愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

大山崎町 山伏塚の大日さん

2015年02月17日 | 石仏:京都

一見、大日如来なのか?阿弥陀如来なのか?判然としない古石仏・・・・・大日にも阿弥陀にも見える。

阪急京都線「西山天王山」駅を線路沿いに約500m程大阪寄りに行くと、田畑の中にこんもりとした緑の杜が有り・・・・・

中に簡素な横長の覆い屋が有り、大小二体の石仏が祀られて居る。

見たところ、大日如来の宝冠なのか?阿弥陀如来の肉髻が大きく盛り上がって居るのか ??それではとちょっと失礼、涎掛けをたくし上げると・・・

蓮座に結跏趺坐・・・・・早速手印を見るが、胎蔵界大日の法界定印を組んでいるのか?弥陀定印を組んでいるのか?やっぱり判然としない。

まあ、「山伏塚の大日さん」と呼ばれて居るようだからそれに従っておきますが・・・・

 因みに高さ約1m、幅広で頭の丸い舟形光背をを負い、鎌倉後期の造立だと言われて居ます。

この石仏に纏わる昔話は・・・ 

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その昔、時代は江戸末期の天保(1830~1844年)のころ。円明寺村(大山崎町円明寺)に農業を営む兵左衛門の家が火事で焼けた。

兵左衛門は、どうして家を直そうかと考えあぐねた末、先祖代々耕してきた山伏(円明寺の小字名)の土地を、同じ村の弥衛門に買ってもらうことにした。 

その次の日からだ。弥衛門の夢まくらに大日如来が立つようになったのは。そして如来は呼び続けた。

 「兵左衛門、早く帰してくれ」 兵左衛門が手離した土地の中に“山伏の塚”という小さな森があり、この中に大日如来地蔵がまつられていたのだ。 

気の毒な弥衛門。この大日如来の毎夜の出現に気味悪くなって兵左衛門と相談、「たたりでもあれば恐ろしい」と、結局、元どおり兵左衛門の所有地として、この大日如来地蔵を守っていくことにした。 

この「兵左衛門早う帰して」の話は、やがて村中に広まった。その後、この森の神木といわれるカキの木を切り取ったため、災難にあったという話や、また、不治の病にかかり医者からも見離された村人が大日如来に日参、おかげで完治した話などが伝えられた。

村人の間では 「粗末にするとたたりが恐ろしいが、大切にまつっていると、願いをかなえて下さる」と、この“山伏の塚”を訪れる人が増え、いつしか“大日さん”の呼び名で、村の地蔵さんとして親しまれるようになった。

因みに小石仏はこれ・・・

撮影2012.10.7