東京財団で開かれた VCASI 公開研究会を聴講した。テーマは「社会のルールについてV: 社会と個人の相互性への実験的アプローチ」。プログラムは以下の通り:
青木昌彦(比較制度分析/VCASI、Stanford大学)
「社会のルールに関して、何故、どのように、超学際的なアプローチが必要か?」
山岸俊男(社会心理学、実験社会科学/北海道大学)
「ニッチ構築としての文化」
金子守(ゲーム理論、論理学/筑波大学)
「帰納的ゲーム理論とその実験」
藤井直敬(神経科学/理化学研究所)
「多次元情報への神経科学的挑戦」
このメンバーの豪華さについては,ぼくがいまさら何かいう必要はないだろう。そして,そこで交わされた刺激的な議論について,それをまとめる時間も能力もぼくにはない(上述の研究所から近くレポートが出るとのこと)。とりあえず,テーマである「社会のルール」について,主宰者の青木昌彦氏が冒頭で語った定義を記しておこう:
ソーシャルメディアが注目を浴びるマーケティングにとって,「社会」という概念は改めてより深く考えるべきものになっている。上述の研究からインスパイアされたことを含め,ぼく自身の「社会」に関する議論は後日また(これまた,いつのことやら・・・)。
青木昌彦(比較制度分析/VCASI、Stanford大学)
「社会のルールに関して、何故、どのように、超学際的なアプローチが必要か?」
山岸俊男(社会心理学、実験社会科学/北海道大学)
「ニッチ構築としての文化」
金子守(ゲーム理論、論理学/筑波大学)
「帰納的ゲーム理論とその実験」
藤井直敬(神経科学/理化学研究所)
「多次元情報への神経科学的挑戦」
このメンバーの豪華さについては,ぼくがいまさら何かいう必要はないだろう。そして,そこで交わされた刺激的な議論について,それをまとめる時間も能力もぼくにはない(上述の研究所から近くレポートが出るとのこと)。とりあえず,テーマである「社会のルール」について,主宰者の青木昌彦氏が冒頭で語った定義を記しておこう:
SOCIETAL RULES: Commonly-cognized, salient features of the ways by which the societal game is recursively played and expected to be played.このなかで重要なのは commonly-congnized(共通に認識されている)という部分。この定義にしたがえば「やっぱいま買うなら walkman じゃなく iPod じゃね?」というのも,ある範囲では社会的ルールになる。ただし,それは公的領域と私的領域の間の,ゆるい意味で社会的な,複雑で多義的であるがゆえに面白い現象なのである。
ソーシャルメディアが注目を浴びるマーケティングにとって,「社会」という概念は改めてより深く考えるべきものになっている。上述の研究からインスパイアされたことを含め,ぼく自身の「社会」に関する議論は後日また(これまた,いつのことやら・・・)。