Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

西部邁先生の遺した問題

2018-02-23 11:25:50 | Weblog
西部邁先生の訃報を聞いて、すぐに本屋に行った。そこで数冊の著書を買ったが、最初に読んだのが『蜃気楼の中へ』である。この本は、1970年代の後半、西部先生がUCバークレー、ケンブリッジ大学で在外研究を行ったときの手記に基づいている。当時『経済セミナー』に連載されており、学生だった自分はリアルタイムに目を通していた。

その数年後、筑波大学で西部氏の集中講義が開講された。『ソシオ・エコノミクス』で一躍有名になった社会経済学者の話を聴こうと、当時4年生の私も受講した。講義のあと毎回開かれる酒席にも参加した(卒業直後にも数回お会いした)。それだけの接点しかないが「謦咳に接する」という経験だったので「先生」と呼ばせていただく。

蜃気楼の中へ
西部邁
中央公論新社


『蜃気楼の中へ』では、在外研究の滞在先での近隣との交流を描かれている。その観察眼や思索の深さは同じく2年の在外研究を経験した自分の及ぶところではない。いずれにしろこの期間に、その後の西部先生を有名にする保守思想、アメリカや近代への嫌悪が確かなものになったことが窺える。もっともその原点は幼少期の経験にある。

著者の幼少期を含めた、ある意味熾烈で破天荒な人生は、2年前に執筆された『ファシスタたらんとした者』に詳しく述べられている。どちらの本が一般向けかといえば、こちらの書物だろう。一時期並べ称された青木昌彦氏や、東大駒場の同僚に対する評価など、自分を含む凡人たちが抱きがちな「ゴシップ」への好奇心も満足させられる。

ファシスタたらんとした者
西部邁
中央公論新社


40年前に書かれた『ソシオ・エコノミクス』以外では、実は西部先生の著作をほとんど読んでいない。今回改めて新旧の著作を読み、その一貫性に驚くとともに、さらに何冊か読みたくなった。と同時に、西部先生と自分の考えや感覚の大きな溝も確認することになった。凡庸な言い草だが「生きてきた世界」があまりに違いすぎる。

1つだけ、西部先生が当時の講義や評論で語り、近著のなかでも触れられ、自分がずっと気になっている問題を挙げておきたい。社会科学では現象に対して複数の異なるモデルが提供され、それぞれがデータにそこそこ適合することがある(西部先生はそこで消費関数の例を挙げる)。そうした不一致に対してどういう態度をとるべきか。

西部先生が嫌う「専門人」という立場からは、モデルの妥当性について何らかのルールを設けていずれかのモデルを選ぶ、複数のモデルを接合して一般性を主張する、といったことが行われる。それで「唯一の真実」に近づいているといえるのか。往々にして異なる学派の城に立て籠もり、そこでゲームに勝つことに終始するようになる。

西部先生は意味論に基づく一種のメタ分析を提唱されているように思える。それが、社会を合理的に理解できるという近代主義やリベラリズムへの批判とつながっていく。共感できる部分もあるが、(表層的だと思うが)保守主義というにはラディカルな主張のように感じられ、その根拠について疑いの目を向けざるを得ない部分もある。

自分としては、西部先生が批判するマスマン(大量人)の一種としての専門人として、もう少し妥協的な方法をとるしか道はない。その一方で、そもそも社会に対して複数の見え方を生み出す複合体(Complexity)としてのメカニズムがあるのではないか、それは(自分の手には余るが)数理的に解決できるのでは、と妄想したりもする。
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「ドーピング検査」の統計学

2018-02-20 15:20:32 | Weblog
オリンピックでは必ず話題になるドーピング問題。今回の平昌冬季オリンピックでは、日本人選手に抜き打ち検査で陽性反応が出て、出場停止になってしまった。本人は禁止薬物を意図的に飲んだことを否定しており、うっかり何かを間違って飲んだのかもしれない。しかし、難しいのは、そもそも100%正確な検査というものがあり得ないことだ。

