるのか・・・注目すべき動きだ。だが,それよりもいま,ぼく自身が気になるのは,競争優位性とは何かである。

産業組織論のハーバード学派と呼ばれる人々は,経済学が理想と考える競争を妨げる「市場構造」要因として,集中度,差別化,参入障壁をあげた。それをそのまま逆転させて,競争戦略を作り上げたのが,産業組織論から経営戦略論に転じたマイケル・ポーターである。だから,野中郁次郎のいうように,競争戦略とは競争しないようにする戦略なのである。

競争優位性に関する理路整然たる言説に漠然と感じる違和感は,現実の企業のほとんどが,そんなものとは無縁なところで競争しているという実感からきている。確かに圧倒的な差別化ないし参入障壁,あるいは競争優位なるものを築くことができれば成功するだろう。そりゃそうだ。だが,逆は真なのか?

経営戦略論は一握りの大成功した企業から得た教訓を語る。だが,それはその他の多くの企業にどれだけ役に立つのか? そうした多くの企業は早晩淘汰されるのだから無視してよいというのならわかる。だが,彼らは経済学に敬意を表するかのように,簡単に消えることなく,ぎりぎりの競争を続けている。一方で,競争優位を賞賛された企業は少なからず,その地位を持続できない。

こういう現実を踏まえた経営戦略論を構築すべきではないかと思う。特権的に競争から超越するのではなく,つねに一進一退の競争にさらされながら,ときどき(できればしばしば)顧客その他のステイクホルダーを喜ばせ,どっこい生き残っていくための戦略の研究。東洋思想や今西進化論に頼る気はないが,欧米での研究にその答えがあるとも思えない(わからないが・・・)。

東京モーターショー@幕張

2007-11-10 22:39:59 | Weblog
雨のなか,かなり久しぶりに幕張メッセへ。老若男女,沢山の人が集まっている。若いカップルはもちろん,一人で懸命にクルマを撮っている女性もいる。若者のクルマ離れというのは本当だろうか・・・と思う。ここに集まっているのは,全国の変わり者たちなのだろうか? いや,まだまだクルマは人々に夢を与える存在なのだろう。老若男女,これだけクルマ好きがいるのだ。

会場の最東端のメルセデス,最西端のトヨタのブースが好対照をなしていた。メルセデスの目玉はF700。知的なラグジュアリーとは何かを追求したクルマだ。ドイツらしく,地球への責任等々の哲学が語られる。確かに説得力はある。一方,トヨタのブースは,広くて明るくて何でもありの世界。この全方位性,総花性こそトヨタの一貫性であり,強みなのかもしれない。

トヨタの目玉は,i-REAL に代表されるクルマの常識を脱した極小化された乗り物だ。同種の提案は,日産(PIVO2)やホンダ(PUYO)にも見られる。環境や都市問題への配慮,人間への優しさや癒し・・・確かに意欲的なコンセプトだが,クルマ本来の魅力である攻撃性や暴力性との折り合いをどうつけるのか。両方のラインを用意してある,というだけではちょっと・・・。

日産のブースでは GT-R が大人気だったし,マツダの「大気」は走っているところをぜひ見たいスタイリングだ。市販品でも,ただ展示されているだけの三菱ギャランの顔は,なかなかカッコよかった。その点,スバルのレガシーはかつてに比べてどうだろう・・・スズキの大きなクルマって・・・ダイハツのコペンは確かに魅力あるな・・・等々,誰でも論評できるのがクルマなのである。

今日は最終日直前の土曜だから例外かもしれないが,これだけの人出を考えると展示技術のイノベーションが必要だ。特にホンダのブースでは,狭くて閉じたスペースにぎゅうぎゅうに詰め込まれ,ショーが始まるまで長時間待たされる。その間,背後で別のショーが始まったり,ちょっとなあ・・・。暑苦しさで倒れる人が出たり将棋倒しになっても不思議ではない状況だった。

大量のパンフレットを抱えて帰る。あくまで研究資料である(エヘン)。ただし,「私用」にカーナビのパンフも入手。

ようやく一息・・・

2007-11-09 21:18:22 | Weblog
昨夜は消費者間相互作用研究会。大事な約束を延期し(),ぎりぎりまで分析して発表に臨んだ。複雑ネットワーク上のクチコミ伝播モデルにそれなりの独自性を加えることを狙ったが,その結果は Watts and Dodds 2007 が主張する,次数中心性の高い(知人数が多い)ハブを狙う「インフルエンサー・マーケティング」が期待されるほどの成果差をもたらさない,という説を裏づけるだけ。独自の発見には至らず。

