一乗谷朝倉氏遺跡の中心部を成す朝倉館跡は五代百年にわたって越前を実力支配した最後の当主朝倉義景の館跡でその東南隅に墓地がある。
織田信長との戦いに敗れ滅ぼされたが、当初朝倉氏の菩提寺心月寺が置かれ、館跡の寺と墓は義景の法名をとって「松雲院」として残されることとなりました。
現在一乗谷朝倉氏遺跡の景観を代表する景観として取り上げられる唐門は朝倉氏の遺構ではなく、のちに建てられていた松雲院の寺門の様です。
栄華盛衰、さしも権勢を誇った朝倉氏も長続きはしなかった・・・
そんな墓所横に立つ不動明王石仏・・・・墓所横に現世利益の不動明王は一寸違う気がするけど???
多分近くから発掘されたものだろうが・・・
像容はこれまで紹介した一乗谷石仏より単純にみえるが、眼光の鋭さでは劣らない。
近くにはこんな石仏も・・・、これは大黒天??
不思議なところです・・・。
帰りがけに邸内より見たから唐門も中々どうして良いものでした。
撮影2008.4.27