Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

和田智氏が語るアウディのデザイン

2011-01-30 22:18:13 | Weblog
金曜の夜,和田智氏の「アウディデザインのブランド力」という講演を聴いた。和田氏は日産でカーデザインに従事した後,アウディで11年間シニアデザイナー/クリエイティブマネジャーとして,A6,Q7,A5 などのデザインを担当。2009年に独立,東京をベースに活動されている。

講演の冒頭で,和田氏は Apple と Audi をダブル A と呼ぶ。それは両社が英国のロックバンド「コールドプレイ」を起用しているからだけではない。その共通点は企業風土が「女性的」なことだという。同じドイツ企業でもベンツや BMW はイメージ通り男性的だが,アウディは女性的な文化を持つという。

和田氏はアップルの本社を訪れ,ジョナサン・アイブ他のデザイナーたちと会ったとき,アウディと同じような社風を感じた。他社との競争をあまり意識せず,ひたすら美しいものを追求している。70年代のヒッピー文化を継承し,誰もネクタイを締めていない。そして彼らは皆,クルマ好きであった。
アップルの本社を訪れて驚いたことの1つは,建物のど真ん中に研究センターが置かれていたことだという。そんな企業,他にあるだろうか?(ありそうなのはグーグルぐらいか・・・)
さて,本題は和田氏がアウディで学んだデザイン・マネジメントである。独立した和田氏のもとに日本企業のトップが訪れることがよくある。そしてしばしば口にするのは「売れるデザインをお願いします」ということばだ。アウディに11年間いて,こうしたことばを一度も聞いたことがないという。

ドイツの自動車メーカーでは,デザインのトップを誰にするかは,社長の重要な意思決定事項である。その選択を間違えると,社長の職を失うことになる。だから,デザインがわからない人は社長になれない。かつてアウディの会長を務めたピエヒは,若い頃イタリアへデザインの修行に行ったという。

アウディでは,トップはデザイナーに「美しいデザインをしてくれ,それがどういうことかわかるね?」といったことしかいわない。和田氏はデザイン部門の上司に呼ばれときのエピソードを紹介する。上司は1時間半,子どもの頃ミラノの街角で見た,美しいクルマのフォルムについて語り続けたという。
このエピソードは以下の和田氏の著書にも出てくる。上司の名前はヴァルター・デ・シルバ,アルファロメオのデザインで知られている。
未来のつくりかた アウディで学んだこと
和田 智
小学館

和田氏が最初に A6 のシングルフレームグリルをデザインしたとき,社内では反対も多かった。そこでアウディがとったのは「寝かせる」マネジメントである。それは単なる先送りやボツにすることではない。十分寝かされたアイデアは,機が熟すると再び脚光を浴びる。「ワインの理論」だという。

アウディはカークリニックをしないか,しても平気でその結果を無視するという。アウディで働く人々は皆半端なくクルマ好きなので,彼らが欲しいと思うことが重要だと。ドイツの商店は日本に比べ驚くほどホスピタリティがない。客に媚びない文化と傑出したデザインの関係を和田氏は示唆する。

和田氏の講演は,アウディ退社後の活動に及ぶ。現在,クライアントのない,自主プロジェクトにも注力されている。アウディでは世界の0.5%の人々のために仕事をしてきた。それを超えて今後何を目指すのかについては,前掲の本に紹介されている。審美性と倫理性はしばしば不分離の関係にある。

和田氏がある大学の芸術学部で講義したとき,話を聴いて涙ぐんだ学生がいたという。美しいもの,徳のあるものを創り出したいという気持ちが少なからぬ若者に共有されていることを,和田氏は確信している。中年のぼくの心のなかにもそれはまだ残っている。自分の仕事に対しても,大きな刺激になった。

日本企業は・・・とかいう以前に自分に問うてみたい。「売れるデザインをお願いします」という企業人を嗤う資格が,製品やサービスを売れるか,儲かるか,株価を上げるかでしか考えない研究者にあるのか。そういう考え方が道徳的でないというのでなく,それが現実を反映していないことが問題なのだ。

