Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

純潔に熱く燃えるピュイス

2009-02-08 | マスメディア批評
ピュイス十世教団のホームページなどを訪ねた。もう一日早ければベルクシュトラーセまで車を走らせて、寄宿学校少女が演じるゴルドーニの芝居を観ていたかもしれない。今話題の教団が少女寄宿学校を運営していて、十一歳から十九歳までの少女を寄宿生活させて教育している事を知った。

独第二放送の夜のニュース枠「ホイテユルナール」で寄宿学校について紹介されたと知って早速ネットを探すと、既に西部ドイツ放送で、ローカルニュースとして詳しく放送されていることが分かった。

結論から言うと教団そのものが大変批判的に紹介されていて、礼拝所の近隣のカトリック教徒の間でもすこぶる評判が悪い。教団の世界組織の規模やその実際を近辺の教会などの様子から知ることが出来たが、驚いた事に最も近いトリエント風祭壇は去年の秋頃試飲のついでにたまたま通りかかって、その説明内容などにおかしな印象を持ったので良く覚えている。

通常の民家が教会に改造されていて宗教活動をしているというセクト色が如何に強いかはその時の印象通りで、上の放送のインタヴューにも信者などが顔を一切出さないので肯定的に語る者は居ない。それでも寄宿学校内の映像や少女達へのインタヴューの記録映像は残っていて大変興味深い。

基本的には躾の厳しいスイスなどにもあるような寄宿学校であるが、ドイツ人を中心に全員で百人ほどの少女達が欧州全域から集っている。宗教母体がピュイス教団であるから、ラテン語の歌謡など戦前 ― トラップ家のマリアか? ― であったなら通常のことだったろうが、ここで扱ったカトリック教徒アデナウワー首相政権下の再現された授業の時代を最後に、現在は決して権威におもねることのない自由民主主義的な教育が連邦共和国の教育の基本となっていて、それは上の学校に断り書きとして新たに付け加えられている。

そうした配慮から見ても社会的にかなりの圧力がかかっているように思えるが、それは厳格なカトリック教育の中心にある「性の抑圧」にあるように、どうしても禁じられば禁じられるほどの「エロスの高まり」の喜びに満ちる絶頂に達するとするあまりにも肉感的で、知的な深みを帯びない抑圧のマゾヒズムと一部終末観に囚われた宗教感がそこにあるのは否めない。

教育効果や教育目的が異なるのは当然かも知れないが、婚前交渉の禁止と処女性などを19歳の少女が語るのは殆ど猥褻で現在の連邦共和国の公序良俗にそぐわない。

今回の事件は、文化的には「気のふれた英国国教会からの改宗カソリック者の戯言」に左右されるものではなくて、「キリスト教界においても伝統主義とか呼ばれるセクトはなんらユダヤ教やイスラム教の原理主義者となんら変わらないと広く知らしめたこと」に違いない。

例に挙げるのは如何にも気の毒だが、ピュイスの少女達の被る頭巾とユダヤのキッパとイスラムのヒジャブと何処に差があるのだ?ジーンズは駄目で膝が隠れるようなスカートしか履かないのはなぜなのか?腹を出しても、ピアスを入れた臍を見せても、ローライズでパンツを見せてもいけないのも、男が排他されるも皆同じではないか。トルコ大統領が提言するドイツ・イスラム教育学校の成立を許さない根拠は一体あるのだろうか?

今回の事件にて、ベネディクト十六世の判断への不支持は七割を越えてしまったが、問題となるピュイス教団自体も破門解除と同時に表面に出てくる事で対外的なイメージだけでなく閉じられたセクトの中で弾圧と使命感のようなものを感じていた信者を失うに違いない。専門家によると、教会の2000年の歴史の中で邪教や異端の破門から元の鞘に収まった例はないと言われる。

勿論ここで興味深いのは自由化したローマ教会がこうしたセクトを迎え入れる大らかさこそがヨハネ・パウロ二世の成果であって、そこに世界に普遍性を示す大宗教団体然とした風貌を見せたのだが、こうしたセクトは全く正反対な将来像をもっているのがドイツピュイス代表のシュミットベルガーの言葉として語られていることだ。この辺りにベネディクト十六世の教皇としての政治的戦略が見え隠れする。当然ながらヨゼフ・ラッツィンガーにとっては、痛恨のシスマを癒し尚且つその傷跡を自然治癒させることになるのだろう。

聖職者の妻帯を必ずしも禁止せず同性愛にも現実としての法的対応の必要を説くフライブルク大主教ツォリッチュが、「ウィリアムソンの破門要求」をビルト新聞で改めて語ると同時に、レーゲンスブルク司祭ミュラーは、前言を訂正しないウイリアムソンの廃業を求めた。

信者や国民の世論を探りつつ様々な声が聞こえ、それによって新たな世論が築かれて行く様子は、通常の政治とは異なり信仰においては更に性的な反応として反照されるのでなかなかスリリングでさえある。

冒頭に書き忘れたが少女巡業劇団が宝塚宜しく男装して演じるのは「大嘘つき男」と笑えるに笑えない芝居のようである。



参照:
VIDEO: Alte Ideale, Viel beten, wenig mailen (LokalZeit, WDR)
Sankt - Theresien - Gymnasium Schoenenberg
Priorat Heilige Familie (Neustadt)
Sign the letter of support for the pope Benedict XVI !
Das reicht nicht; Die Piusbruderschaft ist mehr als der Fall Williamson,
Christian Geyer, FAZ vom 5.2.2009
伝統への偉大なる妄想 2009-02-07 | マスメディア批評
シスマの危機に脅える教会 2009-02-05 | 歴史・時事
疑似体験のセーラー服 2005-06-12 | 歴史・時事
エロ化した愛の衝動 2007-01-04 | マスメディア批評
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反照に浮かび上る世界観 2008-12-21 | 歴史・時事
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自由民主主義への忠誠 2008-03-14 | マスメディア批評
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん 2004-11-06 | 歴史・時事
高札撤廃後のキリシタン (CREDIDIMUS CARITATI)
テッド・ハガード元牧師が同性愛を拒絶 (虹コンのサウダージ日記)

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