Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

社会的ルールとしての消費

2010-03-31 23:18:05 | Weblog
東京財団で開かれた VCASI 公開研究会を聴講した。テーマは「社会のルールについてV: 社会と個人の相互性への実験的アプローチ」。プログラムは以下の通り:

青木昌彦(比較制度分析/VCASI、Stanford大学)
「社会のルールに関して、何故、どのように、超学際的なアプローチが必要か?」
山岸俊男(社会心理学、実験社会科学/北海道大学)
「ニッチ構築としての文化」
金子守(ゲーム理論、論理学/筑波大学)
「帰納的ゲーム理論とその実験」
藤井直敬(神経科学/理化学研究所)
「多次元情報への神経科学的挑戦」

このメンバーの豪華さについては,ぼくがいまさら何かいう必要はないだろう。そして,そこで交わされた刺激的な議論について,それをまとめる時間も能力もぼくにはない(上述の研究所から近くレポートが出るとのこと)。とりあえず,テーマである「社会のルール」について,主宰者の青木昌彦氏が冒頭で語った定義を記しておこう:
SOCIETAL RULES: Commonly-cognized, salient features of the ways by which the societal game is recursively played and expected to be played.
このなかで重要なのは commonly-congnized(共通に認識されている)という部分。この定義にしたがえば「やっぱいま買うなら walkman じゃなく iPod じゃね?」というのも,ある範囲では社会的ルールになる。ただし,それは公的領域と私的領域の間の,ゆるい意味で社会的な,複雑で多義的であるがゆえに面白い現象なのである。

ソーシャルメディアが注目を浴びるマーケティングにとって,「社会」という概念は改めてより深く考えるべきものになっている。上述の研究からインスパイアされたことを含め,ぼく自身の「社会」に関する議論は後日また(これまた,いつのことやら・・・)。
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カープ「失敗の本質」研究

2010-03-31 00:34:10 | Weblog
昨夜午後7時から,二宮清純氏が主催する東京カープ会に友人とともに参加した。今年は第6回になるが,ぼくは初参加である。ゲストは元カープの川口和久氏,小早川毅彦氏のほか,広島でカープに関する報道や出版に関わってこられた田辺一球氏,上田哲之氏である。最初はやはり,個々の選手が今年,どれだけ活躍しそうか,という話になる。抑え投手をどうする,外人選手をどうする,ショートはどうする,野村新監督の采配はどうか,などなど。しかし,議論が進むにつれ,問題はもっと深いところにあることがわかってきた。

広島カープは優勝どころか,リーグAクラスからも長く遠ざかっている。今回のゲスト,川口,小早川両氏の現役時代にはつねに優勝争いをするチームだったし,赤ヘル旋風,江夏の21球といった数々の神話も持っている。そのチームがここまで弱くなったのは,お金持ちの球団のように大型補強ができないから,というのが昨年までの言い訳だった。しかし,巨人で育成枠出身の選手が活躍するようになると,その言い訳は通用しなくなった(育成枠に多く選手を抱えるのにもカネがかかる,という新たな言い訳もあるわけだが・・・)。

カープはなぜ二軍まで弱いのか,ドラフト上位で獲得した選手がなぜ活躍していないのか,という二宮氏の問いに,小早川氏は各選手の個別能力は必ずしも劣っていないものの,それを総合的に発揮する力に欠けている,という趣旨のことを述べた。田辺氏は取材した経験から,期待されて入団した選手の飛距離が,二軍で時間を過ごすにつれ短くなっていると証言する。川口氏は,強い時代に比べた練習量の減少や,怖いコーチやベテラン選手の不在などを指摘する。そうした文化の断絶がいつのまにか起きてしまったと。

このような選手の問題は,おそらくどの球団にもある。カープでその傾向が顕著だとしたら,スカウティングや育成のどこかに問題があることになる。カープは地方の貧乏球団でありながら,エリートではないが野性的な選手たちを擁して毎年のように優勝を争うチームになった。そうした偉大な成功経験がむしろ災いしているのか,いつのまにか弱小チームとしての位置に安住するようになった。一方で,大企業がスポンサーになっているとはいえ,パリーグでは地元で圧倒的な人気を持つ地方球団が増え,注目される選手もが増えている。

地方が活性化する。弱いものが強くなる。小が大を食う。雑草がエスタブリッシュメントを打ち破る。そうしたダイナミズムが,いまほど求められている時期はない。カープがなぜ衰退し低迷したままなのかを分析し,そこから抜け出す方途を探ることは,一地方球団のファンの願いを超えて,もっと大きなポテンシャルを秘めていると思う。そのために使える戦略,組織や人事の管理,マーケティング,研究開発,管理会計やファイナンス等々の方法を見出すことで,全体として衰退しがちの日本経済を活性化できるのではないか。

もはや幻想を持つべきではない。偶然が積み重なり,神風が吹いてカープが優勝するなどと夢見てはならない。それは問題の解決を遅らせるだけだ。なぜだめになったのか,どこに誤りがあったかを徹底的に洗い出す。そういう身を切るような作業を通じて,厳しい資源制約のもとで能力を極限まで高めて戦わなくてはならない組織の生きる道が見えてくる。それは誰が悪いとか,誰を代えろとかいう単純な犯人探しではなく,もっと普遍性を持つ問題だ。たとえば,以下のような共同研究のようなことができないだろうか。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

戸部 良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎,
中央公論社


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ただし,方法論は少し異なってくるかもしれない。野球の世界は,実は数字に満ちている。試合のスコアや選手の成績を計量分析する「セイバーメトリクス」が注目を集めているが,そこに球団の財務状態や観客動員数のような経営数字も加え,まずは外形的な事実をつかんだうえで,内に潜む問題を探っていくのがよい戦略だと思う。

メジャーリーグの数理科学〈上〉 (シュプリンガー数学リーディングス)

J. アルバート,J. ベネット,後藤 寿彦,
シュプリンガーフェアラーク東京


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メジャーリーグの数理科学〈下〉 (シュプリンガー数学リーディングス)