桑田真澄氏の修士論文を読みたい

2011-01-28 09:09:49 | Weblog
元プロ野球選手の桑田真澄氏は,2009年4月から1年間,早稲田大学の大学院で学び,スポーツ科学の修士号を取得した。しかもその修士論文は,社会人1年制コースの最優秀論文に選ばれたという。本書は,その桑田氏と指導教員である平田竹男氏の対談集である。平田氏は,経済産業省に在職中に,Jリーグの設立やW杯誘致に尽力された方だ。

野球を学問する
桑田 真澄,平田 竹男
新潮社

桑田真澄氏の修論のタイトルは「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」である。つまり彼は,野球に関する伝統的な考え方を変えることを提案している。その一環として,現役のプロ野球選手への質問紙調査も行われている。その結果を見ると,多くの選手が学生時代に監督や上級生からの暴力,長時間の練習を経験している。

桑田氏は高校1年で甲子園の優勝投手になる。したがって監督に合理的な練習方法を提案し,認めてもらっていた。だが,その後も従来型の野球道を信奉する人々からの反発がつねにあったはずで,桑田氏のヒール的なイメージが定着していったと思う。かくいう自分も,以前は桑田氏にいい印象を持っていなかった(巨人が嫌い,という理由も大きいが・・・)。

自らトレーニング理論などを勉強しながら,合理的な練習方法,それ以外の要素を含めた新しい野球道を提唱する桑田氏の話を聴いていると,聞き役の平田氏ならずとも,桑田氏にいずれ日本の野球界のリーダーになってもらいたいと感じる。だが,彼が古巣の巨人のコーチ,まして監督になることすら難しいかもしれない(だったら,ぜひ広島で・・・と思うが)。

1/27付の日経朝刊のコラムで,元プロ野球選手の豊田泰光氏が斉藤佑樹投手に対する騒ぎを取り上げている。入団したとき先輩たちに小間使いをさせられた経験を紹介し,そうした不合理への反発が選手のやる気を生むという側面を指摘している。つまり,一見不合理な慣行にも,トータルで見ると合理的な効果があると。確かにそういう可能性もある。

つまり予想される反論の1つは,それは天才の桑田氏だからできた話で,普通の選手にはこれまでのようなシゴキ,猛練習が必要なのだ,というものだろう。桑田氏の主張がどこまで客観的で説得力を持つのかを知るためには,彼の修士論文を読むのが最もよい。実際,この本に修士論文が資料として載っていればよかったのに,なぜそうしなかったのか・・・。

経済系週刊誌の Facebook 特集

2011-01-26 08:21:48 | Weblog
代表的な経済系週刊誌「週刊ダイヤモンド」「週刊エコノミスト」がいずれも今週号でフェイスブックを特集している。だが「週刊東洋経済」はまだ(多分)。ただし「週刊ポスト」はすでに特集している。ここまで話題になれば,真面目なビジネスパーソンはとりあえずアカウントは作るだろう。問題は使いこなせるか・・・まさに自分のように。

週刊 ダイヤモンド 2011年 1/29号
ダイヤモンド社

エコノミスト 2011年 2/1号
毎日新聞社

情報可視化そしてシミュレーション

2011-01-25 23:10:30 | Weblog
月曜夜は今年最初の JIMS「消費者行動のダイナミクス」部会。最初の発表は,橋本康弘さん(東京大学)による「情報可視化とデザインの間」。情報可視化とは見えないものを見えるようにすることで,それによってインサイトを得るのが目的だ。可視化の例としてネットワーク,特にその動態を取り上げた例が紹介される。系統樹を描くのにも似た世界である。

橋本さんが行った可視化は,ネットワークから抽出されたコミュニティの変遷と規模の変化を地層図のように表現する。それを見ていると,スピリチャルな何かが表現されているようにも感じる。たとえば配色について審美的な基準が設定されているというわけではないという。にしても,可視化の研究には,何らかの芸術的センスが寄与していることは間違いない。

だからなのかどうか,橋本さんの研究対象はデザインに向かう。グッドデザイン賞の受賞作品に対するテキストが分析される。しかし,そこから得られた結論は,ことばをぶつ切りにして共起関係を分析しても意味はないということ。可視化によって捉えたいのはむしろ「多数の人間の無自覚的参加によって生じたパタン」だと。エスノグラフィに通じる考え方だ。

