(承前)聖書の「サロメ」からキリスト教の影響を取り除く作業は、既に中世から盛んだったようだ。そこでは、異教的な魔女として親子が扱われる。ヨハネ祭の所謂ヴァルプリギスの夜の魔女である。これもまたグリム兄弟によって纏められていて、19世紀のドイツ語圏での伝説となっている。それが丁度世紀の変わった20世紀の新生国家ドイツにおいて、文化立国における共通認識の一つとなっていたとされる。つまり、オスカー・ワイルドの原作をリヒャルト・シュトラウスがオペラ化する時の時代背景がそこから考察される。
大きな要素は、ニッチェの「神は死んだ」神無き社会であり、それは丁度ヘロデの国と重ね合わされて、同時に終末思想と救済つまり死と生が隣り合わせの社会気風が表徴されているとされる。そこではサロメの踊りのヴェールこそは剥ぎ取られても何もそこにはないとされる虚無となる。第一次世界大戦後の変容は知られるところであり、またオカルトとして大戦間にあった動きも知られるところである。
同時にハインリッヒ・ハイネによる「アッタトロール ― 夏の夜の夢」におけるサロメの性化が俎上に上る。勿論ハイネの興味はキリスト教に教化され変化させられた信仰対象ではなく、そのもの民俗学的に粗野な営みとなるとされる。
前者においてはヨハナーンはタンホイザーとは反対にキリスト教原理主義者として、後者においてはサロメはアリアドネ神話などと同じ妖精のカタログに組み込まれるようだ。それらを総合して、ヨハナーンの首へのサロメのデュオニス的歓喜とされる。
こうした歴史的そして創作の時代的背景を前提として、映画「愛の嵐」にヒントを得て今回のヴァリコフスキーの演出となった。前回観劇した「影の無い女」においても演出家の最終的な視点は「死への扉が開くサナトリウム風景」だった。つまり、比較対象として「タンホイザー」を若しくは昨年ザルツブルクで「サロメ」を演出したカステルッチの沢山の記号を組み合わせたパズルのような謎解きではなく、寧ろ観照に富んだ演出をする。今回の演出においても破壊されたシナゴークにおける壁画のアニメーションが最も美しい情景となっていた。
ヴァリコフスキーの語る視点は「終末思想と救済」の対象化にあって、まさしくキリル・ペトレンコが作曲家の後年の芸術的な意思を音化したことに相似していた。死が何も意味を持たないその営みこそがこの舞台で問われた。ユダヤ人の集団自殺こそはまさしく、ナチスによって追いつめられながら、ガス室への道を歩んだユダヤ人の姿として象徴された。このことは誰も書くことは許されない。そしてある意味とても健全なブーイングとしてそれは意思表示された。
ナチスによるユダヤ人抹殺計画は政治的に決して相対化されるものではないとするのは、ドイツ連邦共和国の理念にも等しい。しかしこうして恐らく芸術化によって歴史化への道を進んでいると思われる ― まさしくアドルノの「詩を読めない」に反抗している。少なくとも十数年前には考えられなかったことである。上で見たようにユダヤ主義の思想もドイツ文化の一部として強い意味を有していて、文化的には必ずしも加害者被害者の視点が明白ではないという事でもある。
今回の演出の過激性はまさしくその観照の視点にあった。首の入るべきブリキ箱には強制収容所で命を落としたとされる人数らしきものが書き込まれ、プログラムには同じ箱が積み重ねられた金庫室のような写真が挿入されていて、「死んだスイス人」の題のクリスティン・ボルタンスキの1990年の作品とある。こうして同時に強い政治的な主張ともなっている。
最早、嘗ての様にコンヴィチニーに代表されるような左翼イデオロギーの作為ある演出が何らかの意味を語ることは無くなった。ここまで腑分けしてしまうと、最早、作曲家によっても否定されるようなメローなリヒャルト・シュトラウス演奏が許される余地は無い。キリル・ペトレンコ指揮での新制作も数えるほどしかなくなった。支配人バッハラーの仕事として、バイエルン国立歌劇場のスタンダード作品「サロメ」としての制作として大成功だったと考える。そして今シーズンの大モットーこそ「歯には歯を、眼には眼を。」であった。ニコラウス・バッハラーの意志は固い。
1906年5月16日のグラーツ初演での新聞評がプログラムに載っている。書き手はブルックナーの弟子のデクセイと言うユダヤ人で、お手本のようなアナリーゼにブルックナーとの音楽的比較などもして、この作品の価値を問うている。そしてその初日に集まった名士マーラー夫妻、プッチーニ、ベルク、ツェムリンスキー、ヴィルヘルム・キェンツルのみならず若いアドルフ・ヒトラーが居たという事だ。(終わり)
