Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

米国「一人勝ち」の人口学

2010-04-30 21:44:28 | Weblog
最近ニューズウィーク日本版を買う比率が増えている。5/12 号はメインの「不況に勝つ反流行のラグジュアリー」もさることながら,「『1億人増』で元気な未来」という1ページのコラムが面白かった(著者は米チャップマン大学都市未来学フェローのジョエル・コトキン氏)。それによると・・・

・2050 年までに米国の人口は1億人増えて4億人になる。
・そのとき 65 歳以上の高齢者は人口の5分の1に。
・韓国,台湾,シンガポールの高齢者は人口の3分の1に。
・中国では人口の 30% が60 歳以上になる。
・2000~50 年,15~64 歳人口は米国で 42% 増加する。
・同時期中国は 10% 減,欧州は 25% 減,日本は 44% 減。

こうしたトレンドはすでに広く知られているのかもしれないが,ぼくには驚きだった。つまり,これからは中国の時代だとかインドの時代だと喧伝されているが,数十年もすれば若い労働力が最も溢れる地域は米国になるということなのだ。そこに Apple や Google に代表される革新性が結びついたら・・・。

Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2010年 5/12号,


阪急コミュニケーションズ,


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非常に荒っぽい予想として,米国は決して衰退することなく,再び世界の中心になりそうだ。しかし,新たに甦る米国は過去の米国とどこまで同質なのかはよくわからない。新たに増加する1億人はどういう人々なのか・・・。成熟した先進国というイメージとはかなり違う社会になっているかもしれない。
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「ブルー・オーシャン」演習

2010-04-29 22:28:36 | Weblog
先週と今週,3年生のゼミで『ブルー・オーシャン戦略』を取り上げた。といっても輪読したわけではなく,学生たちに春休みにこの本を読んでもらい,自分の好きな事例を選んで「戦略キャンバス」を描いてもらったのだ。自社の事業と競合相手を比較する要素を列挙し,その差を折れ線グラフ(価値曲線と呼ぶ)で表す。それ自体はよくある分析でしかない。戦略キャンバスに独自性があるとしたら,さらに各要素を「増やす」「付け加える」「取り除く」「減らす」ことでメリハリを付け,一貫性のある差別化戦略を見出そうとする点にある。

ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する (Harvard business school press)

W・チャン・キム,レネ・モボルニュ,
ランダムハウス講談社


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この作業を学生にやってもらったわけだが,その出来にはやはり差が出る。その原因はおそらく単純なことだと思う。つまり,対象として取り上げた企業や製品についてどれだけ関心を持ち,深く調べ,じっくり考えたかの違いだと。もちろん,今後より本格的に分析するには,それなりの手法が必要となるだろう。戦略キャンバスの質は,競争を規定する要素をいかに抽出するかに左右される。ブレーンストーミング以外に,たとえば評価グリッド法の適用が考えられる。どの要素が重要かは,コンジョイント分析や AHP が使えるかもしれない。

だが,戦略キャンバスの目玉は,新たな価値の要素を付け加えることにある。これは,既存の競争の分析からは導かれない。ここをどうするかが難しい。無から有を生むような話だ。系統的な手法などあるはずがない,と言い切ることもできる。ただ,そうではないほうに賭けたいと思う。無から有が生まれるのではなく,現存するもののなかに絶対ヒントがあるはずだ。ただ,それは単純な足し算からは生まれない。さまざまなブロックをいろいろつなぎ合わせ,ひっくり返したり,ねじったり,放り投げたりしているうちに,Aha! の瞬間が訪れる。

これについては,世に溢れるアイデア発想法の本からも何か学べると思っている。だから,このゼミではいずれをそれを取り上げる予定だが,その前にゲーム理論の入門書を読む予定である。アイデアの話にいきなり行く前に,競争や意思決定に関する論理的な思考に触れておいたほうがいいと考えるからだ。もちろん,正統的なゲーム理論では戦略は所与であって,その創出は理論の範囲外にある。ゲーム理論の論理的世界とアイデア発想の想像的世界は表面上水と油の関係にある。それを混ぜ合わせるとどうなるのか・・・Aha! が生じないかと淡い期待。
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東大受験のあとは転職そして起業へ

2010-04-24 22:46:12 | Weblog
三田紀房『エンゼルバンク』の12巻が発売された。このマンガは,東大受験のハウツー本として話題になった『ドラゴン桜』に登場する高校教師・井野真々子が転職エージェント会社に転職するところから始まる。『ドラゴン桜』の登場人物はほぼそのまま引き継がれており,続編といってもよい。今度は転職のハウツー本・・・という形容が当てはまるのは最初だけで,3巻あたりからベンチャー企業への転職の話が増え,11巻からは自ら起業するという話になっていく。

巻末の付録も,最初の頃は実際の転職エージェントのアドバイスであったが,4~7巻は「カリスマ経営者が語るベンチャー転職Q&A」になり,毎回,以下のような経営者が登場する:
株式会社フォトクリエイト 代表取締役 白砂晃
株式会社プロノバ 代表取締役社長 岡島悦子
株式会社エニグモ 代表取締役共同最高経営責任者 須田将啓
株式会社ドーム 代表取締役兼COE 安田秀一