たとえば Flickr には,画像,場所,ことばといった様々な情報がある。その背後には人間の行為があり,それが集積されるとパタンが生まれる。その発想は複雑系,あるいは経済物理学などにも近い。そうした情報を掘り起こしているとしたら,また行為を誘発,あるいはアフォードする環境を捉えようとするなら,松村真宏さんの仕掛学とも問題意識を共有する。
橋本さんはそれをさらに「サービスデザイン」とも関係づけようとする。今後の進展が楽しみだ。
2番目の発表は,藤居誠さん(東急エージェンシー)の「購買履歴データを活用したエージェント・シミュレーション・モデル構築の試み」。QPR という歴史あるスキャナーパネルデータを用い,TV広告の効果を考慮したマルチエージェントベース・シミュレーションを行おうとしている。ぼく自身の研究履歴からして,興味を持たざるを得ないテーマである。

藤居さんの構築したモデルでは,エージェントは QPR のパネルに対応し,観測された購買確率で各ブランドを購買する。一方,広告は集計レベルの指標である GRP がリーチとフリクエンシーに分解される。広告に接触すれば,無条件でそのブランドを購買するという仮定はかなりキツイ。だがそれ以上に残念なのは,消費者間相互作用が扱われていないことである。

ぼくならどうするかというと,まず消費者のモデリングは,マーケティング・サイエンスの王道?に従って,購買時点とブランド選択の確率モデルを採用する。購買に強い影響を与える価格を選択肢の属性に導入する。広告もまた,何とか個人の選択に関わるよう工夫する。そして,消費者間のつながりを仮想的でもいいから導入して,クチコミ効果を調べる。

もちろん,このようなマーケティング・サイエンスの流れを尊重したようなアプローチは,エージェントモデルとしては面白みに欠けるという見方もあるかもしれない。いずれにしろ,QPR が持つライフスタイルやメディア接触等々の豊富な情報をうまく使って,いろいろなモデル構築や分析が可能であろう。今後の研究あるいは実用化がどうなるか楽しみだ。

というわけで,この研究会は今年も続く。

社会情報システム学シンポ 2

2011-01-23 12:42:57 | Weblog
社会情報システム学シンポジウムについて,昨日の投稿の続き。まず藤村考さんの基調講演を補足しておこう。藤村さんによれば Facebook はリコメンデーションのプラットフォーム事業だという。FB の最大の特徴は,実名制なのでスパムが全くないこと。これをベースに行われるリコメンの力はすごい。そうしたデータがすべて米国に行ってしまうことがいいのか,と藤村さんは問題提起する。

藤村さんたちの研究に,Flickr の大規模ジオタグデータを用いた旅行ルートのリコメンがある。何十万という人々が撮った写真のデータが「実世界に対する投票」の集積として活用される。もう1つ紹介された研究は,ネット上の話題を地図として表現するものだ。そうした可視化によってクエリーもクラスタ分析も不要になる。映画「マイノリティ・レポート」で3次元仮想空間でデータを探すシーンを思い出す。
マイクロソフトのキネクトを使えば,映画と同じようなインタフェースができるのかな・・・。
さて,自身の発表に話を移そう。タイトルは「マーケティング・サイエンスにおけるABM活用をめぐる諸論点」,ABM とはエージェントベース・モデリングのことだ。そこでいいたかったことは以下の3点だ。

1) 過去の研究遺産と適切なリンクを図ること。できれば過去の有力なモデルを一部として含むような,包括的な理論を構築すること。その模範例として,Goldenberg, Libai & Muller 2001 で提案された ABM が Toubia, Goldenberg & Garcia 2009 において普及モデルの標準といえる Bass モデルと理論的に架橋した例を紹介。

2) ABM を実データに適合させようとする場合,タイムスケールとデータの単位(集計~個人)の設定がクリティカルになる。特に,分析対象に均衡が存在しないかそこから遠い場所にある,均衡はあっても不安定でそこに収束する保証がない場合にそのことがいえる。では,具体的にどうしたらいいのか・・・明確な方法論は存在していないように思える。