J. アルバート,J. ベネット,後藤 寿彦,
シュプリンガーフェアラーク東京


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進化ゲームはマーケティングに使えるか

2010-03-30 17:29:12 | Weblog
昨日の午後,田町のキャンパス・イノベーションセンター東京で開かれた「知識ベースシステム研究会」(SIG-KBS) を聴講。進化ゲーム理論の研究動向を学ぶ。ぼくが聴講した発表は以下の4つである:

吉川満 (明治大学): 実証分析のための進化ゲーム理論
岩田学,秋山英三 (筑波大学): 異なる戦略が混在する集団における,相手の協力度を考慮する戦略の進化
米納弘渡,秋山英三 (筑波大学): マルチレベル選択モデルにおける集団の分裂条件の変化による影響
大浦宏邦 (帝京大学): 弱い集団選択によるサンクションの進化

最後の発表は招待講演である。進化ゲーム理論に関して以下の本格的なテキストを著された方だ:

社会科学者のための進化ゲーム理論―基礎から応用まで,
大浦 宏邦,
勁草書房


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さて,進化ゲーム理論は社会において協力行動が生じるのはなぜかを,個人に強い合理性を仮定することなく説明してきた。では,マーケティングや消費者行動にも適用できるだろうか。協力とか社会秩序の形成という点では,企業行動への適用が考えられる。ただ,多くの市場は寡占的なので,従来の進化ゲーム理論の設定があてはまるかどうか。ファッションのような同調行動はどうだろう。そこに裏切りへの誘惑のような,社会ジレンマを起こす利得構造があるだろうか。そう考えると,進化ゲームの既存モデルをほとんどそのまま転用すればよい,というわけではなさそうだ。

進化論的な論理に適しているのは,長期にわたって安定的に観察される行動パタンである。そこで,以前ルディー和子さんの新著『売り方は類人猿が知っている』に対するコメントで書いたように,個々の消費者行動の根底に潜む認知バイアスや感情の分析に進化ゲームを使うのが有望だと思う。消費者の行動パタンに進化心理学的な解釈を試みることは,しばしばよくできた寓話で終わっている。進化ゲームを適用することで,少しは厳密性が増すだろう。それは単に研究として面白い以上に,実務家に洞察を与える研究になるだろうか。意外とその可能性はあると推測している。
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進化経済学会@四天王寺大学

2010-03-28 23:29:19 | Weblog
大阪は四天王寺大学で開かれた進化経済学会に参加。この大学のサイトによれば,そのルーツは 593年に聖徳太子が開いた四天王寺敬田院まで遡るという。ある意味,日本最古の大学かもしれない。天王寺から近鉄で藤井寺に行き,そこからバスに乗る。そのまま電車に乗っていくと河内長野へ。大阪のディープゾーンがそこにあると想像する。会場の受付には富田林市のグッズがたくさん置いてあったので,ここは富田林市かと思っていたが,本当は羽曳野市だった。じゃあ,あのコーナーは何だったのだろう・・・。

時間の読みを誤って遅刻。井庭崇さん(慶応大学)の「創造システム理論の構想」を途中から聴くことになった。ルーマン他のシステム理論を超えるものとして,創造システムが構想される。そうした理論上の成果について,ぼくに評価する力はない。ただ,創造という行為をできる限り一般化して捉えようという試みは面白い。あとで伺ったところでは,コラボレーションの研究の発展として,この研究があるという。ぼく自身が関わる,クリエイターインタビューが目指すものと,どこか通じるものがあると思った。

夕方から「産業・企業組織の進化」セッション。冒頭,藤本隆宏先生が最近のトヨタをめぐる問題に言及しながら,この部会の趣旨について語る。産業と企業というメゾレベルの単位は,経済学と経営学がともに研究対象とする領域だ。しかし,経営学が特別なのは,その下位にある「現場」「フィールド」を扱う点にあるという。これは,東大経営学の中心命題といってよいだろう。マーケティングでもそうした研究戦略はあり得るだろうか・・・マーケティングにおける現場とは何であるべきかと自問してみる。

次いで丹沢安治先生,久保友一さん(いずれも中央大学),稲水伸行さん,福澤光啓さん,鈴木信貴さん(東京大学)が次々と企業や産業に関する実証研究を発表。共通のキーワードは「ケイパビリティ」「アーキテクチャー」等々である。そうした概念の1つの源がネルソン-ウィンターだと聞くと,修士課程の頃,感動して読んだことをなつかしく思い出す。彼らの研究は,エージェントベース・モデリング(ABM)の原型になった。しかし,その後彼らは,ABM よりは記述的な実証研究に重点を移していった。

経済変動の進化理論

リチャード R.ネルソン,シドニー G.ウィンター,
慶應義塾大学出版会


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このセッションの発表者のうち,稲水さんは ABM の使い手だし,藤本先生も現在「兎と亀」の競争の ABM に取り組んでいるという。つまり,事例研究と ABM の間には親和性があるようだ。他の社会科学と同様,経営研究は多くの場合,稀少事例に基づいた研究を迫られる。そこから,事例研究を通じて統計学的にはあり得ない一般化を行う。そのことと ABM は,素朴な経験主義を超えるという点で共通している。そうだとすると,ぼくに欠けているのは,濃厚な事例研究を行う能力と意欲かもしれない。

経営研究であれ消費者研究であれ,十分な規模のデータが得られることもある。その場合,正しい統計学的手続きにしたがって分析するのは当然だが,その分析結果をどこまで時間や空間を超えて普遍化していいのだろうか。社会科学における計量研究の多くは,それにどこまで一般性・再現性があるかを検証せず,一般性のある命題のごとく解釈していないだろうか。だとしたら,それはデータを用いつつも,個別的な現象しか分析していないという意味において事例研究と本質的に変わらないのではないか。

さまざまな発表を聞きながら,いろいろ考えさせられた。自分がぎりぎり理解できる(つまり正確にはかなり理解できない)範囲で,ふだん自分が過ごす世界とは異質な場所に身を置くことは,刺激に富んでいる。たとえぼくが,産業とか企業とか組織とか,あるいは生産の現場とかにほとんど関心を持たないとしても。おかげで月末に期限の迫った論文の作業は犠牲になってしまったが・・・。
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「創造的福祉経済」というコンセプト

2010-03-25 10:40:10 | Weblog
岩波書店の『科学』3月号は「幸福の感じ方・測り方」を特集している。心理学,医学,神経科学,社会科学等の専門家が幸福感の測定やその心理学的・生理学的根拠を論じている。冒頭の大石繁宏(ヴァージニア大学)「幸せを科学することは可能か?」,北山忍(ミシガン大学)「洋の東西で幸福感にどのような違いがあるか」という2つの論文は,幸福感の心理測定の現状を概観している。お二人とも在米の心理学研究者だ。日本ではこの種の研究はさかんではないのだろうか?