エンゼルバンク ドラゴン桜外伝(12) (モーニング KC)

三田 紀房,
講談社


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マンガで取り上げられるベンチャービジネスは,企業向け保育サービス,農業,そして現在は特許情報の検索と研究者の転職を組み合わせたサービスである。いずれも現代日本の制度的な不備を,政府に頼らずビジネス機会として捉えて,社会を変革しようという壮大なビジョンに基づいている。ただ,島耕作社長のように美女が特殊なコネクションを使って助けくれないので,地道に足下から固めていく。このあたり,まさにビジネス版ドラゴン桜になっている。

ぼく自身に起業の経験はないので,このマンガが教えてくれる「ハウツー」がどこまで役に立つのか,本物の起業家や経営者にぜひ読んで感想を述べてもらいたい。もちろん,『ドラゴン桜』を読めば誰でも東大に入れるわけではないのと同様,『エンゼルバンク』を読めば誰もがベンチャー企業に入って(あるいは起業して)成功するわけではないだろう。ただ,新卒者の就職も含め,そこに労働市場を拡大する希望を託すしかない時代になっていることは確かだ。

なお,新卒の場合,ベンチャー企業への就職のネックになるのは,しばしば親だと思う。有名な企業に就職してほしいという親の希望と板挟みになっている学生が時々いる。親としては子どもにリスクを背負ってほしくない。大企業とてリスクはあるのだといっても,日本の市場はまだまだダイナミックではない。また,最近の子どもは昔より親思いで,その意味でもリスクを取るのを避けたがっている。こうしたマンガが少しは意識の変化に貢献できるかどうか・・・。
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ポーターの競争戦略と消費者モデル

2010-04-20 20:33:36 | Weblog
昨夜は,近所の中大駿河台記念会館で,国際戦略経営研究学会・戦略経営理論研究会を聴講した(さすがにこの学会の会員ではない)。講師は同学会の会長で中央大学の河合忠彦教授。演題は「ダイナミック“競争”戦略の新しいフレームワークの構築」。河合氏はまず,ポーターの競争戦略論では企業はコストリーダーシップと差別化のどちらかしか追求できないと主張されているのに,たとえばブルーオーシャン戦略では両方を追求すべきだと主張されるといった対立に注目する。そうした対立は,なぜ生まれるのだろうか?

河合氏は低価格-差別化という2次元空間を考え,ミクロ経済学的枠組みで考察する。まず企業のビジネスモデルを,この空間上の生産可能曲線に投影する(それは一定範囲に制約される)。一方,消費者の選好について無差別曲線を定義する。そこで,ポーターのいうように企業が低コスト戦略と差別化戦略のどちらかしか採用できないのは,消費者に強く低価格を望むセグメントと強く差別性を望むセグメントしかない場合だと指摘する。価格と差別性をトレードオフする消費者がいれば,低コストと差別化を混合した戦略もあり得るはずだと。

この枠組みを使って,河合氏はポーターのポジショニング・アプローチと資源ベース・アプローチの違い,クリステンセンのの議論などを解読していく。そして,ユニクロや任天堂の戦略が分析される。なるほど・・・初歩的なミクロ経済学には多少通じているぼくとしては,理解しやすい説明であったが,会場を埋め尽くした聴衆,特に社会人にとってはどうであったか・・・。それはともかく,ポーター理論が消費者行動について,かなり特定的な仮定を暗黙のうちに置いているという指摘は,マーケティング研究者として非常に面白く感じた。

経済学的には,価格と差別性のトレードオフを行う代表的消費者を仮定するのが一般的なはずだが,河合氏の議論が正しければ,ポーターはそうしていないことになる。価格か差別性のどちらかを優先的に考慮する,非補償型の意思決定を行う異質な消費者を考えている,といえなくもない。もしかしたら,そのほうが市場の実態として正しいのではないか・・・ポーターはそのことを直観的に見抜いて上のような仮定を置いた・・・そう考えると,消費者行動の多様性を研究することが,マクロな競争戦略論に役に立つ可能性が出てくる。

それにしても,参加者の多さには驚いた。研究者とおぼしき方々と並んで,30代ぐらいの社会人が多かったのは,河合先生の薫陶を受ける社会人大学院の学生たちが集まったためであろうか・・・。ともかく戦略論に人気があることは,三省堂本店の経営書の配置を見ても明らかだ。経営学とマーケティングの本はすべて奥の棚に並べられ,自己啓発書,業界解説本と並んで戦略論だけが手前の棚に配置されている。経営者と同じ視線で考える社会人が多いということは喜ぶべきことだ。その際,消費者の役割にも光を当てた河合先生の主張は心強い。