3) より本質的には,ABM のデータフィッティングを基礎づける原理が存在していないという問題がある。統計学には最尤法やベイズ推定といった原理が存在するが,少なくともそのままでは ABM に適用できない。なぜなら,ABM はあるパラメタの組のもとで分岐現象のような異質性が生じる複雑系を対象としたいはずだから。そこをどうするか・・・。

最後の点は,シミュレーションの出力をマイニング/クラスタリングすることで,パッチワーク的に対応できるかもしれない。シミュレーション結果へのマイニングは寺野先生や出口先生などによって提案されているが,まだ定着しているとは思えない(自分自身も含めて)。もう1つは経済物理学のように,出力を分布の形状や相関,位相図のような縮約されたレベルに写像して,そこでのフィットを問うことだ。
後者の可能性を考えなくてはならないと思いつつ,マーケティング・サイエンスの立場では,特定個人の行動予測という課題から逃れることは難しい(特に CRM なり One to One マーケティングへの応用を目指す限り)。
さて,こういう報告のあと,他の発表者を含めて社会シミュレーションに関するディスカッションを約1時間半行った。自分が答えを出せない問題を,誰かが簡単に解決してくれるという甘い思惑が功を奏することはなかった。特に3番目の問題意識が共有されたかどうか微妙である。これは,実データへのフィットを目指すことが,ABM コミュニティ全体にとってそう重要な問題ではないことを示唆している。

ABM 全体の課題はむしろ,データすらない世界も視野に入れ,有意味なストーリー/シナリオを紡ぐことにあるかもしれない。ディスカッションの冒頭で寺野先生が以下の2冊を紹介された。それに触発されてぼくが想起したのは楠木建氏の『ストーリーとしての経営戦略』だ。そう考えていくと,ストーリーの説得性,納得性が最重要の問題になる。誤解を恐れずにいえば,「文芸」に片足を踏み入れる覚悟が必要になる。

昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)
猪瀬 直樹
中央公論新社

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)
マーク・ブキャナン,Mark Buchanan
早川書房

ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)
楠木 建
東洋経済新報社


社会情報システム学シンポ@電通大

2011-01-22 22:52:28 | Weblog
1月21日,電通大で社会情報システム学シンポジウムが開かれた。調布に来たのは(おそらく)2回目,電通大の構内に入るのは初めてだ。会場となる情報システム学研究科棟の1階に人影はなく,一瞬日を間違えたかと不安になるが,そうではなかった。だが,ぼくが参加したオーガナイズセッション「社会シミュレーション」の会場にいた人間の8割は発表者だった。

最初の発表は角埜恭央(東京工科大学),大熊裕哉,寺野隆雄(東京工業大学)「エージェントシミュレーションによる我国のソフトウェア産業の産業構造の分析」。Epstein and Axtell のシュガースケープモデルに依拠して,ソフトウェア会社の下請構造を分析しようとしている。シュガースケープモデルは,二次元平面に置かれた砂糖という資源を巡り,蟻のように単純なエージェントが繰り広げるシミュレーション世界である。

シュガースケープという非常に抽象度が強いモデルを,ソフトウェア産業という具体性を持った対象の分析に適用するのは,かなり勇気がいることのように思われる。正統的な経験科学の立場からは,違和感が表明されるに違いない。しかし,この研究を指導した寺野先生にとって,そんなことは恐るるに足らない。これは,統計分析に対する事例研究の立ち位置に似ている。それはストーリーテリングなのだとぼくは理解した。

Growing Artificial Societies: Social Science from the Bottom Up (Complex Adaptive Systems)
The MIT Press

人工社会―複雑系とマルチエージェント・シミュレーション
Joshua M. Epstein, Robert Axtell
構造計画研究所

山本仁志(立正大学),岡田勇(創価大学)「裏切りの効果による協調の進化的安定」は n 人繰り返し囚人のジレンマの進化ゲームを扱う。裏切り者を罰する規範ゲーム,あるいは裏切り者を罰しない者を罰するメタ規範ゲームは,社会全体で協調を維持させると考えられてきたが,時間やプレイヤー数を拡大するとそうではなくなる。協調する戦略ばかりが残った状態になると,突然変異で現れた裏切り者が一気に広がってしまう。