科学 2010年 03月号,

岩波書店


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他にも興味深い論考が並ぶ。個人的関心でいえば,神経科学的観点から社会性と幸福の関係を論じた藤井直敬(理化学研究所)「ヒトとヒトがつながるしあわせ」,社会疫学の観点から幸福感の実証研究を紹介した近藤克則(日本福祉大学)「幸福・健康の社会的決定要因」が気になった。広井良典(千葉大学)「幸福と人間・社会」は前半で既存の幸福研究を整理したあと,後半には,フロリダ『クリエイティブ資本論』と関係づける。ここで,ぼくにとって,がぜん面白くなった。

クリエイティブクラスは内発的動機づけやコミュニティを重視するというフロリダの議論に,広井氏は着目する。こうした特徴は,これまでの幸福研究の成果と符合している。ただし,そこに重要なギャップがあることも広井氏は指摘する。それは,フロリダの議論に再分配,平等の観点が欠けているということだ。そこを埋めることができれば,社会的な幸福と個人の創造性追求が車の両輪となる経済が実現する。広井氏はこれを「創造的定常経済」あるいは「創造的福祉経済」と名づける。

広井氏がその例として挙げるのがフィンランドだ。欧州の多くの国では大学の学費は無料だが,フィンランドではさらに,大学生に1月最大811ユーロの勉学手当を支給しているという。あるいは「考える力」や高齢者の知恵を重視する教育に力を注いでいる。こうしてフィンランドは教育水準を向上させ,それが産業の競争力の強化につながったという話を聞くと,かつてさんざん聞かされた,北欧型の高福祉国家は経済を衰退させるという話はどこへ行ったのかといいたくなる。

創造的福祉経済ということばは美しいし,1つの理想像であるとは思うが,フロリダのクリエイティブクラス論に立ち返ると,疑問も生じてくる。フロリダの議論では,クリエイティブクラスは競争を好み,実力主義の傾向が強い。この比較的所得の高い人々は,たとえば重い累進課税によって,福祉のため再分配する政策に賛成するだろうか?彼らの多くは「小さな政府」を好むのではないだろうか?そのどちらの可能性も否定できない。このあたり,非常に意味のある論点だ。

というわけで,広井良典氏の「創造的福祉経済」というコンセプト,興味深いので記憶にとどめておきたい。そして,早くクリエイティブライフの研究にもっと時間を割けるようになる日が来ないかなと・・・。

クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭
リチャード・フロリダ
ダイヤモンド社

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「激震マスメディア」を見て思ったこと

2010-03-24 09:41:11 | Weblog
月曜の夜にNHKで放映された「激震マスメディア」は,同時並行的に Twitter で盛り上がり(もっともぼくのフォローしている特殊な範囲?),Ustream で「5賢人」によるツッコミが中継されたり,少なくともネットユーザの間では盛り上がりを見せた。全体の印象は,WWW.さとなお.comのコメントに尽きている。つまり,マスメディアを代表する,功成り名を遂げた出演者に対してどうしても感じてしまう残念な感じ。さとなお氏のことばを借りれば,
嗚呼、がんばって成功体験を積み重ねれば積み重ねるほど、過去の成功にがんじがらめになって時代に遅れていくのだなぁ。変化に対応できなくなるのだなぁ。成功体験をどんどん捨てて、次々転身(転進)していくことが必要なのだなぁ。そうでないと知らず知らずに老害的になっていくのだなぁ。とか、テレビを見ながらしみじみ考えてしまった。
・・・なんてことを,広告会社のふつうの社員は書けないよなぁ,とつまらないことをつい考えてしまう。

この番組では,討論に先立って日米のメディア最新事情がいろいろと紹介される。岡田外相の記者会見にニコ動の中継が入っていることが紹介されたが,その前提として記者会見がフルオープンとされたことに触れていたのは,それなりに評価していいのではないか(記者クラブ問題に言及していなかったとしても)。日本のネットジャーナリズムは未熟だという議論がある一方,「ダダ漏れ」的な新しい報道はむしろネットの新たな可能性を示している。

ドワンゴの川上会長が語っていたように,こうした中継を見た人々は,実際に現場で起きていることと新聞記事やテレビニュースで報じられていることの違いに気づくことになる。これまでメディアが一方的に,かつ特定の方向で与えていた解釈に疑問が生じてくる。ネット上にはもっと多様な(玉石混淆の)解釈が流布している。自分もまた,独自の解釈を流布することができる。そうなると,メディアに期待するのは素材としての情報だけになる。

たとえば「激動マスメディア」という番組にしても,メディアの最前線で何が起きているかだけ紹介してくれれば,あとはこちらで考えるので十分だという気がしないでもない。もちろん,多様な有識者から異なる見方を聞くことは有益だが,それならむしろ少数精鋭の論客で討論してもらいたい。順繰りに各自の立場を述べて終わり,というパタンは学会のパネルディスカッションなどでもよくあるが,議論を通じて化学変化が起きることはまずない。

どんな問題にも通じている人はいないので,何がしか他人の解釈に依存せざるを得ない。この点はこれからも変わらない。しかし,これまではせいぜい朝日新聞と読売新聞の論調の違いの範囲で解釈を選ぶしかなかったのが,これからはもっと多様で個性的な解釈を選べるようになる。これらを自由に組み合わせて,自分の見解を形成していく。よくいわれるように編集権・編成権が人々の側に移りつつあるということだ。それは市場化といってもよい。