(補足1)なお,河合氏はポーターの消費者選好に対する「仮定」に必ずしも肯定的でないという印象を持った。

(補足2)上では割愛したが,実は河合氏の議論で重要なのが,ビジネスモデルに基づく生産可能曲線が上方へシフトし,低価格と差別性の向上をともに実現する(ブルーオーシャン)というダイナミクスである。ポーター的な見方では競合他者が速やかに模倣して生産可能曲線の優位はなくなるが,資源ベース的見方では優位が一定期間持続する,というのが河合氏の整理である。
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カーネマン幸福を語る

2010-04-19 17:31:59 | Weblog
ノーベル経済学賞を受賞した心理学者,ダニエル・カーネマンの「幸福」に関する講演の映像をウェブで見ることができる(ありがたくもトランスクリプト付である):

Daniel Kahneman: The riddle of experience vs. memory

内容はタイトルが示すように,幸福を計測する上で「経験する自己」(experiencing self)と「思い出す自己」(remembering self)の区別が重要だということだ。たとえば,内視鏡検査において患者が感じる快と苦を逐次報告させる。すると,いま感じている苦痛とあとで思い出す苦痛が必ずしも一致しない。記憶に残るのは後者なので,意思決定に関係するのは,バイアスを伴いつつも思い出された快と苦である。それは個人的経験からも納得できる。そして,それが幸福というものを複雑で取り扱い困難なものにしている。

医師はどのような治療を施せば,本当の意味で患者を幸福にできるのか?あるいは,どんな政策を実施すれば,国民は幸福になれるのか?その答えは,いつどのように幸福感を測ったかで変わってくる。「思い出す自己」の幸福は,「経験する自己」の幸福がそのまま反映されたものではない(ある調査では相関は 0.5 程度だという)。そこにはさまざまなバイアスが介入するだけでなく,人々が記憶を物語として創作するという面もある。したがって,優れた医師や政治家は,必ずしも患者や有権者の要求通りには行動しない。

マーケティングでは,顧客の次の購買につながる使用後の満足感や幸福感に目標を絞ることができる。したがって,その製品・サービスの購買間隔が十分長いなら,「思い出す自己」を標的にする戦略をとればよいはずだ。新たに購買しようとする消費者が,過去の経験から何をどのように思い出すかが重要である。一方,衝動買いが起きるような状況では「経験する自己」の役割が重要になるかもしれない。いま,ここでの経験がそのまま行動に結びつくなら,あとでそれをどう回顧するかはあまり重要ではなくなる。

上述の内視鏡の実験も含め,大体の内容は以下の "Well-being" という本でも紹介されている。しかし,この本,いま確認したところ,Amazon で注文不能になっている。その代わりというわけではないが,カーネマンも編著者の一人になった,幸福感に関する国際比較調査の本が最近発売されたようである:

Well-Being: The Foundations of Hedonic Psychology


Russell Sage Foundation


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International Differences in Well-Being (Positive Psychology)


Oxford University Press, USA


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小沢一郎氏の「存在と無」

2010-04-18 23:09:59 | Weblog
いろいろな世論調査で,70% を超す回答者から民主党幹事長を辞任すべきだといわれている小沢一郎氏。週刊誌の見出しでは「独裁」「不敬」「亡国」といったことばが踊る。ある意味,いま日本で最も忌み嫌われている政治家ではあるが,それはその存在感の裏返しでもある。小沢氏がいなくなった民主党・・・あるいは小沢氏がいなくなった日本政界はどうなるのか。渋谷陽一氏が責任編集する『SIGHT』5月号は「ありがとう小沢一郎 僕たちは卒業します」という特集を組み,小沢氏に引導を渡そうとしている。

全体のトーンは,小沢一郎氏が果たしてきた歴史的役割を評価しつつも,もうそれは終わった,民主党もまた小沢氏への依存から脱するべきだというもの。民主党そして一時期小沢氏のブレーンでもあった政治学者の山口二郎氏は,小沢氏を駆り立てるものは自民党をつぶすという怨念だけであると述べる。昨年の政権交代以降,自民党は衰弱する一方なのに,小沢氏はまだ自民党叩きの手を緩めない。そのことで民主党がかつての自民党のようにふるまうようになり,結果として民主党への支持が低下しているという。

そもそも小沢一郎氏はどういう理念を持っているのか。元外務省主任分析官の佐藤優氏は,小沢氏は(佐藤氏にとって肯定的な意味で)「国家主義者」だという。哲学者・内田樹氏と作家・高橋源一郎氏の対談で,小沢氏の著書を読み解いた高橋氏が,小沢一郎は吉本隆明であると述べる。内田氏はそれに,小沢氏も吉本氏も「大衆の原像」という点で共通すると応える。そのあとも文学者と哲学者の想像力はとどまることなく広がっていく。そのような物語り(story-telling)の源泉になり得る政治家は他に見当たらない。

SIGHT ( サイト ) 2010年 05月号


ロッキングオン


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一方,小沢氏や民主党を糾弾することで人後に落ちない『VOICE』のインタビューで,作家の塩野七生氏が小沢氏に強大な権力を与えるべきだと述べている点も興味深い。塩野氏は池田勇人,一萬田尚登,本田宗一郎の各氏の顔写真と鳩山由紀夫,白川方明,豊田章男各氏の顔写真を比較し,「面構え」の違いを指摘する。そして,このような面構えをした政治家は最近では小泉純一郎氏,現在では小沢一郎氏しかいないという。なぜなら,権力の本質をわかっている政治家は,いまの日本には小沢氏しかいないからだという。

塩野氏は,国民は「どのようにして小沢氏を自分たちのために必死で働かせ、使命を果たさせるべきかを考えるべきでしょう」と述べる。つまり,小沢一郎は道具であると。では,小沢氏に何をさせるべきかが問題になるが,そこはあまり具体的に語られていない。塩野氏は何らかの「改革」(おそらく何らかの意味で小泉改革の延長にあるもの)を望んでいることがわかるだけである。この曖昧さこそ,理念や基本政策の一貫性に欠けると非難され,それでも存在感が突出している小沢一郎という政治家に相応しいかもしれない。

Voice ( ボイス ) 2010年 05月号


PHP研究所


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Network of Excitement を夢見た夜

2010-04-17 15:08:18 | Weblog
昨夜は JIMS「消費者行動のダイナミクス」部会@構造計画研究所(新中野)。まず吉田さん(東京大学)が「ワンセグ/大画面テレビ視聴とクチコミの関係」について,いくつかの調査結果を報告。ワンセグ視聴者,特にヘビーユーザからのヒヤリング結果が面白い。通勤途上や昼休みにテレビを見るだけでなく,夜,飲み屋でもワンセグを見ながら飲んでいる。ただ,そういう人は全体では少数。ワンセグ放送の未来はどうも不透明である。さらに大画面テレビの視聴実態に関する調査に話が及ぶ。真の原因が何かはともかく,大画面テレビの導入は家族によるテレビ視聴の増大と関連していそうである。

後半は,鳥海さん(名古屋大学)他による「大量SNSサイトの構造と成長分析」。まず鳥海さんが多数の小規模 SNS をネットワーク特性に基づきクラスタリングした研究を報告。今後はその動的変化を調べたいとのこと。次いで和泉さん(東京大学)が SNS がブレイクする要因を決定木で探った研究を報告。それはライフサイクルによって,また PC かモバイルかで変わる。そうした要因がわかれば,趣味や関心で細分化されたコミュニティの運営に役立つことは間違いない。コミュニティの盛衰を動的に視覚化したソフトには驚愕した。それをずっと眺めていると,何か重要な気づきが得られそうな気がする。

8時半にセミナーを終え二次会へ。セミナーの時間と変わらない(微妙に上回る)時間を「懇親」に費やすことが研究コミュニティとして健全かどうか,見方は分かれるだろうし,ぼく自身も迷うところである。しかしながら,それがお互いの研究の刺激になるし,最低でも研究その他の疲れを癒すことができる(そうならない人には申し訳ないが)。そして将来のコラボのために信頼関係が醸成されれば,これに勝る喜びはない。この奥深い可能性を秘めた研究の「弱い紐帯」を,いつかもっと強いネットワークに転化できないかと思ったりする。Network of Excellence ・・・いやむしろ Network of Excitement に。
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「ぼーっと見る」メディアの強み

2010-04-14 16:17:57 | Weblog
視聴者がさほど注意を払っていない状態でこそ,TV広告は効果を発揮する。そこにこそ,ウェブやソーシャルメディアの攻勢に対してTVメディアが生き残る可能性があるかもしれない,と思わせるのが次の記事だ:

TV Ads May Be More Effective If We Pay Less Attention

現実に近い視聴状況で行ったTVCMの効果に関する実験によると,情緒的なCMに比べ,事実ベースのCMは視聴者の注意(attention)を高めることが示された(注意はアイトラッキングで計測された)。注意力が高まると人間は情報に対して防御的・批判的になってしまう。リラックスして注意力が低下した状態でこそ,広告メッセージはそうしたフィルターを突破して効果を発揮するという。

従来,注意力を高める広告ほどよい広告だと考えられていたが,そうではない,とこの実験を行った研究者は述べている。何となくいい雰囲気を醸し出して,無防備になった消費者の心に忍び込むというのは,確かにありそうだ。では,賞を取るような,エモーショナルだが尖った広告はどうなのか気になる。それを見て注意力が高まるのは業界関係者だけだから大丈夫なのだろうか・・・。

この研究,TV業界にとって朗報かもしれない。TVを真剣に見る人が減っても,TVをぼーっと見ている人が少なからずいるなら,十分そこで広告効果を発揮できる。一方,ウェブで検索したり,ソーシャルメディアでコミュニケーションしたりしているとき,消費者の注意はかなり高い状態にあると思われる(要調査)。だとすれば,広告に対してガードは高くなり,さほど効果は期待できなくなる。

この研究の詳細は,Journal of Advertising Research, 49(4), 2009 の"How Effective is Creativity? Emotive Content in TV Advertising Does Not Increase Attention" を参照のこと。JAR はウチの大学が契約するオンラインジャーナルに含まれていないので,ぼくは原論文をまだ読んでいない(上述のウェブ上の記事と JAR サイトの abstract のみ読んだ)。
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ソクラテスの演説を Ustream で!

