ドイツ語を専門とする言語学者が、1919年から45年に至るヒトラーの演説内容をデジタル化し、どのような単語が頻出し、どのようなレトリックが使われていたかを分析したのが本書である。それ以外にも当時のドイツの世論や空気を伝える、さまざまな史料が駆使されている。
したがって本書は、ヒトラーが率いるナチスがいかに政権を掌握し、敗北を迎えたかを、ヒトラーの演説とそれに対するドイツ民衆の反応という側面から描いた歴史書である。と同時に、大衆の扇動を可能にするレトリックについて分析した、コミュニケーション論の書でもある。
ヒトラーの演説はミュンヘンのビヤホールから始まった。ナチスの躍進とともに会場は大きくなり、われわれが記録映画で目にするような、膨大な聴衆を前にした演説になる。メディア論的に興味深いのは、そのあとラジオを使った演説に移った時に直面した、非連続性の指摘である。
本書を読んで印象深いのは、最初は無視できるほどの政治勢力でも、流れのなかで巨大な勢力になり得ることだ。それを、移り気な民衆の情動が後押しする。もちろん、ナチスは選挙で多数党になったわけではなく、当時の政治家の駆け引きのなかで政権を奪取したことに留意すべきだが。
ナチス支配下のドイツでは、戦争が長引くにつれ、ヒトラーやナチスへの熱狂は冷めていく。それは、彼の演説への聴衆の反応にも表れている、と本書は述べる。つまり、潜在的な世論は多様であり続けた。恐ろしいのは、そうであっても独裁政権が生まれてしまう、ということだ。
ワイマール共和国からナチス支配に至る歴史は、日本の戦後民主主義の今後を心配する人々につねに参照されてきた。いまもまた、であろう。自分の肌感覚としても、このところの世のなかの動きに「漠然たる不安」を感じる。だから、ヒトラーの時代の歴史が、最近気になっている。
したがって本書は、ヒトラーが率いるナチスがいかに政権を掌握し、敗北を迎えたかを、ヒトラーの演説とそれに対するドイツ民衆の反応という側面から描いた歴史書である。と同時に、大衆の扇動を可能にするレトリックについて分析した、コミュニケーション論の書でもある。
ヒトラーの演説はミュンヘンのビヤホールから始まった。ナチスの躍進とともに会場は大きくなり、われわれが記録映画で目にするような、膨大な聴衆を前にした演説になる。メディア論的に興味深いのは、そのあとラジオを使った演説に移った時に直面した、非連続性の指摘である。
本書を読んで印象深いのは、最初は無視できるほどの政治勢力でも、流れのなかで巨大な勢力になり得ることだ。それを、移り気な民衆の情動が後押しする。もちろん、ナチスは選挙で多数党になったわけではなく、当時の政治家の駆け引きのなかで政権を奪取したことに留意すべきだが。
ナチス支配下のドイツでは、戦争が長引くにつれ、ヒトラーやナチスへの熱狂は冷めていく。それは、彼の演説への聴衆の反応にも表れている、と本書は述べる。つまり、潜在的な世論は多様であり続けた。恐ろしいのは、そうであっても独裁政権が生まれてしまう、ということだ。
ヒトラー演説 - 熱狂の真実 (中公新書) | |
高田博行 | |
中央公論新社 |
ワイマール共和国からナチス支配に至る歴史は、日本の戦後民主主義の今後を心配する人々につねに参照されてきた。いまもまた、であろう。自分の肌感覚としても、このところの世のなかの動きに「漠然たる不安」を感じる。だから、ヒトラーの時代の歴史が、最近気になっている。