実際,自分が取材を受けた経験のある人は,自分の意図とはいかに違う内容のものが記事になるかを知っている。自分の専門分野について,メディアでいかに誤った報道がされているか気づいている人も多いはずだ。だが,自分がよく知らない分野となると,報道をそのまま信じてしまう。しかし,前述の自分の経験と照らせば,報道の信憑性についてもっと批判的な態度になっていいはずだ。そうならないのは,人間は基本的に信じやすい存在だからなのか・・・。

では,これからは各分野の専門家たちの意見を直接収集して,各自がそれを編集していけばよいかというと,そう単純な話にはならない。同じイシューについて専門家間で意見が分かれることはよくあることだ。専門をわかりやすく解説できる専門家が増えているといっても限度はある。専門バカはやはり存在する。したがって,ジャーナリストの存在意義があることは事実なのだが,問題は,彼らが従来型のメディア組織に編成されている必要があるかだろう。

番組の冒頭,ジャーナリストの佐々木俊尚氏は,メディアの「激震」は結局のところ,需給の変化によって起きたのだと指摘した。つまり,「市場」がすべて決めるといってよい。また,社会学者の遠藤薫氏は,政権交代のあとに「メディア交代」が起きていると述べていた。その背景には「民意」がある。消費者にできることは,ただし,提供された代替案のなかから,何かを選ぶことだけしかない。それを生み出すイノベーションは,試行錯誤からしか生まれてこない。

だから,いまの段階で,これからのメディアの生態系を予測することは誰にもできない。いま,多くの人々が競いながらそれを作っているところであり,そのあと消費者がどういう選択を示すかは,そのときにならないとわからないだろう。

いずれにしても,放送より3日も経ってブログに感想を書くのは,インターネット時間的にはあり得ないことかもしれないなぁ・・・
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OR は鳩山首相を救うか Part 2

2010-03-20 09:35:05 | Weblog
昨年10月に,「OR は鳩山首相を救うか」というエントリを書いた。普天間基地の問題を,鳩山首相がかつて専攻していたオペレーションズ・リサーチ(OR)は解決できるだろうかという疑問を,同じように抱いた人がいたようで,以下のようなムックが発売されている。

エコノミスト増刊
OR(オペレーションズリサーチ)大研究~鳩山首相が愛した問題解決学~,
2010年 3/15号,


毎日新聞社,


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このなかで,普天間問題に AHP(Analytical Hierarchy Process,階層分析法)を適用している記事がある。評価基準として「日米関係」「財政負担」「地元の民意」「環境」,代替案として「現状維持」「グアム一部移設」「辺野古崎移設」(=従来の日米合意),「県外移設」を設定。あとは評価基準の重みづけと,各評価基準のもとでの代替案の評価を行なう。

編集部が与えた評価に基づけば「グアム一部移設」がベストで「辺野古崎移設」がセカンドベストという結果になった(ただし,その総合得点での差は小さい)。評価基準との関係を見ると,「地元の民意」を重視すると「グアム一部移設」,「日米関係」を考えると「辺野古崎移設」になることがわかる。つまり,代替案の選択は,評価基準の比較の問題に帰結する。

この手法は,当然いくつかの前提に立っている。1つは,評価基準間にトレードオフの関係があること。つまり「日米関係」のためには「地元の民意」を犠牲にできる(あるいはその逆)という前提。2つ目は,「米国」や「地元」といった,それ自体意思決定する主体の反応を静的に見ていること。こうした制約のもとでの結果であることに留意する必要がある。

こうした分析は,むしろ現行の代替案の問題を明らかにしていると解することもできる。たとえば「グアム一部移設」と「辺野古崎移設」では,お互い対立する評価基準に一方に依拠しすぎる。したがって,もっとその間の妥協案を模索すべきかもしれない。もちろん,評価基準の間でトレードオフが許容される・・・つまり「痛み分け」が可能という前提の話だが。

このムックでは,OR の基礎や応用,最先端の動向が各分野の第一人者によって語られている。OR が活用されるべき課題はまだまだたくさんある。ただ,マーケティングサイエンスが OR を母体に誕生しながら,最近ではほとんどそこから脱して,応用ミクロ計量経済学になりつつある現状を見ていると,OR に何らかの限界があったことを思わざるを得ない。

そういう意味で,本書での,渋滞学の創始者である西成活裕氏による発言が注目される。すなわち,西成氏は待ち行列における実際の人間行動の多様性を指摘したあと,「OR は、そういう人間的な要素をほとんど取り入れていません」「逆に、そういう人間的な要素を排除したために、数学的にはきれいに解くことができたわけです」と述べている。

そういえば,前の職場には OR の研究者が何人もおり,事実記述的な研究には否定的な雰囲気があった。自分たちのモデルを人間行動の実態に近づけることへの関心は,経済学者ほどにもないように見えた。現実の問題を扱う場合でも,人間はブラックボックスとして扱い,その内部のメカニズムについて関心を示すことはほとんどなかったといってよい。

もちろん,そうした人々ばかりではないだろう。OR が活用されている金融工学では、一方で行動ファイナンスの研究がさかんになっている。経済学者ほど合理性の仮定にこだわらない OR の研究者なら、そうした成果を取り入れやすいかもしれない。こうした生きた人間の行動が重要な分野では,数学的美より人間へのより深い愛が必要になるだろう。

いずれまた,マーケティングでも OR が活用される時代が来るだろうか?そうなるとしたら,人間の心理や行動の実態を深く織り込んだ,次世代の OR が登場することが条件となる。しかし,それをもはや OR とは呼ばないかもしれない。
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ロングテールからフリー・・・旅は続く

2010-03-18 23:43:16 | Weblog
今日は浜松町で湯川鶴章さんの講演を聴いた。以下の著書が出たのは2年前だが,いまだに売れ続けているという。この講演は,この本のフレームワークを敷衍しつつ,最近の重要な動向として「ソーシャルメディアマーケティング」に言及するという流れで進む。湯川氏はインターネットのインパクトを端的に表す例として,ブリタニカ→エンカルタ→ウィキペディアという変遷を挙げる。まずデジタル化が起きるが,それは次にソーシャルメディアに取って代わられると。