2010-04-12 23:30:43 | Weblog
中央公論5月号で特集された「お葬式」入門・・・のほうじゃなくて「学力なんていらない!?」が面白い。特に茂木健一郎氏と東浩紀氏の対談「分数も年号も覚える必要はありません」はラディカルで刺激的。そのメッセージは,次の茂木氏のことばに集約される:
・・・インターネットが知的インフラとして整ったことは、私たちの「知」に対する態度を大きく変更させたと思うんです。
だから、分数の計算はできなくてもいいし,年号を覚える必要はない。そんなレベルの知性は何の価値もない。茂木氏はそうではなく,ブレークスルーを起こし得る突出した知性を生み出す教育が必要だと述べる。つまり、底上げではなく,トップを引き上げることだ。そういうと格差を広げる教育だと非難されかねないが,東氏はそれは格差じゃなく「多様性」と捉えるべきだという。

また,東浩紀氏は以下のように述べる。
先日「朝まで生テレビ!」で,僕や元ライブドア社長の堀江貴文さんがウィニーとか YouTube の話をしたら、司会の田原総一朗さんから、「面白い話だけどオタク的だからもっと分かるように説明して」と言われました。でも僕に言わせれば、小沢一郎の献金問題のほうがよほどオタク的な話題です。あれは象徴的でした。今起こっているのは、何が社会的なのか、何がオタクっぽいかの境界そのものの変動です。
中央公論のライバル誌(といってもはるかに部数が多い)文藝春秋の今月号は「たちあがれ日本」結党宣言と「愛子さま不登校」問題が目玉。確かにこれは,ある種のオタクといえるかもしれない。お二人の対談はその後,大学論や Twitter 論に向かう。最後あたりで,ソクラテスが話すのを Usream で中継したらという話になる。そこに,これからの教育のあり方が示唆されている。面白い!

中央公論 2010年 05月号 [雑誌]

中央公論新社

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もちろん面白くない現実もある。同じ特集にある山田昌弘氏の「学歴を費用対効果で格付けする」では,高等教育への支出はいまや投資ではなく投機になったという。つまり,医学部や看護学部のような一部の例外を除くと,進学してみたものの期待したような就職上のメリットが得られないというリスクが増大していると。これは,茂木-東対談で議論されている非常に知的な世界とは別の現実である。

その意味で,それは格差に見える。しかし,格差を多様化に転換し,序列のない知性のあり方をそれぞれの持ち場で探るしかない。その最大の障害は,何らかの序列に捕われている教員のマインドセットではないだろうか。マーケティングという傍流の学問の研究者こそ,そうした桎梏から自由であるべきだが,果たして・・・。
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関係の群間比較の落とし穴

2010-04-11 11:06:45 | Weblog
4/9付日経新聞・経済教室に「日本企業のマーケティング向上策 社内向け今こそ」という論文が掲載されている。その内容を一言でいえば,企業やブランドの理念を社内に徹底的に浸透させる,インターナル・マーケティングが重要だということ。マーケティングは特定部門で専門的に行なうものと限定すべきではない,部門横断的なプロジェクトチームを活用する,顧客満足を報酬に組み込む,といった提言は至極もっともだ。このこと自体に何ら異論はない。

ただ,そうした結論を導くロジックに多少違和感がある。著者の木村達也氏と日経リサーチはネット調査を行い,5つの要因(リーダーシップ,コラボレーション,情報活用度,オペレーション力,市場開発力)と成果(収益や顧客の増加)と関係を分析している。「市場に自社のマーケティング活動が『うまくいっている』という回答と『そうでない』という回答」に分けて分析結果を比較している(本文にはないが,文脈から SEM の多母集団分析を行なったと推測できる)。

その結果「うまくいっている」企業では「コラボレーション→成果」の影響が,「そうでない」企業に比べてより強いことが示された(それ以外の違いについては省略)。論文はそこから「社内のコラボレーションの度合いが高いほど全般的なマーケティングがうまくいき、企業の成果にも表れている」という結論を導く。この文章の前半にある「コラボレーションの度合い→全般的なマーケティング活動」という因果関係を,この分析結果から導くことはできるだろうか。

ぼく自身は,この分析結果の解釈として適切なのは「コラボレーションが企業成果を向上させる程度は,全般的なマーケティング活動がうまくいっている企業ほど高い」ということだ思う。そうではなく,上のようにいいたいのであれば,全般的なマーケティング活動がうまくいっているほど,コラボレーションの度合いが高いことを示す必要がある(因果の方向は問わないとして)。実際にはそうした分析を行っているのだが,ここでは記述を省略したのだろうか・・・。

一方,この論文は「全般的なマーケティング活動が不調な企業は、新製品・新サービスが日ごろの業務のカイゼン活動から生まれ、イノベーションには結びつきにくい」とも述べている。掲載された分析結果を見ると,こうした企業では「オペレーション力→市場開発力」の影響はむしろ高く,なぜ「イノベーションには結びつきにくい」と書かれているのかわからない。「市場開発力→成果」の影響が低いので「イノベーションの成功の不確実性が高い」ということだろうか。

