その要因の一つは,今回の統一論題が「ニューロ・マーケティングの可能性を探る」であったことかもしれない。ただ,統一論題というには,最後のシンポジウム以外には,1件しか脳科学関係の発表はなかった。それは,ニューロインサイトジャパンの細谷氏による発表。オーストラリアで開発された脳波測定装置によって,CMに対する感情の変化を測定,表現の改善を行った事例が報告された。脳波がどこまで脳活動を測定し得るか議論の余地はあるにせよ,適用事例が蓄積されていくと,面白いことになりそうだ。
シンポジウムでは,放射線医学研究所の高橋英彦氏が基調講演を行う。本来は精神医学の立場から脳研究を進められている方だが,ニューロ・エコノミクス,ニューロ・マーケティング(そしてニューロ・エステティクスまで)に関する研究の現状を手際よく紹介された。いやいや,想像以上にこの分野の研究は進んでいる! その思いは,そのあと大学に戻って,講演で紹介された研究を google scholar で調べることで,より強くなった。
パネルディスカッションのとき,高橋氏が選好について述べた話が面白かった。線虫のような低次の生物の研究に基づく極端な考え方として,人間の選択は本質的には偶然によるもので,それを跡づけ(下條信輔氏のいう postdiction)で正当化することで選好が形成されてしまう,という仮説があるという(あくまでぼくの解釈)。高橋氏はそれはまだ十分検証されていないと科学者らしい慎重な態度を崩していなかったが,より単純かつ平明な説明を欲する科学のドライブは,それを志向しているのではなかろうか…。
この話は,シンポジウムの直前に聴いた井庭さんの研究と通底していると思う。彼は,脳科学のようなマイクロなアプローチの価値を認めつつ,複雑系の研究が扱うマクロでの秩序形成にも目を向けるべきだと述べる。そして,楽天の書籍・CD・DVDデータから観察されるロングテール現象(ベキ則)の頑健性を強調していた。これは,人間の意思決定を「砂山を形成する砂」とみなしても成り立つ議論だから,人間の選好形成を偶然の累積とみなす上述の立場とも符合する。
個人的に興味深かったのは,井庭さんがアイテムの販売量の分布だけでなく,個人の購買量の分布もまたベキ則に従うことを示していたこと。そのこと自体はすでに知られていることとはいえ,モノとヒトの分布を両方描いてみることは,非常に深い含意を持っていると思う。モノの何がヒットするか(分布のヘッドに来るか)は毎期予測不能といえても,ヒトの誰がヘッドに来るかには持続性(persistance)があるはず。ぼくは同じベキ分布でも,その裏に違うメカニズムが潜んでいると考えたい。
帰り道,秋山さんと今後の研究の方向性を話し合う。研究室に戻って上述のごとく調べものをしていると,渡辺さんほか,何通か日曜にも研究マインドを忘れない(ワークライフバランスが崩れた?)人々からメールが届く。物理学者や脳科学者,あるいは情報工学者がどんどんマーケティングの世界に近づいてくると,面白いことになる。ぼくの人生も楽しくなる。
にしても最近ヘアサロンにもジムにも行っていない。これは,見かけが破天荒なマッド・サイエンティストになるチャンスだろうか? いやいや,見かけだけ変でもダメなのである。中身がなあ…。