これだけでは,せっかく参加してくれた聴衆に申し訳なかったが,そのあと山本さんの(松尾さんとの)研究の報告が救いになったはず。選好形成と信頼形成の相互作用のモデルが,ネットコミュニティのログデータで実証されている。さらに,独自の視点のブランド診断指標が提案されている。テクニカルな点からブランド戦略への含意まで,聴き手のアドレナリンが大いに分泌されて活発な議論が起きた。

上述の自分の研究はまだまだ手がかかるが,そろそろもう一つのプロジェクトに着手する必要がある。その前に,査読とかいろいろあるにせよ・・・。

今日の午後は「実習」最後の日。各チームのプレゼンは着実に成長している。審査員として参加してくれた同僚に講評をお願いした。たとえば競争優位性や企業戦略の考慮が足りないという指摘は,そのとおりだろう。その一方で,実務家に講評を求めたら,違うことをいうだろうなと想像する。長い時間をかけて考えた学生たちは,学者よりは実務家の感覚に近づいた。そのことを恥じる必要はない。

本日届いた本

Nigel Gilbert, Agent-Based Models, Sage Pub. ・・・ コンパクトなのが特徴の Sage の入門シリーズに,エージェントベースの解説書が加わった。

職業選択がすべて

2007-11-06 20:43:14 | Weblog
注文していた John L. Holland, Making Vocational Choices が届いた。アマゾンのユーズド品。全然きれいである。ぼくは,職業選択に背景にある個人の選好が,ライフスタイル,消費行動にきわめて大きな影響を持つ・・・という仮説を持っている。そのための参考として購入したが役に立つだろうか(それ以前に,いつ読むことになるだろうか・・・)。

職業,職場の環境,立地,ドレスコード・・・その重要性は,もちろん Richard Florida, The Rise of the Creative Class に学んだものだが,いま,まさにそれを実感している。皮肉だ。

サービス科学@茗荷谷

2007-11-05 23:17:27 | Weblog
複雑ネットワークと消費者調査を結びつけたシミューションを報告していただいた吉田さん,コールセンターの抱える現実的な問題と工学的な解決方法を紹介していただいた菱沼さん。そして,自分の研究を懸命に発表してくれた院生諸君に感謝。しかし・・・気になるのは,サービス・サイエンスを推進する側のビジョンだ。 

そのあと「遠方より来る」渡辺さんと二人,短時間だが飲みながら議論。「サービス・サイエンス」って何なのか? 「サービス」という対象に,これまでやってきた「科学的」と称する手法を適用すればいいのか? ・・・などというと大げさだが,考えている人は考えている。

家族の光景

2007-11-04 13:15:33 | Weblog

亀田一家のありようが話題になったが,日本一になった中日のビールかけに,落合監督の奥さんと息子も参加していたとのこと,落合ファミリーも負けていない。ぼくにはまったく理解できない「オレ流」だが,天才のすることはわからない。ただ,成長の片鱗が見える興毅君に比べ,福嗣君の将来はどうなんだろう・・・。その勘違いぶりが,テレビ的には使えるかもしれないが。

日曜のショッピングセンターは親子でいっぱいだ。天気もいいし,ほほえましい光景を見ていると,本来のんびりしていられないはずなのに,気持ちが和むばかりか,少しウキウキしてくる。平和で明るい空気のなかで,いろんなものを買ったり,食ったり・・・これが現代の日本人の幸福なんだと感じる。そして,髪の毛を切った後,ぼく自身調子に乗って,ズボン2本と以下の書物を購入:

島田裕巳,慶應三田会 組織とその全貌,三修社 ・・・早稲田と入試偏差値にさほど差がないのに,なぜ「名声」と「自負心」があんなに強いのか・・・という疑問に答えてくれるとうれしい。それがわかってどうなるというわけでもないが。

日経トレンディ12月号 ・・・今年のヒット商品と来年のヒット予測のベスト30。「勉強のため」いつも買うが,あまり真剣に読んだことがない気がする。本(雑誌)の消費は,たいがい買ったときに終わっている。

pen11/15号 ・・・今年と来年のクリエイティブ・アワード特集とのこと。これを買ったのも,上と理由は同じ。

TITLE12月号 ・・・「こんな会社で働きたい!」特集。この雑誌のいう,クリエイティブな会社,って何だろう。

諸君!12月号 ・・・急にオヤジ臭くなるが,読みたい記事が一つあった。現在,所在不明(買って2時間も経たないのに)。

さて,研究室に戻り,仕事再開。シミュレーション,うまくいってくれ!


付いていけない話

2007-11-02 23:36:55 | Weblog
その1。福田首相が民主党の小沢党首との会談で呼びかけた「大連立」。民主党は役員会を開き,これを拒否したが,いずれ小沢氏は党を割って大連立に参加するという噂があるとフジテレビ。野党間で疑心暗鬼が広がっており,福田氏はなかなかの曲玉を投げたようだ。だが「大連立」なんて国民に支持されるのだろうか・・・「見え方」次第でそうなるのだろうか。

その2。C型肝炎訴訟での和解をめぐり,官僚と製薬会社が「抵抗勢力」だと非難している舛添厚労相。目に見える敵を作って,自らを英雄化する古典的ポピュリズム。小泉氏はこれで成功したが「福田首相の命に反する者は首を洗って待っておけ」とまでいうと,臭い田舎芝居に見える。だが,それに拍手を送る観衆もいるのだろうか・・・いるんだろうな,きっと。

その3。謝罪会見のあと「不器用だが,親思いの好青年」にイメージを変えた,ボクシングの亀田興毅選手。正義の見方であったはずのレポータが叩かれている。これだけ見ると,イメージ操作なんてちょろいもんだと感じられる。てことは,今後何があってもおかしくない,ってことか。

その4。日本シリーズで,完全試合を達成する直前の投手を交代させた中日の落合監督。勝利に徹した合理的な采配だと絶賛する声と,そんなことをするからプロ野球が面白くなくなると嘆く声。だが,議論されているうちは,まだ関心が持たれているということで,まだましだ。ぼくにとっては,どうでもいい話なんだが・・・。

最近届いた本:

田村正紀,リサーチ・デザイン,白桃書房 ・・・経営研究の方法論を,特に基礎的なデータ分析に焦点を当ててコンパクトにまとめている。教科書に使えそう。

R. J. Herrnstein & C. Murray, The Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life ・・・IQと社会階級,人種との関係などを分析して,一時期大変話題(騒ぎ)になった本。「正規分布」ならまだいいんだが・・・。

R. J. Herrnstein, The Matching Law, Russell Sage Foundation ・・・同じ著者が,選択における限定合理的なバイアスを研究した論文集。裏表紙で Kahneman が推薦文を書いている。このような研究者がいたことを知らなかった不明を恥じる。

博士課程の未来

2007-11-01 20:26:54 | Weblog
理工系の学会の例外にもれず,JAWS2007でも多くの院生たちが積極的に発表の機会を求めて参加していた。そこではさらに「メンタリング・プログラム」なる場まで設けられ,指導教員とは異なる先生から指導・助言を受けることができるという。後進を系統的かつ情熱的に育てるという点で,理工系は文化系と比べものにならない。だが,院生たちが今後,今回発表していたような研究を継続・発展させ,職業として活かしていけるかどうか。そこに見通しがないと,かえって残酷な仕打ちになるかもしれない。

偶然訪れた,地方旧帝大の理工系研究者らしき方のブログに「東大で大学院に入るのは自殺行為、それ以外の大学で大学院に入れるのは殺人」ということばが引用されていた。そのリンク先である文系研究者のブログによれば,このことばの出元は東大出身の経済学者のようだ。文系では,大学院を出て大学教員になるのは大変で,東大だってほんの少しましな程度だ,ということらしい。最初のブログの主は,これに対して「理系では東大の大学院へはいったからといって、事情はほとんど変わりません。東大の大学院生だけで、すでに多すぎなのです」とつけ加えている。

これらのエントリが書かれたのは2004年。その後,状況は厳しくなる一方のはず。国立大学の場合,生き残りのためには大学院進学者を確保していくことが必須だが,一方で大学教員への需要が構造的に減少していくこととのギャップは,誰がどうやって埋めるのだろう。理工系では修士課程に進むのは一般的で,その後多くの学生が企業に就職する。その後の博士課程についても,企業を受け皿に考えるしかない。だとすると,企業が欲するような博士を教育しなくてはならない・・・それは,企業がイヤで大学に来たような大学教員たちにできるのか・・・。