これらを合わせると,どうもグループ間の平均の比較と影響関係(偏相関)の比較とが混同されている感じがする。ただ,似たような議論を,マーケティングリサーチの現場や学会等で目にすることは少なくない。これは,データ解析を実際に進めるうえで重要なポイントだ。今年から,MBA コースで多変量解析を教えることになるので,教室で議論してもよい。もしかしたら,ぼくが勘違いしていることが明らかになるかもしれない。そうなったらなったで勉強になる。

そこで次の仮想例を考える:調査の結果,進学実績が優れた高校では,読書時間と成績に正の相関があり,進学実績がそれほどでもない高校ではそうした相関はあるものの,その程度は比較的弱いとしよう。これらの情報から,読書時間を増やせば進学実績が上がると考えていいだろうか?さらに,二つの高校を比較して,進学実績の高い高校ほど読書時間が長いという情報が加わったとしよう。それを踏まえて,進学実績を上げるために読書を奨励すべきだろうか?

ぼくは最初の質問には,それだけだとノーだと答える。しかし2番目の質問には,これらの高校間で読書時間の平均に有意差があるならば,読書時間増加→進学実績向上は否定されない,と答える。しかし,別の可能性にも言及する。読書時間は知的能力の現れで,知的能力が非常に高い人は試験勉強の時間を犠牲にすることなく読書できる,としたらどうか。進学実績の低い高校の学生に読書を奨励することは,逆に彼らが試験勉強する妨げになるかもしれない。

つまり,因果関係をどう認定するかは統計分析だけでは完結せず,対象に対する何らかの知識や信念を必要とする。最初に紹介した研究についても同じことがいえる。ぼくには「全般的なマーケティング活動がうまくいく」かどうかは企業が長期に蓄積してきた能力の表れだと理解すべきだと思える。だから,そういう能力が備わっているときコラボレーションが成果に結びつく,と解釈するほうがしっくりくる。もちろんそれは,いくつかある可能な解釈の1つでしかない。

いろいろ書いてしまったが,まずいいたいのは,ある統計的分析からどこまでいっていいかを,とりあえずミニマルにおさえたほうがいいということ。そして,分析しようとする現象への深い知識と経験に基づき,想像力を駆使しながら,最もあり得そうなストーリーを紡ぎ出すこと。難しいことだが,これをやるしかないし,学生たちにそれを経験させる授業がしたい。
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マエケンと新宿で一杯

2010-04-09 23:25:54 | Weblog
昨夜は,さる方のご厚意で,友人たちと神宮球場でヤクルト-広島戦を観戦。広島カープは,マエケンの投打にわたる活躍で今年3勝目をあげる(あと1つは開幕戦におけるマエケンの勝ち星)。さすが PL学園のエースで4番! 試合が終わったあと,新宿の思い出横町(小便横町)の居酒屋で「マエケン」と合流。彼は最近,管理会計とかサービスイノベーションとかも勉強しているらしい。できる人は何でもできるのである。

本日,広島は横浜に完敗したようで,次の勝利はマエケンが登板する5~6試合後かもしれない。ちなみに,いつも謙虚な本人のコメントはこちら


撮影いただいたNさんに感謝。
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株主重視で長期雇用で成果主義

2010-04-08 15:33:40 | Weblog
昨夜は,MMRC で開かれた進化経済学会の部会である「企業・産業の進化研究会」に参加。宮本光晴先生(専修大学)の「日本の雇用システムと企業統治」と題する研究発表を聴いた。労働政策研究・研修機構(JILPT)が実施した企業および従業員を対象にした調査の結果分析を中心にした報告で,以下のような興味深い知見が得られている:

・上場企業の半数以上が株主重視のガバナンスを志向
・上場/非上場問わず,日本の企業の多くは長期雇用制を堅持
・成果主義を6割の企業が導入。頭打ちか微減傾向。

・従業員の大半は株主価値重視に肯定的
・従業員の経営への信頼が高いほど株主価値を重視
・従業員は企業ほど,長期雇用が維持されると思っていない

教科書的な発想からすると,方向が異なるベクトルが錯綜しているようにみえる。このパズルをどう解けばいいか? 宮本先生は,歴史的な経路依存性を強調する。「株主重視」「長期雇用」「成果主義」という理念が,現実の日本企業で実際にどう具現化されているのか?日本企業における「成果主義」の実態はどうなのか?

