Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

最近買った本

2007-08-31 16:56:26 | Weblog
福岡伸一『生物と生命の間』講談社新書
田中森一『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』幻冬舎
・・・いずれも書評にやられた。いつ読むだろうか・・・。

山本昭二『サービス・マーケティング入門』日経文庫
・・・授業で使う予定。早速読み始める。

山根一眞『賢者のデジタル』マガジンハウス
・・・日経に10年近く連載された,デジタル関連のグッズやサービスに関するコラムをまとめたもの。昔のコラムには,現時点でのフォローアップが添えられている。つまり,デジタル10年史になっている。
 ある章のタイトルは「やっぱりマックが大好き」・・・最近,Macを買おうかと密かに考え始めている。MATLAB,R,artisoc あたりはMacでも使える。Officeも然り。主な仕事はMacで済むわけだ。ただ,Winでそんなに困っているわけでもない。

ムックの『セオリー』Vol.11 は「予測する力」・・・自分のことさえ予測できないが。また『ENGINE』10月号「アウディ vs. BMW」・・・どちらを買おうか悩ましい,なんちゃって。
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AESCS@早稲田大

2007-08-30 21:08:53 | Weblog
昨日,今日と早稲田大学国際会議場で開かれたAESCS(Agent-based Approaches in Economic and Social Complex Systems)のワークショップを聴講した。当然ながら,複雑ネットワークを扱った研究が増えている。共感を持てたのは,認知科学を視野に入れて,エージェントの知能を多少高める方向を目指した研究がいくつかあったこと。これから発展しそうな方向ではないか。

そうなると,マーケティングや消費者行動を扱った研究にも期待がかかるところだが,今回聞いた発表の多くはあまり感心しなかった。既存の(良質の)研究をもう少し踏まえたほうが実りがあるのではないか・・・自分の分野なので(自分のことは棚に上げて)つい厳しく見てしまう。しかし,他のドメインでも専門家からは同じような見方をされるのだとしたら・・・エージェントベースの研究者だけで交流するのでなく,「主流」と直接戦うことが重要かもしれない。

いずれにしろ,発表しないで聴いているだけ,というのはやはり情けない。主要な会議をターゲットに研究計画を立てるべきなのだろう。しかし,いまのところマーケティング(サイエンス)や消費者行動の「オーソドックス」な研究も日程から外すことはできない。二兎,三兎を追う状況が続く・・・。
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内閣支持率に見る調査のバイアス

2007-08-30 08:42:09 | Weblog
発足したばかりの安倍改造内閣の支持率は,読売新聞の調査では44%,朝日新聞では33%・・・他社の数字は大体その間のようである。サンプリングやワーディングの違いで説明するには,大きすぎる差のように思える。もしかすると,調査主体の新聞社の名前を聞いて,対象者が「期待される回答」を想像して期待に沿った答えをするとか,自分の意見に近い新聞社の調査へ応じやすい,という傾向があるのだろうか・・・。

マーケティング・リサーチでは,調査の依頼主企業がわからないよう配慮するが,それでも勘のいい消費者は,誰が依頼主か見抜く可能性がある。顧客満足調査では,調査の依頼主は回答者にとって明白である。となると,回答者が依頼主の喜ぶ回答をするバイアスが懸念される。こうしたことがコンスタントに起きるのなら,経時的な比較には意味があると考えられる。つまり,水準ではなく変化に注目するということだ。しかし,本当にそう仮定していいのか。問題や時期によってバイアスの出方が違うとしたら厄介だ。
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一時休止状態

2007-08-27 19:25:51 | Weblog
今日の午後,メールを受信できなくなった。大学のサーバにトラブルがあったらしい。どれだけのメールがはじかれただろう。夏休みでふだんよりは少ないとは思うが・・・。実際,今日出勤している教員はあまり多くない。先週の××で疲れた人が多いのかな・・・渦中にいたぼくは,ほんとに疲れ切っている。土日にも疲れは残り「書類」を作るのがやっと。今日もまたスローペース・・・。明日からテンションを高めていかねば。
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若者のクルマ&酒離れ

