Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

JACS@慶應義塾大学(三田)

2012-10-29 13:54:50 | Weblog
10月27~28日,慶應義塾大学(三田)で開かれた消費者行動研究学会(JACS)のカンファレンスの統一テーマは「グローバル化時代の消費者行動研究」。英語セッションが1トラック設けられ,北米から Jeffrey Inman, Michel Laroche, Roland Rust といった大御所の先生が招かれた。

インターナショナル・ジャーナル・セッションという企画は,マーケティング・消費者行動の主要ジャーナル(JCR, JMR, JBR, JM, JSR)の編集長を経験した彼らが,それぞれのジャーナルの編集方針や投稿の心得について語るという趣向。いずれも採択率10%以下の難関だ。

そして2日目の最後に,このテーマでパネル・ディスカッションが開かれた。司会は守口剛先生(早稲田大学),パネリストは竹村和久先生(早稲田大学),照井伸彦先生(東北大学),清水聰先生(慶應義塾大学),そして恥ずかしながら,自分も登壇した・・・。

竹村先生は日本の心理学研究におけるグローバル化の状況について紹介された。日米の研究環境の差を考えると,日本の研究者が世界レベルの仕事をするには,数年先の研究テーマを先取りするしかないと喝破。グローバル化は独創的な研究の下位目標だという指摘も頷ける。

照井先生はすでにマーケティング・サイエンスの一流誌に何本も論文を掲載されただけでなく,海外の有名研究者を招聘した国際会議を何度も組織されてきた。こうした自らの実践経験に加え,経済学における研究のグローバル化の現状についても報告された。

このお二人が,消費者行動研究の周辺領域におけるグローバル化に基づいて問題提起を行い,清水先生と私が狭義のマーケティングの立場からコメントするというのが守口先生のシナリオであった。清水先生からは,日本の研究者が置かれた環境の問題が指摘された。

ぼくは低レベルの話として,理工学分野では英語があまり得意でない院生も積極的に国際学会で発表していることを話した。若手を元気づけたつもりだったが,実際に国際的なレベルでの研究を目指している人々にとって,問題はもっとの根の深いところにある。

照井先生が指摘されたように,米国の主要大学を中心に形成されている研究者コミュニティに入りこむことが重要だが,そう簡単ではない。照井先生がすでに実践されているように,留学などの機会を通じて,そこに積極的に入り込んでいくのが1つの戦略である。

そのとき必要なこととして,本人にしかないスキルを持つが重要だと照井先生は強調された。世界的に活躍している日本人の経済学者の多くが,数学力を売り物にしてきた。ただし,多くの JACS 会員は,数学以外のスキルで勝負したいだろう。何があり得るか?

たとえば日本の市場に詳しいことが,グローバルな研究コミュニティの関心を惹くだろうか? アニメなど一部の例外を除き,日本への関心は全般に低下しているといわれている。日本独自の現象はなくても,何か独創的なコンセプトを打ち立てる戦略も考えられる。

日本の消費者行動研究の論文は,欧米で発表された論文の引用で埋め尽くされている。したがって片務的なグローバル化はすで進んでいる。ただし,米国での研究トレンドをあと追いしているだけでは決して追いつけない,という竹村先生の指摘を心に留める必要がある。

盛田昭夫とS. ジョブズ

2012-10-24 11:43:31 | Weblog
本来「リーダーシップ論」には無関心なのだが,DHBRの最新号は,アイザックソンによる「スティーブ・ジョブズ流リーダーシップの真髄」という記事があるので買ってみた。ところが,それとは別の記事で,思わぬ拾いものがあった。

Harvard Business Review
(ハーバード・ビジネス・レビュー)
2012年 11月号
ダイヤモンド社

それは,連載が始まったばかりの森健二「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」である。初回では,20代のスティーブ・ジョブズがソニーを訪れたときのエピソードが取り上げられている。

当時ジョブズは Macintosh を密かに開発中で,3.5インチのFDを求めてソニーに交渉にやってきた。そこでジョブズらしいかなり無茶な要求をするのだが,ソニーはソニーなりの戦略的背景から,それを受け入れる。

その後ジョブズと盛田昭夫の交流が始まる。ジョブズは1999年10月5日,盛田昭夫の死の直後に,イベントで心のこもった追悼演説を行っている。ジョブズの命日が13年後の同じ日だというのは,奇妙な縁である・・・。

そうなのか・・・と感じ入って,アイザックソンの寄稿を読むと,ジョブズがソニーで発揮したタフ・ネゴシエータぶり(常軌を逸したわがまま)が理解できる。イノベーションに関心がある向きには両記事は必読と思う。

森氏による連載の今後も楽しみだ(この高い雑誌を毎回買うのはしんどいが・・・)。


カープの黒字経営は問題か?