次世代マーケティングプラットフォーム 広告とマスメディアの地位を奪うもの,
湯川 鶴章,
ソフトバンククリエイティブ


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それは「図書館」から「パーティ会場」へのシフトだという喩えは秀逸だ。パーティ会場で大きな声を上げても,目立つのは最初だけ。価値ある情報を提供し続けなくては誰も耳を傾けない。さらに,聞き上手であることも大切だ。Twitter を始めとするソーシャルメディアは,情報伝達という観点から見るとさほど効果的ではない。しかし顧客との対話,関係の形成と見るべきだという主張に共感を覚える。その指標化も含め,研究者が貢献すべき課題はたくさんある。

その前の福島常浩さんの講演も,ウェブとリアルの小売業での「ロングテール」を比較した興味深い内容だった。アイテム分布のテール(売上が少ないニッチ型アイテム)は顧客分布のヘッド(売上が大きい優良顧客)によって支えられるというぼくの仮説を,某オンライン小売業で検証したところ,逆であったという。つまり,優良顧客ほど売れ筋アイテムを買っていると。この結果は,ぼくがさる業界のデータを分析して得ている感触とはちがう。

どうしてそういう違いが生まれるのか,福島さんと立ち話した範囲でも,面白い仮説を伺うことができた。中断しているロングテールのデータ分析に早く戻らなくては・・・ただし,目前に締め切りの迫ったいくつかの仕事を片付けなくてはならない。それはともかく,ロングテールといえばクリス・アンダーソン。最近の彼が著した『フリー』もまた大いに話題になった。もはや先週号になってしまったが,週刊ダイヤモンド 3/13 号がなかなか充実した特集を組んでいる。

週刊 ダイヤモンド 2010年 3/13号,

ダイヤモンド社,


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この特集は,アンダーソンが提唱する「無料」戦略をわかりやすく伝えるため,日本の事例をふんだんに盛り込んでいる。たとえば日本発の無料配布用アイテムであるポケットティッシュ(米国進出の動きがあるという)など。多くの実例があるということは,すでにあちこちで指摘されているように,無料戦略自体は昔からいろいろな形で行なわれてきて,何も新しいことではない,ということだ。ただ,それらを概念的に整理した点に,アンダーソンの貢献があるのだろう。

さらに,講談社の月刊誌の g2 もまた「フリー」の特集を組んでいる。こちらは,無料戦略のみならず,Kindle や iPad が切り開くかもしれない電子書籍の可能性にも光を当て,さまざまな有識者や利害関係者へのインタビュー結果を紹介している。やや見当外れの発言を含め,百家争鳴状態であることがよくわかる。どうせ来る変化をあと延ばしにするより,先取りすることが大事なはずだが・・・。ダイヤモンドにもアンダーソンへのインタビューは載っているが,g2 のほうがやや詳しい。

G2 vol.3,

講談社,


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ロングテールの場合もそうだったが,元々の主張が単純化されるだけでなく,歪曲して流されているおそれがあるので,大元の著作を読むべきだが,いまのところ,そうした時間を見出せないでいる。前著『ロングテール』ほどのインパクトはないという予感はするが,その予想がいい意味で裏切られてほしい。

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略,
クリス・アンダーソン,
日本放送出版協会,


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WI2研究会@阪大中之島センター

2010-03-16 23:01:58 | Weblog
月~火と,大阪大学中之島センターで開かれた電子通信学会「Webインテリジェンスとインタラクション研究会」(WI2)を聴講した。その目的は, twitter に関する情報工学的研究の最先端を知ることだ。この研究会で twitter を扱った発表は全体の3分の1を占める。そのタイトルを列挙すると以下の通りである(著者名は省略)。

01. Twitterにおける人工無脳とのインタラクション
02. 書き手の属性を考慮したTwitterにおける注目トピック検出手法の提案
03. USTREAM 中継されたカンファレンスに関連した Twitter 発言の分析
04. Twitterハッシュタグに基づくTweet群からの変化抽出
05. リンクを含むつぶやきを中心としたTwitterの分析
06. Twitterにおける情報伝播経路の抽出法
07. Twitterがもたらす報道機関への影響
08. 影響伝播モデルIDMの線形代数表現とTwitter分析への応用
09. Breaking News Detection in Twitter
10. 既存コミュニケーション基盤を前提としたグローバルセンサデータマイグレーション
11. 街に着目したTwitterメッセージの自動収集と分析システムの提案と試作

全体的な印象として,twitter に関する研究の多くはまだ萌芽的な段階にあるように思えた。いくつかの報告は,事例研究に近いものであったが,それは現時点では必要な作業だろう。なぜなら,いま twitter を誰がどう使っているのか,ほとんどわかっていないからだ。この学会では,リアルタイムで twitter 上にコメントがアップされていた。しかし,こうしたヘビーユーザは,世間ではごく稀な存在なのだ。

ルディー和子さんは,ブログで「Twitter(ツイッター)はクチコミ媒体ではない」と指摘している。米国での調査結果によれば「ツイッターのユーザーは、じつは、それほどソーシャル(社交的・・人が互いに交わる)ではない」「1対1の双方向コミュニケーション・ネットワークというよりは、1対多数の一方通行の発信サービスである」という。つまり,マーケティング的にはマスメディアに近い存在だと。

これは現状認識としてはほぼ正しいと思う。ただ,twitter をめぐる現実は激しく動いている。ぼくも最初の数ヶ月は,数人の友人と有名人をフォローしているだけであったが,いまは1日に数件 tweet あるいは retweet (RT) するようになった。双方向の会話は今後もそう多くは起きないとしても,RT による情報拡散は無視できない影響を持つのではないだろうか。

