光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

新しいものに弱い

2008-11-09 19:02:18 | 散策
  短いものでも、なかなか文字だけのものを読むのは面倒なもので、それも紙で書かれているものだから私の考えだと、そっちの方がいいような気がするが、なんだか日曜だと思うとTVも見ないといけない。生放送だから、それを逃すと二度と見ることは出来ないが、まとまっているものを、総集編を、見たときは、あーこうだったか、復習になって、そのときはわからなかったものがわかる。TVを見ていて、今も昔もそうだが、何がおかしいかわからないというのがある。

  早口で、声優さんが言う。これなどは外国の映画だ。そこがわからないと、その続きもわからなくなってしまう。ミステリ、探偵ものに多い。お笑いの世界でも、なに言っているのか聴きとれないことがあると悔しい。もう一度あると、不思議とわかったりして、お腹を抱える。ラジオでもそうで、再放送の意味がある。ここで、新しい言葉とかも知ることが出来る。新しい言葉もすぐに死語になる今だが、この辺りは知らないよりは知っていたほうがよく、知らないと知っている振りをするか、というとしない。

  PCのこと、主にハードのことが書かれている雑誌をもう買うことを止めた。定期購読していた。最近はほとんど読まないまま。そのまま置いておいた。もしかしたら、新しいものも捨てている。それはどこにあってということもわかるから、捨てやすい。が、時代はどうゆう方向かわからないが進んでいる。変化している。
  PCのOSだと、XPしか知らないし、ほとんどその前のものと同じように見えるようにしている。つまりシステムは、XPだが見た目は、2000なのである。XPの寿命は少し延びたような気がするので、今も安心して使っている。これを変えるつもりはない。が、しかしウィンドウズ以外のものはまったく触ったことはない。今のビスタもまったく知らないし、さらにその次のウィンドウズの話しもネットで耳にするが、それはまたXPみたいではないかなど思ったりもする。
  自分がいつまでPCを触れるかという問題もあると思う。
  それよりもケータイを持つほうが重要にも思えるが、もしそうなったら、それではただ電話だけ使うということになると思う。

  そうすると、少しだけだが、次のOSというのも知らないといけないような気がしてきた。この先は、現実性は今はないが、それを確かめるにはノート型のPCが一番のような気がして、まずは値段から調べる方法を、XPでありながら、しかもSP3以上でありながら、2000に見えるもので調べると、なんと有名メーカで、
  OSにXPを使っているものはなかった。あくまでも値段でという観点で調べた結果である。一部のメーカだとまだXPは生きているが、有名メーカでは、ノート型のものは、およそすべてOSはビスタ。これには少し驚いた。でも、この先、今のPCも壊れる可能性があるから、いずれ本体の購入ということもあるかも知れない。しかし、デカイのだと、自分が調べるものでは、ほとんどがOSはXPなのであって、もっともこれはほとんどが自作、いろいろなものを寄せ集めて、ということが原点にあるお店のものだから、当然かも知れない。

  ノートというと昔はメモリも少なく、ディスクの量も同じで、ずいぶんと遠ざかっていた。最近のものを見ると、メモリは2Gが当たり前で、ディスクの量も大容量である。へーという感じだが、ビスタの要求は高いから当然かも知れない。ただ、ほとんど画像の処理用のメモリとの共用の仕様が多く、これが別だと多分かなり高価になるのだろう。
  それと、解像度の高い仕様で、その割にモニタは小さい。ノートだから当たり前だが、もう小さな文字は見たくもない。この辺りが、引っかかるところ。
  現実性は、かなり少ないと思う。

  それでも、多少は新しいものの吸収というものもやらないといけない。XPのことも、ほとんど知らないまま今があるが、このいい加減さは変わらない。もしものときが来ると、そのときはうろたえるかもね。今もなにやらよくわからないことをやっているが、これはまだ「ぼけた振り」でなんとかなりそうだが、機械の方はというとそうゆうことは聞いてくれないだろう。

  今は押しなべて有線の世界で生きている。無線のことはさっぱり。この世界へ踏み込んだある方は二度とこうゆうことはやりたくない、という感想を漏らされて、ごもっともと思った。しかし、その方は壁は越えた。しかし私の前には壁しかないようだ。