どんな検査にも大なり小なり誤差はある。しかし、検査に基づく意思決定は0-1の二値になる。そこで統計学が登場するのだが問題が残る。本当は禁止薬物を使用しているのにそれを見逃してしまう危険(偽陰性、第二種の過誤)と本当はシロなのにクロと判定してしまう冤罪の危険(偽陽性、第一種の過誤)、これらをどうバランスさせるかが難しい。

というのは、これら2つの危険を同時に減らすことはできないからだ(検査の精度が一定である限り)。冤罪を出さない方向で意思決定すると本当の悪を見逃してしまう。それは許さじと厳しめに判定すると今度は冤罪が増えてしまう。これはほんの一例で、統計学の諸問題を興味深いエピソードとともに平明に説明しているのが『ヤバい統計学』だ。

ヤバい統計学
カイザー・ファング
CCCメディアハウス


著者はいわゆるデータ・サイエンティストで、統計学者ではない。だからなのか、統計学を実際の意思決定に使う場面を詳しく描いているのが特徴だ。同じ著者の『ナンバーセンス』も翻訳されているが、こちらに出てくるグルーポンの話はマーケターにとって面白いはず。どちらも好著だが、欲をいえば2冊が1冊に圧縮されていればなおよかった…。

ナンバーセンス
ビッグデータの嘘を見抜く「統計リテラシー」の身につけ方
カイザー・ファング
CCCメディアハウス


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「プラットフォーム」が支配する世界

2018-02-13 09:47:40 | Weblog
私はなるべく経営学の文献を読まないようにしている。なぜなら、そこにはマーケティングと関連が浅からぬ話題がいくつかあり、それを追い始めるととてつもなく広い大海に船を漕ぎ出すことになってしまうからだ。だが、ときには読まざるを得ないこともある。「プラットフォーム」の理論について概説する本書がまさにその一例であった。

実は昨年来、デジタルメディア環境における新たなマーケティングの研究をレビューする共同研究を始めている。その結果、プラットフォームという概念の理解を避けられないことになり、この分野の研究の第一人者による著書を読むことになった。そして、それがマーケティングに与えるインパクトについて、いろいろ思いを巡らしている。

プラットフォームの教科書
超速成長ネットワーク効果の基本と応用
根来龍之
日経BP社


本書の副題が示すように、プラットフォーム競争の鍵は「ネットワーク効果」が握る。そのプラットフォームにいかに多くのプレイヤーが集まるかが勝敗を分ける。しかし、顧客も戦略的に、自己のために複数のプラットフォームを使い分ける(マルチホーミング)。交換と競争のあり方が、以前に比べてより複雑化してきたといえるだろう。

価値連鎖のようなこれまでの道具立てだけでは不十分だという意味で、こうした変化は経営学者に大きな研究テーマになっているのだろう。そのことはマーケティング研究者にとっても同じである。いくつものレイヤーが重なったプラットフォームを消費者はどのように選択するのか? それは従来使われてきた消費者モデルで捉えられるのか?

AmazonやGoogleを中心としたエコシステムに組み込まれる企業にとって、そこでいかに自分のブランド戦略を展開するかも大きな課題である。これらの問題についてはおそらく各所で研究が進んでいて、数年後には成果が次々と発表されると予想する。そこではマーケティングと経営学、経済学の研究の垣根はかなり低くなっているだろう。

なお、本書の帯には「理論とカラクリを3時間で学ぶ」と書かれている。確かに本書は平易な文章に書かれており、厚い本ではないので、スイスイ読めることは確かだ。しかし、よほど前提知識があって速読術を身につけていない限り、3時間で読了するのは難しい。これは、生産性が著しく高い著者を基準にして書かれたコピーだと思われる。

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社会学と計算社会科学

2018-02-07 18:22:59 | Weblog
JIMS「マーケティングの計算社会科学」研究部会では、東北大学の瀧川裕貴さんをお招きしてセミナーを行った。瀧川さんは数理・計量社会学の立場から計算社会科学の研究を進めている。それは米国ではけっして珍しくなく、多くの大学が教育プログラムや研究センターを設置し始めている(日本ではほとんどそういう話を聞かないが)。

