西山光照寺が 一乗谷朝倉遺跡の入り口付近に有るのに対し、盛源寺はその背後を固めるように一乗谷の最奥山裾にある天台宗真盛派の寺院、宗派祖「真盛上人」によって建立されたといわれている。
現在の盛源寺は鄙びた谷筋の一乗集落山裾に有る無住の荒れ寺、その参道や境内に打ち捨てられたように居並ぶ石仏と景観に惹かれて訪れる人も多い。
そう長くもない参道脇の山裾には傷みの激しい石仏が無残にも崩れ果て立ち並んでいる。
その数約200体以上とも・・・・盛源寺全体では700体??にも及ぶ石仏が残されているとか・・・・・・、
<阿弥陀如来坐像(室町時代)>
莫大な量の涙を湛えた薄緑色の笏谷石(しゃくだにいし)の石仏さんたち。
顔を削り落とされた地蔵菩薩立像。
こんな無残な石仏さんも・・・
こちら十一面観音石仏と隣には首をなくした阿弥陀石仏・・
十一面観音の横顔は僕の思い込みが強いのか??何と無く物悲しげ・・・・
六層屋根の層塔を奥に破壊あとの激しい阿弥陀如来、此処にも首なし阿弥陀
向かって左側、磨崖板碑??その前には・・
無残な姿のこれは多分〇〇観音石仏さん・・
こちらは阿弥陀でしょうか・・。
奥には完体に近い大型地蔵、不動明王、他に二体。
中でも総高約2.7mの地蔵菩薩立像は天文六年(1537)の銘を持ち、大きな月輪を持つ光背を背負う。
月輪内には阿弥陀な種子のキリークを刻み、光背に六個の月輪を陽刻し、六尊の種子を刻みだす。
厚肉彫りで刻み出した地蔵菩薩は写実性に冨、精細な表現で生身の温もりまでが伝わってきそう・・・・
眉間には大きな白毫の穴・・
傍らに立つ不動明王立像石仏は弘治二年(1556)の銘を持ち、高さ 約2.2m
火焔光背を背にに丸彫りに近い厚肉彫りで憤怒相だが、鼻先の痛みで少し顔容が崩れて、カラス天狗のような顔付きに見えない事はない。
向かって右には顔をなくした阿弥陀二体と毘沙門天立像が立っている。
ここでもてんこ盛り、これだけ一気はやっぱり消化不良・・・。
撮影2008.4.27