そこで山本さんが提案するのが「社会的ワクチン」,つまり少量のつねに裏切り続ける「悪人」を注入することである。それによって,このゲームは時間やプレイヤー数に関わらず,協調が維持されるようになる。これは,直感的にも納得がいく結果である。ただ,よく考えると,このつねに悪人を演じなくてはならないプレイヤーは,永遠に罰を受け続けるので非常に辛い立場にある。ある意味,究極の聖人といえる存在である。

山田和明(東洋大学)「知識共有サイトの制度により生じるユーザ間インタラクションのモデル化と実装」,鳥海不二夫(名古屋大学)「人工市場を用いた予測市場の挙動メカニズムの解明」はそれぞれ「集合知」という現代的課題を扱う。そもそも集合知とは何であるかに定説のない状態でモデル化を行うことは,非常に挑戦的な研究といえる。こうした先駆的研究に続く研究が次々登場することが望まれる。

山田さんの研究では,知識の提供者と受領者が活動する「空間」の意味がピンと来なかった。インタラクションに対する効用関数の仮定も同様。今後予定されている実証研究に期待がかかる。鳥海さんの研究は,真の値に基づく情報を受け取る人々が多いほど予測は正確になるという,ある意味で自明の結論を乗り越えて進むことが期待される。予測市場が実際に機能する背景に,大数の法則を超えた原理が見つかると素晴らしい。

午後の冒頭,ぼくの発表を経て1時間半の討論会へと進む。それについては日を改めて書くことにする。基調講演は,NTTサイバーソリューション研究所の藤村考さんによる「ソーシャルメディアのマイニングと可視化」。Facebook を始めとするソーシャルメディアの可能性に関し,目を見開かせる話を拝聴する。そして,視覚化に関する素晴らしい研究。それが NTT のビジネスに結びついていくと凄いのだが。(つづく)

野球に関する「常識」は正しいか

2011-01-20 15:47:31 | Weblog
 四球は安打より悪い。
 チャンスの後にピンチあり。
 エラーをすると流れが悪くなる。
 ファインプレーをすると流れがよくなる。
 併殺は流れを悪くする。
 攻撃ミスは流れを悪くする。
 2アウトから出塁を許すと流れが悪くなる。
 ホームランは流れを変える。
 4番打者が打つと流れがよくなる。
 捕手の打撃の調子がよいとリードもよくなる。
 投手の出塁は流れを変える。
 守備の時間が長いと流れが悪くなる。

以上は野球には「流れ」があるという,野球の解説者や専門家が繰り返す主張を,より具体的な命題に展開したものである。野球解説者のほとんどが長くプロ野球選手として活躍しており,彼らが経験を通して支持している命題だから,その多くが正しいはず・・・ 多くのプロ野球ファンがそう思っている。

行動ファイナンスの研究者であると同時にプロ野球ファンである本書の著者たちは,2005年のセ・パ全試合のデータを用いて,上述の命題について逐一検証した。その結果は・・・ ネタバレになるので詳しくは語らないが,簡単にいえば多くの命題が支持されなかった。ただし,一部支持されたものもある。

野球人の錯覚
加藤 英明,山崎 尚志
東洋経済新報社

著者たちの探求はこれで終わらない。「流れ」とは関係なく,野球の采配を巡ってつねに議論になりがちな,次のような戦術上の命題が俎上に上がる。

 盗塁は有効な戦術だ。
 送りバントには意味がある。
 ヒットエンドランには有効性がある。
 左投手対左打者は避けるべきだ。
 ノースリーになったら打つべきでない。

さらには・・・

 延長戦はホームチーム(後攻)が有利だ。
 大量点を取った次の試合は打てなくなる。
 よい勝ち方をしたら波に乗る。
 無死満塁からは意外に点が入らない。
 ラッキー7は点が入りやすい。
 打順による得点確率には差がある。

