Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

満ち溢れる愛の聖霊

2019-06-05 | マスメディア批評
気持ちが高まる。千人の交響曲第二部の中継録音放送を聞いた。やはり其々の肝心なところでの対照が激しく尚且つとても丁寧で、その移り行きはこの天才指揮者にしか不可能なところ数々だった。第二部の中での描き方が徹底していて、如何にこの作品が全体の構成と同時に細やかなところまで行き届いているかがよく分かる。百年近くこの曲がこの作曲家の代表作とは鑑みられることは無かったが、ここに来て新たな評価が加わった。やはりオペラ的な構成感で、一体どこがマーラーの唯一のオペラなのかとの疑問への回答がここにある。

「ファウスト」のあの戯曲に誰もが感じる時間感覚への回答であるかもしれない。第一部の言語学的にItが示すような一神教的な視点に続いて、第二部でのそれが問われるところでもある。それが創作動機の一つであって、それが第一部から第二部へと特別に次元を跨ぐようなまさしく量子的な跳躍である。これほど気宇壮大な音楽芸術があったろうか。そして第二部のピアニッシモの粒子の塵からフォルテシシモの宇宙の雷動へと、それが余裕を以って鳴り切るという稀有な例であった。この曲がベルリンで演奏されるぐらいの時期になるとフィルハーモニカーもそのサウンドが変わってきているのかもしれない。

しかしそれにしてもこの録音を聞くと、初日の新聞批評が「一生に二度と無いことだろう」と書いた一期一会の気持ちは分かる。放送の前番組でも予告していて、とても価値のある録音だと紹介していたが、確かに皆にとって忘れがたい日とアナウンスされたように、指揮者ペトレンコにとっても記念すべき演奏会であったに違いない。世紀の体験になるのは世紀の指揮者ゆえで、不思議でもなんでもないのだが、やはりこの創作の出来がなんとも素晴らしい。

ルツェルンからまたご案内が入っている。やはりハーディング指揮の「トリスタン」が売れていない。二割引きでも安い席でさえ殆ど出ていないようだ。余程期待されていないとしか言えない。コンセルトヘボーの後任指揮者にはほぼ落選だと思う。それどころか中欧での仕事が室内管弦楽団以外ではローカルな楽団で数をこなすようになってきている。その実力や才能とは別にして知名度の割には活動が冴えない。ヤルヴィの後任にN響指揮者になるのではなかろうか。

と思っていたら、その下にはゲヴァントハウス管弦楽団のフレンチプログラムが紹介してある。なるほどそれほどではなくても、もう少し売れて欲しいだろう。とても期待できるコンサートだが可成り通向きでもある。

新聞にバーデンバーデンの支配人を辞めるアンドレアス・メルヒツェッブホウザ―の話しが載っている。最も興味深いのはベルリナーフィルハーモニカー招致の裏話しだ。一番に、「フィルハーモニカーがもはやザルツブルクでは愛されていないと感じていた」こととあり、「バーデンバーデンでは街の中で友人となっている」とされる。実際この感覚は分からなかったのだが、中途半端にザルツブルク市も大きく、夏の音楽祭慣れしていて、アットホームな雰囲気は無いだろう。そして、ひっそりと慎重に話が進められて、相手にとっての利点を考量することから、最大の結果を得られたとされる。

確かに、サイモン・ラトルの談話と併せ以って考えると辻褄が合う話しであり、ザルツブルクが奪還への根拠として「いづれバーデンバーデンも金のことで持て余すだろう」としていて、明らかにそこに悪意があったことが分かる。

もう一つ興味を引いたのは、以前は辞めてから財政で支援をするということだったが、既にミュンヘンに移っていて、回想本を書くことどころではないという発言だ。要するに引退しないということで、それこそティーレマンが云い寄ってくるのは分かる。それからゲルギーエフとも手弁当で土台作りに協力した友人関係であるということも重要だろう。もしかするとゲルギーエフと何かをやるかもしれない。



参照:
Er hat alles erreicht, jedefalls fast alles, Lotte Tahler, FAZ vom 4.6.2019
平和と強く鋭く叫ぶ精 2019-05-28 | マスメディア批評
沸々と、ああ諸行無常 2019-05-25 | 音
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