  散歩道の続き。




  秋口の小川と書きたいが、川底はコンクリートである。今は雨もないから、干上がる寸前。




  大木に近いもの。太陽の位置からいうと、ちょうど横からの状態で、曇り空の様子が少しだけわかる。

 


  同じく、大木の、ケヤキ。太陽をほぼ背にすると、雲も飛んでしまう。もっとも場所も違うし、時間も違う。




  一度見たピラカンサ。この実もそろそろ変化があって、多分最後にはみな落ちてしまうはずである。

秋の奥行き

2008-11-09 16:18:26 | 植物・花(秋)
  かなり暗く、照明がないと真っ暗な感じで
  肌寒いお天気。ついでにアメダスの気温を見ると
  午後3時で12.2℃である。

  お腹の出具合もあるが、なぜか最中がある。お菓子の最中で
  さほど大きくない。厚さも薄めだ。
  一つくらい、いいだろう。あー、また食べてしまった。
  といっても、今年でもいいし、今月でもいいが、
  多分二回目。
  よって、さっさと歩いて来たが、最中のカロリが消費されたか
  どうかは疑わしい。



  晩秋の寂しい日曜日である。




  真っ赤である。これくらいのものを出さないと、元気が出ない。




  ヘクソカズラの実。黄色いのがヘクソカズラの葉っぱの紅葉。




  もう一つの紅葉。赤いところもあって、白く枯れた葉もある。




  なるべく、自分の頭のことは想像しない。
  それより、羽の付いたタンポポのタネが、プロペラをくるくる
  回しながら、飛んでゆくところを考えてみる。

黄色い葉っぱの謎

2008-11-09 06:57:40 | 散策
  朝のお天気、どんよりの曇り空。風はあまり感じないが、煙突の煙を見ると南風のようで、またあまり上には行っていない。穏やかの一言。アメダスの6時の気温、8.7℃、気圧は1019.7hPa。室温12.3℃。ようやく、今頃の気温になった。

  あまり寒さは感じないが、これも時間の程度の問題で、さっさと冬の格好をする。ヒータも付ける。電力計のメータもクルクル回っているのが想像できる。西の空は、工場の煙突もあるところだが、均質感のある空で、一部黄色い薄い青い空がある。ここは明るい。東はというと、雲がはっきりしていて、太陽の存在もまだ感じない。もっともすでにそれなりに明るい。

  やけに黄色い、それも写りのいい葉っぱが幾つか、あるところはたくさんあって、何だろうか気にもしなかった。いい色でもあるから、賑やかというかあったほうがいい。このところ晴れていない。朝は、ほうきを持ってただ持つだけだが、その辺を観察する。ほうきを持つのは、蜘蛛の巣を払うためで、お化け屋敷のようだが、そうゆうわけでもない。でも、その巣もめっきり少なくなる。
  大型と思われる蜘蛛が、ゆうゆうとある高さに巣を張っていて、我が世の秋をおくっていた。怖いものなし。しかしある日、私はこの蜘蛛がヒヨドリに食べられそうになったのを見た。なんだか、サスペンス物のTVドラマより、ドキッとする。このとき蜘蛛は、まだそこにいた。二度目もある。二度目も見た。だから実際はもっと回数があるのだろう。自然界では、弱肉強食の法則が貫かれている。

  ほうきから蜘蛛の巣の話しにいったが、見ているのは黄色い葉っぱであって、この正体はすぐにわかった。「ヘクソカズラ」、ついにこの言葉、文字列を書くときが来た。カタカナで植物を表記することが多い。植物だけではないが。これだと、漢字で書くより生々しさは減る。またその分なんだか気が抜けてしまうのも事実のようだ。
  この蔓性の植物は昔からあった。ただ、その花が今年は多く、接写出来るものも購入して、目で見るよりもはっきりこの花の様子を知ることが出来た。でも、これもある部分だけだが。匂いはというと、臭いかも知れない、感じない。ニラの花というのも見たが、またハナニラも知っているが匂いは感じない。外だと風もあるし。
  この花が実を結び、その後葉っぱが黄色くなって、その葉はかわいいといってもいい。穴の開いた、葉っぱを見ているとそれから人の動物の顔もよみがえる。ヘクソカズラ。もう一度書いて、復習する。