日経ビジネスONLINE に,企業でのエスノグラフィ導入の動向を紹介する記事が立て続けに掲載された。紹介されているのは,大阪ガスと花王。両社ともいかにも「理工系な」印象があるのに,定性的なアプローチの先端を走っている点が興味深い。定量的アプローチをやり尽くし,その限界に行き当たったのだろうか。あるいは,虚心に現象を観察するという方法論は,自然科学の素養を持つ人にとって受け入れやすいということか。
大阪ガス、調査手法「エスノグラフィー」をサービス改善などに活用
花王、消費者調査にエスノグラフィー手法を導入
こうした観察手法が最近ますます注目されているのは,インタビューや質問紙を通じて申告される消費者の動機や行動がどこまで正確かについて,疑問が深まっているからだろう。消費者から得られたことばは,そのままでは信用できない。だから消費の現場に行って,虚心に行動を観察すべきだというわけだ。ただし,その結果をマーケターが解釈する際に,結局ことばに頼らざるを得なくなる局面が出てくる。そこで介在する主観性や恣意性を無視するわけにはいかない。
同じ観察でも,外部に現れた行動ではなく,脳の内部を見ようとするアプローチもまた注目を浴びている。やはり日経ビジネスONLINE で,「ニューロマーケティング 話題の新手法の実力」という連載が続いている。初回は『日経ビジネス』2/2号に紹介された内容と同じ。2回目は Plassmann たちのワインの価格の知覚に関する研究を,3回目はリンストローム『買物する脳』を紹介している。いずれも最新のニュースとはいえないが,流れを概観するのには役に立つ。
ヒット商品は「脳科学」が作る
脳が語る「不況だから値下げ」の誤り
脳は「セクシー広告」がお嫌い?!
こうしたアプローチの狙いは,消費者が必ずしも意識していない,また正確に言語化できない意思決定メカニズムを解明することにある。それは,消費者が発することばに依存しない分析を目指す点で,エスノグラフィと共通している。では,やはり分析する側の解釈の恣意性はどうだろう。やはり問題がないわけではないが,適切な実験計画が立てられていれば,問題はかなり小さくなる。この点は,一般的なエスノグラフィよりも優れている点だろう。
エスノグラフィにしろニューロマーケティングにしろ,今後,現場への導入が加速しそうだが,既存の質問紙調査を完全に代替するとは思えない。過大な期待への反動は当然起きる。マーケティング用に俗化したエスノやニューロに対して,それぞれの「本家」から批判が起きるかもしれない。一方,質問紙調査の分析でも,もっと「ことばを真に受けない」工夫が必要になってくる。ぼく自身は,そこが最もチャレンジングな分野ではないかと思う。
大阪ガス、調査手法「エスノグラフィー」をサービス改善などに活用
花王、消費者調査にエスノグラフィー手法を導入
こうした観察手法が最近ますます注目されているのは,インタビューや質問紙を通じて申告される消費者の動機や行動がどこまで正確かについて,疑問が深まっているからだろう。消費者から得られたことばは,そのままでは信用できない。だから消費の現場に行って,虚心に行動を観察すべきだというわけだ。ただし,その結果をマーケターが解釈する際に,結局ことばに頼らざるを得なくなる局面が出てくる。そこで介在する主観性や恣意性を無視するわけにはいかない。
同じ観察でも,外部に現れた行動ではなく,脳の内部を見ようとするアプローチもまた注目を浴びている。やはり日経ビジネスONLINE で,「ニューロマーケティング 話題の新手法の実力」という連載が続いている。初回は『日経ビジネス』2/2号に紹介された内容と同じ。2回目は Plassmann たちのワインの価格の知覚に関する研究を,3回目はリンストローム『買物する脳』を紹介している。いずれも最新のニュースとはいえないが,流れを概観するのには役に立つ。
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こうしたアプローチの狙いは,消費者が必ずしも意識していない,また正確に言語化できない意思決定メカニズムを解明することにある。それは,消費者が発することばに依存しない分析を目指す点で,エスノグラフィと共通している。では,やはり分析する側の解釈の恣意性はどうだろう。やはり問題がないわけではないが,適切な実験計画が立てられていれば,問題はかなり小さくなる。この点は,一般的なエスノグラフィよりも優れている点だろう。
エスノグラフィにしろニューロマーケティングにしろ,今後,現場への導入が加速しそうだが,既存の質問紙調査を完全に代替するとは思えない。過大な期待への反動は当然起きる。マーケティング用に俗化したエスノやニューロに対して,それぞれの「本家」から批判が起きるかもしれない。一方,質問紙調査の分析でも,もっと「ことばを真に受けない」工夫が必要になってくる。ぼく自身は,そこが最もチャレンジングな分野ではないかと思う。