日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

旅 トルコ(5) バスターミナル

2007-01-11 18:52:46 | 旅 トルコ

アンカラからバスでカッパドギア・ギヨルメ村へ行くことにした。
アンカラ工科大学での鈴木博之教授の行ったプロポーザルの翌日、大会を抜け出していく了解を得て、ギヨルメ村の洞窟を掘って作ったホテル「ケルベック・ブディック」を藤本さんが予約していた。
バスで行くと5時間もかかる。一泊しか出来ないので10時間という時間がもったいない。タクシーのほうが良いのではないだろうか。途中に面白そうな街があったら探検も出来る。カッパドギアツアーもありそうだ。何しろ世界遺産なのだから。でもお金の心配もあるので、アンカラに行ってからホテルで相談して決めようということになっていた。それなのに頼りにしていた藤本さんがいない。

どうやってフロントに切り出したのか覚えていない。しどろもどろの英語で明日行きたいというとバスだと言う。いやタクシーでは?と聞くとフロントの女性が驚いた。タクシーで行く奴なんていないようだ。いくらか掛かるのかと聞くとどうもアバウト600百ドルといったような気がした。エーと驚いてバスはときいたら?23YTL、2000円ちょっとではないか。思わずバスバスと叫んだ。ニヤリと笑った女性はすぐに電話をして時間を聞き、番号を書いたメモをくれた。乗ってみてわかったのだが一日に何本もギヨルメ行きの定期バスがある。予約をしてくれたのだ。それも窓際を。

翌朝、明日戻ってくるのでとホテルに荷物を預け、カメラと軽いバックを持ってタクシーでバスターミナルに向かう。
帰ってきてから鈴木教授に話したら、よく一人で行けたネとちょっとオーヴァーだ!と思うくらい驚いた。何しろアンカラのバスターミナルは、空港より遥かに大きくバス会社毎にブースがあり、それが大げさに言うと無数にあるし、案内看板はトルコ語なのだから。でもなぜかわかるのだ。何処に行けば良いのかと。ちょっと戸惑ったがメモに書かれた番号はブースと予約の番号だった。僕の乗るバスはNEVSEHIR・SEYAHATバス会社だ。旅感が少し戻ってきた。
それでも受け取ったチケットをバスの案内人に見せながら、何度もこのバスでよいのかと念を押した。

時間があったのでバスターミナルをうろつきながら写真を撮っていたら数名のガードマンに取り囲まれた。写真は駄目だと言う。アイシー!とうなずくと彼らもにこやかにうなずき返す。顔を隠しているイスラムの女性が沢山いるからだろうか。でもぎすぎすしていないのがうれしい。だんだん僕はトルコフアンになっていく。



旅 トルコ(4)トルコで食べる

2006-12-03 13:22:33 | 旅 トルコ

トルコの料理はどうだったかと良く聞かれる。その度に意表を突かれたような気がして困惑する。
旅に出てその土地の料理を食べるのは大きな楽しみだが、何しろ一人旅っぽくなったので、トルコ料理を味わいに出かけようという気持ちにはならなかったからだ。でも無論何も食べなかったのではない。そして食べた料理(料理とは言い難く食事、食い物?)は、思いがけなくどれも癖がなくなかなかだった。

まず関空からのターキッシュエアライン、水平飛行になった途端夜食が出た。時間があったので関空のレストランで、パスタセットなるものを食べたばかり。参ったなあと思いながら食べ始めたら、これが味がまろやかでなかなか美味い。よりもよってクリームがどっぷりのパスタが付いてきたけど。トルコに対するイメージが少し変わる。

ところでターキッシュと発音する人と、トルキッシュという人がいる。僕はターキッシュで篠田さんはトルキッシュだ。カッパドギアで出会った韓国の女性はターキッシュ。帰りの飛行機でスチュワーデス(今では客室乗務員というのか、エアラインによって違う?)に聞いたら、ちょっと困った顔をして、どちらも違うという。トウーキッシュ(この発音は文字にはし難い)(閑話休題)。

ホテルの朝食はバイキング形式だ。ペラパレスで初めてちゃんとした(?)トルコを味わうことになった。どうやって食べるものなのだろう。僕はヨーグルト(実はトルコが起源なのだそうだ)などにぶち込んだが、猛烈に塩辛いチーズやナッツ、これがトルコかと思ったが、他のホテルではそうでもなかった。パンが美味い。フランスパン(トルコパン?)をナイフで好きなだけ切りとって食べるのも、このホテルと旅人との信頼が築かれているような気がして良い感じだ。

