光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

いよいよ押し迫ってくる

2008-11-01 18:52:25 | 散策
  購入している、PR誌がきょうは11月の1日だけど、土曜日で配達があって、2つとも着た。結局10月号は、途中まで読んで、そのあとは読まないままほったらかし。いくらでも時間がある。でも、こうゆうのはなんとかなるが、こちらの方面だと、無理がある。こうゆうことはだれでもあると思うけど、今まではあるときから、一回は少なくても読む、あるいは目を通すことにしていたが、それもやらなかった。

  PR誌もばかにならない。大体、お金がかかる。いくら年間の購読料が安いといっても、お金がかかることに間違いはない。でも、やっぱり、年間千円だと安い。また、3年間で2千円だと、かなり安く買わないと損な気もする。でも、常に面白いと思うものは、まずはない。如何せん、レベルにも差があり過ぎて、ありがた過ぎる。それでも、辞書を引き、読めない文字にフリガナを振ってどうにか、ありがたく読ませていただいている。何しろ、暗ければ明かりが必要だが、他には手持ちのもので間に合う。間に合うような読み方も可能。
  それからPR誌だから、広告もあってこれで世間がわかる。わかるような気がする。勘違いもある。広告なら、新聞のほうが刺激的だが、新聞はまずは一過性でそれで、新聞入れを「ごそごそ」やるときはまずはない。一週間のTV欄、ラジオ欄が載っているものは探すが、本体はまずはない。その点、PR誌は、軽いしその辺に置いておいてもいいし、順に積み重ねてもいい。しかし、これも有限の時間で限界に達するときがある。こんなに薄いものも、足し算をすると収束せずいくらでも場所を取り、またどこにいったかわからなくもなる。こうして、何年分だかわからないが、この回りに、PR誌はあって、ときにあれはどこへ行った、と思う。どうにか出て来る。このPR誌の最後は、どうなるか。

  目の前を見てみる。PCのモニタがある。これは机の上ではなく、本箱に乗っかっている。よく、本箱のさほど厚くない鉄の板が、はずれないな、あるいは曲がらないな、と思う。呆れるようなことをやっているが、本も本棚一杯に並べると、結構重いはずで、この重さはどのくらいになるか、不明である。たぶん、両の手でも持つことは出来ない。目の前の、本箱の本も変わらない。昔のまま。触ると何かが起こりそうで、怖い。恐る恐る一冊の本を取り出したり、あるいはカードみたいなもの、紙切れ、書類、葉書き、封筒、本のケースを取り出す。本のケースは取り出せない。これをやると、本の雪崩が起こる。
  机の上に、PR誌。ほか、広告の裏白の紙。ここに、文字があって何かが書かれている。もう要らないが、動かすと埃が舞い上がる。
  小さな紙だと、レシート。これが役にたつ。値段を確認できるし、この裏を使う。たまに電話番号が役にもたつ。いったい古いものはいつのものだろうか。
  この書き込みに使ったメモもかなりあって、これが重要である。ここに秘密の数字やら、ローマ字が書いてあって、ときどき見る。これがなくなったら、やっぱり怖い。辛気くさいが、紙に書いてある文字はどこかへ行くことはない。

  目の前の話しから、机の抽斗へと目はいく。減ることがあるのか、何度か引き出しの整理はやった。しかし捨てられないものがある。ここにも領収書があって、PR誌のものも残っている。はっきりいって、もうゴミだべ。しかし、自分の歴史みたいなもので、これが捨てられない。乾電池も入っている。

  疲れてきた。押し迫っていることがよくわかる。自分でもこれではいけないと思う。だから、たまに捨てるものがある。何年か前にかなりのものを捨てた。その後また増えて、一部のものは、引き出しの、抽斗とも書くようだが、中から後ろ側に落っこちていて、これに気が付かないと悲劇である。

  これだけわかっているなら、そういえば3連休とかいう。その間に少しゴミ出しをしたらどうだ、もう一人の私がいう。そうかも知れない。そういえば、明日もそんなに悪い天気ではない。ゴミ出しか、まさか一々その紙やら、わけわからんものを読みふけって、それで物思いにもふけって、終わってしまうということにはならないだろうなー。
  長くぼやいて、すいませんでした。


  秋の光の中で。




  葉っぱの赤さが目立って、思わず立ち止まった。




  今どきのススキ。ススキもクシャミ。キラキラしている。




  露光を短くして、空の青さが出て、上のと両方を足すと、肉眼で見えているものに近い感じがする。




  何かがぶら下がっている。ウリのようでそうでもない?。右上の実は半分に割れて、その中味は真っ赤なようだ。今気が付いた。ホント、これは何だろうか。

夕景描写

2008-11-01 16:15:39 | 散策
  きょうも朝まではぐずついていたけど、そのあとは非常にいいお天気。
  まさに行楽日和です。

  行楽にも色々で、いつものその辺を歩いて来ました。
  少し、抽斗の中味を増やして、っと。似たり寄ったりだけど。
  
  きょうはもう11月で、きのうはもちろん、10月の最後だった。
  いつものように、夕方の空を見ているが、というより
  まぶし過ぎる感じの日が出ていて、ちょっと迷惑。
  見ていると、ただ真っ白に近いものがあるが、
  いつものごとくあとで、ファイルと見ると
  目で見たのとは異なる色具合が出ている。妙だけど、
  これがいい感じなので、やっぱり夕景。




  真っ白な空というのは、勘違いのようで、でも、空にそんなに色はなかった。
  で、強いて言うと、お日様も柿色をしている。空も同じだ。




  太陽光の影響を少なくし、屋根をはずすと、もう少し明るい空の色があるが、
  思ったよりも、赤い色に染まっている。




  方角を変えてっと、こちらがこれまでと同じ夕空。右側はまだ
  青空があるようで、でもこの色の組み合わせがいいと思う。

雨のち晴れの朝

2008-11-01 06:50:32 | 散策
  朝のお天気、曇りか小雨かと思っていたら、明るくなって雨もなかった。雲も切れて、青空。今はだから大体晴れ。木々の枝葉の揺れもなくほぼ無風。アメダスの6時の気温12.2℃、気圧は1015.5hPa。室温15℃。

  カレンダがもう新しくなって、ことしも残り二枚。ずっと同じものがかかっている。酒屋さんからのもので、白いところが多く、しかし日付は大きな文字で、実用的。今年ももう終わり、こんなことは正月にも思っていた。今年もすぐに終わる。でも、これも終わってから思うものだ、ちょっぴり不安にもなる。

  小さな鳥がいる。ここには、昔からウグイスがいたが、松の木もなくなった。それより木そのものがうんと減った。だからいつもいる、ヤマバトやら、ヒヨドリやらも棲みにくくなったと思う。この近くに、大きな木の生えているところ、密集しているところも2、3か、それ以上あって、そこにも色々な鳥がいそうである。大きな木が切り倒される、そうゆう光景もあるが、まだたとえば、トビ(鳶)などが棲んでいるといわれる、そうゆうところもある。残念ながら、人から聞いた話しだが。
  それで、小さい鳥だが、たぶんメジロのような気がする、非常にチョコマカ動いていて、こうゆうところはウグイスと同じ。でも、その鳴き声がわからないから、たぶんメジロということになる。もっと昔になると、鳥かごにメジロはいた。もうずいぶんと昔の話し。
  このメジロも、どこから来るのだろうか。1週間くらい居続けることがあるが、いったい何を食べているのか、柿の実やらは食べられそうだが、そこにメジロは見かけず、もしかしたら、サザンカなどの蜜を吸っているか、その花粉を食べているのではないか。小さいが、動くからわかるし、ときに複数羽現われて、この動きを見るともっと楽しい。

  ワンちゃんの顔。きのうはワンちゃんの顔を見る道にいた。一人目は、いつもはベッドにいる。どのようにいるかというと、大体寝そべっている。それで、ときどき首から上を動かして、こちらも見る。きのうはというと、ちゃんと立ち上がっていた。しかし立っている場所は、ベッドの上で、その下を見て、居心地が少し悪そうだが、原因はわからない。そんなに寒くはなかった。もう一人は、これは完全に忘れていた。その反対側にある、お医者さんに用があったから。大体一つのことしか、頭にない。
  きょうは雨が意外に早く上がって、このまま晴れるか。