そこをつぶさに見て,実質的な機能を見ていくと,抽象的な概念から想像されるものとは違う世界が見えてくる。各企業は試行錯誤的な努力によって,結果として,おかれた状況に適応的なシステムをダイナミックに形成している。これが進化経済学的な見方なのだろう。その意味で「観察」と「解釈」が非常に大きな意味を持つ。

ただし,現実は適応の結果であるということを強調しすぎると,安易な現状肯定に陥り,進歩がなくなる。何らかの批判精神,普遍性を前提にした理想主義を働かせる必要がある。そのあたりが,宮本先生と塩沢先生,藤本先生他の間で議論されていたように思う。問題意識が希薄なぼくは,ただ黙って拝聴するばかりだった。

こういう議論は消費やマーケティングの研究にどう生きるのか。現実を見て,それを既成概念で整理していったとき,不可思議な現象,矛盾に見える動きが見えてくる。そのとき,それをつぶさに見れば,実は適応的な合理性があると考えられるかもしれない。一方ではそれを,やや理想的な見地から批判することも必要だ。

いずれにしろ,そのためには,そもそもそうした議論が可能になる,もっと骨太な議題設定が必要だ。

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「政界再編」と意見動学

2010-04-07 14:41:40 | Weblog
前回のエントリでは「政界再編」待望論ととれるようなことを書いたが,実際は,政界再編というのは,かなり怪しい主張だと思っている。政界再編論者は,自分が重視する議題を基準に政治家を分け,味方をすべて糾合し,敵はできるだけ排除したいと欲しているように見える。だが,何をそうした基準に選ぶかは人によって異なるので,どういう組み合わせにしても,必ずその内部に重要な政策や思想の対立が残る。みんなが納得する政界再編は永遠に実現しない。

だったら無理に分けることはない,政党など作らず,論点ごとに国民投票すればいいじゃないか,という考え方もある。ネットによる直接民主主義という考え方は,将来の方向として魅力的だと思うが,現実にはそれを妨げる力が働いている。それは,本来は多様な論点を少数の次元に集約しようとする力である。物事を単純化して眺めたいという認知メカニズムと,徒党を組んで自分に有利な状況を作り出そうとする政治的行動がその背後に存在する。

多数決原理がある以上,ある議題で自己の願望を実現するには,他者をいかに説得するかが鍵となる。そのとき,お互いに主張をバーターすることで,できるだけ大きな勢力を作る戦略が有効になる。つまり,こっちは自分が妥協するから,あっちは君が妥協しろ,という取引だ。そうしていくうちに,そうした妥協を正当化しようと,お互いにそれが本来の自己の信念であったかのごとく内面化する。その結果,凝集化された集団が生まれ,集団間の競争が起きる。

こうした一種の意見動学(オピニオン・ダイナミクス)が,論点の集約化,究極的には一次元化をもたらす,というモデル分析はすでにあるだろうか?(ないなら,自分がチャレンジしてもいいな・・・) いずれにしても,何らかのメカニズムによって論点が少数次元,一次元になれば,あとはダウンズ・モデルやその拡張の出番になる。選挙制度などの外的要因いかんで2大政党化したり,新党が現れたり,小党分立になったり,といったことが証明できるに違いない。

これはマーケティングにも当てはまるだろうか?消費者にとってバスに乗り遅れるなというバンドワゴン効果があるなら,似たことが起きるかもしれない。デファクトスタンダードの場合もそうだ。しかし,「多数派」であることでプラスにならない,むしろマイナスになるケースもある。「クールな」製品やブランドは,ユーザが多数派になると魅力が半減する(ただし,最小限のファンとエヴァンジェリストが必要だが)。だから多数派工作などする必要はない。

いずれにしても政治の世界では,論点の集約が起き,少数の政党に代表されるかたちになるのは当面不可避だと思われる。そうしたなかで政界再編を繰り返しても,永遠に解にたどり着くことはない。 だからそんなムダなことは諦め,2つないし3つの政党が,選挙ごとにその状況に合わせて作られた公約を掲げて,選挙戦を繰り広げてくれればよい。それが英米流の2大政党制だと思うし,まずはそれをしばらく続けるべきだろう。

それが破綻するまでの期間に,政界再編という目くらましに頼ることなく,本来多様な意見を妥協や取引なく生かして,社会的に意思決定するテクノロジーが開発されることが望まれる。
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「新党」が起こすドミノ倒し

2010-04-06 23:24:02 | Weblog
与謝野,平沼両氏らによる「新党」構想,メディアの評判は芳しくないし,世論調査での期待度も高くないようだ。しかし,ひねくれ者のぼくとしては,この新党のインパクトは大きい,と考える。この新党がぱっとしないように見えるのは,メンバーがほとんど,70歳前後のお年寄りばかり,という点にある。いくら大物といっても,これじゃ支持されないと。だが,それいいのだ。彼らは自民党を深く愛するがゆえに,自民党の人気を復活させるために,あえて離党するのだから。

ここで,ぼくのお気に入りである選択の文脈効果,別名「囮効果」が登場する。2つの拮抗する選択肢 A, B がある場合,B の近傍にそれより劣る(誰も選ばない)選択肢 C が導入されると,それが囮になって(あるいは引き立て役になって)B の A に対する選択率が向上する,というものだ。自民党が民主党に比べ,議員の若さで劣るとしても,それと政策的に近いポジションに,若さでさらに劣る政党が現れると,若さで劣ることが相対化されてしまう。これはプラスの効果だろう。

