本日24日は、聖ヨハネ祭である。昨晩は、そのパプテスマのヨハネの生誕の前日、キリストの生誕の場合のようにイヴであった。この真夏の夜を描いて最も有名な作品がシェークスピアの「真夏の夜の夢」である。
この祭りもそれ以前の風習が、キリスト教の名前で更に伝えられたと見るのが正しいのだろう。今でも、其々の土地で違う風習が残っているところがあるようだ。それもゲルマン、ケルトだけでなくスラブ文化にもキリスト教を超越したものが見付かる。だから地域性が強いようで、ネットでも全体像は掴みにくい。
もっとも夏至の顕著な、真夜中の太陽を迎えるようなスカンジナヴィアやバルト海沿岸では、固有の文化が継承されているようである。ケベック州がこの日を法定祝祭日にしていたりする。要するに夏の一番陽が長い日から短くなるまでの期間を記念する行事である。これは、また聖書にあるようにクリスマスの半年前のヨハネの誕生(ルカス1章)であるとともに、「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると非常に喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あのかたは栄え、わたしは衰えなければならない」(ヨハネスによる福音3章29-30)と、暗闇に光るクリスマスに、光溢れる昼に極短い夜が対照する。そして当日は、詰まらない争いごとを慎重に避けねばならない。
中部ドイツでは箒を十字にしたり、アルプスでは火をつけた輪を転がす所もあるらしいが、比較的一般的なのは、結婚前の若い男女が疲れ果てるまで踊り明かす事とヨハニスクランツである。このクランツは、七草もしくは九草で編まれた花環である。この中には、極東で意味を持つヨモギも含めれる。そして、この手際良く編まれた花環が、その短い闇に焚かれた炎の中へと投げ込まれる。こうして未婚の女性によって、「全ての不幸は花環とともに去り、何一つ分かつ事の無いように」と願が賭けられる。この炎を飛び越える事は、無病息災を意味し、若い男女が手を繋ぎ飛び越えられれば婚礼は近いと言う。
さらに川を飛び越えて、来る年月の不幸を「水に流す」行事があるという。洗礼の意義を逸脱している事に気が付く。さらに花環で飾った娘が清らかな水に飛び込むというのもあるらしい。なにやらバプテストの儀式よりもカンジス川の禊を思わせ印欧文化を想像させるが、違う証言もある。ポーランドの東プロイセンでは、この花環に沢山の蝋燭をつけて川に流すという。勿論、この川はあの世とこの世を分けて、流れは時そのものを表すと、ギリシャ神話のように考えるのが普通であろう。
さて、いよいよここでゲルマンの楽匠リヒャルト・ヴァーグナーに登場して貰おう。「ニュルンベルクの名歌手」と訳される楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」であるが、これは全てこのヨハニスタークの前夜からその日にかけて描かれる情景である。この重要な「思想」への配慮が欠けるとこの作品の全容は一向に現れない。(続く)
この祭りもそれ以前の風習が、キリスト教の名前で更に伝えられたと見るのが正しいのだろう。今でも、其々の土地で違う風習が残っているところがあるようだ。それもゲルマン、ケルトだけでなくスラブ文化にもキリスト教を超越したものが見付かる。だから地域性が強いようで、ネットでも全体像は掴みにくい。
もっとも夏至の顕著な、真夜中の太陽を迎えるようなスカンジナヴィアやバルト海沿岸では、固有の文化が継承されているようである。ケベック州がこの日を法定祝祭日にしていたりする。要するに夏の一番陽が長い日から短くなるまでの期間を記念する行事である。これは、また聖書にあるようにクリスマスの半年前のヨハネの誕生(ルカス1章)であるとともに、「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると非常に喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あのかたは栄え、わたしは衰えなければならない」(ヨハネスによる福音3章29-30)と、暗闇に光るクリスマスに、光溢れる昼に極短い夜が対照する。そして当日は、詰まらない争いごとを慎重に避けねばならない。
中部ドイツでは箒を十字にしたり、アルプスでは火をつけた輪を転がす所もあるらしいが、比較的一般的なのは、結婚前の若い男女が疲れ果てるまで踊り明かす事とヨハニスクランツである。このクランツは、七草もしくは九草で編まれた花環である。この中には、極東で意味を持つヨモギも含めれる。そして、この手際良く編まれた花環が、その短い闇に焚かれた炎の中へと投げ込まれる。こうして未婚の女性によって、「全ての不幸は花環とともに去り、何一つ分かつ事の無いように」と願が賭けられる。この炎を飛び越える事は、無病息災を意味し、若い男女が手を繋ぎ飛び越えられれば婚礼は近いと言う。
さらに川を飛び越えて、来る年月の不幸を「水に流す」行事があるという。洗礼の意義を逸脱している事に気が付く。さらに花環で飾った娘が清らかな水に飛び込むというのもあるらしい。なにやらバプテストの儀式よりもカンジス川の禊を思わせ印欧文化を想像させるが、違う証言もある。ポーランドの東プロイセンでは、この花環に沢山の蝋燭をつけて川に流すという。勿論、この川はあの世とこの世を分けて、流れは時そのものを表すと、ギリシャ神話のように考えるのが普通であろう。
さて、いよいよここでゲルマンの楽匠リヒャルト・ヴァーグナーに登場して貰おう。「ニュルンベルクの名歌手」と訳される楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」であるが、これは全てこのヨハニスタークの前夜からその日にかけて描かれる情景である。この重要な「思想」への配慮が欠けるとこの作品の全容は一向に現れない。(続く)
高尚なブログですね。
私どもも、たまには訪れさせていただきます。
先ずはサイトの方に馴染ませて頂きました。
音楽をすごく掘り下げて聴いてらっしゃるのですね。
ときどきお邪魔して勉強いたします。
よろしくお願いします。
こちらこそ宜しく、お願い致します。