愛しきものたち

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津市一志町 笠つき地蔵

2011年05月10日 | 石仏:三重

天台宗の一派に天台真盛派と言われる一派が有り、その開祖である真盛上人が生まれ育った土地に、真盛上人にまつわる石仏が有る。

それも殆ど傍に時代の違う二つの石仏(実際には三体なのだが)が・・・・、一体は川岸の大きな岩に、他方二体は川の中に崩れ落ちた大岩に刻まれている。

地元では、上人が幼児の時に笠に乗せられ川に流されると川上へとさかのぼり、ここへたどり着いたという伝説があり、岩石に地蔵尊を刻み、逆さに流れ着いたので「逆着地蔵」また「笠着地蔵」とも呼ばれている。

津市一志町は伊賀方面から国道165号線で青山峠を下りきった辺りに有る町で雲出川に沿って走る県道661号線脇、一志ゴルフクラブの直ぐ脇にあって誰でも目に付く。

「逆着地蔵」と呼ばれる地蔵磨崖石仏は県道脇の大岩壁に刻まれていて両手で宝珠を胸元に抱いている。

しかしどう見てもこの地蔵さん、真盛上人の活躍していた室町期以前のものとは思えず、これを「逆着地蔵」また「笠着地蔵」と呼ぶのはおかしい様な??

他方、雲出川の川原に横たわる巨石には逆さに向いた石仏と、後世に刻まれ直立した地蔵石仏が刻まれている。

安政の大地震(1854)で道路脇の巨岩が二つに割れて転げ落ち、刻まれていた地蔵が逆さまになったという・・・。

逆さになった向かって右手に地蔵菩薩、片やすっかり水の流れに姿をなくしてしまった阿弥陀如来が刻まれていたと思われる枡形。

こちらは「さかさ地蔵」と呼ばれているようですが・・・・、少なくとも像容からはこちらの方が時代は古そうだし・・

本来の笠着地蔵はこちらでは無いかと???

勿論一目で時代の違いもわかる地蔵さん・・・これは間違いなく安政の大地震以後に刻まれたものです。

なにやら頭のこんがらかる二体?、いや三体の地蔵磨崖石仏です。

撮影2011.2.26