参照:
改革に釣合う平板な色気 2008-01-18 | マスメディア批評
バラの月曜日の想い 2018-02-16 | 暦
真夏のポストモダンの夢 2005-06-25 | 暦
闇が重いヘクセン・ナハト 2005-05-01 | 暦
大きな要素は、ニッチェの「神は死んだ」神無き社会であり、それは丁度ヘロデの国と重ね合わされて、同時に終末思想と救済つまり死と生が隣り合わせの社会気風が表徴されているとされる。そこではサロメの踊りのヴェールこそは剥ぎ取られても何もそこにはないとされる虚無となる。第一次世界大戦後の変容は知られるところであり、またオカルトとして大戦間にあった動きも知られるところである。
同時にハインリッヒ・ハイネによる「アッタトロール ― 夏の夜の夢」におけるサロメの性化が俎上に上る。勿論ハイネの興味はキリスト教に教化され変化させられた信仰対象ではなく、そのもの民俗学的に粗野な営みとなるとされる。
前者においてはヨハナーンはタンホイザーとは反対にキリスト教原理主義者として、後者においてはサロメはアリアドネ神話などと同じ妖精のカタログに組み込まれるようだ。それらを総合して、ヨハナーンの首へのサロメのデュオニス的歓喜とされる。
こうした歴史的そして創作の時代的背景を前提として、映画「愛の嵐」にヒントを得て今回のヴァリコフスキーの演出となった。前回観劇した「影の無い女」においても演出家の最終的な視点は「死への扉が開くサナトリウム風景」だった。つまり、比較対象として「タンホイザー」を若しくは昨年ザルツブルクで「サロメ」を演出したカステルッチの沢山の記号を組み合わせたパズルのような謎解きではなく、寧ろ観照に富んだ演出をする。今回の演出においても破壊されたシナゴークにおける壁画のアニメーションが最も美しい情景となっていた。
ヴァリコフスキーの語る視点は「終末思想と救済」の対象化にあって、まさしくキリル・ペトレンコが作曲家の後年の芸術的な意思を音化したことに相似していた。死が何も意味を持たないその営みこそがこの舞台で問われた。ユダヤ人の集団自殺こそはまさしく、ナチスによって追いつめられながら、ガス室への道を歩んだユダヤ人の姿として象徴された。このことは誰も書くことは許されない。そしてある意味とても健全なブーイングとしてそれは意思表示された。
ナチスによるユダヤ人抹殺計画は政治的に決して相対化されるものではないとするのは、ドイツ連邦共和国の理念にも等しい。しかしこうして恐らく芸術化によって歴史化への道を進んでいると思われる ― まさしくアドルノの「詩を読めない」に反抗している。少なくとも十数年前には考えられなかったことである。上で見たようにユダヤ主義の思想もドイツ文化の一部として強い意味を有していて、文化的には必ずしも加害者被害者の視点が明白ではないという事でもある。
今回の演出の過激性はまさしくその観照の視点にあった。首の入るべきブリキ箱には強制収容所で命を落としたとされる人数らしきものが書き込まれ、プログラムには同じ箱が積み重ねられた金庫室のような写真が挿入されていて、「死んだスイス人」の題のクリスティン・ボルタンスキの1990年の作品とある。こうして同時に強い政治的な主張ともなっている。
最早、嘗ての様にコンヴィチニーに代表されるような左翼イデオロギーの作為ある演出が何らかの意味を語ることは無くなった。ここまで腑分けしてしまうと、最早、作曲家によっても否定されるようなメローなリヒャルト・シュトラウス演奏が許される余地は無い。キリル・ペトレンコ指揮での新制作も数えるほどしかなくなった。支配人バッハラーの仕事として、バイエルン国立歌劇場のスタンダード作品「サロメ」としての制作として大成功だったと考える。そして今シーズンの大モットーこそ「歯には歯を、眼には眼を。」であった。ニコラウス・バッハラーの意志は固い。
1906年5月16日のグラーツ初演での新聞評がプログラムに載っている。書き手はブルックナーの弟子のデクセイと言うユダヤ人で、お手本のようなアナリーゼにブルックナーとの音楽的比較などもして、この作品の価値を問うている。そしてその初日に集まった名士マーラー夫妻、プッチーニ、ベルク、ツェムリンスキー、ヴィルヘルム・キェンツルのみならず若いアドルフ・ヒトラーが居たという事だ。(終わり)
参照:
改革に釣合う平板な色気 2008-01-18 | マスメディア批評
バラの月曜日の想い 2018-02-16 | 暦
真夏のポストモダンの夢 2005-06-25 | 暦
闇が重いヘクセン・ナハト 2005-05-01 | 暦