ではその影響をどう測るのか。松村さん(阪大)は,Reply や RT に IDM (Influence Diffusion Model) を適用し,ことばを単位として影響伝播を分析している。twitter 上での影響を明示的に知ろうとしたら,確かにそこしかない。twitter が面白いのは,それを両者のフォロワーが見ていることだが,彼らが最低でも次に何かをつぶやいてくれないと,効果を推測できない。

twitter は導入期から成長期に入りかけたにすぎず,個別事例を超えて一般化することはまだ難しい。他方,SNS はかなりのレベルまで普及したために,研究は一般化の方向に向かっている。そのことは,本研究会の招待講演の1つであった,鳥海さん(名大),和泉さん(産総研)による「大量 SNS サイトの構造と成長分析」という報告が如実に示している。

最後に言及した2つの研究は「消費者行動のダイナミクス研究会」で4~5月にご発表いただく予定だ。「双方向的に」研究を伺う機会が来るのが待ち遠しい。
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内閣支持率のダイナミクス

2010-03-15 22:11:15 | Weblog
surveyml の管理人・萩原雅之氏の昨日のつぶやきでも引用されていた「鳩山内閣:支持率続落43%…不支持が逆転 本社世論調査」に掲載されたグラフが大変興味深い。そこには,細川,小泉,安倍,福田,鳩山の各内閣で,発足後6ヶ月に内閣支持率(毎日新聞社の世論調査)がどう推移したかが描かれている。それを眺めることで,次のような傾向を読み取ることができる:
1)小泉内閣を除き,最初の6ヶ月に,最初は高い内閣支持率が急激に下落していく。
2)この下落はある水準で底を打つ(ゼロになることはない)。
こうした非線形の変化で思いつくのが,指数曲線のあてはめだ。マーケティングサイエンスでは,映画の観客動員数の時間的推移や,製品の購買間隔のモデル化に使われることがある。初期の支持者がいずれ不支持に回る確率は政権発足後に最も高く,その後逓減していくとしたら,このモデルがあてはまる(細かく見ると初期の低下は直線的なので,微妙に違う感じもするが・・・)。
3)内閣支持率の初期値は,小泉~麻生内閣に至る過程で段階的に低下した。
4)鳩山内閣で初期値は再び上昇したが,下落の傾きはほぼ同じである。
鳩山内閣の支持率が一定の下限を持つ指数曲線にしたがうとして,その下限がどこかはまだ見えていない。なぜなら,支持率の動きに下げ止まり感が見られないからだ。毎日新聞社の世論調査の数字を見る限り,現段階では,安倍~麻生内閣の政権発足6ヶ月後の水準よりは上である。ただし,それに近づいているのは確かで,決して安泰な状態ではない。

数ヶ月間支持率が低落したのに,急に再上昇したのが細川内閣である。これは,与野党が合意して選挙制度内閣を成し遂げたからである。だが,まもなく細川首相は辞任する。1つの背景に,高くなった支持率を背景に唐突に国民福祉税構想を打ち出すなどして,連立にヒビが入ったことが指摘されている。支持率が上がれば何でもうまくいくわけではないのが政治の恐ろしいところだ。

さて,このグラフを見て驚くのが,小泉内閣の支持率が最初の半年,80% 台で高止まりしていることだ。これは最近にないことだが,このグラフの時間軸をあと数ヶ月先に延ばすと,話は変わる。田中眞紀子外相の解任を機に,小泉内閣の支持率は一気に低下する。このあたりのデータを,本来は同じ毎日の調査で見るべきだが,ネットでは時事通信社の世論調査しか見つからなかった。
時事世論調査に見る小泉内閣の特徴
毎日の数字と少し違うが,最初の半年間で 70% 前後の水準にあった支持率が,40% になる。その後,小泉首相が北朝鮮を電撃訪問するなど,サプライズによって一時的に支持率を浮揚させたが,それでもせいぜい 50% どまり。放っておくと 40% あたりに低下する。こうした状態が続いたあと,2005年の郵政選挙で大勝するが,それでも内閣支持率は数ヶ月間 50% を超えただけであった。
最近の時事世論調査における・・・内閣支持率
つまり,長期政権となった小泉内閣にしても,支持率は基本的に 40~50% に留まっていた。もちろんこれが容易でないことは,他の多くの政権の事例が示している。どこまで意図されたことかわからないが,北朝鮮訪問,郵政民営化といった切り札を,適切なタイミングで切ってきた。それによって支持率を少し回復させることで,長期間安定した支持率を維持できたのだろう。

これは,パルシング(pulsing)といわれる広告出稿パタンと似ている。つまり,コンスタントに刺激するのではなく,間欠的に刺激することで,効果を一定の水準に保つという考え方だ。鳩山政権の場合,発足早々あまりに多くのことに着手しすぎたかもしれない。過大な期待は失望に変わりやすい。つまり,期待のマネジメントに失敗したといえなくないか・・・。

期待と失望,緊張とやすらぎを適切に交錯させる技術は,音楽にもドラマにもあるはずだ。オペラを愛するという小泉元首相は,それを自然と身につけていたのかもしれない。蛇足だが「小泉劇場」が成功した背景に,それに相応しい「異形の」出演者たちの存在があったことも見逃せない。以下のルポルタージュに描かれた小泉純一郎氏を取り巻く人々,特に飯島秘書官の物語は凄まじい。

