図書館の新刊本棚の近藤富枝さんの新作「きもの名人」(河出書房新社刊)に目が留まった。東女(とんじょ)のOGから`近藤さんが「きもの(着物)」の本をお書きになったんですって`とささやかれたのを思い出したのだ。
裏表紙に素敵なきものを着た近藤さんのにこやかな笑顔のある本を手に取り、目次をめくった。
きもの好きな娘と、それを面白がる妻君はともかく、きものを着たことがなくその由縁にも疎い僕だが、この本のタイトルにもなった「きもの名人」という項に竹久夢二や花柳章太郎、白洲正子それに面識の無くもない(あるとも言えないのだが)篠田桃紅の名を見つけて思わず借り出してしまった。
そして冒頭の「はじめに」でおもわずニヤリとしてしまう。要は「色っぽい」という語句である。こういう書き方をする。
「・・・色っぽいとは媚態のことで「九鬼周造の『いきの構造』、性交を示す「大岡信の『日本の色』・・・それで色っぽいという言葉を使うたびに少々後ろめたいのだが、きもの姿の美しさはこのコトバ以上のものが無いので困る」とあり「・・やっぱり色っぽいと言わないと胸がムシャクシャしてくる」とややぶっきらぼうに書き記すのは、日本橋袋物の娘だった近藤さんのチャキチャキ江戸っ子(?)側面が伺えてうれしくなる。
この一冊をパラパラと拾い読みするつもりだった僕は、初項「色に始まる」のひとつのエピソードに触れて、うまく読み取れないながらも全編を読みくだくことになるのだ。
こうである。
「店の御先に歌舞伎座、市村座、明治座などがあって毎月切符を番頭から買わされ、母はおしゃれをして出かけ、むろん私もついて行く。そして開演中であっても飽きるとロビーを出て、足袋はだしになって走り回った。・・ある日、歌舞伎座中幕の『和蘭阿舟』という狂言、お春が捕吏に惹かれて花道を行く幕切れの姿に母がうっとりしていると、突然笑い声が客席から起こり、観ると私が首をふりふりお春に後に続いて花道を行く、母は顔から火が出るようだったと回想するが、[私は記憶なし]」。
そのぶっきらぼうな一言におてんばな、どこかに茶目っ気のある90歳の近藤富枝さんのお元気な姿が浮かび上がる。このときのおてんば娘は、男衆に送られて席に戻ったというあとがきに、豊かなその時代が写し出されるのだ。
僕はこの一文を、無念にも無くなった東京女子大旧体育館2階の暖炉のある部屋で、体育館で行われた踊りの会「旧体で踊る、舞う、翔ける!」(2007年3月3日)の後の懇親会で、近藤さんを囲む大勢の東女のOG連と一緒にお聞きした、ユーモアにとんだお話をなさる近藤富枝さんの姿を思い起こしながら書いているのである。
近藤さんは、瀬戸内寂聴さんや永井路子さんたちと共に東女の星なのだ。
自然にかもし出される豊穣なお話は、出自も含めて日本の伝統文化を支えてきた近藤さんならでのものだったと、この本を読みながらその風貌を思い起こす。
「きもの名人」の項に登場する方々は、言うまでもなく和の文化の一翼を担ってきていて(多くの方を「いた」と過去形で書かなくてはいけないのは残念なのだが)、「きもの」を通して鮮やかにその人物像を描き出す。お元気な篠田桃紅さんは99歳になられた。
竹中工務店の季刊誌「アプローチ」に毎号一言をお書になっているが、その美意識にえもいわれぬ詩情を覚える。近藤さんはその篠田桃紅さんを、お召しになる着物を通して浮かび上がらせるが、それが日本文化論になっていることに驚くのだ。
僕の親しい建築家仲間の伯母になる篠田桃紅さんの写真を撮ったことがある。故林雅子さんの建築展の折ご主人林昌二さんに招かれて会場に行ったときに、カメラを抱えていた僕は、桃紅さんを囲んでいる建築家たちから記念写真を撮って!とせがまれたのだ。
姪になる同じ姓のその親しい建築家と会うたびに桃紅さんの話になり、会いたいでしょう!といわれて「うーん!」と口ごもり、この「きもの名人」を読んで、近藤富枝さん共々、お写真を撮らせてもらいたいという思いはあるものの、少々怖気づいているのである。