西部邁先生の訃報を聞いて、すぐに本屋に行った。そこで数冊の著書を買ったが、最初に読んだのが『蜃気楼の中へ』である。この本は、1970年代の後半、西部先生がUCバークレー、ケンブリッジ大学で在外研究を行ったときの手記に基づいている。当時『経済セミナー』に連載されており、学生だった自分はリアルタイムに目を通していた。
その数年後、筑波大学で西部氏の集中講義が開講された。『ソシオ・エコノミクス』で一躍有名になった社会経済学者の話を聴こうと、当時4年生の私も受講した。講義のあと毎回開かれる酒席にも参加した(卒業直後にも数回お会いした)。それだけの接点しかないが「謦咳に接する」という経験だったので「先生」と呼ばせていただく。
『蜃気楼の中へ』では、在外研究の滞在先での近隣との交流を描かれている。その観察眼や思索の深さは同じく2年の在外研究を経験した自分の及ぶところではない。いずれにしろこの期間に、その後の西部先生を有名にする保守思想、アメリカや近代への嫌悪が確かなものになったことが窺える。もっともその原点は幼少期の経験にある。
著者の幼少期を含めた、ある意味熾烈で破天荒な人生は、2年前に執筆された『ファシスタたらんとした者』に詳しく述べられている。どちらの本が一般向けかといえば、こちらの書物だろう。一時期並べ称された青木昌彦氏や、東大駒場の同僚に対する評価など、自分を含む凡人たちが抱きがちな「ゴシップ」への好奇心も満足させられる。
40年前に書かれた『ソシオ・エコノミクス』以外では、実は西部先生の著作をほとんど読んでいない。今回改めて新旧の著作を読み、その一貫性に驚くとともに、さらに何冊か読みたくなった。と同時に、西部先生と自分の考えや感覚の大きな溝も確認することになった。凡庸な言い草だが「生きてきた世界」があまりに違いすぎる。
1つだけ、西部先生が当時の講義や評論で語り、近著のなかでも触れられ、自分がずっと気になっている問題を挙げておきたい。社会科学では現象に対して複数の異なるモデルが提供され、それぞれがデータにそこそこ適合することがある(西部先生はそこで消費関数の例を挙げる)。そうした不一致に対してどういう態度をとるべきか。
西部先生が嫌う「専門人」という立場からは、モデルの妥当性について何らかのルールを設けていずれかのモデルを選ぶ、複数のモデルを接合して一般性を主張する、といったことが行われる。それで「唯一の真実」に近づいているといえるのか。往々にして異なる学派の城に立て籠もり、そこでゲームに勝つことに終始するようになる。
西部先生は意味論に基づく一種のメタ分析を提唱されているように思える。それが、社会を合理的に理解できるという近代主義やリベラリズムへの批判とつながっていく。共感できる部分もあるが、(表層的だと思うが)保守主義というにはラディカルな主張のように感じられ、その根拠について疑いの目を向けざるを得ない部分もある。
自分としては、西部先生が批判するマスマン(大量人)の一種としての専門人として、もう少し妥協的な方法をとるしか道はない。その一方で、そもそも社会に対して複数の見え方を生み出す複合体(Complexity)としてのメカニズムがあるのではないか、それは(自分の手には余るが)数理的に解決できるのでは、と妄想したりもする。
その数年後、筑波大学で西部氏の集中講義が開講された。『ソシオ・エコノミクス』で一躍有名になった社会経済学者の話を聴こうと、当時4年生の私も受講した。講義のあと毎回開かれる酒席にも参加した(卒業直後にも数回お会いした)。それだけの接点しかないが「謦咳に接する」という経験だったので「先生」と呼ばせていただく。
蜃気楼の中へ | |
西部邁 | |
中央公論新社 |
『蜃気楼の中へ』では、在外研究の滞在先での近隣との交流を描かれている。その観察眼や思索の深さは同じく2年の在外研究を経験した自分の及ぶところではない。いずれにしろこの期間に、その後の西部先生を有名にする保守思想、アメリカや近代への嫌悪が確かなものになったことが窺える。もっともその原点は幼少期の経験にある。
著者の幼少期を含めた、ある意味熾烈で破天荒な人生は、2年前に執筆された『ファシスタたらんとした者』に詳しく述べられている。どちらの本が一般向けかといえば、こちらの書物だろう。一時期並べ称された青木昌彦氏や、東大駒場の同僚に対する評価など、自分を含む凡人たちが抱きがちな「ゴシップ」への好奇心も満足させられる。
ファシスタたらんとした者 | |
西部邁 | |
中央公論新社 |
40年前に書かれた『ソシオ・エコノミクス』以外では、実は西部先生の著作をほとんど読んでいない。今回改めて新旧の著作を読み、その一貫性に驚くとともに、さらに何冊か読みたくなった。と同時に、西部先生と自分の考えや感覚の大きな溝も確認することになった。凡庸な言い草だが「生きてきた世界」があまりに違いすぎる。
1つだけ、西部先生が当時の講義や評論で語り、近著のなかでも触れられ、自分がずっと気になっている問題を挙げておきたい。社会科学では現象に対して複数の異なるモデルが提供され、それぞれがデータにそこそこ適合することがある(西部先生はそこで消費関数の例を挙げる)。そうした不一致に対してどういう態度をとるべきか。
西部先生が嫌う「専門人」という立場からは、モデルの妥当性について何らかのルールを設けていずれかのモデルを選ぶ、複数のモデルを接合して一般性を主張する、といったことが行われる。それで「唯一の真実」に近づいているといえるのか。往々にして異なる学派の城に立て籠もり、そこでゲームに勝つことに終始するようになる。
西部先生は意味論に基づく一種のメタ分析を提唱されているように思える。それが、社会を合理的に理解できるという近代主義やリベラリズムへの批判とつながっていく。共感できる部分もあるが、(表層的だと思うが)保守主義というにはラディカルな主張のように感じられ、その根拠について疑いの目を向けざるを得ない部分もある。
自分としては、西部先生が批判するマスマン(大量人)の一種としての専門人として、もう少し妥協的な方法をとるしか道はない。その一方で、そもそも社会に対して複数の見え方を生み出す複合体(Complexity)としてのメカニズムがあるのではないか、それは(自分の手には余るが)数理的に解決できるのでは、と妄想したりもする。