小泉政権―非情の歳月 (文春文庫),
佐野 眞一,
文藝春秋,


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堀義人氏の「ツイッター7つの仮説」

2010-03-14 23:30:55 | Weblog
ひょんなことから,グロービス・グループ代表の堀義人氏のブログに,「ツイッター7つの仮説」という興味深い投稿があるのを発見。ちなみに今年の2月15日に投稿されている。これを参照枠として,自分の考えを書き残しておこう。
仮説1:ITの進化に伴い、議論の質が下がる。
いきなり難しい問題だ。「議論の質」をどう考えるか・・・という以前に,ぼくにはインターネット以前のパソコン通信時代について経験がないので,何ともいえない。そもそも twitter は議論用のメディアではない,という意見をよく聞くし,堀氏もそう述べている。
仮説2:一方では、訴求力・リアルタイム性が抜群に上がる。ツイッター(SNS)、ブログ、動画などの組み合わせにより、よりパワフルな発信力を個人が持つようになる。
それは間違いない。と同時に,大半のユーザはフォロワーが10人以下という調査を最近見た覚えがある(ちゃんとブックマークしておけばよかった・・・)。ということで,フォロワー数の分布はベキ分布になるだろう。そういう研究がすでにあるに違いない(筑波大での集中講義の際,ある受講者のレポートに自らクローリングして調べたフォロワー数の分布・・・多分・・・が載っていた)。
仮説3:知のインプットの時間が減るので、人々は扇動されやすくなる。
これは面白い仮説だ!ただし,twitter の使用と他の知的インプットの時間がトレードオフの関係にあるかどうかとは別に,twitter によって人は扇動されやすくなるのか,むしろさまざまな情報に触れることで扇動されにくくなるのか,を考えることもできるだろう。
仮説4:パーソナルな情報がマスメディアを凌駕する。
インターネット以前から,リアルなクチコミの影響力がマスをしのいでいたと,コミュニケーション論の研究者ならいうかもしれない。いずれにしろ,その傾向がもっと強くなるということだ。
仮説5:コミュニケーション依存症(ジャンキー)が増え、物理的交流の機会が減る。
まさに自分はそうなりつつある(笑)
仮説6:ツイッターのフォロワーは、共感、情報、知恵などの全人格的な面白み(エンターテインメント性)を求める。
これは耳が痛い。ただ,どんなつぶやきに人気があるかを調べるのは,けっこう難しいかもしれない。というのは,1つひとつのつぶやきだけでなく,その流れが重要だと思われるから。
仮説7:最終的には、ツイッターも駆逐される。
歴史は繰り返す。おそらくそうだろう・・・。

ぼくが最も興味を持つのは,やはり仮説3で,twitter 上の情報の流れが,人々の意見や選好をどう変えていくかはきわめて興味深い。まずは先行する研究から学ぶべく,明日から大阪で開かれるWI2研究会を聴講する。
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TV局の合併で番組が多様化する?

2010-03-12 10:38:07 | Weblog
DIAMOND online の「日本のテレビ業界が復活するには 「キー局の合従連衡」が待ったなし」という記事に注目。著者はコンサルティング会社「A.T.カーニーのメディア研究チームであるメディア・プラクティス」のメンバー。民放キー局が現在の経済的苦境を脱するには,合従連衡しかない,というのだが,その理由は,コスト削減効果以外に,番組編成を全体として多様化させ,テレビ視聴者を増やすことで,広告費を再び呼び戻すことができる,という点にある。

著者たちは裏づけとして,現状でも番組ジャンルが多様な時間帯は全体として視聴者が多い,という相関関係を示す。他の変数を考えなくていいか等々,統計学の授業のネタになりそうな話だが,それはまあ横に置いておこう。では,なぜ局が減ると番組が多様化するといえるのだろうか?それは,チャンネルの総数は減らないから,各局が複数のチャネルを扱うようになるからだという。なるほど・・・と思わず頷きそうになる。

ホテリングの定理によれば,2社が同一空間上で差別化競争を行なうと,結局同じポジションに行き着く。つまり,両者の製品はほとんど同じになってしまう。では,各社が複数の製品を出す場合,どうなるのか?社内で同じような製品を作ってもカニバリが起きるだけなので,それとは異なる特性の製品を出して,新たな顧客を獲得したほうがよい。したがって,会社内の多様性は増加するだろう。しかし,会社間ではどうなのか?

テレビ業界では,少数の局が同じバリエーションで対決することにならないか?つまり,どの局もバラエティ/ドラマ,ニュース,スポーツの3本だてになるとか。すると,以前に比べて多様性が増したといえるか微妙である。このへんの分析は,ゲーム理論が得意とする。ただし,強い仮定がおかれるので,分析結果はそのまま現実に適用できないだろう。視聴者の嗜好とか各局の資源とか,考慮すべき要素はいろいろある。

また,キー局の合併を政府が認めるだろうか?仮に番組は多様化しても,言論が多様化するのか?ネットの勢力圏が拡大すれば,そんな心配は無用なのか?昨日のエントリでも触れた週刊東洋経済2/20号で,日本テレビの氏家会長は「キー局が2~3社へ絞られる時期は早まっていますか」と聞かれて,名言はしていないものの否定もしていない。現在の視聴率を見ると,上位3社は日テレ,フジ,テレ朝の3社だ。さて・・・。
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政権交代と twitter の奇妙な出会い

2010-03-11 16:46:00 | Weblog
昨年9月の政権交代で何が変わっただろうか? ぼくにとって「目に見える」変化といえば,マスメディア,あるいはそこでのジャーナリズムの「見え方」にそれがあったと思う。政権交代と twitter の普及は,たまたま同じ時期に生起した。その結果,新政権をめぐるさまざまな言論が,twitter 上でも活発に飛び交った。それらはしばしば参照すべきブログを引用するため,花の間を飛び交う蜜蜂のように,情報をあちこちに伝播させる役割を果たした。

なかでも政権交代直後に起きたのが,首相の記者会見を記者クラブ以外にも公開するという「公約」が破られたことだ。それに対する批判が,フリージャーナリストたちによって,twitter やブログなどで(あるいは一部雑誌で)活発に展開された。これは政府に対する批判である以上に,既存のメディアに対する批判であった。これらの問題はネット上ではさかんに議論されたが,新聞やテレビが取り上げることはほとんどなかった。完全に黙殺に近い状態だったといえる。

もう一つは,小沢一郎氏の政治資金疑惑に関する報道である。新聞・テレビはほぼ一様に小沢氏を非難し,「責任」をとるよう迫っている。一方,ネットでは小沢氏への非難から応援まで,さまざまな議論が渦巻いている。検察のリーク情報をそのまま伝えているのでは,というメディアへの批判も起きた。ここで注目したいのは,報道内容の当否以上に,それがマスコミ各社間で同質化したように見えることである。元からそうであった,といえばそれまでだが・・・。

佐々木俊尚氏の新著は,これらの問題も含め,この半年間,マスメディアとネット上の言論がいかに乖離し,またネットの言論がしばしばマスメディア側のジャーナリストにはない視点と多様性を持っていたかを事例を挙げて論じている。政権交代という稀有な事件と,twitter という類例のないメディアの登場が交錯して,無視できない変化が起きたのだ。マスメディアがある事件を無視しても,それがむしろ,ネット上での情報伝播を促進しかねない状況になったのだ。

マスコミは、もはや政治を語れない 徹底検証:「民主党政権」で勃興する「ネット論壇」 (現代プレミアブック),
佐々木 俊尚,
講談社


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それと併行して,新聞とテレビ(特に前者)が産業として大変な危機に直面していることも見逃がせない。以下の東洋経済の特集を見ても,この業界で勝ち組といえるのは読売新聞=日本テレビぐらいである。そうした状況が,大手マスコミ各社を同質化させる方向で働いたのではないだろうか。そして,自分たちの企業としての利害に,より正直にならざるを得ないほど,余裕が無くなってきた・・・。しかし,それがかえってマス離れを起こすとしたら,悲しいことだ。

週刊 東洋経済 2010年 2/20号,

東洋経済新報社


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佐々木氏の著書が示すように,ネットには大きな可能性があるが,危惧すべきリスクもある。だとしても,マスメディアの役割を正当に再評価するためには,あえてネットを中心に考えるしかない時代に入ったと思う。したがって,マーケティングにおいても,twitter を媒介に活性化しつつあるソーシャルメディアのことをより深く研究する必要がある。確かにまだユーザ数は全人口に比べるとそう多くない。だが,そこに,そう遠くない未来の中心があるように思われる。
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水道橋博士の twitter 論

2010-03-10 01:51:52 | Weblog
水道橋博士の tweet が鋭い。その極めつけが,これだろう。
Twitterの法則=Twitterを始めた人はメディア論を繰り返す。そして、Twitterのわかりやすい公益は、10年以上、一般に問題意識が浸透しない記者クラブの弊害が一瞬にして伝わることだが。当然、これはテレビで報じられない――。だからTwitterの存在意義がある。
最初に twitter のことを知ったとき,技術的にたいしたことなさそうだし(と判断できるほどの知識があるわけではないが),何に役立つのか,どこが面白いのか,よくわからなかった。したがって,お誘いを受けて登録したのが昨年6月27日,次に1行つぶやいたのが8月8日,3行まで初めて書いたのが10月1日と,関わり始めるのにかなり時間がかかった。しかしいま,これはすごいメディアだと実感している。

適当な日常の一コマを書き,それを友人・知人が見る・・・というだけなら SNS とそう変わらない。すごいと感じ始めた理由の1つは,ジャーナリストや研究者のつぶやきがなかなか情報に富んでいるからだ。それらは参照すべきサイトやブログの URL を引用していることが多く,それらが次々 retweet されることで,深い情報にもアクセスできる。仲間内で仲良くするというより,草の根で感知された情報が一瞬にしてあちこちに伝播していく。

水道橋博士が触れている記者クラブの問題は,twitter の普及と政権交代がたまたま重なって起きたことで,より大きくなったと思われる。テレビや新聞しか見ない人には,そんな問題は存在しない。なぜなら,マスメディアはほとんど,これを取り上げないからだ。つまり,われわれは比較的均質なメディア環境にいるというのは幻想で,大きな溝があちこちにあることがわかってきたのだ。だから,メディア論を語ることになる。

ついでにこれも。:
浅い理解で否定的の例は。「私は呟かない」(谷垣貞治)「一度呟いたらずっと呟かなければならない」(小泉進次郎)などが決定的なのだが、あまりにも機能を知らないままに自分に縛りをかけている。公職選挙法が改正されたらどうするつもりなの?と思ってしまう。
民主党であれ自民党であれ(あるいは他の政党にしても),このメディアをうまく使いこなせないと大きな損をすることになる。はたから見ているだけではそのポテンシャルは理解できない。それは企業も同じである。
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クリエイター輩出都市

2010-03-08 15:45:21 | Weblog
BRUTUS 3/15 号によると,「クールLOCAL!」ランキングの1位は福岡市。2位京都市,3位札幌市,4位奈良市,5位那覇市だという。4位と5位は意外というか,健闘しているというか。大阪市の17位はともかく,神戸市が25位というのは驚きだ。このランキングは,この特集で取り上げられたスポットの数に基づいているので,きわめて主観的なものである。だから面白いともいえる。

BRUTUS ( ブルータス ) 2010年 3/15号,

マガジンハウス,


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「クリエイターを生む町。」と紹介されているのが新潟市と熊本市だ。新潟市から日本一多くの漫画家が輩出しているという。赤塚不二夫,小畑健,小林まこと,水島新司,高橋留美子・・・などと名前を並べられると,なるほどと思う。その数を他県と厳密に比較したのか,などと不粋なことはいうまい。当地の日本アニメ・マンガ専門学校から,10年間で50名を超えるプロ漫画家が誕生したのだから。

一方,熊本市は,ファッション関係者を数多く生み出しているという。ただ,ぼくはこの業界に全く疎いので,この記事で挙げられているデザイナーやスタイリストの名前を見ても,そのすごさがよくわからない。何度か熊本を訪れたことがあるが,馬刺やラーメンばかりに心を奪われ,この街のもう一つの姿には気づかなかった。それにしても,なぜ熊本からファッション人材が輩出したのだろうか・・・。

つくば市が46位に入っている。この順位で,4ページにおよぶ記事があるのは,破格の扱いかもしれない。最初に取り上げられるのが科学展示施設というのは,さもありなん。ロボットスーツ HAL の展示施設があるのは知らなかった。だが次のページでは一転して,パン屋さんがいくつも紹介されている。「科学の町・つくば」は「パンの町」でもある,という。残念ながら,どの店にも行ったことがない。

パン屋はともかく,つくばには意外なところに意外なスポットがある。同じようなことが全国レベルであって,日本中あちこちに「クールな」場所があるということ。東京はその頂点に立っているとしても,逆にそれが過剰すぎて,驚き・ありがたみが減少する。ちなみに,「クリエイティブ・シティ」を目指すという自治体がこのランキングではどうなのか,なんて意地悪な関心を,ぼくは持っていない。
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