Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

ニューヨークで「軽く見られない」術

2016-05-27 09:28:13 | Weblog
本書は,ニューヨークに30年以上住む著者が、当地で知っておくべき英語表現を指南する本である。単に意思を伝えるというレベルを超えて、「軽く見られない」ことは一定期間滞在する人間にとって重要なことだ。ニューヨークで在外研究中の自分にとって、もっと早く出会いたかった本である。

ニューヨーカーに学ぶ 軽く見られない英語 (朝日新書)
田村明子
朝日新聞出版

だが、本書の魅力は、著者が体験したさまざまなエピソードを通じて、ニューヨーカーの心理について語っている点にある。たとえば、ニューヨーカーは街で有名人を見かけても、滅多に声をかけたりしない。しかし、そのとき彼らは心中穏やかかというと、全くそうでなかったりする。

ニューヨークでは、さまざまなタイプの「物乞い」に遭遇する。特に地下鉄の車両内で。日本人にとって意外なのは,1車両で少なくとも数人は施しをすることだ(芸が優れているともっと)。しかし、著者の観察ではアジア人はそうしない傾向が強い。文化差、宗教の差がありそうである。

「軽く見られない」というタイトルは潜在的読者に突き刺さるが、実際は「相手の感情を害さない」といったほうがよい側面も少なくない。一見合理的なニューヨーカーとはいえ感情に支配される。最終的に重要なのは、文化や慣習を含めて、相手を理解することだいう当然の結論に行き着く。

これからニューヨーク(あるいは他の北米の都市)を訪れたり滞在したりする可能性のある人には、ぜひ一読をお薦めしたい。私の場合、本書を読むことで「軽く見られない英語」を駆使できるようになったとは到底いえないが、それでもニューヨーカーへの理解が深まったような気がしている。


東日本大震災に関する本を読む

2016-05-20 23:59:10 | Weblog
今年の 3.11 の少し前から、当時、政府を代表とする統治機構に何が起きていたのか知りたくて、とりあえず出版されたばかりの『規制の虜』、数年前に出版された『カウントダウン メルトダウン』を読み始めた。前者の著者は国会臨調、後者は民間臨調の中心人物であった。

黒川清氏の著書のタイトル『規制の虜』は、規制者(政府)が被規制者(東京電力など)に実質的に支配されるような現象だという。国会臨調の調査を踏まえて著者が最も訴えたい点が、そこにある。もちろん、それは単純な東電悪玉論ではない。規制者の側にも問題がある。

規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす
黒川 清
講談社

そうこうしていると、4月には熊本を中心に大規模な地震が起きた。それから1ヶ月以上経ったいまも、多くの人々が避難生活を強いられている。過去の震災と単純には比較できないが、政府・自治体、企業や個人が過去の経験から学ぶことの重要性は誰も否定しないだろう。

規制の罠(regulatory capture)というのは経済学の概念らしい(不勉強にも知らなかった)。規制者と被規制者の間の何らかの補完性、依存性が生じてしまうということだろうか?もう1ついえることは、双方を動かすエリートの同質性だろう。単に学歴だけの話ではない。

黒川氏は本書を一種の「日本論」だと語る。日本のエリートが戦前から維持してきた「システム」が、大地震や原発事故、あるいは戦争のような緊急事態に驚くほどの弱さを露呈する。そのことは丸山真男を始め、多くの識者が語ってきた。何も変わっていないということだ。

それが社会の構造的問題となると、そう簡単には解決できないことになる。しかし、本書に記された、国会臨調の設立から運営に至る著者の奮闘は、明るいニュースといえるだろう。この本を、緊急時のプロジェクト・マネジメントの事例として読むこともできるだろう。

一方『カウントダウン・メルトダウン』は、船橋洋一氏が民間臨調の調査に独自取材を加えて著したものだ。政治家や官僚、自衛隊幹部、さらには米国政府や米軍などの広範な関係者が実名で証言する。登場人物が多く、時間が前後するので、必ずしも楽な読書にはならない。

カウントダウン・メルトダウン 上 (文春文庫)
船橋 洋一
文藝春秋

カウントダウン・メルトダウン 下 (文春文庫)
船橋 洋一
文藝春秋

しかし、個々の事実関係もさることながら、関係者をつねに覆っていた情動を少しでも体感できるのがよい。情報が極端に限られるなか、深刻な結果を伴う意思決定を強いられるストレス。誰も経験したことがない原発事故が起こす、想像を絶する潜在的危機に対する恐怖感。

たとえば、菅首相の行動の是非をめぐりよく話題になる、東電の福島第一原発からの「撤退」を認めるかという問題。最悪の事態を招きかねない行動を認めるのか、かといって民間人たる東電社員に命を投げだせと政府が命令できるのか。当時者の苦悩に身を置くこともできる。

いずれの本も、重くて深い問いを突きつける本だといえる。『規制の虜』は、日本社会に潜む構造的な問題を浮かび上がらせる。『カウントダウン・メルトダウン』は、むしろ当事者一人ひとりの行動のあり方を問うてくる。どちらが正しいかではなく、相補的な視点だろう。