Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

金融崩壊のあと何を構築するか

2009-02-01 23:17:11 | Weblog
水野和夫氏の『金融大崩壊』は昨年末の発売以降,本屋で平積みされ続けている。サブプライムローンのブームから破綻,そして世界的な金融危機にまで至るプロセスがわかりやすく解説されており,この本が売れていることに何ら不思議はない。ただ,ぼくがつい考えてしまうのが,そうした「根拠なき熱狂」の実態は,結局あとにならないと認識されないということ。そして,同じことが何度も繰り返されてきたということの不思議さだ。

バブルのただなかにいるとき,人はそれがバブルだとは気づかない。いや,気づいていたとしても,そのゲームから自分から降りることができない。そこでなかには,これはバブルではなく,イノベーションに支えられた永続する繁栄なのだと信じる人が出てくる。グリーンスパン氏のように,経済や金融のことを知り尽していると目される人ですらそうなる。そこにこの問題の深刻さがあり,滑稽さがあり,探究したくなる面白さがある。

金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉 (生活人新書)
水野 和夫
日本放送出版協会

このアイテムの詳細を見る

この本を読みながらつい思い出してしまうのが,ひどい二日酔いを何度経験しても,懲りずに同じことを繰り返す自分の悲しい性である。宴たけなわ,最高に盛り上がった状態では自制心などどこかに消えてしまう。たとえ明日のことが少し頭をよぎったとしても,どうにかなるさという根拠なき楽観主義が支配する。いま,ここで楽しまないで,いつ楽しむんだというわけだ。そうやって飲めば飲むほど,翌朝の苦しみは大きくなる。

目端の利いた人々が興じるマネーゲームと,ただの酔っ払いの愚かな行動を一緒くたに論じるなど,程度の低い議論かもしれない。だが,そこに関わる制度的な夾雑物を取り除くと,人間行動の本質的な共通性が浮かび上がってくるように思われる。熱狂の果てには,いかなる人間であれ冷静な認識ができなくなる局面がある。一人だけ降りることを許さない相互拘束的な利害状況が生じる可能性がある。自己正当化のために知覚が歪められる。

さて,本書の後半では,世界は米国一極集中から「無極化」に向かうという展望が示される。そうなると,欧米への輸出に依存してきた「日本輸出株式会社」の前途は厳しくなる。日本の貿易や投資の相手をもっとアジアへシフトすべきだという主張はもっともだし,政府も企業も総論としては賛成していると思われるが,そうした転換は一朝一夕には進まない。今回の不況が,期せずしてそうした転換を促進するものと期待するしかない。

本書がそう主張しているわけではないが,こうした議論の延長線上に,サービス・イノベーションへの期待がある。日本経済の生き残りのためには,これまで低かったサービス産業の付加価値生産性を高める必要がある。そのために顧客満足度をきちんと測定して経営管理に直結させるとか,ITや既存の経営技術を活用するとかいう話になる。確かにカイゼンが必要なのだが,それれよりもっと重要なことがあるのではないかと最近強く思う。

この点で,金曜の夜 MBF で聴いた,公文教育研究会の角田社長の講演は示唆に富んでいた。KUMON は現在世界45ヶ国に進出しているという。これは教育産業,あるいはサービス産業として画期的なことだ。国内で永年積み重ねられたイノベーションが,国際的にも通用する競争力を生んだ。競争力を意図的に構築したのではなく,ひたすらわが道を究めたことが,一種の普遍性に行き着いた。この事例が教える戦略的含意は深いと思う。