2012-10-19 08:48:20 | Weblog
本書は『衣笠祥雄はなぜ監督になれないのか?』の続編といえる。帯には「20年以上優勝できず,40年近く黒字経営・・・」と書かれている。カープが優勝どころかAクラスにも入れないのは,こうした経営路線にあると指弾する。

筆の勢いか,本書の後半では,今年のカープにおける不思議な采配や前田健太が遭遇したトラブルまで,こうした経営路線が招いたと書かれている。まるで,球団が勝たせないように仕組んだ,と受け取られかねない部分である・・・。

「マツダ商店」はなぜ赤字にならないのか?
堀治喜
文工舎

そこまでくると,さすがに首をかしげてしまう。ストーリーとしては一貫性が増すが,まるで陰謀論のような話だ。著者はあとは読者の判断に委ねるという。カープファンの端くれとして著者の怒りはわからないでもないのだが・・・。

著者はカープのオーナーが利益だけを求め,戦力強化を怠っていると批判する。では,オーナーが私財をなげうって戦力強化すればいいのか?それだと,本書で紹介される過去の名物オーナーのように,いずれ経営が破綻しやしないか?

別の可能性として,球団をどこかの企業に身売りし,広告費として赤字を処理してもらうことが考えられる。著者はその可能性に触れていない。おそらく,それはそれで問題が多いことに気づいておられるのだろう。

ぼくは,カープの黒字経営路線はそれなりに貴重なことだと思っている。そこを制約条件として戦力を強化するには,収入を増やすしかない。それができるなら苦労しない,と批判されそうだが,それしかない。イノベーションが必要だ。

下に掲げた AERA 9/24 号では,最近関東で熱いカープファンが増えていることを報じている。広島から東京へ移動する人口が急に増えたわけではないだろう。20年以上優勝できないチームをなぜかくも熱く応援するのだろうか?

AERA(アエラ)
2012年9月24日号
朝日新聞社

著者は,カープの現状を変えるために,ファンはズムスタに行かない,あるいは行く回数を減らすべきだと提言する。一種の抵抗運動だ。だがそれは,負けても負けても応援し続けるファンたちの心に響く提案だろうか?

カープを応援する,優勝してほしい,でもできない,でも応援する・・・というサイクル。カープを応援するということは,あたかも宗教的苦行のようだ。それでもいつか必ず優勝してほしい(神の降臨)。パズルを解くのは容易ではない。

ソニーで起きていたこと

2012-10-17 07:51:07 | Weblog
この本のタイトルを素直に読めば,ソニーの轍を踏まないように,というメッセージが書かれた本だと想像してしまう。そういう部分もないわけではないが,大半は違う。本書のはしがきでそこは釘を刺される。

この本は,ソニーの「成長期」と「全盛期」に同社の宣伝・広報部門で中心となって活躍されてきた河野透氏へのインタビューをまとめたものだ。ソニーのブランドづくりに関するオーラル・ヒストリーといっても差し支えない。

最も面白く感じたのは,盛田,井深,大賀といった超-個性的な経営者と,河野氏のような宣伝やデザインの担当者との「戦い」に関する記述である。アイザックソンが描いたアップルと非常に似た世界がそこにあった。

ソニーのふり見て、我がふり直せ。
ブランドで稼ぐ勘と感
山口誠志, 河野透
ソル・メディア

山口誠志氏が意図されたように,ソニーが最も元気であった時代を知ることで学べることが多々ある。本書はソニーのトップたちの知られざる逸話が多数紹介されており,ソニー史の資料としても貴重ではないかと思う。

ソニーと広告会社の関わりに関する証言も,広告関係者,なかでもソニーの黄金時代を知る世代の人々には非常に面白く読めるに違いない。もっとも,河野氏が本書を通じて本当に語りたい相手は,ちょっと違うようだ。

先日,丸の内ブランドフォーラムでの講演で,河野氏は「21世紀のソニーを担う若者に読んでもらいたい」という主旨の発言をされた。それは,かつてのソニーのような会社に再び登場してほしい,という意味だろう。

トリニトロンはもちろん,ウォークマンが登場したときの感動すら知らない若者たちは,この本を読んで,どのようなメッセージを受け取るだろうか。ぼくは,彼らが「予想外の」感想を持つのではないかと推測している。

ブランディング,マーケティングというものは強く時代に縛られるが,一方で普遍性もあるに違いない。ことばにできない SONY らしさを皆が共有し,熱く燃えていた組織。そのクリエイティビティの強さには普遍性がある。