知覚面だけでなく,実質的な若返り効果もある。園田氏が離党したことで河野太郎氏が執行部に入った。河野氏はリベラルさで民主党に近いかそれ以上で,「小さな政府」論者としてはみんなの党に近い。かつて小泉政権を支持し,その後自民党から離れて一部民主党支持に回ったと見られる人々の支持を取り戻すには格好の人物だ。年配の右寄りの人々が出て行くことで彼らからの支持はかえって高まる(他にも一緒に出て行ってほしい古株議員がまだいるかもしれない・・・)。

自民党は今後,谷垣-河野ラインで鳩山政権に対して理性的で大人な態度で臨み,民主党が自己矛盾を起こしている財政政策や環境政策(河野氏が強い領域でもある)を論理的に突くのが効果的である。それでは自民党の伝統的な支持層の一部が離反するかもしれないが,それは「新党」が吸収する。そして,政権復帰後に元の鞘に戻ればよい(ただそのあと,いまの連立政権のように,政策の矛盾が露呈する可能性があるが,それはそうなったときに考えるということで・・・)。
そこまで読んで,自己犠牲として新党を結成するなんて何と立派なことか・・・
では,民主党はどうすればいいのだろうか。目下の最大の問題は普天間問題だが,奇跡でも起きない限り,円満な解決は不可能だろう。若返った自民党やみんなの党に押されて,参院選では与党3党合わせても過半数に届かない可能性は大きい(普天間問題がこじれて,その時点で社民党は与党にいないかもしれないが)。しかし,衆院ではいぜんとして300議席あるのだから,参院選の敗北が織り込み済みの戦略を考えるべきだろう(いわば捨て試合・・・)。

参院選挙に負けたら,首相の続投はない(逆にそこまでは石にしがみついても辞職すべきではない)。マニフェストも白紙に戻さざるを得ない。そうして,リベラル自民党やみんなの党と連立の交渉をすればよい。そうすると,実は衆院選で民主党を新たに支持した人々のかなり部分が満足するような政策が実現するかもしれない。つまり,外交政策では大きな変化を望まないが,規制緩和や官僚機構のスリム化を図る。元々の民主党の政策はそれに近いはずだ。

しかし,実際にはかなり高い確率で,そうならないだろう。自民党も民主党も他の政党も,有権者も,ぼくが書いたシナリオのようには行動しないからだ。政治は一部合理性で動き,大部分情動で動く。勢い(モーメンタム)というものもある。参院選の敗北で(あるいはそれ以前ならなおさら)鳩山首相も小沢幹事長も辞任を迫られたとき,民主党にどういうカオスが起きるのか(起きないのかも)予想できない。同じような不確実性が,プロ野球にも起きてほしいものだ・・・。
*蛇足ですが,冗談で書いている部分もありますので,そのへんお含みおきいただきたく。

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これが商学部!!

2010-04-05 16:07:55 | Weblog
明治大学商学部の教員たちで執筆した『これが商学部!!』の新版が発行された。この本は,明治大学商学部で教えている主要な科目について,担当教員が高校生にもわかるよう,あるいは興味を引くように工夫して書いている。さっと眺めた範囲でもなかなか力作が多く,他の学問分野の基礎知識(特に会計学,保険学,貿易学など)に欠けるぼくにとっても,おおいに勉強になりそうだ。ちなみに,三省堂書店本店では「教育」のコーナーにおいてあった(笑)。

商学部というもの,そこに学んだ人以外には意外と謎の学部である。「商業」の学部だという説明は一応は正しいと思うが,そこでの教育内容の適用対象は商業に限定されるものではなく,ビジネス全般にわたる。じゃあ経営学部とどう違うのか?大体同じです,という答えは間違いではないが,「商」を冠することで何か少し違う。それは,同じバイオを研究していても,理学部と農学部が違うのと同じだ(・・・といっていいのか,本当はよく知らないが)。

経営学というのは一般化,抽象化された知識体系である。その意味では理学部の扱う自然科学と同じである。ところが「商」学部は,商いという現場,泥臭さが入ってくる。農学部が現実はともかく,理念として「農」の現場,泥臭さ(こちらは本当に泥がある!)を重視している(多分)のと近いのではないか。工学部もおそらく「ものづくり」の現場を重視している。そういう文化を持つ学部は,教えている知識が他と同じでも,どこか違うのではないか・・・。

さて,ぼくはこの本の最終章「クリエイティブ・マーケティング」を担当した。といっても,実は他の章で,マーケティング全般についての記述がないというので,半分はマーケティング入門的なことを書いた(あくまでぼくの視点からではあるが)。残りもほとんど普及の話が中心で,これぞ「クリエイティブ」という部分が不足している。そのあたりの充実が,今後数年間の教育(そしてそれを下支えするはずの研究)にとって大きな課題となるだろう。

そして最初の話と結びつけるなら,クリエイティブという観点から「商い」の現場性,泥臭さとの接点をどう考えるか・・・。

なかなか可愛いデザインです

これが商学部!!


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