日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

李 禹煥と鎌倉近美

2013-12-16 00:16:05 | 建築・風景

昨12月14日(土)、鎌倉の商工会議所ホールにおいて「坂倉準三と神奈川県立近代美術館」と題したシンポジウムを聴講した。主催したのは、「人間のための建築―建築資料に見る坂倉準三―」と題した建築展を東京の湯島で開催している文化庁・国立近現代建築資料館である。
この会場は長崎市公会堂や、旧古川市民会館(現大崎市民会館)を設計した、早稲田大学教授を担った武基雄で、長崎市公会堂での「さるく&トーク」をほぼ一月前に行ってきた僕にとっては感慨深いものがあった。

パネリストは、文化勲章を得た高階修爾(僕が事務局長を担う「近美100年の会(略称)」の会長)、水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)、坂倉建築研究所を率いた阪田誠造、それに李 禹煥(リーウーハン)、<休憩後の二部では松隈洋京都工繊大教授が加わった>という興味深いメンバーで、進行役は「鹿児島大学」木方教授と共に今回の企画を担った同大学のこの春教授になった鰺坂徹である。

この鎌倉近美(「鎌近(カマキン)」と李さんが述べ、李さんの論述の後、パネリストみんながカマキンと言うことになったのがなにやら微笑ましい)の現状についての報告があったが(次項で報告したい)、ここで個展を行ったことのある李 禹煥さんの率直な講話に、思わず涙が出そうになるほどの感銘を受けた。

この美術館は一階の開かれた空間と、微妙に繋がっている閉じた部分、平家池の上を渡っていく別館、2階が2箇所に分かれていて、使いにくいよ!難しいよ!と美術家(作家)の中ではよく言われるが、池に面したピロティの絶妙な空間に触発されて今まで得られなかった作品(彫刻)を生み出すことができたというものだった。

休憩時間に僕は、水沢館長に、本館のピロティと池を望む新館の床面に、陶器とその破片を敷き詰めた瀬戸の陶芸家「小川待子」展が忘れられないと述べ、これもこの美術館でなくては生み出せない作品だったとの共感を得た。