いま米国ではオーウェルの『1984』が突然売れ始めたという。ハクスリーの『すばらしい新世界』も同様らしい。その理由はいまさら解説するまでもないだろう(笑)。日本のディストピア小説、ではなくマンガで、個人的に思い出深いのは、山上たつひこの『光る風』である。
山上たつひこといえば「がきデカ」が有名だが、それ以前の作品に、1970年に少年マガジンに連載された「光る風」がある。少年時代の私はそれを連載中に読んでいた。「ワル」「アシュラ」など問題作を次々登場させていた少年マガジンは、当時必読の雑誌だったのである。
「光る風」の舞台は19xx年の日本とされるが、ベトナム戦争が続いているという想定なので、当時の近未来を描いたといえるだろう。そこでの日本は徴兵制が敷かれ、若者は戦争に駆り出され、反対者は弾圧される。出征する兵士たちを皆で駅で見送る光景は戦前と変わらない。
1970 年といえば大阪万博が開かれ、高度成長が頂点を迎えていた年だ。一方で70年安保の翌年でもあり、「光る風」のような予言が出てくる土壌があったことを記憶している。しかし、それから50年近く経ったいま、その「予言」どおりになったとは、誰もいえないはずだ。
もちろん、ディストピア小説(漫画)は世に警鐘を鳴らすために創作されているので、予言が外れたほうが好ましいのかもしれない。「光る風」の予言が外れた要因としては、米国のベトナム戦争における敗退が大きい。その後も冷戦の終結など、予想できない変化が次々起きた。
いずれにせよ日本は「光る風」で想像された社会になることはなく、「がきデカ」を読んで笑い転げることができる時代が続いた。政権交代が二度起き、日本でも民主主義が(一定程度は)機能してきたといえる。ディストピアはユートピア同様、実現しないものかもしれない。
いや、2017年のいまこそ「光る風」の予言に真実味があると主張する人々もいるだろう。それに対して、狼が来たとまた叫ぶのかと冷笑することもできる。だが、ディストピアがそのまま現実になることはないにしろ、それを想像しておくことの価値はあると自分は考えている。
ディストピアの物語には、社会の潜在的病理を映し出す力がある。それを描く本が売れ始めるのは何かのシグナルなのだ。アマゾンがデータ解析を通じてその需要を感知し、「光る風」を Kindle Unlimited に組み入れたのだとしたら、アマゾンこそビッグブラザーに相応しいw
山上たつひこといえば「がきデカ」が有名だが、それ以前の作品に、1970年に少年マガジンに連載された「光る風」がある。少年時代の私はそれを連載中に読んでいた。「ワル」「アシュラ」など問題作を次々登場させていた少年マガジンは、当時必読の雑誌だったのである。
「光る風」の舞台は19xx年の日本とされるが、ベトナム戦争が続いているという想定なので、当時の近未来を描いたといえるだろう。そこでの日本は徴兵制が敷かれ、若者は戦争に駆り出され、反対者は弾圧される。出征する兵士たちを皆で駅で見送る光景は戦前と変わらない。
![]() | 光る風 |
山上 たつひこ | |
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1970 年といえば大阪万博が開かれ、高度成長が頂点を迎えていた年だ。一方で70年安保の翌年でもあり、「光る風」のような予言が出てくる土壌があったことを記憶している。しかし、それから50年近く経ったいま、その「予言」どおりになったとは、誰もいえないはずだ。
もちろん、ディストピア小説(漫画)は世に警鐘を鳴らすために創作されているので、予言が外れたほうが好ましいのかもしれない。「光る風」の予言が外れた要因としては、米国のベトナム戦争における敗退が大きい。その後も冷戦の終結など、予想できない変化が次々起きた。
いずれにせよ日本は「光る風」で想像された社会になることはなく、「がきデカ」を読んで笑い転げることができる時代が続いた。政権交代が二度起き、日本でも民主主義が(一定程度は)機能してきたといえる。ディストピアはユートピア同様、実現しないものかもしれない。
いや、2017年のいまこそ「光る風」の予言に真実味があると主張する人々もいるだろう。それに対して、狼が来たとまた叫ぶのかと冷笑することもできる。だが、ディストピアがそのまま現実になることはないにしろ、それを想像しておくことの価値はあると自分は考えている。
ディストピアの物語には、社会の潜在的病理を映し出す力がある。それを描く本が売れ始めるのは何かのシグナルなのだ。アマゾンがデータ解析を通じてその需要を感知し、「光る風」を Kindle Unlimited に組み入れたのだとしたら、アマゾンこそビッグブラザーに相応しいw