さて一緒に食べようと約束した初日の夜、篠田夫妻とガラタ橋の下のレストランに行った。呼び込みのアンちゃんに12YTL(イエーテレ)といわれて安くて良いやと入った店、ライトアップされたイエニ・ジャーミーや行き交うフェリーを見ながら食べるのはなんとも楽しい。
ガラタ橋ではウイークデェイなのに日がな釣り糸をたらすおじさんたちがいて、小さな魚が結構釣れる。釣れるのかと様子を見ていたのでわかるのだ。どうやらこの釣った魚を下のレストランでも料理をするようだ。魚を食った。まさか!出てきた魚はでっかいのでそれではない。と思う。

結構なビールで良い気持ちになった頃、店の奥から流しの三人組の奏でる音楽が聞こえてきた。コーラン風のメロディとリズム、豊かな異国イスタンブールだ。
味は普通。まあ写真を見て欲しい。なんとも楽しそうな篠田さんとサービス満点の流しのおじさんたちを。味なんて二の次だ。

実はちょっぴりお腹を壊した。渡邊さんも山名さんも調子を崩したが、正露丸を三粒飲んだら直ってしまったという。あまった二十粒ほどを渡邊さんに貰った。それをほとんど翌日の一日で飲んでしまった。僕の調子がいまいちだったのは、正露丸に当ったのではないの!と帰ってから皆に笑われてしまった(これも閑話休題)。

さてアンカラからイスタンブールに戻った日、フィッシャーマンズワーフに座り込んで暮れていくジャーミーやガラタ塔を見ていた。
スイミットというゴマつきドーナツパンを売る屋台が出てきた。のんびりと行き交う人と会話をしながら準備を始める。焼いた大きな魚(バルク・ウズガラ)をパンに挟み込んで売る屋台が何台も出てきた。売りかたにも個性(工夫)があって面白い。飽かずに眺めていたら腹の調子が万全ではないものの、そのホットドッグを食べたくなった。

好奇心には勝てない。公設らしい屋台の看板には[HISTORICAL FISH&BREAD]と書いてある。これが決め手、これは美味い。僕はイスタンブールの歴史を食ったのだ。回転焼肉ドネル・シカブを挟み込むのもあるが、人気があるのが魚だ。包むエルメッキという有名なパンが美味いのだ。安い、3YTL。

カッパドギアの洞窟ホテルでの奇形を眺めながらの夕食と朝食、夢のような景色だったがさて味はどうだったかと問われると!まあ普通。それより運んでくれた人の素朴でアットホーム的な感じがとても良い。でもこれでは料理のレポートにはならないなあ。
こんなことを書いていてもしょうがないか。ガイドブックで紹介されているトルコ料理の定番、レンズ豆のスープ・メルジメッキ・チョルパスもシシ・ケバブも食べていないので。

とは言えもう一つ。
イスタンブール現代美術館のコーヒーとサンドウイッチは美味かった。この美術館のレストランは、海に面した2階にあってミュージアムショップから入るようになっている。ドルもユーロも使えない。YTLかカードだ。
このレストランで食べるのは、イスタンブールの人々のステイタスになっているのだろうか。おしゃれをして、エグジェクティヴ的な様子の人々で埋まっている。優雅な景色だ。この街の側面が見えてくる。

倉庫を改造したこの美術館では、トルコの代表的な美術家(と思われる)Fahrelnissa、Nejad夫妻の回顧展が開催されていた。コレクションをしているようだ。黒や赤に黄色やグレーの原色を組み合わせたNejad夫人の代表作と思われる抽象画を表紙にしたノートなどが常設グッズとして売られている。色の組み合わせやその形に微かにトルコを感じる。アグレシップな。
思わず手に取り数冊買い求めた。DOCOMOMOのプロポーザルの資料を作ってくれたメンバーへのお土産にするのだ。

そうだ。これは書いておこう。何処へ行ってもチャイがおいしかったことを。



旅 トルコ(3) 新市街・とはいえ歴史の街だ

2006-11-22 10:39:11 | 旅 トルコ

装飾に満ちた建築群が建ち並ぶ。時に見かける四角い窓の連なるシンプルなモダニズム風の建築の外壁がくすんだ白に塗られているものもあるが、その多くは赤や黄色或いはブルーで塗り分けられている。色は原色に近いが毒々しくはなく周辺の装飾建築に溶け込んでいる。

朝の9時過ぎだと言うのに大通りを大勢の人が歩いている。ウイークデイなのにね。観光客には見えないし。何故だ?
腕を組んだ若いカップルもいるし皆なにやら楽しそうだ。道の舗石修理をしている職人がいる。ついつい立ち止まって手元を覗き込む。素朴な手作業。良い街だ。活気があるのだ。

後で気がつくのだが、僕は新市街に迷い込んだのだ。

ガラタ橋辺りへ行って様子を見、トプカプ宮殿にでも行ってみようかとドアマンに方向を聞いて町へ出た。ところが歩き始めた途端交差する路地に惹かれた。
狭い道の両側は色とりどりの建築で埋め尽くされ、跳ねだしたバルコニーの腕木には彫刻が刻まれている。避難用とおもわれる鉄骨の螺旋階段が沢山あり、どれも建築群に馴染んでいる。今建てている「二人の家」に螺旋階段を造るので気になるのだ。引き込まれるように好奇心に駆られてふらふらと路地を曲がった。

