床に落ちる日差しが延び、その陰影に見とれていてふと気がついたら、その幅が大きくなっていた。日が低くなって影がいつの間にか動いていることに驚いている。
秋の日は`釣瓶落とし`というが、オフィスから外を見て薄暗くなったとふと気がつくと、まだ5時だったりする。晩秋は`ふと気がつく`ことが多いのだ。そしてあっという間に真っ暗になる。
何をボーっと考えていたのだろう。夏の日の朝、都庁の角の交差点で信号が青になるのを待っているときの猛暑をさえぎるために、少し離れた歩道橋の下に身を隠したり、電柱の影に寄り添ったりしたことを、そしてこのごろは日差しを求めても、超高層の影が交差点一帯を覆っていて日当たりができないことに気がついて、季節は巡るものだと実感したことなどだった。
北大の銀杏並木が満開(変なコトバだが)の報が伝えられたのはつい最近なのに、昨日初雪が降ったと報じられた。それでも例年より17日遅いという。昨年11月1日に訪れた初雪の中の紅葉真っ盛りの札幌市立大の白樺を思い起こしたりもする。初雪が豪雪になって枝が折れたり、倒れた樹もあったのだ。
夏は猛暑、晩秋に豪雪、雨が降れば暴雨、冷え込んでくると東北の人々の生活を思って何もいえなくなる。
陸前高田で母を亡くした写真家畠山直哉が「誰かを超えた何者かに、この出来事全体を報告したくて写真を撮っている」(アサヒカメラ9月号)と述べた「何者か」とは何か!とぼんやりしていたら、同じ昨秋の11月、母校の先輩六代目宝井馬琴師に誘われて会津を訪ねた珍道中を思い出した。
行ったことのなかった大内宿に寄るのが楽しみだったが、だんだん乗客がいなくなり終着駅で降りたのは馬琴師と僕の二人だけ、迎えに来た若者に聞くとこのツアーは「秘湯のたび」なのだった。そして入った秘湯の周辺は雪景色で長い階段を下りてゆく。
オヤッ?と思った。じっと目と目で見つめあうとその娘がつっと湯船を出て浴槽の淵に腰掛けた。おっぱい丸出しの二十歳くらいの美形。数人いた小父さんの一人が大胆だねえ!と声をかけると、気持ちがいいですからねえと胸を張る。秘湯なのだった。
`ふと`思いついて、安里勇の八重山情唄「海人(うなんちゅう)」を聴く。
三線に乗せた「ちんだらぶし節」と転調した「九場山越路節」がゆったりと流れてくる。このCDの写真は藤原新也で、「海士の声」と題する藤原のライナーノートと、池澤夏樹の、ほんとうに静かな夜を想像していただきたい、という一言から始まる「竹富島の夜の風」、そしてカムチャッカでヒグマに襲われて亡くなった写真家星野道夫の、沖縄と安里勇に寄せる思いに満ちた一文に目をやる。
この南国沖縄諸島八重山の「海人」は、不思議にもの思う晩秋に似合うのだ。
時計を見る。
11月15日のam11:30。これからある部位の針生検のために東海大学病院に向かうのである。