先日,MBF のセミナーでレヴィ・ストロースの話題が出されたとき,フロアから,実務家にとってそういう一見「役に立たない」学問こそ「役に立つ」のだという発言があった。社会人が大学に戻って学び直そうとするとき,資格や肩書きを求めている場合もあるが,そうでなく,純粋に深い知識を求めている場合が少なくない。しかも,各人固有の問題意識にしたがい,既存の学問領域に縛られず,分野横断的に。
Esquire 日本版4月号は「もう一度、学校へ行こう」という特集を組んでいる。ショルダーに「社会人よ、新しき‘リベラルアーツ’を身につけよう!」とあるが,そう,現代社会でリベラルアーツを本当に必要とし,活かすことができるのは,20歳前後の学生より,齢を重ねた社会人だ。そう思わせる日本を含む世界の事例が紹介される。ページをめくりながら,大学が社会人に提供できる価値とは何かについて考えさせられた。
志のある社会人が求める大学とは,どこか日常性の欠落した空間で,時間がゆったり流れ,バカバカしいことに熱中する「狂った」人々が唯一活動を許される場所ではないかと思う。そんな場所だからこそ「役に立たないが役に立つ」ことを学ぶのに相応しいのである。だとすると,大学が提供できる価値の源泉は,よくできたカリキュラムでも美しい建物でもなく,そこで行われている研究そのものに内在する必要がある。
そうした研究はしたがって,リベラルアーツを志向しなくてはならない。そういうと,これまで学際的研究と称するものから何か生まれただろうかという反論が起きる。それに対して,複雑系や行動経済学がその例だと答えることもできるが,新たな学問体系が生まれることが稀であることも確かである。だから,各分野の専門家が交流し,混沌としているが刺激に満ちた知的生産のプロセスが生み出されるだけでも上出来なのだ。
そうした思いを共有する異分野の教員たちが,学生たちを巻き込みながら様々なプロジェクトを動かしていく・・・ そんな夢を描くことができる。それは学部学生を対象とした,社会人の仕事を模擬体験するキッザニア的なプロジェクトとは異なる。むしろ,社会人院生がプロの研究者の仕事に参画するプロジェクトなのである。マーケティングのような研究領域では,それは「模擬演習」のレベルを超えたより本格的なものになり得るはずだ。
マーケティング研究がリベラルアーツを名乗ることは,常識に反するように見える。しかし,それは対象領域はマーケティングに限定しながらも,方法論はありとあらゆる分野から導入し,結果として学際的色彩を持っていることに注目する必要がある。すでに経済学,心理学・認知科学,統計学,経営学,といったあたりまでは十分交流があるが,今後は,文化人類学,脳神経科学,物理学,生物学,人工知能などとの交流が深まるだろう。
それらは,旅行の土産物のように雑然と並べられるのではなく,個々の専門家の議論を通じて,最終的には,何らかのストーリーを与えられる。それは,ぼくがいま行っている,かなり離れた分野の研究者との共同研究そのものではないか。そうした研究は,対象がマーケティングや消費者行動だというだけで,すでにリベラルアーツ化しているといってよい。あとは中身が面白いかどうかという,肝心の問いが残る。
Esquire 日本版4月号は「もう一度、学校へ行こう」という特集を組んでいる。ショルダーに「社会人よ、新しき‘リベラルアーツ’を身につけよう!」とあるが,そう,現代社会でリベラルアーツを本当に必要とし,活かすことができるのは,20歳前後の学生より,齢を重ねた社会人だ。そう思わせる日本を含む世界の事例が紹介される。ページをめくりながら,大学が社会人に提供できる価値とは何かについて考えさせられた。
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志のある社会人が求める大学とは,どこか日常性の欠落した空間で,時間がゆったり流れ,バカバカしいことに熱中する「狂った」人々が唯一活動を許される場所ではないかと思う。そんな場所だからこそ「役に立たないが役に立つ」ことを学ぶのに相応しいのである。だとすると,大学が提供できる価値の源泉は,よくできたカリキュラムでも美しい建物でもなく,そこで行われている研究そのものに内在する必要がある。
そうした研究はしたがって,リベラルアーツを志向しなくてはならない。そういうと,これまで学際的研究と称するものから何か生まれただろうかという反論が起きる。それに対して,複雑系や行動経済学がその例だと答えることもできるが,新たな学問体系が生まれることが稀であることも確かである。だから,各分野の専門家が交流し,混沌としているが刺激に満ちた知的生産のプロセスが生み出されるだけでも上出来なのだ。
そうした思いを共有する異分野の教員たちが,学生たちを巻き込みながら様々なプロジェクトを動かしていく・・・ そんな夢を描くことができる。それは学部学生を対象とした,社会人の仕事を模擬体験するキッザニア的なプロジェクトとは異なる。むしろ,社会人院生がプロの研究者の仕事に参画するプロジェクトなのである。マーケティングのような研究領域では,それは「模擬演習」のレベルを超えたより本格的なものになり得るはずだ。
マーケティング研究がリベラルアーツを名乗ることは,常識に反するように見える。しかし,それは対象領域はマーケティングに限定しながらも,方法論はありとあらゆる分野から導入し,結果として学際的色彩を持っていることに注目する必要がある。すでに経済学,心理学・認知科学,統計学,経営学,といったあたりまでは十分交流があるが,今後は,文化人類学,脳神経科学,物理学,生物学,人工知能などとの交流が深まるだろう。
それらは,旅行の土産物のように雑然と並べられるのではなく,個々の専門家の議論を通じて,最終的には,何らかのストーリーを与えられる。それは,ぼくがいま行っている,かなり離れた分野の研究者との共同研究そのものではないか。そうした研究は,対象がマーケティングや消費者行動だというだけで,すでにリベラルアーツ化しているといってよい。あとは中身が面白いかどうかという,肝心の問いが残る。