これらの命題に対する検証結果もまた上と同じ。多くが支持されないが,一部支持されたものもある。どちらを強調するかは趣味の問題だが,ぼくとしてはあえて後者を選びたい。つまり,野球の専門家たちの「経験則」のなかで,データから支持されるものが存在する。これは間違いなく「真理」だと。

ちょっと気になるのは,統計的検定についての記述がないことだ。一般向けの書物なので,難しい話は省略されたのかもしれないが,別の可能性として,分析に用いた2005年の全試合のデータを「標本」ではなく「母集団」と捉えているのかもしれない。それはそれで1つのまっとうな考え方である。

ただそうなると,どれぐらい数字に差があれば「有意な」差といえるのか,という議論ができなくなる。それは困るというのなら,本末転倒かもしれないが,このデータを何らかの母集団から無作為に抽出されたものとみなすことになる。似たような問題が,社会科学全般であるはずである。

いずれにしろ,野球の専門家たちの経験則の多くが実証的に根拠がないのに,なぜそのような認識が,経験豊富な専門家たちで維持されてきたかは,大変興味深い問題だ。著者たちは,野球選手たちにとって非常に印象深い出来事であったので,あたかも一般性があるかのように記憶されたと推測している。

しかし,そういう誤謬を長年信じることが,激しいチーム間競争のもとで可能なのか。「真理」に気づいた監督や選手に「搾取される」ことはないのか。それがないとしたら,野球の専門家たちが信じる経験則は,認識としては誤りでも,結果としては「適応的」な行動を導いている可能性がある。

あるいは,試合で流れる時間は等質ではないのかもしれない。つまり,全試合・全場面での平均をとると差は現れないが,「クリティカルな時間」だけを抜き出して比較すると,差があるということは考えられないか。いうまでもなく,そうした時間を見つけ出すことは容易ではない。

もしプロ野球の全試合について詳細なデータが得られたなら,そこから勝つための方程式を導くべく,さまざまな分析に挑戦できる。それは「セイバーメトリクス」といわれ,米国でさかんになってきた分野だ。上述の本にデータ提供したデータスタジアムという会社の編集で,以下の本が出ている。

野球の見方が180度変わる
セイバーメトリクス
宝島社

セイバーメトリクス・・・ 可能ならば,いつか本格的に取り組んでみたいことの1つである。

ボケないための政治脳

2011-01-10 23:36:16 | Weblog
私の人生の最大の目標は「絶対ボケない」です

・・・というのは半分ネタで,半分本気。実際は防ぎようがないことなのかもしれないが,できればそうなりたくない。家族の名前を思い出せない(晩年の父親がそうだった・・・)ぐらいなら可愛いが,被害妄想を抱いて罵詈雑言を口にしたり,排泄物を壁に塗ったりすることだけは絶対したくない。何とか防ぎようはないのだろうか?

絶対ボケない生活 (健康人新書)
フレディ松川
廣済堂出版

この本の著者は高齢者医療の現場で,痴呆症の実態を山ほど見てこられた。その経験によれば「ボケは防げる」という。朗報である。ボケやすい職業があるという。大学の教員はどうか?年をとっても本を読んだり,講義したりしていればボケないのでは?・・・と思ってページをめくると,どうもそうではないらしい。がっかりである。

著者によれば,一見頭を使っているようで,実は定型的なパタンに陥っていると,ボケは防げない(年をとっても,つねに講義内容を改善すべきなのだ)。ボケにくい職業として著者が挙げるのは営業,あるいは政治家である。要するに人づき合い,あるいは権謀策術が重要なのだ。同じ意味で,つねに恋愛しているのがいいらしい。

そういえば,人間の脳が発達したのは,人間関係における政治的思考のせいである,という話を聞いたことがある。マキャベリ的知性とかいうらしい。最近,WIRED VISION に出ていた次の記事は,まさにそうした仮説に基づいている:
ソーシャルネットと「脳の大きさ」は関連

研究では、成人58名を対象に、彼らの社会的ネットワークを2つの要素によって評価した。第1の要素はネットワークの大きさで、これは単純にその被験者が定期的に連絡を取っている人数の多さによって評価された。第2の要素はネットワークの複雑さだ。こちらは、被験者の知人がどれだけ多くの異なるグループに分けられるかで評価された。
・・・
線形回帰を用いて評価した結果、扁桃体の大きさは、社会的ネットワークの大きさおよび複雑さと、正の相関関係にあることが明らかになった。
なぜ脳の他の部位ではなく「扁桃体」なのかがよくわからない(原論文を読めばいいのかもしれないが・・・)。それはともかく,記事の結びが面白い:
今回の研究は、ヒトにおける扁桃体の体積と社会的ネットワークとの相関関係を初めて証明した論文の1つだ。因果関係が明らかになったらさらに興味深い――味方や敵を増やすにつれて、その人の扁桃体は大きくなっていくのだろうか。それとも、大きな扁桃体を持って生まれた人は、それゆえに大きな社会的ネットワークを構築するのだろうか。
もしかしたら,年老いても生臭く,政治的に行動していると
扁桃体は成長し続けるのかもしれない(それが痴呆とどう関係するかは全くわからないが・・・)。にしても,ボケないために政治的人間になるなんて,ボケとは違う意味で若い人に迷惑をかけそうだ。だったら,恋愛のほうがいいな,オレはそれでいくよ・・・ なんてうそぶいてみるのも何かなあ・・・

2011年 研究の抱負

2011-01-01 22:52:52 | Weblog
自分は何を研究しているのだろう。それをキーワードにまとめると Complexity と Creativity の2つに集約される。そのことを Twitter でつぶやいたところ, Simplicity を加えなさいと師匠から助言いただいた。それは,研究が最終的に到達する境地を指すように思われる。そこで

 Complexity * Creativity → Simplicity

という式で整理することにした。

ここでいう Complexity とは「複雑適応系」の研究であり,矮小化すれば Agent-Based Modeling (ABM) になる。限定合理的な主体による相互作用をシミュレーションする,という方法論でマーケティングと消費者行動を分析する。この異端的な考え方に,いっそう没入したいと思っている。

消費者間の相互作用を研究するという意味で,いま最も旬なソーシャルメディアの研究は,今年の研究活動の中心の1つになるだろう。これについては膨大なデータが入手可能になる一方,肝心の情報が抜けていたりする。そこで「構成的アプローチ」が一定の役割を果たすと考えている。

とはいえ,正統的な計量的研究から完全に足を洗うわけではない。選択モデルの発展のために,共同研究を通じて「最後のご奉公」的な仕事をしたいと思っている。もう1つは,科研費申請中の経済政策と世論形成に関する研究。経済学,政治学,社会学等の研究者とコラボがどうなるか楽しみだ。

Complexity は基本的に社会関係から生まれる。しかし,人間の頭脳という「心の社会」にある Complexity も重要だ。博論以来のテーマ「選好の進化」の研究に立ち返るためには,認知科学的な Complexity へのアプローチを考える必要がある。その最終目標に少しでも近づくことができるか。

Creativity については,研究よりは教育での取り組みが先行している。しかし,クリエイティブ・ワーク/ライフ,インサイト獲得,アイデア発想支援,デザインと製品開発といった,Creativity と関連する新旧の研究プロジェクトがある。少しは結果を世に出していかなくてはと思う。

ソーシャルメディアの研究を,世のなかに役立つ方向で発展させるという構想もある。ソーシャルメディアは人々をつなぐ。しかし,大きなカスケードを生むには物語が準備され,それを受け入れる空気が醸成され,最後に仕掛けが必要になる。これは,Complexity と Creativity が交錯する領域に入る。

もうひとつ,C で始まるプロジェクトも準備中だ。Carp Assisting Research Project,略して CARP というもの。その話をすると苦笑する人が多いが,メンバーは真剣そのものだ(少なくともぼくはそうだ)。とはいえ,現状はあまりに基礎がないので,そこから勉強を始めなくてはならない。

これら以外に現在進行中あるいは保留中の仕掛品が多数ある。そして今後も,さまざまな日常業務に追われるはずである。その結果,今年の年末には,ここで抱負にあげたことの一部しか実現できていないだろう。しかし,その歩留まりが少しずつ改善されていけばよい。とにかく賽は投げられた!