では、なぜ社会学にとって計算社会科学が重要なのか。瀧川さんによれば、実証分析を重んじる社会学では、従来サーベイ調査やインタビューを中心に研究が進められてきたが、それでは社会学が本来重視すべき社会的関係性が必ずしも適切に扱えない。ところが、たとえばソーシャルメディアのデータにはその限界を突破する可能性がある。

さまざまな高粒度の時系列データが蓄積されるにつれ、それらを用いて社会のダイナミクスを長期的視点で把握したり、さらには因果を推論したりする研究が増え始めている。データが大規模であることには、これまでなら無視された少数事例を十分なサンプルで分析でき、またデータ内部にある異質性をそのまま扱えるという利点もある。

計算社会科学が主に対象とするビッグデータは、事前に注意深く設計されたというより、事後的に収集されたものが多い。したがって、研究者の先入観や回答の社会的望ましさバイアスを排除できることは利点だが、測定されているものが研究者が意図したものと一致しないとか、収集されたデータに代表性がないといった問題点も存在する。

もちろん、それらの問題を克服する方法の研究も進んでいる。瀧川さんは従来のサーベイ調査と組み合わせる、実験と組み合わせる、といった複合的なアプローチを推奨する。そうなると、社会科学でも研究プロジェクトの大規模化が進む。それを支援する組織も必要だ。そうした点での日本の現状は順風ではないが、各自が頑張るしかない。

セミナーの後半では瀧川さん本人の最近の研究が紹介された。Twitterで観察される政治的分極化が2つの視点から分析される。まずは政党党首のアカウントのフォロー(とフォロワー間の)ネットワークの分析から、左右両端の政党党首のフォロワーほど他の党首をフォローせず、いわゆるエコーチェンバー現象が生じていることが示される。

次に、各フォロワーのツイートの内容が教師なし機械学習の手法の1つ、トピックモデルによって分析される。そこから示唆されたのは、排外主義的傾向の強い右寄りのグループと政府に批判的な左寄りのグループが存在し、それぞれにおいてエコーチェンバーが起きていることだ。先行研究が示すように、特に前者においてその傾向が強いという。

フロアからのコメントからは、特にエコーチェンバー化のダイナミクスへの関心が伺えた。一方的に意見を極端化せていく人もいれば、つねに揺らいでる人もいる。そういう違いはどういった要因から生まれるのかは確かに興味深い。私自身は政治もさることながら、消費に関わる話題でも分極化・エコーチェンバーがあるかどうかに興味がある。

瀧川さんの発表を聞き、社会学者を中心とした計算社会科学的研究について概観すると、社会を長く研究してきたことからくる問題意識の深さが印象に残る(自分が嗜好を反映したバイアスもあるが)。今後、日本の計算社会科学界でも社会科学の研究者の存在感が増していくことが期待されるが、そのネックはやはり分析スキルにありそうだ。

その意味で欧米の大学に計算社会科学のコースやセンターができつつあるのは羨ましい。学会のチュートリアルなども、日本でもっとあっていいと思う。データサイエンスと重なる部分があるので、データサイエンスの次は計算社会科学がブームになればよいが、「社会科学」という呼称のせいで実務界にはあまりアピールしないかもしれない。

しかし歴史の話やグローバルな地政学が好きな「意識の高い」ビジネスパーソンにとって面白い話題が、計算社会科学の研究にはかなり含まれていると私は思っている。

計算社会科学の第一人者による入門書
(翻訳が進められているとのこと)

Bit by Bit: Social Research in the Digital Age
Matthew J. Salganik
Princeton Univ Pr


瀧川さんの発表内容の一部が収められている最近の本

ソーシャルメディアと公共性: リスク社会のソーシャル・キャピタル
遠藤薫(編著)
東京大学出版会
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