日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

明大の加治屋教授と大胡教授の最終講義ともう一つの!

2016-03-21 15:33:37 | 文化考
この(2016年)3月19日(土)は、僕にとって忘れ得ない不思議な一日となった。

午後1時からの、明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモンで、5歳ほど若いが、朋友ともいえる明大建築学科加治屋教授の定年退職記念最終講義の案内をもらった。
その直後に、同日3時からは、同じ駿河台キャンパス内のリバティタワーで、社会学研究室の大胡教授のこれまた最終講義が行われると、学生時代に大胡研究室に在籍した若き後輩からのメールが届いた。
 
嘗て僕は明大大学院での渡邊欣雄教授(当時は首都大学教授、現國學院大學)の講座に招かれて5年ほど通い、年度の講座が終わると、教授や大胡研に所属していた院生達と共に沖縄巡りをやったものだ。
大胡教授の調査地は主として「トカラ列島(鹿児島県側の薩南諸島に属する島々)と瀬戸内海の島々」)。好奇心が刺激され、配布された「島と人生」と題されたペーパに、びっしりとメモ書きすることになった。

ところで、渡邊教授の主としたターゲットは、沖縄諸島。更に風水に関しては中国の調査をも含めての論考、10年半ほど前になった2005年11月が、招かれて講座に参加した僕にとってのそのことの(このブログの「沖縄考」のスタートになったので参照願います)始まりになった。

この沖縄紀行は、墓地 や御獄(うたき)、風水、ニライカナイなどと共に、タコライス、沖縄そば、牧志の市場、僕が案内することになった陶器の里の壺屋や読谷等などなど。
そして改めて言うまでもないが、普天間、辺野古、そしてこれも僕の案内でのライブハウス寓話でのJAZZ、聖クララ教会、存続が気になる那覇市民会館、宮里愛や勇作を輩出した東村の様子(これは渡邊教授の研究対象)。沖縄の日常生活を構成している現在に続く文化自体を紐解いていく面白さに満ちていて、僕の人生の大きな部分を構成してきたとの感慨を、この一文を書きながら改めて想い起こすことになった。

さてもう一つの!

髭男、加治屋教授の笑いに満ちた最終講義の後笑顔で挨拶を取り交わし、懇親会に出席できないお詫び述べて、大胡先生の最終講義を聴く。そしてふと気になった土曜日なのに廊下を挟んだ反対側で行われている何がしかのイベント、受付テーブルに残っていた資料を手にとってバッグに入れた。

そして気になって帰りの電車で開いてみたら、「現象学と日本哲学の<はじまり>」と題した「現象学の異境的展開」2015年度クロージング・シンポジウム、のチラシ。レジメを見ると、明大の哲学の教授連と共に、森一郎東北大学教授の名が在った。

森教授のテーマは「世代の問題―マンハイムと三木清」。
持ってきた一部が残っていた資料を紐解くと、僕にはなんとも難しい論考で到底読みこなしきれないが、実は4月に行う東北紀行(震災後写真家小岩勉さんと共に毎年行ってきた石巻、女川など各地を巡る旅、・・・昨年は森先生にも同行いただいた)を、来週早々その森先生とも打ち合わせをする事になっている。
聴講しても多分解らないまでも、途中からでも後部の席から先生方のやり取りを聴いてみたかったと思ったものだ。森先生からは、この週末出かけていて連絡が取れないとのメールを拝受していた。まさか我が母校明大で・・・・

雨の続いた中での好天になったなんとも不思議な一日だった。