2007-08-22 23:56:34 | Weblog

今日の日経MJでは,20代の消費意識の変化を示す調査結果が大きく取り上げられている。それによると,乗用車に興味がある人は,2002年には70%を超したが,2007年では50%を少し超す程度まで減ったという。5年で20%減というのはすごい。興味だけでなく,実際の保有率も低下している。

MJに掲載されたグラフを見ると,乗用車への興味の減少は,実はあらゆる世代で起きている(減少幅が最も大きいのが20代だということ)。世の中全体がクルマ離れしているとしたら,自動車業界にとってより深刻な問題だ。

ただし,この調査は首都圏対象であること,2002年は留置調査だが,2007年はウェブ調査であることに注意(・・・それを考慮したとしても,無視できない変化だと思うが)。

もう一つ,現在の20代は,30代に比べ,飲酒の頻度が小さいという結果も紹介されている。2002年との比較は示されておらず,世代,年代のいずれに起因するのかわからないが,「若者の酒離れ」もまた,かなり確かな傾向のようだ。

日経MJは「巣ごもる20代」「ミニマムライフ」という見出しをつけている。平均だけで語ってはだめだということを重々承知の上でいえば,従来型「若者文化」のステレオタイプが崩壊したことは明らかだ。「クール」に関する定義も書き直される必要があるだろう。 

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おしゃべりな世界

2007-08-22 09:55:30 | Weblog
昨夜,久しぶりに消費者間相互作用の研究会。まず和泉さんから人工市場の話を聞く。人工トレーダーたちがそれぞれ遺伝子となり,GAの計算を構成する。これは実際のトレーダー間のコミュニケーションを模したものだという。さらに,様々なニュースがテキストマイニングされ,人工市場モデルに入力される。予想以上の発展に驚く。

後半は,山本さん,諏訪さん,岡田さんのグループによる,CGMに関する実証分析の報告。ブロガーへの意識調査をパス解析した結果,自己表現型→文章量→トラックバックを受けるというパスと,関係構築→更新頻度→コメントを受けるというパスがある。トラックバックとコメントには,違った文脈があるというわけだ(ということは,このブログは,あえていば関係構築型なのかな…)。

世界はおしゃべりで満ちている。おしゃべりは直接的な情報交換だけでなく,間接的な「空気」の共有をもたらす。それがバブルの崩壊のような非線形変化にもつながる。なるほど…というわけで,二次会ではいつものように「おしゃべり」で貴重な情報と空気を享受した。
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視野とアフォーダンス

2007-08-20 14:24:44 | Weblog
とある事情で「アフォーダンス」について少し調べることになった。アフォーダンスとは,事物なり環境が人のある行為をアフォード(afford)すること,つまり可能ならしめること,だとされる。だが,この分野で第一人者とされる佐々木正人氏の解説は,どうも難解だ。ギブソンを読めばいいのだが,なかなかその機会が得られない。ドナルド・ノーマンの説明が一番分かりやすいが,これはギブソン本来の考え方とは異なっている,という。

「細かいことはともかく」なんて書くと,真剣に考えている人々からお叱りを受けるかもしれない。だが,ぼく自身はプラクティカルな意味で,ノーマンのアフォーダンス論で十分だ。そのドアの取っ手は,押すことと,引くことのどちらを通行人にアフォードしているのか,という例は非常にわかりやすい。ノーマンは,アフォーダンスは環境ないしモノの属性だという。わかりやすすぎ,といえなくもないが。

いずれにしろ,アフォーダンスが,人間は脳内に全ての情報を蓄えて,意思決定しているわけではないことを示唆する,といって間違いないだろう。思い浮かべるのは,お気に入りの飲み屋までの地図が書けないのに,現地に行くと何とかたどり着いてしまうという経験だ。「環境に情報が埋め込まれている」という言い方には違和感を感じるが,環境が媒介することなく,知識が機能することはない,というのでれば,納得する。

ここで急に思い出すのが,先日の西成さんのプレゼンで出た話だ。避難のような人間の空間移動を扱うエージェントモデルやセルラーオートマトンは,人間を非常にローカルな視野しか持たず,その範囲でしか相互作用しないものとみなす。だが,実際の人間はもっと広い視野を持っていると考えられる。そう仮定しないのは,計算量の爆発を防ぐためだと(そこで,アリに倣って,遠方の情報を近隣のフェロモンに反映させるという工夫をしたという)。

そこでアフォーダンスだ。人間がしばしば,環境とのインタラクションによって意思決定しているのは間違いない。だが,それをシミュレーションで扱おうとすると,計算量の爆発が起きる。そこでどういう簡便法を取るか・・・個別の行動の仮定が現実的でなくても,モデルから予測される全体の振る舞いが現実的ならよい。つまり,エージェント・モデリングもまた,“as if”assumption を必要とするということか。
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JWEIN@お台場

2007-08-19 12:33:05 | Weblog
昨日はお台場の産総研でJWEIN。豪華メンバーによる招待講演を聞くが,特にインパクトがあったのが「渋滞学」の西成さんの話だ。数理モデル,シミュレーション,実験やデータ分析,政策提言のフルメニュー。学問としても社会貢献としても素晴らしい。「王道」ということばが思い浮かぶ。彼が熱く語っていたのは現場に行くこと,対象をつぶさに観察することだ。社会科学にも「現場」はあるが,対象が漠然としている。それをどう「見る」か・・・また見たことをどう「見せる」かが難しい。

ポスター発表のほうは,ぎりぎり何とか間に合わせたつもりだったが,まずスライドを30枚持っていった時点で失敗(ボードに貼りきれず)。また,グラフに間違いを発見。いずれにしろ,時間がおせおせになり,30分ほどしか時間がなかったのは残念。今後この研究をどうするのかと聞かれ,選好から情報伝播へのフィードバックを入れること,スモールワールドとスケールフリーネットワークの「中間状態」を分析すること,などをあげた。しかし,別のプロジェクトも待っている・・・。

懇親会のあと,複雑ネットワークや進化ゲームの第一人者の研究者たちと飲む機会を得た。この研究会に,期待された社会学者の参加がなかったことが話題になった。情報工学者や物理学者は,社会ネットワーク分析の蓄積から学んだ。社会学者は,複雑ネットワークの革新から学んだ。これから両者のさらなるコラボレーションを・・・というのが主催する工学側の期待だと思われるが,社会学側はそう考えていないということか・・・。「学際」はほんと難しい。
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250ccのバイクが消える?

2007-08-16 17:06:46 | Weblog

バイクに乗らなくなって四半世紀経つ。その後,さして関心を持つこともなかったが,以下のニュースを読んで少し驚いた。

ホンダは、この8月31日(6月末日までのディーラーからの注文分)をもって、一部をのぞき250CCクラスの現行車種を生産中止する。これは、国土交通省が定める二輪車排出ガス基準強化を受けたものだ。

日本国内のバイク市場は縮小しているが,1000cc以上の市場をターゲットにしたハーレーダビッドソンの売上は伸び続けている(いま,HDJの奥井社長の本を読んでいるところ)。この記事では,バイクの世界へのエントリーモデルであった250ccがなくなることを懸念する声を紹介している。そういえば,中型を飛ばして,いきなりハーレーを買う消費者が少なくないという話を聞いた記憶がある。

バイク離れが本質なのか,ハーレーの成功が示唆する新たな市場への移行が本質なのか。同じような問題は,クルマにもあるかもしれない。日本のクルマメーカーにとって最大の脅威は,若者のクルマ離れだと大前研一氏が書いていた。そこで参照されている Business Week 7/23号をまだ入手できないので(本校図書館では購読が中止されていた!),その論拠は定かでない。以前からよく聞く話であり,そろそろきちんと確めておきたい気がする。

学生時代に乗っていたのは,真っ赤なCB250だった。図体がでかく,よく400に間違えられた。今日のような灼熱の日だと,タンクが熱くなるので足を大股開きにしなくてはならないだろう。密封した車内でエアコンを浴び続けないと窒息する現在の自分と,かなりの距離感がある。

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勘違い!

2007-08-16 13:26:16 | Weblog
JWEINは金曜から,ポスターは土曜の午後だった。1日勘違いしていた。夕べ始めた計算はまだ終わらないが,少し助かった気分(もっとも,新たにエラーが見つかれば元の木阿弥)。最近,勘違い/記憶違いが多い。逆(今日の予定を明日と間違える)でなくてよかった・・・。
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すばらしいものが一つ

2007-08-15 23:51:30 | Weblog
ベルシステム24が出した『交感する科学』という本を買った。かのマクルーハンの子息とか,MITの石井裕氏をはじめとする,壮々たる顔ぶれが登場する。つらつら眺めながら,ひとかどの研究者には,みんなキーワードがあることを,いまさらながら痛感する。「○○の某」「○○といえば某」・・・。研究実績は,ゴミがいっぱいあるより,すばらしいものが一つあるだけのほうがいい,という恩師からの示唆を思い起こす(もちろん,石井さんのように,すばらしいものがいっぱい,というのがベストに決まっているが)。

明日の午後からお台場でJWEINが始まる・・・しかし,シミュレーションは続行中であり,その結果の解析まで含めると,明日はおろか,明後日のセッションに間に合うか・・・。ポスター発表には気楽な面と面倒な面がある。後者で大きいのが,発表資料を(カラー)プリントしていかなくてはならないこと。つまり,直前までノートパソコンでごちょごちょ・・・というわけにはいかない。まーどうなろうと,この研究は今週でいったんフリーズする。

夏休みらしい体験・・・壮大な花火を見るとか・・・そうした,すばらしい時間が一日(一瞬)あるだけで人生は豊かになる。研究と同じ。
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iPodはどこから生まれたか

2007-08-14 23:17:40 | Weblog
スティーブン・レヴィ『iPodは何を変えたのか?』読了。非常に面白かった。何よりも長年の?謎であった,誰がいかに iPod を考えついたかに,それなりの情報が得られたことがうれしい。最も直接的な契機は,サードパーティとしてソフト開発をしていた元アップルの社員が,当時売られていたMP3プレイヤーRioをマックで使えるようにしたい,と思ったことにある。彼らが独自に開発したアプリケーションが,その後アップルに採用される。そのとき,アップル側ですでにどのようなプロジェクトが進行していたかは,定かでない。しかし,このあまりに画期的なイノベーションが,全て組織内で,計画的に遂行されていたわけでないことは注目に値する。

似たようなストーリーがポッドキャストについても語られている。これもまた,アップル社外で「こういうものがほしい!」という強く願った人物が,優秀な在野のエンジニアと連携して「勝手に」着手している。彼らはふつうのユーザではないから,ユーザ・イノベーションといっていいのかどうかわからない。また,オープン・イノベーション論の範疇に入るのか,不勉強なのでわからない。だが,それらに近い何かではあると思う。

アップル,あるいはスティーブ・ジョブズに周到な戦略があったわけではない。iTunes のウィンドウズ版を作ることに,ジョブズは少なくとも当初は反対していたという。ジョブズの強みは合理的な戦略ではなく,Aプラスの仕事しか認めないという独自の強固な審美眼にある。

iPod に対する DELL や台湾メーカーの反撃は失敗に終わる。従来のMP3プレイヤーの「記憶容量を増やしたり,バッテリ寿命を延ばしたり,たくさんのカラーバリエーションを揃えたり,FMラジオ機能につけたりすること・・・では iPod は作れない。ユーザなら誰でもわかっていることだ」とレヴィは書く。ではどうすればいいのか。

手持ちの道具箱のなかに適当なものがないから,みんなトム・ケリーの本を買いに走る。iPod の例は,自己の欲望を形にすべくドンキホーテ的にチャレンジする人間と,卓越した技術を持ち誇り高いエンジニアや職人の存在を含む,緩やかに外に広がるネットワークの重要性を示唆する。だが,それだけでイノベーションが成功するわけではない。それが何か,本書からおぼろげながら伝わるものはあるとはいえ,まだまだ明確ではない。より本格的な探求が期待される。

補記:「シャッフル」機能が真にランダムかをめぐる章は,心理学の教材としても非常に面白い。
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スキン+ボーンズ

2007-08-14 14:36:46 | Weblog
昨日,国立新美術館でスキン+ボーンズ展を見た。最終日だった。建築もファッションも,身体を覆うという点で共通している。逆にそれ以外にどのような共通性があるか・・・それを考えさせる展示になっている。若い観客,特に女性が多い。建築もファッションも分け隔てなく眺めていた。ファッションはもちろん,建築に事前知識があったわけではない。したがって,伊東豊雄の作品をじっくり眺められたこと,さらに妹島和世+西沢立衛のガラスを生かした建築群に触れたことが大きな収穫だ。金沢21世紀美術館にはぜひ行ってみたいものだ。

