Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

いざ「ロデリンダ」

2019-06-08 | 生活
ヘンデル作曲「ロデリンダ」、何とかなりそうだ。まだ粗筋も読んでいないが、最後まで楽譜に眼を通せば、もう大丈夫である。とても音楽的に的を得ていて、飽きさせない。ポルポリ座に興業的にはやられるのだが、やはりとても知的な創作をしていたと思う。ダカーポアリアの意味やその構造までを考えさせてくれるように、真面目な創作態度が伺える。必ずしもヘンデルのバロックオペラがいつもこうではないと思うのだが、そのレティタティーヴを含めて無駄が無い。片づけものをしながらざっと音を流してと思っていたが、中々息をつかせなかった。

結局参考音源はYouTubeにあったアーノンクールの序曲を最後まで聞かずに放棄した。この指揮者は古楽合奏のパイオニアであったことも、モンテヴェルディ、モーツァルトから華々しい活動を繰り広げて、今でも「ポッペアの戴冠」上演が強く記憶に残っているが、訳の分からないことしている。手書きファクシミリを利用しているのか何かわからないが、殆ど意味の無いようなことをしているようで、自身の出来ないことをこじ付けて何か新機軸のように見せているとしか思えない。フォンカラヤンの膨大な録音群が役に立たなくなったのに続きこの指揮者の数々の録音や録画も風前の灯化しているようだ。気を取り直してエマニュエル・エイム指揮のリルでの上演を聞いた。とても良かった。この女流はフランクフルトのバッハの会でも招聘したことがあったが欠席した。以前はもっと癖が強く感じたがよくなったのだろうか?中々見事な指揮である。これだけの演奏を聴くとマルコン指揮のフランクフルトの楽団がどれぐらいできるのか心配になる。そこで歌っていた黒人の主役女性もとても優れていた。画面を見ていなかったので正直黒人特有の声に全く気が付かずに驚いた。声楽の世界も更に進んでいると思った。

仕方がないので粗筋だけでもWikiでざっと読んでおいた。登場人物の名前が分かり難く、まるでロシア文学を読み始めたようになってしまった。到底これだけの人物が出てくるとなるとその人間模様などは芝居を見なければ到底分からない。実際に見たら分かるのだろうか。オペラセーリアの叙唱のところで上手く演出してくれないとどうしようもない。やはりクラウス・グートの天才的な演出に期待しよう。一寸づつわくわく感が出てきた。

ワイン祭り初日は天候も今一つで大した盛り上がりは無かったが、それでも睡眠は深くなかった。同時に夜中に録音していたカーネーギーホール中継は成功はしていたが、音量が小さ過ぎた。それでも移動32Bit録音にしているので再生には全く問題が無い。

これを書きながら、朝早く峠まで駆け上がった疲労から睡魔に襲われながらも、BGMとして流していると、やはり面白かった。特にプロコフィエフのピアノ協奏曲三番はとても興味深い。昨年ペトレンコ指揮でワンのピアノでルツェルンで演奏して大変話題になった曲であり、それと比較するからだ。ピアノはワンのような名人ではないので限界がある一方聞かせ所を上手く管弦楽と合わせて作ってきていて、ある意味分かり易いのだが、やればやるほどキリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーが完全にそこを抜けきったところで演奏しているかが分かるからである。確かにフィラデルフィア管弦楽団も立派に弾いているがもはや次元が違う。

奇しくもペトレンコが一歩も二歩も先に行ったところで指揮をしているかが分かり、ベルリンのフィルハーモニカーがどれだけのことをしようとしているかが一目瞭然になると思う。世界一のフィラデルフィアがこなしているところから先に狙いが定まっている。ベルリンで四月に「練習」して八月に更にに先の演奏をしていることが比較によって容易に分かるのではなかろうか。



参照:
フランクフルトのお題二つ 2019-06-07 | 文化一般
店仕舞い商法もどき 2019-05-23 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする