Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

出稼ぎ文化コメディー映画

2008-02-14 | アウトドーア・環境
トルコ語の「出稼ぎ」をキーワードにして、探していた映画のタイトル「メルセデス・モナムー」に巡り合えた。独仏文化放送波ARTEで嘗て観たものだ。途中から観て、最後まで観てしまい、録画出来なかったのをあとで後悔した映画である。

そのスプラスティックな展開とペーソスが強く印象に残るコメディーである。トルコ語原語版がいまYOUTUBEで観られる。吹き変えや字幕が無くとも、主役のイリアス・サルメンの演技は一流でその語りの内容は大体理解出来る。

粗筋は、トルコ最東部アナトニア地方からの典型的な出稼ぎ者(GURBETCILER)を描いているようで、アダレ・アガオグルの原作「Fikrimin Ince Gülü (Delicate Rose of My Mind/1976)」が仏独トルコ合作として映画化されている。

その舞台設定は、ドイツに出稼ぎに来た田舎へと、故郷に錦を飾り予てからの女性に求婚するため、道路清掃をするミュンヘンの町で買ったブロンド色のSクラスメルセデス350SEを走らせる道中ものである。街道の途中の風物やあとにして来た近代社会のドイツからの旅を、そのもの高級車が物質的な世界を代表して、前近代的な世界へと文化のギャップを越えていく物語となっている。

それゆえに、旅は順調にはかどる筈はなく、その悪態をつきながらの車中風景は、故郷から出稼ぎへの道程や、もしくは子供時代の回想が散りばめられる一人旅なのである。故郷へ近づくにつれての一種の興奮状態に、そのものスプラステックな展開となるのみならず、近代社会から離れるに従って、いよいよ物質的な衣装が一つ一つ脱がされて行き、そして故郷に戻る頃には….

一級の文化批評映画となっている。今世紀になってこうして初めてこの映画を見る機会になったと思うのだが、大分自分自身の見る視点が変わってきていることに気がつく。同じような時期に東独の終焉を描いた「ゴー・トラビー・ゴー」シリーズが話題になっていて、このメルセデス映画の真髄を見損なっていたような気さえするのである。特に以前は、この映画の終り方が気に入らなかったのが、今はとてもよいと感じるようになった。


追記:この映画を楽しむためには、当時のメルセデスコンパクトシリーズ、つまり現在のEシリーズがトルコ人車として、トラビが東独人の車として町に溢れ、屋根に荷物を積んで高速道路を走り回っていた状況を知らなければいけない。

邦名メルセデス、わが愛(いとしのハニーちゃん)、ベイ・オカン監督



参照:YOUTUBE
I Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 1/9
II Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 2/9 
III Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 3/9
IV Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 4/9
V Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 5/9
VI Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 6/9
VII Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 7/9
VIII Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 8/9
IX Sarı Mercedes - İlyas Salman Part 9/9

反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13

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2 コメント

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彼はどこへ行くのか (old-dreamer)
2008-02-15 15:46:42
ご紹介いただいた「メルセデス・モナムー」YOUTUBEで観てみました。トルコ語版でしたが、粗筋は理解できました。1960年代、ガストアルバイターの時代は、駅から軍楽隊の歓送マーチで送り出したそうですが。それほどでなくとも、故郷に錦を飾りたい気持ちは、良く伝わってきます。フィナーレも哀歓が漂い、ペーソスが利いて、なかなかのものですね。
精神的にトルコもドイツも「故国」ではなくなるheimatlose状態は、日本で働く南米日系人にも見出されます。ITの発達などで、多少は物理的距離感も短縮するのでしょうが。
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不可逆なheimatlos感 (pfaelzerwein)
2008-02-15 18:06:26
シュトッツガルト出身でケルンに住み、その後ボストンからワイン街道に移り住んだ人と話していたのですが、「百年も経てばドイツというものは、ローマと同じように無くなる」と言うのです。もちろんEUの中に統合され混ざって、USAのようにEUが出来上がるということなのです。

これも一種の喪失感なのでしょう。上の映画でも、想っていたそれが消失しているのが強調されてますね。突然時代を隔てたような「ヒッピー米国人?」が気になったのですが、根無し草のようでいて、結局どこかへと先に進んでいくしかない、まさにパトスが感じられました。

それからネットの発達は、今回の一連の騒動でも、両方向の視点が得られるので、その影響力の大きさを益々感じています。
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