建築とファッションに共通するのは,空間依存性の強さだろう。美術館に展示された作品は真っ白な背景のもとに置かれ,あらゆる文脈がそぎ落とされている。しかし,現実には,それは特定の(しばしば猥雑な)空間と人々のなかに存在する。本当の美しさは,当然現実の空間のなかで評価されるべきだろう。だから,「現地」に行ってみたいのだ。国立新美術館からは六本木ヒルズが見える。正面にある政策研究院を含め,ぼく自身は美しいと感じる一角だ。乃木坂界隈はすっかり変わってしまい,昔よく行ったジャズの店(テリーズ)はなくなっていた。そのあと,本三,そして池袋へ。
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クリエイティブという非属性

2007-08-11 23:25:36 | Weblog
サービスの価値は,サービス供給者の手のなかにあるのではなく,サービス供給者と顧客とのインタラクションから生じるといわれている。サービスではデザインよりデリバリーが重要だというのも,同じことだといえよう。レシピやマニュアルがいかに整備されていようと,それを実現して顧客に接する瞬間の,人間の業が鍵となる。

その点で,サービスはエンタテイメントと同じ性質を持つ。エンタテイメントの価値は,送り手と受け手のインタラクションのなかにある。だからこそ最高のエンタテイメントはライブなのだ。では,モノはどうなのか・・・それは確かに工場ですべてパッケージ化される。販売やサポートの場で人手を介するが,それはすでに,モノからサービスの守備範囲へ移っている。

クリエイティブな製品,たとえば iPhone はなぜクリエイティブなのか。革新的な技術を採用しているとか,外面的なデザインが卓越しているとか,何らかの属性によるのか。それは確かに必要条件だが,十分条件ではないように思える。クリエイティブと感じられる要素は,モノと顧客のインタラクションのなかにあるではないか。直観的にはそう思うが,もっと厳密に詰める必要がある。

昨日の打ち合わせが契機になって,サービス,エンタテイメント,クリエイティブネスの関係,そしてクリエイティブネスと選好形成の関係など,見えなかったリンクがつながり始めた感覚がある。問題は,そうしたインタラクションとか「経験価値」といった重要な概念を,単なる属性として扱う以外のどのような知恵があるかだ。
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ネットワーク拡大と自己実現の不思議な関係

2007-08-10 23:50:11 | Weblog
昨日今日とシミュレーションの土台となる社会ネットワーク作り。Watts and Strogatz の方法による small world network をベースに,リンク数が全く同じ scale free network を再構成するのが狙い。JWEINへの投稿論文が受けた批判に応えようとしたが・・・それにしても,いまごろ着手しているのはイタイ。

その合間に,同じ研究科だが専攻が全く違う(ふだん全くお会いしない)情報工学の教員とブレストを行う。期せずして自分が何を研究したいのかを語る機会となった。選好(preference)が動的に変化することを前提とした,製品やサービスのデザインとか,そこに消費者間の社会関係を導入することとか,選好の個人「内」異質化とロングテールとか・・・。

消費者の選好が作り手との対話のなかで「進化」するという発想に潜む可能性は,それなりに理解してもらえたかもしれない。ぼくのいいたいことを一言でいえば「日本からもiPhoneを!」になる。一方,日本でなぜ Second Life が生まれなかったかを訊ねたところ,面白い見解を聞いた。いうまでもなく,いずれも技術力の問題ではない。

このプロジェクト(案)が今後どうなるのか,そこでの自分の立場や貢献がどうなるのか,いまは全くわからない。だが,そんなことは飛び越えて,ネットワークを広げることは重要だ。そして,そこで自分の思いをいかに強く語ることができるかが鍵となる(もちろん,それを研究として何らか形にすることを前提に)。

ネットワークを広げることが,意外なことに自分のライフワークに回帰していく展開となる。それが偶然なのか必然なのか全くわからないが,いずれにしたってうれしいことだ。選好形成,選好進化の研究に一緒に没入してくれる仲間が少ない(いない?)ことに悩んできた。しかし,思わぬところに味方がいるかもしれない。だから,もっともっと迅速に前に進む必要がある。
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