Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

「人間は銭ズラ」

2009-02-15 18:59:49 | Weblog
松山ケンイチ主演のTVドラマ『銭ゲバ』。昨夜は,蒲郡風太郎がいよいよ社長に就任するところで終わった。この漫画を連載当時読んでいた記憶はあるが,内容をほとんど思い出せない。原作を読み直したいと思っていたところ,本屋に幻冬舍文庫版の『銭ゲバ』上下2巻が平積みされているのに遭遇。思わず買ってしまった。たった2巻だが,物語は超高速に進む。

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4),
ジョージ秋山,
幻冬舎


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銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5),
ジョージ秋山,
幻冬舎


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漫画が連載されていたのは1970年。大阪万博が開かれ,よど号ハイジャック事件が起き,三島由紀夫が割腹自殺した年だ。この時代,社会は煮えたぎっていた。40年近くたって,日本経済はその頃と全く逆の方向に向かっているように見える。だから,二つの時代に特に共通する点を探るより,銭ゲバのメッセージにある種の普遍性がある,と考えたほうがよい。

銭さえあれば,何でも手に入る。銭さえあれば,有名になれる。有名になれば,少々スキャンダルがあっても,大衆に支持される。手段を選ばず成功を目指す姿には,ピカレスク的魅力がある。だから女性にモテるだけでなく,男性も憧れる。70年頃の田中角栄,最近ではホリエモンがそうかもしれない。タレント出身知事の人気にも,どこか通底する部分がある気がする。

誰もが富と権力,名誉を手に入れたいと心の奥底で願っている。島耕作のように多くの美女に助けられ,偶然が何度も重なって出世するのは夢物語だ。それよりは平気で嘘をついて,ためらいもなく邪魔者を排除するほうが,まだあり得るかもしれない。そこで,それができる人物に密かに憧れつつも,実際にはそうは振る舞えない自分の怨嗟をぶつけることになる。

だから,そうした物語がハッピーエンドで終わらないのはお約束といってよい。現実社会でも「成り上がり」はしばしば失脚させられる。それが社会の自浄作用,あるいはガス抜きになっている。『銭ゲバ』の原作が秀逸なのは,蒲郡風太郎は社会によって罰せられるわけではないことだ。TVドラマ版がどのような結末を用意しているかは,これからのお楽しみである。

『銭ゲバ』の唐突な終わり方は,どういう結末を用意しても,この物語を納得する形で終わらせることができないことを示唆している。同時期に『アシュラ』を描き,さらに人間の本質を過激に追求しようとしたジョージ秋山は,その後『浮浪雲』の世界に向かう。一見真逆の方向への転回のようにみえるが,何か普遍的なものを探求している点では同じかもしれない。