道端にサイドカーが鎮座したりしている。路地に又路地が交差し、椅子に腰掛けて新聞を読んでいる老人がいて、おや変な奴が迷い込んだといった様子で上目で使いで僕を見たりする。ニヤリと笑い返す。更に曲がると路に張り出したカフェのテーブルに座り込んで語らっているおばさん達もいる。そして大通りに出た。そして又路地へ。

歩いても歩いてもガラタ橋に出ない。彷徨い、どこにいるのかわからなくなってしまったのだ。すると「ジャポネ?」と声を掛けられた。渋谷でトルコ料理の店を開いているのだと言う。一瞬警戒心を見せた僕に30才くらいのその男は身分証明書なるものを見せる。「板橋って書いてあるよ」というと住まいはね、そして休みを作って実家に帰ってきたのだ、女房は日本人でコンピューターのプログラマーだとやけにうまい日本語をつかう。

ところでね、此処は何処なの?とガイドブックの地図を見せる。なんと銀座通りのようなイスティクラール通りをガラタ橋とは反対方向に一時間半も歩いていたのだ。ありがとう、じゃあね、と何か言いたそうな男を残してさっさと路地へ入る。何だか怪しげな男だし。

さてこっちへ来たのだから、トラムヴァイ・トプハーネ駅の傍にある海に面した「現代美術館」行こうと思い立った。
そこのレストランで昼飯を食おう。僕はワシントンでもNYでも美術館で昼飯を食ったのだ。何とか`サンド`なんだけど。でもI,Mペイの設計した(だから足を運んだのだが)ワシントンナショナルギャラリーの肉を挟んだでっかいサンドイッチは酷かったなあ。

急な坂道を降りはじめた。ちょっと恐そうな路地。靴や鞄を作っているらしい家内工業的な一角など、作業有様をちらちらと覗き見しながら通り抜けた。
イヤアそれでも薄汚れたそのあたりの建築も面白い。新市街といったってちっとも新しくはないではないか。イスタンブールの新市街の歴史を僕は歩いているのだ。


旅 トルコ(2) アジアとヨーロッパの架け橋

2006-10-30 21:13:15 | 旅 トルコ

イスタンブールは黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡によってアジアとヨーロッパに分かれる。この都市はアジアとヨーロッパの架け橋なのだ。
そしてヨーロッパ側には、オリエント急行の終着駅スイシエル駅やトプカピ宮殿、イエニ・ジャーミイ、ブルーモスク、ギリシャ正教の総本山からイスラム寺院に姿
を変えたアナソフィア、その周辺に生まれたバザールなどが密集した観光客で溢れる旧市街と、僕の泊まったペラパレスホテルのあるビジネスの中心地でおしゃれな今風のショップの並ぶ新市街とは、ボスポラス海峡の入り込んだ金角湾で二分され、アタテユルク橋とトラム(路面電車)に乗ったり歩いて何度も渡ったガラタ橋で結ばれている。

そしてそのいずれもが魅力的だ。
旧市街のガラタ橋の辺りを、フィッシャーマンズワーフといって良いかもしれない。フェリーの発着場が幾つもあり、屋台が出て人が溢れ、振り返ると大きなジャーミー(モスク)が幾つも見える。
金角湾の向かい側は小高い丘の中腹にガラタ塔が屹立して新市街のランドマークになっている。
この街イスタンブールは、西欧の優越感を現すオリエンタリズムを感じさせない。土地に根付いたイスラム文化に溢れているからだ。街が生きている。

トルコへ行こうと思い立ったのは、DOCOMOMOの世界会議がイスタンブールと首都アンカラで行われたからだ。
DOCOMOMO Japanが2008年度の大会誘致の立候補を決め、鈴木博之代表によってプロポーザルをすることになった時、この国際会議に僕の好奇心が張り付いた。英語が駄目なのに。会議は英語で行われるのだ。
でもふと大会に参加しようかと思った途端、なんとなく怪しげなイスタンブールに行きたくなってしまった。カッパドギアにも。
「好奇心」これなくして吾が人生なし。どこかで聞いたような文言だが僕の場合はそれに野次馬根性がくっついてくる。ちょっと軽薄な、刹那的ではあるのだけれど。

ペラパレスでバイキング式の朝食を食べ、ヨーグルトが美味いねえと言いながらコーヒーを飲んだら、ではと皆いなくなってしまった。
渡邊さんと山名さんは一足先に会議の行われるアンカラに行くと言う。篠田夫妻はホテルを替えるのでと、夕食を一緒に食べることにしたらあっという間に消えた。

<写真 金角湾から望む新市街 中央にガラタ塔>






旅 トルコ(1) イスタンブールへ

2006-10-21 18:54:18 | 旅 トルコ

飛行機が1時間ほど遅れ、朝の6時にイスタンブール・アタチュルク国際空港に着いた。
空港の両替所で一万円をトルコリラ(イエー・テー・レー)に換える。昨年の1月1日デノミが実施され、まだ1年と9ヶ月しかたっていないのにすっかり定着したようだ。デノミといわれても実感がないが、DOCOMOMO世界会議プロポーザルの後、一杯やった飲み屋で、鈴木博之教授が、この前トルコに来たときにあまった一万リラほどの札束を出して、これでホテルに一泊できるかもしれないと思ったら、なんと300円だと言われてがっくり来たと僕たちを笑わせたが、それがデノミなのだとなんとなく判ったような気がした。
ガイドブックにもデノミの記載があり、ユーロや米ドルが何処でも通用すると書かれているが、実は新リラ、イエー・テー・レーのほうがずっと使いやすい。

僕は外国に行くと市場やコンビニと共に、必ず現代美術館に行く。今の新しいその国の状況や人々の生活がわかるからだ。その楽しみのために旅をするようなものだ。

その現代美術館では、ユーロもドルも使えなかった。まあそれだけでなく、街中の屋台や観光客のほとんど行かない場所の小さな店を覗いたり、食べたり買ったりするのが楽しみなのだが、そこでは地元の人の使う通貨しか使えないのは考えればあたり前のことだ。それだけでなくタクシーをはじめとしたほとんど総ての乗り物が、イエー・テー・レーでないと使えない。国際都市とはいえそれも当前のことだ。
何故こんなことにこだわって書くかというと、日本では円をイエー・テー・レーに両替できない。わざわざ換金して持っていったユーロは一向に減らないのに、イエー・テー・レーがすぐなくなってしまうからだ。旅の初日、まだ旅感が戻らない。

アガサ・クリステイは旧市街にある終着駅シルケジでオリエント急行を降りると、金角湾をフェリーで渡り(今はガラタ橋が架かっている)、ホテル「ペラパレス」に逗留したという。
僕はタクシーで水道橋をくぐり、次々と現れるジャーミイ(モスク)をきょろきょろ見ながら、その「ペラパレス」に向かう。
7時半に先行した建築家篠田夫妻や渡邊さん(東海大助教授)、山名さん(理科大助教授)と一緒に朝飯を食うのだ。そしてここに泊まる。

旅にはハプニングが付き物だが、今回はなんと同行するはずだった藤本さんがこられなくなったという。それも羽田空港で約束の時間の15分前についたので、いる場所を携帯で伝えたら「いやねえ!」とあせっていて、そして困惑した声が伝わってきて、結局はトルコへ行けなかった。

一人旅。
僕も何回も外国に行っているが考えてみると一人旅は初めて。スケジュールは総て英語のわかる彼が組んでくれ、僕はただ付いていくつもりだったののに。彼は多分何にもわからないだろう僕を心配してくれ、ホテルでのバウチャー(利用券、これを出さないとホテル代の二重払いをする羽目になりかねない)提出のことや、トルコ航空のリコンファームが出来るかと、携帯電話で何度も念を押してくれる。

彼に総てを委ねたのには訳があって、数年前JIA(日本建築家協会)の大会で沖縄に一緒に行ったときの彼の感性や、面白いところを見つけ出す天性にすっかり惚れこんでいたからだ。
DOCOMOMOに選定した「聖クララ教会」は、彼に良い教会があると連れて行かれた途端、これだ!とアドレナリンが沸き起こり、写真を撮って委員会でプレゼンして選んだ。彼がいなかったら選べなかったかも知れない。彼に任せておけば総てうまくいく、と横着をするつもりだったのだ。

さて困った。いやなんとも心細いが仕方がない。飛行機の中であわててスケジュールを確認し、ガイドブックをめくって何処に行こうかと考え始めた。
でも考えてみると、僕の外国の旅は実は何時も一人になってしまう。写真を撮るので歩くペースが合わない。興味の対象も違う。結局晩飯を一緒に食う場所を決めての一人旅になるのだ。ずいぶん前のことになるが、10名を引き連れて行ったNYとワシントンでは,1対10ということになってしまった。でもここはトルコだからなあ!

僕が一人で来たので、待っていた4人がびっくりした。
タクシーは23イエー・テー・レー、約2100円。一人で飛行機に載り、タクシーにもちゃんと乗りしかも23リラとは(トルコ人はリラといっているようだ)。俺たちが乗ったタクシーより安いじゃあないか、しかしまあ、良くたどり着けたと見直された。格好の話題提供、でも何だか情けない。

<写真 オテル「ペラパレス」>